過去の掲示板(その7)


「インパール作戦・父が語る戦争体験記」への感想を多くの皆さんに書いていただいています。今までの掲示板への書きこみ内容をまとめてみました。上から順に新しい書きこみとなっています。
なお、改行位置などは一部編集してありますのでご了解下さい


平成11年3月の掲示板開設以来のもの(No1〜63まで)は「過去の掲示板その1」をご覧ください。
No64〜99までは「過去の掲示板その2」をご覧下さい
No100〜172までは「過去の掲示板その3」をご覧ください
No173〜206までは「過去の掲示板その4」をご覧ください
No207〜250までは「過去の掲示板その5」をご覧ください
No251〜279までは「過去の掲示板その6」をご覧ください

ホームページ編集責任  窪田 幸唯 mailto:kubota@mxa.cosmo.ne.jp

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321.戦争参加 投稿者:窪田やよい  投稿日: 1月 3日(水)17時07分03秒

 

謙東弥さん お久しぶりです
本年もよろしくお願いいたします。

「平和憲法」を大事にしている日本で戦争参加者がいるのは不可思議ですね。
個人として参加する分には問題なしなのでしょうか。
西山氏高部氏がどういう気持ちでどういう経過で参加したのかくわしくわかりませんが
現代の日本人の中にわざわざ苦境に身を置こうとする人がいるというのは
単純にちょっと感心してしまいます。


320.なぜ今日本の若者が 投稿者:謙東弥  投稿日: 1月 2日(火)17時57分57秒

 

あけましておめでとうございます。本年も宜しくお願い申し上げます。

日本の若者が現在も戦争をしているのは事実です。
数年前には週刊プレイボーイ誌上で、ビルマ国軍と戦うカレン民族解放軍
(KNLA)に参加する西山孝純氏のレポートが掲載されていました。
その西山氏は昭和39年生まれ、なぜ戦争をするのか、という理由が著書の冒頭に
あります。

☆「カレン民族解放軍のなかで」西山孝純著・1994年アジア文化社刊
「私が求めたものは可能性としての『場所』だった。現実の日本社会はあまりにも完成されている。老人たちの国に希望を失った若者が世界を目指すのは当然・・・」
「自分は戦争が好き」
「・・・カレン民族闘争に、同じアジアの体熱を感じたのがすべての始まり・・・」

西山氏が育った日本の環境というのは、まさに高度経済成長後の社会です。
全学連・安保闘争といったような学生運動も壊滅していました。
もしも、もっと早く生まれていたなら、彼の歩む道筋は違っていたことでしょう。
僕らの育った時代には物もなく遊ぶ環境もなく情報もなく、
よく言えばハングリー、つまり貧乏で生きることに必死でした。
しかし彼らの世代、そして今の世の中、飢えることはありません。
遊びも情報も氾濫しています。物質的には満たされた経済大国日本に生きています。
しかし心を満たしてくれるものが、あまりにも少ないのかもしれません。
だからあまりにも簡単に、エセ宗教を盲信したり犯罪に走ったり、
西山氏のように「戦争したい」であったりするのかもしれませんね。

また、同じく昭和39年生まれの元自衛隊員・高部正樹氏も、
KNLAに義勇兵として加わる理由を著書で述べています。

☆「戦争理由」高部正樹著・1998年徳間書店刊
「日本人義勇兵たちは元自衛隊員がほとんどだったが、みんな自衛官ではなく軍人になりたかったのだ」

弾を撃てない自衛隊より、国外で自由に人殺ししたい、と僕には聞こえるのですが・・・
まあ自衛隊員も十人十色、戦争をしたい人もいることは確かですが、
海外へ行けば簡単に戦争に参加できるという思考回路が、僕には理解不能です。
銃を持つということは確実に、人を殺す、ことです。
いくら自由な社会とはいえ、個人の自由とはいえ、
軍人になりたい、弾を撃ちたい、戦争したい、
という短絡思考が許されるものでしょうか。
子ども時代の「戦争ごっこ」で卒業してほしかった、と思います。

僕には両著とも、平和ボケした日本の若者の「戦争ごっこ」としか読めませんでした。
それって、日本赤軍の「よど号」ハイジャック「世界同時革命」
と同じ次元じゃないですか!!!
http://member.nifty.ne.jp/biruma/

319.新世紀 投稿者:窪田やよい  投稿日: 1月 1日(月)00時31分50秒
 

日本人が今現在戦争をしているとは、驚きです。
すごいことだと思うのですが、あまり話題に上がらないのはなぜでしょう?
政府としてはどう対応するのでしょう?

