残像「一人きりじゃ寂しくて」

 

 夢の中で、誰かに追いかけられているような気がしていた。

 そう、いつも いつも──

 そのせいだろうか?

 いつも何かに脅えていた。

 

 あの頃…

(確か小学校に入った頃から、高校を卒業する前後まで)

僕は他人との関わり合いを極力避けていたような気がする。

 人を信じるのが怖かった。

 おまけに、自分さえも怖かったんだ。

 僕は、あまりしゃべらなくなった──。

 

 僕は、あやふやな曖昧さで、人を傷つけるのも、自分が傷つけられるのも

嫌だった。“臆病者”一言でそう言ってしまえば、あの頃の僕は臆病だったの

かも知れない。人の言うところの“思春期”というものが、僕にはちょっとだけ

過敏に訪れたのだと。

 それはけっして、僕のせいでも、誰のせいでもないんだと、教えてくれる人が

いなかったから…僕は長い間、ずっとひとりぼっちだったんだね。

 一人だと気づかないまま、

(そしてそれが、寂しいことだと感じない程に)

ひとりぼっちの長い長い時間を過ごして、何時の間にか、見た目だけ大人の

ような空っぽの僕がここにいるんだね。

 ひとりぼっちが寂しいと言うことを、気づかせてくれたのは、君だったよね。

 ねぇ。

 気づかせてくれたのは、君だったよね。亮?

 

 不思議なことに、夢の中の僕は、いつも小さな子供のままだった。

 そして、あの頃の僕には、何か漠然とした、得体の知れないものが心の

片隅に根づいていて“臆病者”と断罪されようとも、不確かな恐怖が常に僕

の傍らに伸し掛かっていて、そう、いつも怖かったのだ。

 怖かった。

 何が怖かったんだろう?今にして思えばその“何かが”わからないから、

増々恐怖がつのったのだと思う。

 夢の中で、僕は必死になって逃げていた。何かから、それとも誰かから、

逃げても逃げても追いかけられていて、必死になって逃げるのだけれども、

安全な場所が見つからなくて、頭はパニック状態になりながらも、それでも

逃げる場所を探して必死に走っているのに…。

 何故かそれは何時もスローモーションの映像を眺めているような感じだっ

た。逃げている僕も追いかけてくる何かも、すべてがスローモーションの中

に存在していて、その存在だけが確かな存在で、それ以外はみんな紛い物

のような、嘘の世界のような気がしていた。

 僕には夢の中の世界が、本物で、現実の世界は嘘だらけのような気がし

て怖かったのかもしれない、いや、確かに怖かったのだ。

 そう、亮に出会う前までは──

 “人が怖かった、自分が怖かった、夢が怖かった、壊れていくのが怖かっ

た…。”何故なんだろう?その答えを彷徨うように探し続けて、今日まで過ご

してきたような気がする。だからといって、答えが見つかったかと言うとノー。

でも、あの頃から比べると少しは、自分を許してやれるような、優しくしてや

れるような気がしている。

 それから、もっと、ほんの少しだけれど、人を信じてみようかな?

なんて思ったりもしているんだ。

 

 亮との出会いは、僕にとっては必然だったのかもしれないね。

 僕たちの出会いは、高校入学と同時に始まったのだけれど、本当の意味

での出会いは、高校を卒業してからだったね。高校時代の僕は、僕以外の

存在を受け入れられなかったから、他人の存在そのものが僕の中では欠

落していたように思う。

 事実、高校時代の君の記憶はとても不鮮明なんだ。それでも、僕は君の

視線を疎ましく感じるくらいには、君の存在を知っていたのかもしれない。

 

 ねぇ。亮。

 僕たち高校の頃には一度も話をしたことがなかったね。

 なのに君は、車にはねられそうになった僕を助けてくれたんだよね。

 そのために君は車椅子の生活をすることになってしまった…。

 なのに君は、一度も僕を責めなかったよね。

 どうしてなんだろう?

