過去の掲示板(その1)


「インパール作戦・父が語る戦争体験記」への感想を多くの皆さんに書いていただいています。今までの掲示板への書きこみ内容をまとめてみました。上から順に新しい書きこみとなっています。

平成11年3月の掲示板開設以来のものを1ページにまとめていますのでかなりの文字数があることをご容赦ください。No1〜63までです。

ホームページ編集責任  窪田 幸唯 kubota@mxa.cosmo.ne.jp

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63.興味深いです。 投稿者:松下  投稿日:10月05日(火)02時53分18秒

ありがたく読ませていただきました。
太平洋戦線を綴った書籍はかなり読んだのですが、ビルマ戦線は初めてです。
学校ではひたすら空襲と原爆、終戦について教えられてきたのですが、最前線で日本人がどのよう
に戦っていたかを教えられた覚えがありません。
教科書ではない、当事者が体験されたお話が、30歳の私にとっては「現在の日本」を知る上でも貴
重な資料です。
史的感覚はさておき、前線で戦われた方々の戦記を読んで共通するのが人としてどう生きるべきか
本当に大切なものが何であるかをこのビルマ戦記を含めて問い掛けているような気がいたします。

当然戦争は起こってはならないものではあるのですが、戦争を戦い、生き抜いて復員した方々の
中に「日本人のあるべき」姿がどことなく見え隠れします。それも現在の日本人が忘れてしまった
ような。

戦記を読むことが「戦争好き」であるとの外見的な認識が一般に浸透していますが、本当は読めば
読むほど戦争の愚かさが露呈してくるものです。学校教育ではここまでは教えてくれません。

62.学校は教えてくれない 投稿者:窪田やよい  投稿日:10月03日(日)21時56分38秒

K.Kさん 貴重なお話ありがとうございました。
>「ともかく戦争は悪い事だから、そんな話を
          するのはやめなさい」と言うのです。それもかなり厳しい口調でした。
驚いてしまいますが、学校教育の中ではそういう事がありそうですね。
私自身も学校で戦争のことを教えてもらったことはありません。
きっとその先生も戦争についての解釈の仕方とか、子供への教え方とか、だれからも教えられた
こともなくちゃんとした考えも持っていなかったのだろうと思います。
「国際化」などという言葉はもう古い言葉になってしまいましたが
現実これからの社会は、内輪だけの世界にとどまらず、広い世界とのお付き合いが要求される時代
ですからはっきりと自分を主張してお互いの意見交換ができるようでなければいけません。
その場合、歴史的な事実関係を把握していないと恥ずかしくて意見など言えません。
英語教育をすることが国際化だ、なんてお馬鹿なことを考えている学校は本当に恥ずかしい。
難しいでしょうが、この戦争の事実関係をはっきりと知らしめることが、国際化の第一歩だと
思います。

61.僕はまだまだ勉強不足なので 投稿者:K・K  投稿日:10月02日(土)00時57分11秒

  お久しぶりです。
  僕は勉強不足なためあまり高度なことはわかりませんが、久々に
このページにお邪魔させて頂いて、皆さんのお話を読みながら、僕が
小学校3〜4年生のころの体験が思い出しました。
  小学生の男の子ですから無邪気に戦車や戦闘機軍艦などを「かっこいいなあー」
とプラモデルを買ってきたり、漫画や雑誌を買ったりしておりました。
  友人との話題の中にもそんな話題が含まれていたと思います。「戦争は悪い事だ」
とか「国家の政治的解決手段の最終的ものが戦争だ」とかいった言葉などまったく
念頭にありません、スポーツカーもジャンボジェット機もミグ29戦闘機も同格
で、鋭角的デザインがかっこ良く見えた訳です。
  ある日、担任の先生に職員室に呼ばれました。宿題かミニテストの結果の話かと
思って職員室に行くと、そこでの話は「K君はどうしてそんなに戦争が好きなのか?」
と言う話でした。僕が「ポカン」としていると「ともかく戦争は悪い事だから、そんな話を
するのはやめなさい」と言うのです。それもかなり厳しい口調でした。
  僕はショックを受けて職員室から帰りましたが、釈然としません。結局は時間が経つにつれ
忘れていましたが、考えてみると「その事」について学校では結局習う機会が無かった
ように思います。
  小学校、中学、高校と日本史では良くて明治までしか習わず、時間切れから二次大戦の
事は何一つ習っていないのです。
  友人数人に聞いても同じような物で、中には太平洋戦争はアメリカと日本の戦争で
中国もビルマもタイもフィリピンも関係ないと思っている奴かいる始末です。

  知らないのでは、どこが悪いのか解らないし、知らないのでは戦争を引き起こす
行動を自分がしていても気付かない。
  僕は軍事雑誌も読みますし戦争体験記も読むようにしています。しかしこの行為は
戦争が好きな奴、または起しそうな危ない奴と解釈されかねない。
(少々被害妄想が入っているかもしれません)

  長々と愚にもつかぬ私論を述べてしまいましたが、ともかくこのページは「知る」の
ために貴重で重要だと思います。

60.今の日本は・・・ 投稿者:窪田やよい  投稿日:09月30日(木)16時13分05秒

果心居士 さん 謙東弥さん コメントありがとうございます。
私は、戦争についてはあまりくわしくないので、何が必要で何が不必要だったかはよくわかりませんが
無駄だった、と言われたとしたら、兵隊さんたちは浮かばれないと思います。
現在のこの日本の繁栄は(いろいろ弊害はでてきていますが)、まちがいなく彼等の犠牲の上に
成り立っていると思います。あまりにも惨い犠牲ですが。
きのうの下関駅の事件や、オウムのことを聞くと、くやしくて悲しくてばかばかしくてやりきれない
気持ちです。
「戦争」とか「軍」といった言葉に過剰に反応してしまう風潮や、諸外国にびくびくし主義主張の
できない国の弱さ、などなど、もどかしく思うことの多い現在、私たち個々の人間はどうあるべき
でしょう。