すでに新しい年、新しい世紀になりました。
子供の頃、SFの世界でしかなかった21世紀がとうとうやってきました。
かなえられた夢もたくさんありますが、失ってしまったものもたくさんあります。
さて今年一年どんな年になるでしょうか。
「21世紀」という言葉に踊らされることなく、自分の足元をしっかり固めて、そしてステップアップしていきたいです。
今までのご愛顧ありがとうございました。これからもまたよろしくお願いいたします。
皆様のご活躍とご多幸をお祈りいたします。


318.カレン族 投稿者:松下  投稿日:12月29日(金)13時03分38秒

 

テレビの特集でやっていたのと、最近雑誌である日本人傭兵のことを書いていますね。

ほとんど無償で戦っている日本人傭兵がカレン族とともにビルマ政府相手に戦っていたそうです。その方はマラリアで結局現地で病死してしまうのですが。
今も誰か戦っているとの話があったかなかったか。SAPIOという雑誌の最新号にある日本人傭兵が連載を続けています。そこに確か詳しいこと書かれています。

317.カレン民族?! 投稿者:窪田やよい  投稿日:12月27日(水)23時25分54秒

 

飯田さん hpご訪問&コメントありがとうございます。
自衛官のお仕事ご苦労様です。
「自衛」することに過剰反応する風潮をどうお感じになられますか?
第二次大戦が終わって55年経つのにいまだに日本は「敗戦国」のままですね。
アメリカの一人勝ち、アメリカのシナリオ通り、といった感じです。
ところで
 >所で現在も日本人がカレン民族とともに戦っている事をご存知ですか?
知りません。
どういうことでしょうか?

316.今は亡き祖父 投稿者:飯田正博  投稿日:12月27日(水)20時43分23秒

 

自分は現役自衛官です。昔は祖父から戦争の話を聞くと人殺しの話をしやがってと思っていました。なぜそう思ったかというと、学校では間違った戦争であり欧米特に米国は正義日本は悪と習いました。しかし自衛隊に入隊し、大東亜戦争など戦史の事を自分なりに勉強し自分なりにあの戦争は、やらざるおえなかったんだと思いました。祖父からもっと戦争の話を直に聞いてみたいと思った時には他界していました、このホームページで直に戦争の話がきけとても嬉しく思います。所で現在も日本人がカレン民族とともに戦っている事をご存知ですか?

315.体験者の心情 投稿者:窪田やよい  投稿日:12月20日(水)11時17分32秒

 

松永さん はじめまして。hpご訪問&コメントありがとうございます。
 >戦争のことは、ほとんど話してくれませんでした。
そういう方がけっこう多くいらっしゃるようですね。
心の中に負の部分を持っておられたとしたらとても気の毒に思います。
父は戦争の話をするのが好きです。そして、今の社会風潮に憤慨を持っております。
実際の体験者が徐々に少なくなっていく中、当hpが何かしらのお役に立てれることをうれしく思います。
これからもよろしくお願いいたします。

314.無題 投稿者:松永 良介  投稿日:12月19日(火)17時14分34秒

 

たまたま、見つけました。私の父もビルマで戦い復員できた一人です。戦争のことは、ほとんど話してくれませんでした。砲兵でいたこと、帰還できた人が、ほんの僅かであったこと、マラリアにかかり、戦線から離れたとき、本隊がほぼ全滅したことぐらいです。その父も昨年他界し父がどのような戦争を経験したのか分からなくなってしまいそうな時に、貴重な体験記を見ることができ、父が話したがらなかった訳が何となく分かる気がします。これからもお元気でお過ごし下さい。