 僕のためにたくさんのものを確かに失ってしまったというのに、君は僕の

左腕に残ってしまった傷痕のことばかりを気にしていたね。

 なくしていた記憶がぼんやりと甦ったような感じとでもいうのかな?僕は

その時はじめて、君という人間の存在をはっきりと認識できたんだ。

 

 “おはよう”

 それが君と交わしたはじめての言葉だったね。

 ちょっと、まがぬけているよね。でも、その時の僕にはとても新鮮な言葉

に感じたんだ。白状するとね、何かとても大切な宝物をとりもどしたような

気分だったよ。

 

 亮、君と少しずつ話をするようになってから、僕は、あのスローモーション

で誰かに追いかけられているような、怖い夢をあまり見なくなったよ。

 それは僕にとっていいことなのかな?

 

 “ここにいるのに君はいない”いつだったか、君はそんなようなことをいっ

たよね。はじめは、なんのことをいっているのか、僕にはわからなかった。

でもね、最近になって、なんとなくその意味がわかるような気がするんだ。

 気がするだけなんだけれどね。

 

 何時だったかな?

 僕が君を訪ねていった時、君は他の人と笑っていたね。僕は、なぜか

とても寂しくなってしまったんだ。

 キミガ ワラッテイル

 タノシソウニ ワラッテイル

 ホカノ ヒトト ワラッテイル

 そして、頭の中がパニックしてしまったんだ。スローモーションの夢が

とうとう現実の中に現れたような、そんな感じがして、僕は怖くなってその

場を離れたんだ。

 

 それからだったかな?僕はなるべく君の側を離れなくなったのは、多分、

きっとそうだよ。君を誰にもとられたくないと思ったんだ。

 君は物じゃないのにね。

 

 僕は、いったい何枚の殻を持っていたんだろう?とりとめもなく、考えて

みるようになったのは、その少し後かな?

 「恐怖の殻」これはとても固い殻、ようやくひびがはいってきた。

 「他人の存在を認めない殻」オブラートのように薄いのだけれども、何枚

も何枚も重なってしまっているので、なかなか破れない──

 「自分の存在を許せない殻」多分、この殻のことだよね。

 “ここにいるのに君はいない”亮はこのことを言っていたんだよね?

 

 少しずつ光が差し込んできたような気がするんだ。僕は夢の中で、何処

へ逃げ込もうとしていたんだろう?誰に追いかけられていたんだろう?

 僕の思い過ごしじゃなければのことだけどね。もしかしたら亮、

“君だったんじゃないか”って気がする時があるんだ。僕が間違った方向へ

進んでいくのを引き止めようと君が追いかけて、僕が逃げて、出口がなくて

彷徨って──ようやく僕の存在を許せる場所を見つけたら、そこには君が

いて──僕は君に掴まってしまったのかな?

 それとも僕が君を掴まえたのかな?でも、いまの僕は逃げてないよね?

 ちゃんと君のそばにいるよね?

 言葉に出さなくても、亮は僕の言いたいことをわかってくれるから、ううん、

僕が言葉に出せるようになるのを辛抱強く待っていてくれるから、僕は少し

ずつ勇気を出して、自分で作り上げてしまった殻の中から抜け出せそうな、

そんな気分なんだ。

 

 もし、ちゃんと殻から抜け出せたら、ごほうびをくれる?約束だよ?

 これは、やぶっちゃいけないんだよ?

 “僕のいないところで、僕に見せてくれるようなとびきりの笑顔を

 他の人に見せたりしないで”

 我が儘だよね。でも、亮ならわかってくれるよね?

 

 柔らかい光に包まれて、ようやく本来在るべき場所に戻ってこれたような、

そんな気がするんだ。そして亮と一緒に最初の一歩を踏み出して──

 

 少し大人になった現在の僕がここに存在している。

 

 

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