59.戦争肯定論者ではないですが 投稿者:果心居士  投稿日:09月29日(水)18時43分39秒

謙東弥様、ご意見いただきありがとうございました。
私は貴見のとおり、戦の引き際を無視してまで継続すべき戦いであったとは思っていません。
最高司令官の戦闘指導も途中からは全く不適切であったと思います。
そして、その指導のもと、多くの将兵が無謀な戦いの末、命を散らせたことは非常に悲しむべきことです。
しかし、このようにインパール作戦は常に陸軍の無謀な作戦の代表例として語られているように
思いますが、その当時の情勢を語らず、開始から終結までのすべてを断じ切ることでよいものだろうか、
という思いを抱く者として一言愚見を述べさせていただきました。

58.勝算なく戦うのが大和魂か? 投稿者:謙東弥  投稿日:09月29日(水)06時26分09秒

 大局的、政治的にみれば、確かにインパール作戦は有益であると思います。
しかし、武器・物資・兵站などの面では、あまりにも無謀な作戦ではないでしょうか。
僕はメイッティーラ(メイクテーラ)で、寺院の境内に展示されている日本軍の戦車
を見ましたが、まるで現代の軽自動車と同じサイズ、小さく貧弱な、薄っぺらな鉄板の、
二人乗りほどの物でした。こんな物で戦ったのかと思うと、命を落とされた方々の無念
が伝わるような、涙があふれ正視できない精神状態に陥りました。
 また、ピイ(プローム)に暮らす残留日本兵の吉岡徳喜氏に当時の話をうかがいましたが、
それは僕がこれまでに読んだビルマ戦記と同様、病魔と飢餓、そして悲惨な敗走ばかり
でした。30万人以上が戦い、その半数以上がビルマで亡くなられましたが、
おびただしい数の尊い命を犠牲にして、なおかつ負けたのですから、作戦の必要性はあっても、
実際に遂行するには勝算などなく、20万人ちかくの若い命は、無駄死にしただけです。
 以前にも申しましたが、モンユア(モニワ)の住宅街の片隅にある日本人墓地で、
日本から僻遠のビルマの田舎で死ななければならなかった若者たちの無念さを思うと、
涙があふれて仕方ありませんでした。自分はこのような惨めな死に方で終わりたくはない
と、口惜しい思いがつのりました。

http://member.nifty.ne.jp/biruma/


57.インパール作戦は必要だったか? 投稿者:果心居士  投稿日:09月27日(月)19時55分29秒

欧州戦線の推移、インド独立派との関係、太平洋戦線での激闘など大局的、政治的な見地からする
と、当時インパール作戦実施の必要性はあったと思っています。

56.コメントありがとうございます 投稿者:窪田やよい  投稿日:09月15日(水)09時42分55秒

新井 誠さん  hpご訪問&コメントありがとうございます
「真実の記録」として読んでいただけてうれしいです
ややもすると思想的に偏りがちな戦争物ですが、なるべく淡々と実際の出来事を綴ってみました
父の意図とすると、今の若者に対して
「しっかりしろよ!」という気持ちを伝えたいのだと思います
善し悪しは別として、戦争中のような、上に従いお国のために命を捧げるなどという精神が今の
日本に残っているでしょうか
極端ではありますが、そのくらい自国を愛し守ろうとする気持ちや逞しさが人々になければいけないと
思います
またのお越しをお待ちしています

55.真実の戦記 投稿者:新井 誠  投稿日:09月14日(火)14時04分53秒

はじめまして。インパール戦記を読ませていただきました。子どもの頃から戦記物を読むのが好きで、
30歳になった今も、時折思い返したように読み耽ったりします。読めば読むほど、知れば知るほど
ありきたりな言葉ですが、戦争は膨大な青春の浪費であることを思い知ります。
NHKでも数年前、特集を組んでいましたが、牟田口中将をはじめ一部の指導者が無謀とも言える
作戦に突き進んだ背景や責任転嫁の体質から、数多くの日本兵たちが戦野に朽ち果てていったことを
思うと、胸が詰まります。NHKの山本肇という人が、現在の日本が当時と同じ体質を持っていない
と果たして言い切れるのか?と疑問を投げかけていた言葉が印象に残りました。
私は霞ヶ関で働く下級官僚ですが、税金で日々の糧を得ていること、そして数多くの尊い犠牲の上に
今の日本があることを肝に銘じ、国のために微力を尽くしたいと思います。
長々と駄文を失礼いたしました。
追伸:どうかお体を大事になさってください。塩山は出張で一度伺ったことがあります。
   私自身の実家が埼玉の秩父ということもあり、懐かしい風景だと感じました。
   この戦記は、もし機会があれば、一度直接お話を伺いたいと思うほど、胸に迫る真実の記録でした。


54.ありがとうございます 投稿者:窪田やよい  投稿日:09月06日(月)13時48分26秒

K.Kさん
hpご訪問&コメントありがとうございます
多くの方に読んでいただきうれしいです
さらにこのようにコメントをいただけると本当に励みとなり
うれしいです
ご意見ご感想など 楽しみにお待ちしております

53.夢中で読ませていただきました。 投稿者:K・K  投稿日:09月05日(日)08時52分12秒

 まったくの偶然だったのですが、このホームページを見つけました。
僕の祖父は身体が弱くて招集されなかったのですが、戦中戦後の話を
孫の中で僕にだけよくしてくれました。
  今日は仕事のため徹夜明けで眠いはずなのですが気がつけば読破して
おりました。
  感想はまだまとめられず動揺していますが、ともかく頭の中を駆け
巡っています。
  まとまりましたらメールしたいと思います。

52.泰緬鉄道? 投稿者:窪田やよい  投稿日:09月03日(金)22時53分15秒

Tomohiko Watanabeさん ありがとうございます
>桂林大橋?中国語でたしかこう書くと思いますがタイとの国境で大きな戦いが会っ
>たときいてます。そこで多くのマレー人、イギリス人、インド人、タイ人等亡くな
>ったと聞いています。
タイ・ビルマ国境といえば、やはり泰緬(たいめん)鉄道のことではないでしょうか。
映画「戦場に架ける橋」のような橋のことではないかと思います。
あの映画はあくまでも物語で、創作部分が多いようですが、
実際に日本軍が捕虜のイギリス兵やインド人、現地人などを大量に駆り立てて
スピード工事を成し遂げたようです。過酷な労働で死者も多数あったようです。
そして、このページにあるような戦いが続いたわけです。
それぞれの立場から考えれば、被害者は加害者を許せないだろうし、
そもそも戦争など、ないに越したことはないのだけれど、
では、その当時その状況下で、日本は(日本に限らず、各国とも)どう対処するのがベスト
だったのでしょうか?
大切なのは事実を冷静に知る ことだと思います。
その点、日本は事実を知る機会が少なすぎると思います。