313.連絡しました 投稿者:窪田やよい  投稿日:12月 9日(土)12時00分05秒

 

松下さん
取材仲介の方に連絡してみました。
松下さんのところに直接メールが届くかもしれませんがよろしくお願いいたします。

312.取材 投稿者:松下  投稿日:12月 7日(木)23時37分16秒

 

どう関連づけられるか、わかりませんが私が取材した元陸軍航空隊の戦闘機パイロットの方もラングーン戦線で戦われておりました。離陸中に爆撃受けて飛行機から投げ出される等、本当に幾度も危険な目にあわれて終戦前日特攻命令、現在東京在住です。
もしそのフリージャーナリストの方がご興味示されるのであればご紹介できます。私自身英語は話せますので直接メール頂いても結構です。

HPの紹介だけさせてください。ちょっとした成り行きで以下のようなものを。窪田さんご訪問ありがとうございました。

http://home.att.ne.jp/air/strategic/samurai/


311.取材 投稿者:窪田やよい  投稿日:12月 7日(木)22時33分21秒

 

松下さんいつもありがとうございます。
過日、外国メディアの取材協力を行っているとある団体の方から連絡がありまして
アメリカのフリージャーナリストが父に戦争体験に関するインタビューをしたいとの
申込みがありました。彼はすでにアメリカ人、イギリス人元兵士の話は聞いており新たにインド、ミャンマー、中国、そして日本への取材の計画を立てているそうです。
父はやる気満々、私たちも興味津々です。
実際こちらに来られるのは来年3月頃になりそうですがその様子など、ここにご紹介できたら、と思っております。
しかし、インターネットってすごいですね。こんな小さな田舎のじいちゃんがピックアップされるなんてびっくりです。

310.精神 投稿者:松下  投稿日:12月 5日(火)00時46分32秒

 

今年になって元陸海軍の方2人と太平洋戦線のアメリカ従軍兵の方とお話ししました。中には160センチの小柄な方で戦傷で体中傷のある人もいらしたのですが、体数段大きい私でもあの迫力には勝てないと実感しました。
何の迫力かというと、腹と腰の強さにかけてはとても戦後生まれの私は太刀打ちできない。その反面笑うと素晴らしい顔になる。

一期一会の私に対して非常に丁重な方々、約束の重さがあたかも命の重さだと思われている。
こういう人たちからはつま先から頭まで、その言葉一つ一つに見習うべき姿勢があるとこう実感しました。

309.ボランティア 投稿者:窪田やよい  投稿日:11月29日(水)15時44分10秒

 

仁平貴子さん、ご訪問&コメントありがとうございます。
「ボランティア」という言葉をよく耳(目)にするこの頃です。
息子が通っている中学校でもボランティア学習に力を入れています。
が、どうもしっくりこない感じがしています。確かに体が不自由な方や高齢者の方々のことを理解し手を差し延べようという姿勢は
正しいことで良いことだと思うのですが、そういった特別なことではなく、日常的な日々の中で誰に対しても持てる思いやりとか
心遣いが大切だと思います。何かをしてやる、みたいな気持ちではなく自分自身の心の豊かさゆえにとれる行動でありたいと思います。
学校でも小手先の学習で安心してしまわずに、もっと精神的な部分を取り上げてほしいです。
今はないに等しい「道徳」の時間をもっと充実させ、日本人が昔から親しんできた仏教や儒教の精神を身につけさせたいですね。
その点、仏教国ミャンマーでは貧しい暮らしであっても精神的に豊かでいられるのでしょうね。
物質面にだけ満たされた日本人は貧しい精神となってしまい悲しいことです。

