失語症って知っていますか?

 
近年、救急医療の進歩によって、脳卒中や頭部外傷の方たちを救命できるようになりました。
 ただ、脳の冒された場所や広さにより、半身麻痺(まひ)・言語機能の障害などの後遺症が残ります。失語症というのは、一度獲得された正常な言語機能が、大脳の言語領野(主に左脳)の障害されたとき発症するのです。
 失語症は、聞く、話す、読む、書く、などの機能に障害が起こります。どこか外国旅行に行った時のことを思い出してください。現地の人の話が理解できませんし、自分でも意思を伝えることができません。読み書きもできませんので、コミュニケーションがとても不自由となります。これに似た症状と考えてください。
 さらに、失語症は、本人の言語機能のみならず、身体的・心理的・社会的など多くの問題を抱えています。失語症の治療機関は地域差はありますが非常に少ないです。それに加えて、医療法の改正などで、入院期間が非常に短くなり、十分な言語療法を受けられず退院しなければなりません。退院後の外来での通院も、不十分であり、失語症者やその家族にとって、大変厳しい状態です。
 また、地域での機能訓練事業(リハビリ教室)の言語障害者向きの教室(言語リハビリ教室)も不足しており、在宅の失語症者のリハビリが不十分です。コミュニケーションする機会すら奪われ、失語症者は孤独の殻に閉じこもってしまいます。
 さらに、若い失語症の方を中心に意欲はあっても、就職がとても難しいです。


        失語症者になって「最も困ること」は?

 失語症になった方たちが最も困ることって何だと思いますか?「ことばが上手く喋れないこと」「新聞が読めないこと」「旅行にいけなくなったこと」・・・・、その個人によって、また失語症の重傷度によって困る範囲や数は異なるかと思います。でも、『最も困ること』のは失語症のことをみんなにわかってもらえないことではないのでしょうか?
 



       
「失語症者のコミュニケーション能力は必ず良くなる」

 失語症の方たちがわずかな訓練期間後、STに「良くなりません」と宣言され、やむなく改善をあきらめてしまうことがとても多いようです。何らかの原因で、たまたま失語症になってしまった方が、「これ以上回復する見込みはありません」と訓練を打ち切られ、孤独の殻の中で生涯を送っていかなければならないのだと考えて、皆さんはどのようにお考えでしょうか。
 「仕方がない」「そういう運命だった」、と簡単に済ませてよい問題なのでしょうか。重度失語症の方は確かに以前のようにお喋りを楽しむようにはならないかも知れません。でも、話しことばだけがコミュニケーション方法ではありません。ことば以前のもっともっと大切なものを忘れてはいけません。相手を思いやる心、相手と楽しもうとする心、相手のためになろうとする心・・・。コミュニケーションとは決して1人ではできません。「相手」がいて初めて必要とされる能力です。そしてその能力はよい環境においては、いつまでも改善していくものと考えます。
 「訓練をしても良くなりません」とSTから宣言された失語症者とその家族はどうしたら良いのかと途方にくれています。「あなたの人生は終わりです」と宣言されるのと一緒です。場合によっては、ガンの告知とさほど変わらないのでないでしょうか。失語症者とその家族に「変な期待を持たせてはいけない」ので、良くなるという情報をタブーにしているのでしょうか。それとも、本当に発症から2、3ヶ月、
半年余りの判断だけで、「改善しない」、ダメだと思っているのでしょうか。もしその通りと判断されるような方がいらっしゃるのであれば、それは大きな間違いであり、「もしあなたの身内でしたら?」と考え直して頂きたいと思います。
 失語症者の最大の理解者であろうSTが、彼らの味方になり、心を代弁していかなければ、誰がその弱者を救える役割として、担えるというのでしょうか。失語症の方たちは、そういう専門家の登場を強く願っているのです。

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