51.ホームページ拝見しました 投稿者:窪田やよい  投稿日:09月03日(金)22時50分33秒

NAKANOさん  hpご訪問&コメントありがとうございます。

>冒頭の友人の旅行記ですが、
          http://www.josei.com/sial/
          にあります。よろしければご覧下さい。
まずはインパールの部分だけですが、読ませていただきました。
個人が実際に体験されたことの体験記はおもしろいですね。
たくさんの内容をよくまとめられて、本当に力作だと思います。
また追々拝見したいと思います。
NAKANOさんのhpも興味深く拝見しました。
またよろしくお願いしたします。

50.ありがとうございます 投稿者:Tomohiko Watanabe  投稿日:08月31日(火)03時06分02秒

貴重な体験をありがとうございます。今私は、マレーシアに住んでいます。ときどき仲のいい
中華系の人から戦争の話を聞かされます。戦争の後跡は大きいなと思うこともありますし、
授業とうでならわない事が山ほどあることにきずきます。ところでもしさしつかえなければ、桂林大橋?
中国語でたしかこう書くと思いますがタイとの国境で大きな戦いが会ったときいてます。そこで多くの
マレー人、イギリス人、インド人、タイ人等亡くなったと聞いています。私の勉強不足で、
わかりませんでした。ただ「たくさんの人がなくなっているのに、またみんな知っていることなのに
日本人のおまえがなんで知らないんだ」といわれ痛感しています。大変あつかましいですが、
わかる範囲で教えていただけたら幸いです。よろしくおねがいします。

49.はじめまして 投稿者:NAKANO  投稿日:08月29日(日)22時17分04秒

友人のHPを作成していて、東北インド旅行記の中に有名なインパールが出てきて、インパール作戦に
ついてもっと知りたいと思い、検索エンジンからこちらに参りました。
お父様の戦争体験記、興味深く拝見させていただきました。
死と常に隣り合わせの体験談は、本当に説得力があり、一気に読んでしまいました。

私の父も従軍経験があり、外地(中国)に行っています。
私は、その時の話をこれまであまり聞いたことがなかったのですが、窪田様のお父様の体験記を拝
見して、戦争についての体験を後世に伝える必要があることを痛感しました。

冒頭の友人の旅行記ですが、
http://www.josei.com/sial/
にあります。よろしければご覧下さい。
入境が困難な東北インド(アッサム州、ナガランド州、インパールのあるマニプール州)を訪れた
報告で、力作です。写真もあり、現地に関する資料としても貴重だと思います。
友人は、インパール作戦の戦友会の方々と一緒にインパールに入っており、かなり詳しい話を聞け
たようです。

では、またお邪魔させていただきたいと思います。

http://www.josei.com/koganji/


48.思うところ 投稿者:窪田やよい  投稿日:08月20日(金)00時23分27秒

S.Kさん さっそくのご意見ありがとうございます。

おじいさまも貴重な体験をなさっていらしたのですね。
その体験をご家族にちゃんと伝えていらして、ご立派だと思います。
私たちは真実の話を知りたいですよね。
そしたら、やはり「ご苦労様でした」の言葉しかないですよね。

>歴史というのは後で語るほど単純なものではないと思っていますし、
          家族を守り、国を守るため命を投げ出して戦った多くの人々を
          悪く言うようなことだけは決して出来ないと感じています。
同感です。
だれも反論はできないと思います。
多くの犠牲の上にある現在の平和すぎる日本(問題も多々ありますが)
を感謝し、大切にすべきです。
現在社会のいろいろな問題点も
この戦争の正しい位置づけを明確にするところから始めないと
解決にならないように思います。
ようするに日本は戦争慣れしていない、というか
人とのお付き合いの仕方がへたくそというか
外交でも、それこそご近所付き合いでも
もっと修行を積んで、自分の信念を持ち、自分を主張したり、相手を尊重したり
駆引きに長けたりしないとだめですよね。
本当に奥深い問題で、とりとめのない話になってしまいました・・・。

47.私の意見 投稿者:S・K  投稿日:08月19日(木)00時46分40秒

返事ありがとうございます。
20前後ということですが、私は22歳です。
意見を言う前に、私も祖父の影響を多大に受けています。
祖父は日中戦争、太平洋戦争では南支那派遣軍に所属しており、
戦争中期の途中で運良く(不謹慎な表現かも知れませんが)日本に戻ってくることができ、
戻ったあと新兵を先導する仕事に当たっていました。
戦争後期はもう日本国内にはいい年した男性は残っておらず、
18歳くらいのまだあどけなさが残る若者を、
駅で万歳の元、戦地へ送り出すのが大変辛かったと、
もう他界しましたが、ため息をついたように言っていたのを覚えています。

私の意見ですが、私はあの戦争について、戦争という行為は悪でしょうが、
歴史というのは後で語るほど単純なものではないと思っていますし、
家族を守り、国を守るため命を投げ出して戦った多くの人々を
悪く言うようなことだけは決して出来ないと感じています。
今のところ私は戦争についてはっきりしているのは実はこれだけなんです。
たいへん多くの方がかかわっておられますし(日本だけでも国民全部の数千万おりますし)
正直、あの戦争については知れば知るほど、
考えれば考えるほどその問題の大きさを感じます。
答えになっていないような気がしますが・・・

46.S.Kさんありがとうございます 投稿者:窪田やよい  投稿日:08月18日(水)23時35分26秒

hpへの訪問&コメントありがとうございます。

この時期、新聞テレビなどで、戦争関連の報道が毎日みられますが、
戦争は悪である(当然ですが)、日本兵だけが悪いことをした、反省しなきゃ、
みないな論調が多いように思います。
私は父の影響を大きく受けていますので、止む得ない戦いもあるはずだと
思っています。自国の利益を守るために。
周辺諸国にどうこうというよりも、自分の国を愛さない、誇りを持てないことのほうが、
ずっと危険だと思います。