308.ミャンマーと日本−今後の関係 投稿者:仁平 貴子  投稿日:11月24日(金)18時52分27秒
はじめまして。私は亜細亜大学の学生です。
今、私の所属している亜細亜大学ボランティアセンターでは、「ミャンマー・ボランティア研修」という研修旅行を年に一度実施しています。この研修旅行では、仏教思想にもとづいたボランティアが日常生活にとけこんでいるミャンマーを訪れることによって、研修団参加者がボランティアとはどういうことかを学ぼうというテーマのもとにおこなわれています。私も実際この研修に参加するにあたって、ミャンマーについてみずから勉強したり、ミャンマー滞在中には新聞・書籍では知ることの出来ない、本当のミャンマーを見てきた気がします。
研修に参加する前の私のように、日本人の多くは、かつて日本はミャンマーにおいて戦争をしていたこと、ミャンマーは親日国として欧米諸国とは異なる関係が続いていること、なかにはミャンマーという国がどこにあるのかさえ、知らない人もいます。私はこんな状況は日本人として恥ずかしいことだと思うし、多くのミャンマー人が戦時期の辛い記憶にもかかわらず、日本をよく思っていることにも申し訳ありません。
ミャンマーは新聞等で報道されるように、確かに政治的に不安定な状況にあり、悪いイメージを抱いている人が多いかもしれません。たしかにそれらが事実ではあったとしても、それだけがミャンマーのすべてだと思い込んではほしくありません。ミャンマーを真っ向から否定する前に、ミャンマーという国の実状をまず知ってほしいと思います。今後私たち日本人は、実はミャンマーと日本は歴史的に近い関係にあることを確認し、ミャンマーのあらゆる面での発展を祈って、自助協力をしていくべきだと思います。

私たちのミャンマーでの活動に興味がある方は以下のアドレスを訪問してみて下さい。
http://www.asia-u.ac.jp/~auvc

307.ご訪問ありがとうございます 投稿者:窪田やよい  投稿日:11月20日(月)09時01分34秒

 

たくさんの方々に訪問していただき、コメントをいただけてとてもうれしいです。

山本利男さん
戦争では行った人にも、待っている人にも一人一人に壮絶なドラマがあるのですね。
お尋ねの件ですが、この掲示板で教えていただいた情報ですが、防衛庁の
防衛研究所図書館というところ
http://www.jda.go.jp/j/info/dsl/index.html に問い合せてみるのが一番確実なようです。
終戦直後のごたごたしていた時より、今の方が資料が整っているかもしれません。

勝山達也さん
>メルマガのお勧めHPで紹介されていたのでのぞいてみました。
それは知りませんでした。うれしいです。
このhpは本文の体験談もですが、掲示板に寄せていただく皆様方のいろいろな御意見が命です。
今後ともよろしくお願いいたします。
過去の掲示板もぜひご覧ください。

306.はじめまして 投稿者:勝山達也  投稿日:11月18日(土)23時33分11秒

 

はじめまして、札幌でコンビニを経営している勝山と申します。
メルマガのお勧めHPで紹介されていたのでのぞいてみました。
「インパール作戦」はNHKの特集で概要を知りました。
私は、旧海軍の作戦が好きで良く調べましたが、旧陸軍の作戦はあまり知りません。
(尊敬する人物も山本五十六大将です)
生きた戦争体験を語り継ぐと言うことは大変意味があることだと思います。
私の父も戦争体験者です。父は、樺太から命からがら逃げてきた経験があります。父は、そのことがよほどショックだったのか、半世紀以上たった今でも私が、尋ねてもあまり、よく話してくれません。でも、そんな大変な経験をしていながら自衛隊、日米安保肯定派です。私には、そのことが理解できません。たぶん、昔の敵国でもいいから守ってほしいぐらいソ連軍が怖かったのでしょう。私はそう思います。
今でも父は、「太平洋戦争」を「大東亜戦争」と呼んでいます。
先の大戦でなくなった方々のご冥福と、いつまでも平和が続くことを祈ります。

305.教えて下さい 投稿者:山本利男  投稿日:11月18日(土)20時07分04秒

 

