4、イラワジ河畔戦 その1(カズン戦)

   イラワジ河はビルマ中央を南北に流れる大河である。マンダレーまでまっすぐ流れた大河はサガイン付近で西へ流れを変えており、北方から南へ南へと撤退していった私たちはイラワジ河南岸で戦闘を交えることとなった。
昭和20年1月下旬、英軍はイラワジ北岸に終結を終え渡河作戦を準備していた。
イラワジ南岸のカズン部落に工兵第3中隊の主力が防衛命令を受け、私たちの小隊もカズンへ前進した。部落へ着くと同時に陣地を構築し、北側の河岸に地雷を仕掛けたりした。
その後、小隊はカズン西南10km地点に移動し、その地を死守せよとの連隊長命令を受けた。


   私たちの陣地はだだっ広い草原だった。そこに壕を掘ることがすなわち陣地構築であった。壕は蛸壺とも呼ばれ、直径60cm深さ1mほどの縦穴で、大人一人が身を屈めて収まる程度の壕であった。草叢に覆われているので遠くからでは存在がわからなかったと思う。各自自分の壕を掘り、そこに身を潜めてジッと待機するのであった。
その時点で私たちの小隊はわずか15名の隊員だったので、壕と壕との間隔を40m〜50mにして、広い範囲を守らざるを得なかった。
   2月27日、朝から竹トンボのような飛行機が低空飛行で旋回していた。英軍が日本軍の陣地を偵察していたのだろう。やがて、ものすごい砲撃が始まった。敵は私たちの陣地右側300mにあるヤシ林にねらいを定めたようだ。鬱蒼としたヤシ林の中に日本軍が潜んでいるとにらんだのだろう、地上からも上空からも盲滅法に爆撃をし、ヤシの木が一本も残らず黒こげになり倒れてしまうほどの激しさだった。私たちの小隊は広い草原に潜んでおり、背の低い潅木が所々にあるだけのこんな場所に、まさか日本兵がいるとは敵も気付かなかったものと思われる。すぐ隣で展開された激しい爆撃を、蛸壺に潜む私たちは強烈な孤独感と恐怖に襲われながら、ひたすら堪え忍ぶだけだった。


   午後1時頃、敵兵7〜8名が私たちの陣地のある方へ近づいてきた。やがて、私の左隣にいた古年兵が発見され、火炎放射器で焼殺された。同じようにさらに左の方の古年兵も犠牲となった。
今度は別の方向から、また別の英兵7〜8名が私たちの方へ進んできた。私は蛸壺から目だけを出して、彼等の行動を注視していた。ついに、小隊長の蛸壺へ5〜6mのところまで接近したので、私はおもわず小銃の引き金に指をかけ、先頭を行く敵兵を撃った。仰向けになって倒れたので、命中したことを確認した。
敵も驚き、あわてて地面に伏してしまった。私はそこをめがけて銃を撃ち続けた。
そのうち、敵の一人が体を起こして何かを投げたので、てっきり手榴弾だと思い、咄嗟に蛸壺の中に頭を引っ込めた。しかし、しばらく経っても炸裂音がしないので外の様子を窺うと、辺りはもうもうたる白煙が立ち込めていた。発煙弾だったのだ。やがて風に流され白煙が消えると、2名を抱え引きずるように去って行く彼等の姿が見えた。
   それからしばらくして、私の壕は約30分の間、集中砲火を浴びた。それが終ると、ついに、轟々たる地響きをたてて重戦車が近づいてきた。絶体絶命だ。
   私は戦車攻撃用に5kg爆薬を用意してあったので、もう少し戦車が近づいてきたらこれに点火して体ごと戦車に飛び込む決意をした。私の生命もこれまでだと覚悟を決めた時、故郷の両親の顔が瞼に浮かんだ。村の氏神様に心からお祈りした。
   戦車は私の手前50mでピタリと止まり、私をめがけて戦車砲・機関銃を乱射してきた。蛸壺の中に身を潜めているので、私の体には弾はとどかないが、壕の渕に弾が落ちるのでもうもうたる土煙と硝煙の臭いとで呼吸困難にみまわれた。
   戦車の機関銃を最下角度に向けて撃った場合、弾は50m先に落ちる。ということは50mよりも近い距離は戦車の死視角にあたり弾が撃てないということだ。この時戦車が50m以上に近づいてこなかったのはそういう理由と、日本兵の肉弾攻撃を恐れていたものと思われる。
   やがて戦車のキャタビラの音が聞こえてきた。いよいよ壕から飛び出す時だと、思い切って頭を上げた。するとどうだ。戦車は方向転換をしているではないか!私の祈りが村の鎮守様に届いたのだろうか。私は思わず「あぁ、助かった!」と感激の声を上げ、胸をなで下ろした。まさに九死に一生を得たのである。戦車はそのまま180度回転して去って行った。
   もう時は夕刻となっており、その日の英軍の攻撃はそれにて終了であった。
その日、不思議なことに私たちの後方からも砲撃を受けた。後日わかったことであるが、私たちの後方3kmの丘の上には連隊本部があり、そこから私たちの陣地を眺め、あまりに激しい集中砲火だったため全員玉砕したものと勘違いし、支障なきものとして敵陣に向けて発砲したものだったようだ。敵も味方も入り混じっての戦いだったのだ。
   その夜は、狭苦しい蛸壺から這い出し、草原の上に大の字になって寝た。敵に見つかる危険もあったわけだが、とにかくゆっくりと眠りたかった。
   夜半頃、小隊長が起こしに来て、丘の上の連隊本部へ撤退しようとのことだった。丘の上に到着してみると、連隊本部はすでに撤退後であった。ただ硝煙の臭いだけが残っていた。


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