私もまだ若いつもりですが、
本当に若い、20歳前後の方々は、戦争に対してどう感じているのでしょうか。

45.大変興味深く読ませていただきました 投稿者:S・K  投稿日:08月18日(水)03時01分31秒

はじめまして。大学生やっている者です。
8月15日を迎え、戦争に関する話を友人としたため、
Webの検索で「インパール作戦」とひいてこのページにたどり着き、
大変興味深く読ませてもらいました。
インパール作戦は数年前(高校生か中学生の頃でした)、NHKスペシャルで放送された
「ドキュメント太平洋戦争Vol.4責任なき戦いインパール」とかいうタイトルの
ドキュメント番組で、その無謀とも言える作戦の実体を初めて知り、
かなりの衝撃を受けたのが興味を持った始まりです。
ビルマは太平洋の縮図と言われるように、
ビルマ戦線を見れば、当時の日本が見え、
それは同時に現在の日本でもあるように感じられます。

読んでいて数ヶ月前に他界した祖父の、
戦争だけは絶対にいかんという言葉が思い出されました。

44.テレビ見ました 投稿者:窪田やよい  投稿日:08月13日(金)11時13分50秒

謙東弥さん こんにちは

>昨日、NHKテレビで、「はるかなるビルマの竪琴」と題して、
          中村一雄師の1999年ビルマ再訪ドキュメントを放映していました。

我家でも見ました
この時期になると毎年 戦争関係の報道が多くなりますね
年に一度だけ・・・というのも寂しいですが、
この時期に日本人が戦争のことを正しく理解し、考える機会であってほしいです

43.はるかなるビルマの竪琴 投稿者:謙東弥  投稿日:08月11日(水)10時02分21秒

昨日、NHKテレビで、「はるかなるビルマの竪琴」と題して、
中村一雄師の1999年ビルマ再訪ドキュメントを放映していました。
キンウー市と、ムドン収容所跡の映像が、関係者には懐かしいことと
思います。再放送があるかもしれません・・・

http://member.nifty.ne.jp/biruma/


42.ありがとうございます 投稿者:窪田やよい  投稿日:07月28日(水)10時34分45秒

SHOさん  hp訪問&コメントありがとうございます。
若い方に読んでいただけて、とてもうれしいです。

>あーーーーー!一気に全部読んだら目が痛いっス
どうもお疲れ様でした。
画面上の文字を読むのって、ほんとに疲れますよね。
Vロートでも注して、リフレッシュしてください。

またのお越しをお待ちしております。

41.はじめまして 投稿者:SHO  投稿日:07月25日(日)06時42分55秒

はじめまして
興味深く読ませてもらいました
やっぱ、どんなに月日がたっても忘れちゃいけない事ってあるんですよね
せっかくインターネットという、簡単に世界へ公開できるものが
普及したわけだし
全国の体験者の方々も、後世に忘れられないうちに
文章として保存してほしいと思います。

ともかく、ごくろうさまでした!!
あーーーーー!一気に全部読んだら目が痛いっス
群馬の高校生より

40.トップページの画像 投稿者:関口 範夫  投稿日:07月14日(水)21時32分38秒

 こんにちは、窪田さん。

>>表紙のタイトルがいいですね

 窪田さんに見てもらったときはまだ文字だけでしたね。でも「あとがき」
にも本の表紙の書について書いてあるので、写真を入れたいと思い、ホーム
ページを持っている友人に頼んで画像を作ってもらいました(私はデジカメ
もスキャナーも持っていないので)。文字だけのときより遥かに見栄えが良
くなりました。

 すでに感想を送ってくれた方もいて、反応の速さに驚いています。

http://member.nifty.ne.jp/orion-s/


39.おめでとうございます 投稿者:窪田やよい  投稿日:07月12日(月)13時54分59秒

関口さん hp開設おめでとうございます
うれしく拝見しました
すっきりとまとまり、読みやすく、いいと思います
表紙のタイトルがいいですね
内容は折り紙付きですから、是非たくさんの方々に読んでいただきたいと思います
早速リンクしていただきありがとうございます
当hpからもリンクさせていただきます

38.「翔んだ青春」公開しました 投稿者:関口 範夫  投稿日:07月11日(日)20時52分37秒

 私の父もインパール作戦に参加し、8年前に体験を本にまとめました。
いつかはホームページで公開したいと思っていましたが、窪田さんのこ
のホームページを見てようやく作成を始めました。ホームページを作る
のは初めてで、窪田さんからもアドバイスを受けながらやっと完成しま
した。
 改行が多かったり表現のおかしなところもありますが、父が書いた文
をなるべくそのままにしたかったので、明らかに誤字と分るところと句
読点以外には手を加えませんでした。

http://member.nifty.ne.jp/orion-s/


37.いつもありがとうございます 投稿者:窪田やよい  投稿日:07月11日(日)15時16分34秒

謙東弥さんいつもありがとうございます
今のマスコミ全体にいえることですが、
人をばかにしておもしろがったり、まじめであることを否定するような軽さ、
みんなで同じことを言っていれば安心できるといったステレオタイプの意見、などなど、
ただウケればいい、ただ儲かればいい、といった情けない内容が容赦なく送り込まれ、
私たちは日々バカになっていくようで恐ろしいです。
マスコミだけにしゃべらせずに、まだまだたくさんいる良識を持った人々の、
極当り前の感覚をどしどし発信すべきだと思います。

36.公開質問状 投稿者:謙東弥  投稿日:07月08日(木)05時43分29秒

角川書店メンズウォーカー誌の鳥頭紀行連載に関し、
あまりにもビルマ人やビルマ仏教をバカにした内容なので、
公開質問状を掲載しました。ビルマへの旅とはどういうものなのか、
仏教とは・・・などと、皆さんに考えていただきたいと思います。
ぜひ、当サイトへおいでください。

http://member.nifty.ne.jp/biruma/


35.ろうにんさんありがとうございます 投稿者:窪田やよい  投稿日:07月07日(水)11時11分34秒

すかさずのコメントありがとうございます
リンクの件ですが、あれ、そうでしたか???
それは確かにミステリーです
じゃあ、私はいったい・・・

当hpは 父の体験談とスケッチで構成されており
私はただ作っただけで、ずいぶん楽しませてもらってます
父が若かりし日に描いたスケッチは、なかなか味があっていいですよね
(手前味噌ですが)
その父は現在農業をしております
今は桃を出荷しています
父と母と私とで農作業に励んでおります
そんな農作業の様子をまとめたhpも別ページとしてありますので、ご覧頂けたら幸いです
昨年の暮れ以来更新はしていませんが、約2年間の農村の様子がまとめてあります
このページでもリンクを作らなければいけないのですが
その折はろうにんさんのところもリンクさせて下さい