はじめまして。たまたまこのページを発見し投稿させていただきます。私にとってはおじさんになる人、いえ、実の父親だったのかも知れませんが母が結婚をして数ヶ月でビルマで戦死をした人がいます。母親は戦争未亡人となりその人の弟と結婚し私が生まれました。今は母も父も亡くなりましたが母親がよくあの人が生きておられたら・・・・。と泣いていたのを思い出します。戦争なんて関係ないと思っていましたが実は身近に戦争があったんです。母親は戦死の知らせが届くやいなや厚生省や関係機関にいろいろと最後の消息などを尋ねたそうですがなしのつぶてで結局なにも回答がないまま苦難の人生を歩んだと思います。そこでお願いがあります。京都府の出身で山本達右衛門をご存知の方がおられましたら教えて下さい。宜しくお願いします。

304.自殺的「インパール作戦」の戦果は如何ほど? 投稿者:XXX  投稿日:11月18日(土)12時37分27秒

 

「インパール作戦は牟田口司令官の無謀な作戦指揮で負けた」
とも言われているけれども、ありゃあ最初から制空権がないばかりか
兵力も火力も車両も戦略物資も欠乏した状態での無茶苦茶な
大攻勢作戦でしたなあ。武器の性能以前に数が全く足らないです。
これに比べれば実はノモンハンの方が100倍ましな戦いだったと言える。
制空権はあったし、戦車も野砲も弱火力・数量不足とはいえ有効だった。
インパールなんて戦車性能以前に火炎瓶や軍靴さえ足らず餓死病死過労死だった。
牟田口司令官といえどもそれを認識していなかったとは思えません。
これはもはや勝ち負けとは関係のない、自殺的特攻だったんじゃないすか。

#ところでこれで英軍に与えた損害はいかほどだったのでせうか。

303.日本人 投稿者:窪田やよい  投稿日:11月13日(月)14時18分39秒

 

田中さん、hpご訪問&コメントありがとうございます。
私自身考えてみて「日本」についてどう思っているかというと
もちろん好きですし誇りをもっていますが、「そうありたい」という願望が強いのかもしれません。
内心には「どうせ日本なんか・・・」といった気持ちがあります。世界に誇る部分もたくさんあるのですが恥じる部分もたくさんあります。
今私は石森章太郎の「マンガ日本の歴史」を読んでいるところです。
日本の美しい所でもあるし悪い所でもある「協調性」「和」といった自分をなくし他に従う所は千年二千年の単位で培われてきた国民性であって、そうそう簡単には改めることは難しいと思います。
しかし、現代の社会生活をするうえで、善し悪しを見極める目を持ち、自分の頭で考え判断すること、自分の言葉で自分を主張することが重要だと思います。日本でもそういう傾向になっていくことを望みます。
そのためにも日本人としての存在価値を確立するためのバックボーンがほしいですね。
やはり大東亜戦争あたりのいきさつを良い部分も悪い部分もきちんと知ることがまずスタートではないかと思います。

302.はじめまして 投稿者:田中  投稿日:11月11日(土)19時08分33秒

 

はじめまして、私はロシアをはじめとした外国関係の仕事をしている者です。
戦争に関する体験記やそれに対する意見を読ませていただいて、私もいろいろ思うところがありました。
仕事で外国人と接する事があるのですが、自国に対して大きな愛国心や誇りを持っている人が多く見受けられます。また、自国の歴史の陰の部分も陽の部分もよく勉強されている方が多いです。
日本では戦前や戦中に行われてきたことを「悪」のように言う方をよく見かけますが、多くの「善」の部分にも目を向けなければ国際人として通用しないと思います。
大正時代の国際連盟設立以来、「人種差別反対」という国策を採ってきたこと。そのために台湾や朝鮮の方にも教育を行い、戦中は多くのユダヤ人を保護したこと。
確かにアメとムチの部分があるとは思います。しかし、それとは別次元で感謝されていることもあると思います。
とかく愛国心を強調すると、軍国主義の烙印を押されてしまいますが、国家とはそこに住む家族・友人や文化であり愛国心を持つからこそ、海外で立派な仕事をできると思います。
仕事で接する多くの外国人が「我が偉大な祖国は」というようなことを言います。
「我が偉大な祖国」ということを堂々と言い、そこに住む人達に恥じない仕事をしていきたいと思っております。
また、私見ではありますが、大東亜戦争の全てが「悪」だとは思っておりません。
日本のおかげで東南アジア諸国が独立できたことは大きな成果だと思いますし、戦争で多くの方々が戦っていただいたおかげで、日本の繁栄もありますし、有色人種の世界的な地位の向上もあったと思います。

301.戦争の記録 投稿者:窪田やよい  投稿日:11月 4日(土)23時39分43秒

 

米澤さん、はじめまして。hpへのご訪問&コメントありがとうございます。
私の父は初年兵の工兵隊員としての体験ですが、リンクしてあります関口さんのhp、小田さんのhpにも凄まじい体験が書かれていますので、お勧めいたします。
毎年開かれる戦友会に父は何をさて置いても出席するのですが、
亡くなられる方、体の具合の悪い方など、年々出席数が減ってきているようです。
戦争の事実を後世に語継ぐことがだんだん困難になってしまいました。
拙い体験談ではありますが、父の戦争の事実を記録として残せたことはうれしいことでした。
皆様方のお役に立てるのでしたら、なお幸いです。
父は現在77才。お蔭様で元気に農業を営んでおります。
やはり、肉体的精神的にとても強い人です。
御祖父様のご冥福をお祈りいたします。

300.ありがとうございました。 投稿者:米澤成博  投稿日:11月 4日(土)10時06分09秒

 

昨日、私のことをかわいがってくれた祖父の葬儀がありました。
祖父の紹介の際、インパール作戦で白骨街道を武器も食料も捨て、
生き延びてきた生き残りであると紹介されました。
はずかしながら、これらの単語を聞くのは初めてでして、家に帰ってさっそくにこのページを拝見致しました。
今更ながら祖父がどのような戦場を生き延び、今があるのかということがわかり、またひとつ、尊敬の念が深まりました。
あれほど戦時の話をしてくれた祖父が、ひとこともこの作戦の話をしなかったのは、よほど苦い思い出であったからでしょう。
享年85才。10以上の病魔と戦い続けた精神力の源泉をここで知ることができました。
誠にありがとうございました。

299.大空のサムライ 投稿者:松下  投稿日: 9月23日(土)15時19分39秒

 

先の戦争で特に航空戦闘にお詳しい方はご存知の方だと思います。
著書戦記「大空のサムライ」が世界的ベストセラーになりました元海軍戦闘機搭乗員 坂井三郎氏が本日亡くなったという連絡を頂きました。

298.母 投稿者:松下  投稿日: 9月22日(金)02時03分10秒

 

元戦闘機搭乗員で特攻教官を勤め、自らも終戦前日命令受けた方の取材をして以下の誌に掲載したおりにこの元陸軍准尉の方も「母」の存在なしでは生き抜けなかったと断言しています。
ここで特攻の戦術的なことは一切無しにして、出撃していった若き特攻隊員の心は「母」と切っても切り離せないものと結論づけています。これは特攻の批評ではなく、また作戦有効性の是非ではなく、もし彼らが出撃することなく軍人にならなかったら、「明治の気骨を持つ」母に育てられたこの人たちはいったい何をしていただろうという思いのこもった話でした。

二機の戦闘機で三十六機の敵に囲まれて生還し、終戦前日特攻命令受けながら今も元気で健在なこの人の言葉が:
「逞しさと強さ、優しさを教えた母とは戦闘機操縦十年間常に二人三脚の関係にあり、数々の危機で最後の踏ん張りを支えたのは母の涙だった。」

http://www.budotusin.com/no12.html

297.ありがとうございます 投稿者:窪田やよい  投稿日: 9月21日(木)00時08分33秒

 

大井さん、はじめまして。
丁重な感想を寄せていただきましてありがとうございます。
父は戦争のことを語るのが好きです。
それは自分の体験に誇りをもっているからだと思います。
個々の兵隊さんは生真面目にひたむきに過酷な状況の中でがんばっていたと思います。
決して非難されるようなことはなかったと思います。
出征する時は「お国のため」「家族のため」だったでしょうが、戦地においては目前の窮地をどう切り抜け己の命を守るかが最も重要だったことでしょう。
死に際にもし何か叫ぶとしたら「お母さん!」だったろうと父は申しております。