http://www.cosmo.ne.jp/~kubota/


34.よろしくお願いいたします。 投稿者:ろうにん  投稿日:07月06日(火)01時51分04秒

>ろうにんさんの熱気あふれるhp拝見しました
ありがとうございます。
どうもお恥ずかしい限りです。
まだまだ製作途中で、肝心のミャンマー体験談はとうぶん完成しそうにありません。(^^;
普通の観光旅行では体験できない話が多いと思いまして、書き始めたものなのですが、
忙しさにかまけて、かなかなはかどりません。
テキストを書いていると、あの写真があったはずだ。なんて思い出し、
その写真が見つからないとテキストも進まない。
また最新の状況も、移り変わりが激しく、
毎年行くたびに状況が変わっていて、どうも書きずらい。
そんな状況です。(^^;
窪田さんのHPで、私が最初に惹かれたものはスケッチです。
すばらしいですね。
ヤンゴンでは見られなくなったようですが、ちょっと田舎へ行くと、
あのスケッチのまんまの風俗がいまだにありますよね。

>リンク先にも楽しいページがあったのに、きょう見たらなくなってました(?)
>また作ってください

え?そうなんですか。
リンク先のページはまだ手をつけてないんです。
ちょっとミステリーだったりして・・・。(^^;

http://www2u.biglobe.ne.jp/~ronin



33.コメントありがとうございます 投稿者:窪田やよい  投稿日:07月05日(月)10時16分00秒

ろうにんさんありがとうございます
ろうにんさんの熱気あふれるhp拝見しました
楽しいページですね
リンク先にも楽しいページがあったのに、きょう見たらなくなってました(?)また作ってください
談話室も盛況のようで、いいですね
当掲示板ももっとたくさんの方々のご意見をいただきたいなあ
なんて思いました
今後ともよろしくお願いいたします

32.はじめまして 投稿者:ろうにん  投稿日:07月01日(木)02時31分24秒

初めてお邪魔いたします。
私は何故かミャンマーに引かれ、今年で6度目の訪緬となりました。
インパール作戦のことは知っていましたが、実際戦争に参加された方の
体験談を聞くのは容易なことではありません。
多くの方が他界されてしまいましたから。
そう言う意味でも、このHPは高い評価を受けるべきだと思います。
またお邪魔させてください。
よろしくお願いいたします。

http://www2u.biglobe.ne.jp/~ronin


31.のらさんありがとうございます 投稿者:窪田やよい  投稿日:06月19日(土)09時18分58秒

戦争関係の本や映画などいろいろありますが
本当にどれだけの事実を伝えているか、疑問に思います
体験者の生の話の中にこそ事実があると思います
個々の兵隊さんたちは純粋に生真面目に悲惨な状況下で
任務を果たしてきたと思います
戦争体験が風化してしまう前に、事実を後世に残さねばならないと思います
叔父様のご冥福をお祈り致します

30.(無題) 投稿者:のら  投稿日:06月17日(木)12時29分58秒

このごろ収容所の話とか戦争中の話の本などを読んでいます
私の叔父はビルマで戦死遺骨は川に流れてしまいました。
このごろ妹にあたる母がしきりとビルマのことを話しますので
HPなどを探していました

29.ビルマの星空 投稿者:謙東弥  投稿日:06月15日(火)14時50分25秒

武者一雄・著 「ビルマの星空」 日本図書刊行会 近代文芸社 1997年6月・刊
以下は著者あとがき、からの引用です。


  竹山道雄先生の「ビルマの竪琴」書き出しの文章

  兵隊さんたちが大陸や南方から復員してかえってくるのを見た人は多いと思います。
  みな疲れて、やせて、元気もなく、いかにも気の毒な様子です。中には病人になって、
  蝋のような顔色をして、担架にかつがれている人もあります。
  こうした兵隊さんたちの中で、たいへん元気よくかえってきた一隊がありました。
  みないつも合唱をしています。しかもそれが、むずかしい曲を二重唱や三重唱で
  上手にうたうのです。横須賀に上陸したとき、出迎えた人々はおどろきました。
  そしてたずねました。

  このような隊は、ビルマ帰りの烈兵団58連隊のうたうわが隊のほかにはなかったのである。


武者一雄氏の著書には他に「ビルマの耳飾り」光人社文庫1997年刊

http://member.nifty.ne.jp/biruma/


28.モンユア日本人墓地にて 投稿者:謙東弥  投稿日:06月09日(水)05時34分43秒

僕は二度目のビルマ旅行で偶然、全くの偶然でモンユア湖畔の日本人墓地へ
辿り着きました。ひっそりと、誰にも知られずにたたずむその墓碑、慰霊碑の前で
合掌しましたが、なぜか涙が溢れてしまいました。僕は戦争を知りませんが、
なぜ多くの日本人が、日本から僻遠の地ビルマで命を落とさなければならなかったのか、
彼らの無念さを思うと、涙が止まりませんでした。日本の若い人たちに、この光景を見て
もらいたい。そして、平和とは何か、戦争とは何か、などと考えていただければと考え、
ホームページを作っています。
ちなみに、モンユア日本人墓地・慰霊碑は、弓兵団・第33師団の戦友会の方々が
昭和53年から54年にかけて建立されました。

http://member.nifty.ne.jp/biruma/


27.コメント感謝です 投稿者:窪田やよい  投稿日:06月08日(火)23時34分31秒

瓜生さんのお父様はどんな体験をなさったのでしょうか
同じ烈師団だったとは驚きです。そういう方がやはりいらっしゃるのですね。
お父様にも是非父の体験記を読んでいただきたいと思います。
謙東弥さんいつもありがとうございます
あいにく本のことは存じておりません。機会をみて読んでみたいと思います。
アツシさん、私も兼ねがね自分の無知を恥じておりました。このhpをたち上げたのもそんな理由も
あります。
この戦争のことをきちんと理解していないと自分自身が確立しないように思うし、
まして対外的な姿勢や主張などできません。
学校教育の中でこの戦争の事実関係をはっきりと教えるべきだと思いませんか。むずかしいとは
思いますが。

26.(無題) 投稿者:アツシ  投稿日:06月07日(月)23時39分01秒

ミャンマー旅行の情報収集のため、インターネットをしていて偶然目にとまりました。
学生の頃、タイを旅行し、恥ずかしいおもいをしたのを思い出しました。
(旅行で知り合ったイギリス人とカンチャナブリーを訪れ、日本人は何でも忘れてしまうと言われた。)
仏跡を見るのが、旅行の目的ですが、ここでかつてなにがあったのか?
旅行に、もう一つの題材が増えました。
今から、関係する本を是非読んでみたいと思います。

25.マンダレーの夕日 投稿者:謙東弥  投稿日:06月07日(月)19時08分05秒

「マンダレーの夕日」を読みました。題名とは違い、ビルマが登場しないミステリーです。
1999年五月、角川書店より出版されました。インパール作戦に関しては記述がありますが。
題名のマンダレーに関して、もっと書いてほしかったですね。
この本の作者はきっと、武者一雄氏の「ビルマの耳飾り」に影響を受けていると思います。
僕のホームページに書評を載せました。ご覧ください。

http://member.nifty.ne.jp/biruma/


24.私の父もビルマへ 投稿者:瓜生公伸  投稿日:06月07日(月)01時28分06秒

 私の父もインパール作戦に参加すべくビルマへ出征し、幸いマンダレー
で終戦を迎え昭和二十一年7月に日本の自宅(空襲で焼けていましたが)
に帰還しました。所属は「烈」部隊でした。




23.裕美ちゃんありがとう 投稿者:窪田やよい  投稿日:06月05日(土)08時59分59秒

裕美ちゃん どうもありがとう
見知らぬ方からコメントをいただくのもとてもうれしくて感謝感謝なのですが
身近な方からコメントをいただくのもとてもうれしいです
びっくりしました
またどうぞよろしくお願い致します

22.(無題) 投稿者:田邉 裕美  投稿日:06月03日(木)02時24分47秒

 お元気ですか。お久しぶりです。おじちゃんの体験記読ませていただきました。
おじちゃんがこんな凄まじい青春時代を送っていたなんて、知りませんでした。おばあちゃんから、
おじちゃんがビルマを巡拝した話を聞いたことがあります。当時あった出来事は、本や映画で
見たりしました。なぜか私は、こんなことを言うと大変失礼ですが・・・興味があるというか、
惹きつけられる思いで、戦争の話を聞いたりしてきました。日本軍や連合軍の戦艦がどうだったとか
どういう戦略で攻めたとかそういうことではなく、戦地におくられた人間や故郷で待つ人間に、
とても惹かれてしまいました。だから、おじちゃんが戦地から無事帰って、ご両親に再会した場面を
読んで感激しました。
 最近「シンレッドライン」という映画をみました。内容は、第二次大戦中ガダルカナルで日本軍が
侵略した地帯を、連合軍が上陸し難攻不落の高地を、大多数の犠牲者を払いながらも戦って進みますが、
その間の人間模様も心を打たれました。勝利者も敗北者も残ったものは、虚無感であり、なぜ見知らぬ
同じ人間同士が憎んでもないのに、上の少数の偉い人間達の決断のために、多くの人間が殺しあうのか。
見終わった後、やりきれない気持ちになりました。
 おじちゃんの話しぶりはとても豪快で楽しいです。また、お話聞かせてくださいね。
お体を大切になさってお過ごしください。 

21.ありがとうございます 投稿者:窪田やよい  投稿日:06月02日(水)21時58分45秒

健太郎さんコメントありがとうがざいます
hpのタイトルを決める時、悩んだのですが
結局インパクトの強さとわかりやすさで「インパール作戦」に決めました
しかしこれは私の先走りで、父に言わせる「インパール作戦」では正しくないと言います
本文を読んでいただけばわかるように、最初はインパール作戦の補充要員として派兵されたのですが、
結果的に作戦自体には間に合わなくなってしまったのです
ですから健太郎さんの言う通り、このタイトルでは意味合いが正確ではないのですが
私は敢えてこのままでいきたいと思います
それから、私自身は戦争のことにはくわしくないので、史実はよくわかりませんが
実際に戦争を体験した父の意見を尊重したいと思います
このhpは、史実の記録ではなく、一兵士の従軍体験記として読んでいただければ幸いです

20.敬服致します 投稿者:健太郎  投稿日:05月30日(日)01時05分30秒

 高齢にもかかわらず、インターネットをなさっていて小生、敬服するしだいです。
 また、大東亜戦争に参加され貴方の父君をもってして、今の日本の繁栄を築かれ、本当に
 御苦労様でした。内容的に非常に興味深く「戦争体験記」としての力作であると感じております。
 さて、小生まだ40代の若輩者でありますが、旧帝国陸軍戦史に興味をもっている者です。
 過去、戦史の書籍、あるいは国会図書館等での1次・2次資料等を拝見してきましたが、
 ここで敢えて大いなる背景認識の誤解があると感じ、恐縮ですが、苦言を申し上げたいと、
 あえてキーボードをたたきました。
 題目に「インパール作戦」とありますが、そもそも「インパール作戦」自体は、その攻勢断念が
 19年6月下旬、後退行動(撤退)が同年10月下旬で完了しており、そもそも、10月より
 参加されたのは、その後の作戦ではないのでしょうか?即ち、題名は「ビルマ方面(南方)に
 おける戦争体験記」位が妥当ではと感じます。インパクトの強い「インパール作戦」を使うのは
 結構ですが、史実の誤認が大いにあります(これはその作戦目的の誤解からも明らかです。即ち、
 大本営、南方軍、ビルマ方面軍、第15軍に通じる「ビルマ防衛」であり、援將ルート遮断は
 第2義的)。
 貴殿の「インパールは戦争を経験していない我々世代」大いなる誤解を与えるものと危惧する
 次第であります。また、付け加えますと、英・印・米軍指揮官をもって、戦後、上級指揮官
(河邊中将、牟田口中将、佐藤中将)は無能であったが、将兵は我々の想像を超え強かった、との
 言葉を得ていますので紹介します。
 国内においては、佐藤中将は「1万の将兵を救った」との大いなる誤解を与えておりますが、
 私から言わせれば、南方における防衛を崩壊させた引き金を引いた張本人そのものであります。
 自分がひもじい思いをしたばかりにさっさと後退し結果的に数十万の将兵を困窮においやった
 戦犯です。しかし、戦後戦犯法廷で牟田口中将(1番悪い)とともに、日本軍の崩壊を早めて
 くれたと無罪放免になってます(米国立図書館記録より)。
 つらつらと思いのまま、好き勝手に言いましたがお許し下さい。私としては、「インパール作戦」
 とその後は明確に区別すべきとの想いからいいましたのであしからず。