296.「父が語る戦争体験記」雑感 投稿者:大井  投稿日: 9月19日(火)21時55分18秒

 

窪田さま:
「父が語る戦争体験記」読ませていただきました。淡々とした描写で、まるで淡彩画をみているような感じですが、そこからはたいへん恐ろしい体験と苦労をなさったことが伺えます。実は私の遠縁にも31師団に所属、軽機手としてコヒマに張り付いていた人がいます。この方からコヒマ戦線の話を聞き出すのはたいへんで、あまり話したがりません。時々聞き出したことを並べると、コヒマでは戦いの相手は敵ばかりではなく、飢えがもう一つの大敵だったこと、白兵戦まがいの至近戦をなん回か演じたこと、英兵の死体から食物を失敬して飢えをしのいだこと、朝50名ほどいた中隊が夕方には15名くらいになってしまっていたこと、佐藤師団長の抗命のお蔭で生還できたこと、などです。淡々とした語り口で断片的にしか喋りませんが、ひとつひとつが身の毛もよだつような恐ろしい話です。お父上の従軍記も淡々としたものではありますが、恐ろしさとご苦労が行間に偲ばれます。
陸軍中将牟田口廉也という猪武者のために、あたら多数の将兵が筆舌に尽くしがたい辛酸をなめ、また命を落とす結果となり、インパール作戦自体は失敗に終わりました。しかし波及効果はいちじるしく、インドやビルマの人々の悲願であった、英国からの独立が達成されました。大本営陸軍部はじめ軍司令部の馬鹿共はいざ知らず、多くの将兵たちは「欧米列強の東亜侵略からアジア同朋の解放のための聖戦」であることを信じて出征したのです。この意味でお父上や私の遠縁の人の苦労は決して無駄ではなかったのです。お父上にもお確かめください。
戦争では蛮勇が時としては勝利に結びつくことがよく知られています。問題はその成功体験を誰もがまねたがることです。牟田口の馬鹿もその一人でしょう。戦争ばかりではないと思います。好況を背景に後先も考えず蛮勇を奮って投資に走ったバブル紳士達も皆この手合いだと思います。片や蛮勇は多数の戦死傷者を生み出し、他方は多数の失業者を路頭に迷わせています。
もうひとこと。昭和20年、私は中学3年生でした。米軍の本土上陸が近いということで、われわれも米軍が攻めてきたら火炎ビンを抱えて戦車に突入、玉砕するとのことでした。当時は特攻、玉砕ということは当たり前のこととして受け入れられていたように思います。では何のために命を投げ出すのかというと、それはあくまでも醜敵から祖国を守るためというのが理由でした。天皇のために死ぬなど、言葉の上ではともかく、本心では考えたことも無かったと断言できます。天皇とは庶民からはそれほどかけはなれた存在でした。中学3年でもこの有様でしたから、もっと分別のあった将兵達に於いておやです。おそらくお父上も祖国のため、東洋平和のために戦われたのだと思います。戦死の際叫んだという「天皇陛下万歳!」は作法の一種で、実際はほとんど叫ばれなかったのではないか、と今でも考えています。

295.小田さん、感激しました 投稿者:窪田やよい  投稿日: 9月11日(月)23時48分34秒

 

今頃になってしまいましたが小田さんのお父様が執筆なさった「一兵士の戦争体験ビルマ戦線生死の境」完読いたしました。すごいです。
なんと惨い戦いだったのでしょう。前途洋々たる若者達が輝かしい青春の時を犠牲にして想像を絶する辛い体験の数々、何度も何度も涙しながら読ませていただきました。
お父様、本当にご苦労様でした。よくぞご無事で帰られました。
神様の御加護があったのにちがいありません。
無念の死を遂げられた戦友の方々に対する暖かい思いやりの心が切々と伝わって参りました。
何よりの鎮魂の書であると思います。
皆様もぜひご覧になってください。心血そそがれた大作です。

http://www.bea.hi-ho.ne.jp/odak/ です。

294.うれしいです 投稿者:窪田やよい  投稿日: 9月 5日(火)22時34分00秒

 