19.保さんありがとうございます 投稿者:窪田やよい  投稿日:05月20日(木)22時52分27秒

hp訪問とコメントありがとうございます
          御高齢の方がインターネットなさっていて、すごいなあと
          敬服いたします
          私の父は機械オンチですのでパソコンには関心がありません
          が、お蔭様で元気に農作業をしております
          今は桃作りです
          そんな農作業の様子がまとめてありますので
          こちらのhpもご覧いただけたらうれしいです

http://www.cosmo.ne.jp/~kubota/


18.お礼 投稿者:  投稿日:05月20日(木)14時38分24秒

拝見させて頂き感激致しました、私は船舶工兵で南シナ派遣軍で1年半戦争体験
しました。矢張り敵機の(アメリカ)為にさんざやられて21年に復員しました、
現在77歳です、今は家業をはなれて隠居です、が、昔の事を思い出すと感無量です
塩山は親戚も多いのと古刹が多いので時々行きます。お父さんもお元気で長生き
なさる様にお伝え下さい。

17.コメントありがとうございます 投稿者:窪田やよい  投稿日:05月12日(水)22時50分18秒

関口さんコメントありがとうございます
御両親とごいっしょにビルマへ行かれたとは素晴らしいですね
そしてこのようにコメントを入れていただきうれしいです
私の父もこの掲示板のコメントを心待ちにしております
インパールの体験者同士で話が交わされるとまた興味深いですね
関口さんのお父様の体験記もぜひ拝見したいと思います

16.父も体験者です 投稿者:関口 範夫  投稿日:05月11日(火)21時17分03秒

 私の父は現在80歳。新潟県高田の歩兵58連隊からインパー
ル作戦に行きました。戦争の話は父からよく聞いているので、イ
ンパール作戦を体験された方を見つけ、驚きと嬉しさを感じまし
た。
 今年の正月、「チェンマイへ行ってみたい」という父の言葉が
きっかけで、この連休に両親と3人で行ってきました。チェンマ
イで終戦を迎えしばらく滞在していた地ですので、特に思いがあ
るようです。旅行の終わり頃「夢の中に戦地で死んでいった戦友
が次々と出てきた。みんな待っていたんだな…」と呟いた父の言
葉に、思わず涙が込み上げてきました。本当に行って良かったで
す。
 父は70歳のときにワープロを買い、窪田さんのように体験記
を冊子にまとめました。戦争の最前線にいた兵士がどんな状況に
置かれていたのか、当人たちの言葉で語られる事実ほど確かなも
のはありません。これは後世に残すべきものだと思っています。
窪田さんのホームページを見て、私も父の書いた体験記を公開し
たいと思いました。

15.ビルマへの手紙 投稿者:謙東弥  投稿日:05月06日(木)06時28分53秒

三度も登場してすみません。『みつぐ』さんの投稿で『佐藤』さんの件がありましたが、
99年4月刊行の戦記「ビルマ・アッサムの死闘」渡辺民衛著・旺史社刊に「佐藤師団長の英断」
という項目で詳細が掲載されています。
また、「ビルマへの手紙」ホームページでは、ビルマ戦記の数々を「参考文献」として掲載して
いますので、こちらもご参考に。

http://member.nifty.ne.jp/biruma/


14.ビルマへの手紙 投稿者:謙東弥  投稿日:05月06日(木)05時40分20秒

ミャンマー観光年50日間旅行記「ビルマへの手紙」ホームページを開設しています。政治経済・
文化仏教・生活風習など、あらゆるビルマの「今」があります。東南アジアを愛する若者は
もちろんのこと、戦争関係者の方々にもぜひご覧いただきたく、モンユア日本人墓地やモールメンなど、
ゆかりの地の写真などを掲載しています。1999年3月のプローム在住吉岡氏のお元気な写真も
載せました。

http://member.nifty.ne.jp/biruma/


13.「ビルマへの手紙」 投稿者:謙東弥  投稿日:05月05日(水)06時02分44秒

ミャンマー観光年旅行記「ビルマへの手紙」をホームページで紹介しています。
モンユア日本人墓地やメイッティーラなど、ビルマ各地の最新の様子を掲載しています。
また、シュエセットー(ミンブー)やターマニャ(パアン)などの仏教聖地も豊富に取り揃えました。
どうぞご覧ください。

http://member.nifty.ne.jp/biruma/


12.P-ちゃん感謝です 投稿者:窪田幸唯  投稿日:04月27日(火)12時15分57秒

P-ちゃん(さん)訪問ありがとうございます。
私たち夫婦の親はどちらも戦争体験者です(インパール&シベリア抑留)
たまたま生き残ったから私がいるわけです
明日をも知れぬ命という局面に立たされた異常な心理状態は平時では
理解しがたいもののようです
実際従軍した世代はだんだん少なくなりつつあります
彼らにとっては歴史ではなく、実際の経験なんです
予想以上に多くの皆さんにご覧いただいているようなのでありがたいです

http://www.cosmo.ne.jp/~kubota/


11.こんにちは 投稿者:P-ちゃん  投稿日:04月24日(土)11時00分32秒

はじめまして、記録読ませていただきました。いいですね。お父さんが自らの戦争体験者で、
色々と、お話を聞くことができるから。一度は私も戦争体験をした人といろんな話をしたくて、
TV番組に問い合わせたことがあります。駄目でしたけどね。こればかりは私達の世代では
何とも言えないものですね。第3次世界大戦がないかぎり。投稿者の方のメール読んで今の
日本にちゃんと考えてる人がまだまだ居てる事をしり少し安心しました。
ただ私はいつも思うことお国のために戦って死んで行った方々現在も無事に帰国した方
その人達のお陰で今の日本があるということ忘れたくないですね。
もし戦争が今起きれば今の日本何ができるでしょう。それも悲しいですね。考えれば・・・
お父様本当にご苦労様でした。こんな日本にするため戦ったのじゃないのにでもあらためて
ありがとうございました。

10.うれしいです 投稿者:窪田やよい  投稿日:04月22日(木)23時12分38秒

検索エンジンに登録できたために、大勢の方に見ていただけて
うれしいです。
私自身、戦争のことはあまり知らず、このhpをたちあげるにあたり
父から一貫した話を聞き、記録することで、私自身が楽しみながら
作業することができました。
まだ数回更新するつもりですが、こうして掲示板において
様々な意見交換がなされていくのは、更なる楽しみです。

9.はじめまして 投稿者:tazipie  投稿日:04月22日(木)14時31分45秒

はじめまして。
興味深く読ませていただきました。
「インパール」というと、ガ島、ニューギニアと並んで、
最も凄惨な戦闘というイメージが誇大に語られがちですが、
淡々と記述する調子がよかったです。
「イギリス軍は防御はうまいが、攻撃はヘタ」とよく言われますが、
まさしく、そのとおりだと思いました。
夜になると3kmも後退したり(元寇の蒙古軍を連想してしまいました)、
準備砲撃の後にノロノロと前進する歩兵戦車など、
英軍はビルマでもアフリカやノルマンディーと同じ戦闘法だったようですね。

8.私はインパール作戦にとても興味がある者です。 投稿者:みつぐ  投稿日:04月22日(木)02時05分05秒

こんにちわ。検索でここにたどり着きました。
私はインパール作戦の特に佐藤幸徳さんに興味があります。
あの、時期に勇気を持って撤退するのは大変な方だと思います。
他のみなさんはどうお思いでしょうか。御意見お聞かせください。
なお、私はつぐみさんとは別人です。私ずっとこの名を使ってるもので・・。

7.また、来ました。 投稿者:つぐみ  投稿日:04月21日(水)02時48分11秒

こんばんわ。更新されていたスケッチ、見させてもらいました。
私は日本人は太平洋戦争がきっかけで「誇り」の持ち所をなくしたんだと思います。
それは立場のある人達が戦争責任を否定したり、うやむやにしたり…。
私は現在26歳なのですが、残念なことに周りの友人は太平洋戦争のことは
教科書の一部程度しか知識がありません。
(教科書には事実がまったく書かれてないのに!)
現実にあったことだということすらわかってないのかも知れません。
ひどい人になるとホラーものと混同していて「気持ち悪い」と言います。
あるいはファッション的な感覚で虐殺や原爆の写真が好きだと言う無神経な人も時々。
だから、自信をなくすとか、悪い民族だと思い込む以前の状況に
日本はあると思います。 何も教えられてないのですから。
日本文化はすばらしいのに、諸外国のマネをしたり、
日本語が話せない若者ばかりだったり。
過去を無いことにしているために、立っていられない状況に置かれていると思います。

6.コメントありがとうございます 投稿者:窪田やよい  投稿日:04月18日(日)08時04分29秒

今の日本人には「誇り」が足りないですよね。
それは、太平洋戦争の意味付けがあやふやであることも原因していると思います。
英国は長い歴史の中で常に勝者として世界に君臨してきており、ごく当り前に誇りが培われている
のだと思います。
日本人は優れた民族であるのに、自信をなくし、戦争で悪いことをした
悪い民族だと思い込んでいるなんて、本当に嘆かわしいことです。

5.コメント感謝です 投稿者:窪田幸唯  投稿日:04月17日(土)21時49分22秒

勝者は常に自らを正当化します。
歴史はすべからく勝者の歴史です
敗者の歴史は事実から始まるべきでしょう
この意味で我々の誇るべきものは、「事実」です
私たちはこの事実を伝える義務があると思います。

4.Thank you very much 投稿者:Toru Kajitani  投稿日:04月15日(木)22時47分52秒

mazu saisho ni kaigai karano soushin desu node nihongo hyouki ga dekimasen koto wo
oyurushi kudasai. Tantan todeha arimasuga jittaikenno ohanashi ha totemo fiction deha
kakikirenai hakuryokuga arimasu. genzai England ni zaijuu shite orimasuga senshoukoku
dakara deshouka mina hokori wo motteorimasu. kesshite ogoru kotono nai toushindai no
hokori ha konoyouna ohanashi(keiken)kara umarerunokana tomo omoimashita.
arigatou gozaimashita.

3.訪問感謝です>つぐみさん 投稿者:窪田やよい  投稿日:04月15日(木)11時33分57秒

つぐみさん コメントありがとうございます
検索エンジンで「戦争体験」というようなキーワードで検索してもほとんど見つからないのではと
思います。
あるのはステレオタイプの先入観丸出しのページくらいなものです。
事実は何であったかという意味では実際に体験した人間の回想が一番かと思います。
大層な試みではない、等身大の試みですが、多くの皆さんにご覧いただければ幸いです

2.大変勉強になりました 投稿者:つぐみ  投稿日:04月12日(月)02時11分31秒

初めまして。私は戦争をテーマにイラストを描いている者です。
今日、映画シン・レッド・ラインを観て、興奮が冷めない内にこちらを拝見しました。
私は戦争を知りません。だから少しでも戦争を知るために勉強を続けています。
「もう済んだことだから」とか「終わったことだから」と、よく言われ、反対されます。
今現在も戦争は起っているのに、伝える必要がないと平気で発言する人の気が知れません。
若い日本人のどれだけが、映画シン・レッド・ラインの良さをわかるのか、疑問です。
自力で探さないと、戦争の悲惨さ、兵士達の気持ちを知ることができないこの国で。
窪田さんのお父上の体験記のような話が、もっと自然に身直に知ることができる
世の中になって欲しいと、思います。
「倅の死を願う親がどこにいるものか」という言葉、感動しました。

1.ご意見ご感想がありましたらご自由に 投稿者:窪田 幸唯  投稿日:03月21日(日)14時27分24秒

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ご覧いただいた感想、ご意見などがありましたら、ご自由にどうぞ・・・・

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