S 3佐さん、向日葵さん はじめまして。
hpご訪問&コメントありがとうございます。
皆様方に当hpを真摯に受け止めていただき心のこもったコメントを寄せていただき身が引き締まる思いです。感謝の気持ちでいっぱいです。

S 3佐さん
自衛隊のお仕事ご苦労様です。貴いお仕事だと思います。
S 3佐さんのようなお気持ちで務めていらっしゃるのかと思うと本当に頭が下がります。

向日葵さん
ようこそいらっしゃいました。若い方に読んでいただいて何かしらお役に立てたのならとてもうれしいです。
純粋な気持ちで真っ正面から向う姿勢、素敵ですね。私もがんばります。

293.P.S. 投稿者:向日葵  投稿日: 9月 5日(火)17時48分26秒

 

祖父は今も、群馬で元気に暮らしています。

292.はしめまして。 投稿者:向日葵  投稿日: 9月 5日(火)17時45分19秒

 

私の祖父は、このインパール作戦の生き残りです。
このことを私はつい昨日知りました。
家族も、学校の先生も、詳しいことは教えてはくれないので、
このページを開かせていただきました。
正直言って、ものすごく強烈なショックを受けました。
私は、16歳です。
もう16なのに、こんなにも知らないことが沢山ありすぎて恥ずかしく思います。
たぶん、祖父のことがなかったらインパール作戦のことも、その時代のことも、知ることはなかったでしょう。
これを機に、戦争というものに目を向けていきたいと思います。
このようなページを作ってくださってありがとうございました。
 

291.窪田さま、S 3佐さま 投稿者:YM  投稿日: 9月 4日(月)17時12分34秒

窪田さま、おじゃましております。
ビルマで戦死した祖父のことはまだ詳しいことは知りません。
祖母も高齢で祖母から聞くとしたら時間があまりありません。
終戦記念日に靖国神社に昇殿参拝したことを手紙で祖母に送ったら
今日、返事が来ました。「うれしい」と書いてくれました。
これから手紙で祖母にいろいろ聞いてみたいと思います。
靖国神社にある遊就館にはインパール作戦についての展示はあるが
ビルマについての地図があまり詳しくないため詳しいことはよくわ
からなかったです。窪田さんが紹介されている図書館にも行ってみ
ようと思います。

S 3佐さま
自衛官の方なんですか。いつもお仕事ご苦労様です。
私は江戸川を挟んで千葉側にすんでいるんですが、昨日は都内の
防災演習に参加する自衛隊のヘリの大編隊が我が家の上空を何度
も飛んでいました。
もし私が被災したとき、あの大編隊がいち早く現れたらどれだけ
心強いことでしょう。
私の周りの人たちはみんな自衛隊の活躍を応援しています。
がんばってください。


290.(無題) 投稿者:S 3佐  投稿日: 9月 4日(月)01時46分36秒

 

 大変、興味深く読ませていただきました。私は、陸上自衛官であり、職業柄、戦史に興味を持っております。インパール作戦は、戦術・戦略を考える上でも、統率をかんがえる上でも非常に参考になります。先日、プライベートで妻と6歳の長男を連れて、ミャンマーに旅行しました。我々の先輩が、アジアと日本のため命をかけて戦ったことに思いをいたし、むねが熱くなりました。ささやかながら、バゴダや共同墓地にお布施をしてきました。
 また、現地の人達にも大変、親切にしていただき感激しました。ミャンマーがこれから少しでも発展するように、そしてアジア地域が、今後、安定の方向に向い、民族自決のもとに平和と繁栄を享受できることを祈りました。
 私も、軍人の端くれとして、大東亜戦争の教訓を生かし祖国の平和のため貢献できるよう一層の精進をしようと誓いました。
 最後になりましたが、窪田様の一層の御健勝をお祈りいたします。
 

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