過去の掲示板(その2)


「インパール作戦・父が語る戦争体験記」への感想を多くの皆さんに書いていただいています。今までの掲示板への書きこみ内容をまとめてみました。上から順に新しい書きこみとなっています。

平成11年3月の掲示板開設以来のもの(No1〜63まで)は「過去の掲示板その1」をご覧ください。

ホームページ編集責任  窪田 幸唯 kubota@mxa.cosmo.ne.jp

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103.体験記 投稿者:S.F.  投稿日:12月31日(金)13時45分42秒

勤勉だが、創造性の少ない民族だと思われているでしょう。
自己主張が少ない、と思われるのは悔しいですけど。
僕も見られる側なので、よくわかりませんが、、、。

でも果たして、アメリカは「世界のリーダー」「世界の警察」なのでしょうか?
僕は単に「干渉したがり屋」に思えますが。
皆さんはどう思いますか?

遅れましたが、体験記の感想をここで少し述べさせて頂きます。
インパール作戦によって崩壊したビルマにおける体験、大変貴重なものとしてよませて頂きました。
生死の瀬戸際をさまようような生活が心に残りました。
このような実体験を身近な人から聞かされる事は、僕たちがこのページで読むのとはまた違った

102.失礼しました 投稿者:K.K  投稿日:12月31日(金)13時19分09秒

 S・Fさん
 どうやら同時に書き込んでいたようです。
 ありがとうございます、そうですか、やはりアメリカ人は世界のリーダー
世界の警察としての自負が大きいんでしょうね。
 我々日本人は彼らからどんな連中に見えているのでしょう?

101.ありがとうございます 投稿者:K.K  投稿日:12月31日(金)13時11分05秒

 松下さん
 早速のお話ありがとうございます。
 ああ、まったくその通りです、僕は戦争と言うとすぐ前大戦のことばかり
頭に浮かんでしまうのですが、その通りです。
 戦争は古くて昔のことではなく、現在この瞬間にも戦争状態に近い国や
地域が沢山あるのでした。
 松下さん、ありがとうございました。

100.アメリカに対する意見 投稿者:S.F.  投稿日:12月31日(金)13時09分01秒

残念ながら、身近にそのような体験をなされた方はいませんでした。

自分はアメリカでの生活が大変肌に合い、
現在専攻している生命工学において先端を行くアメリカという国は尊敬しています。
ただどうしても不信を抱かずにはいられないのは、
自分たちアメリカが世界のNo.1であると確信している人が多いことです。
そのため、戦争においてはその勝利と正義のみをみつめ、その内容と残酷さはさほど強調されません。
戦争のひどさが語られるのは主に敗戦となったベトナムの事ばかりで、
勝者となった太平洋戦争についてはさほど語られません。
むしろアメリカの栄光への道、ファシズムに対する歴史的勝利、という見方が大半です。

もちろん、退役軍人などで戦争における事実を直視する方も多くいらっしゃるでしょうが、
あまり深く関わらなかった自分のようは一般の市民には、
戦争は「国際秩序を乱す悪への制裁」という見方が一般的です。
Hollywoodで作られる映画を観ておられる方は、その内容から察知できるのではないかと思われます。

とか批判しながらも、自分は将来再び米国で学ぶことを夢見ています。
ただ、現在最盛期のアメリカも日本のバブルを思わせるような異常な好景気で、
10年先ははじけてしまうかもしれない、と懸念を抱いています。

99.高校時代 投稿者:松下  投稿日:12月31日(金)04時58分35秒

私は高校時代がアメリカでした。
先生の旦那さんたちがベトナム戦争経験者だったことは聞きました。
特に私の英語の先生のご主人はベトナム戦争中爆撃機の搭乗員で実際に爆撃を行っていました。
ある生徒が「爆撃したことに罪悪感感じることあるか」という問いに対し、答えは「NO」でした。
正直なところ本人たちに直接どのようなことが起こったか聞くのは腫れ物に触るようなものでなか
なか本質的なところはわからないものです。
卒業してまもなく、私と同世代の何人かは湾岸戦争でイラクへ出征したわけで。私の周囲に卒業後
陸軍や海軍に入った輩もいたわけですから、戦争がいかに身近なものかを実感しました。
わが国が54年前に経験したことよりも身近な場所や時期に戦争は起こっている。

98.知りたい事 投稿者:K.K  投稿日:12月31日(金)03時14分21秒

 S・Fさん
 僕は生まれてこの方、国外に出たことがなく、外国の方と戦争について話したことは
ありません、しかし連合軍の兵士にも妻子があったわけで、さまざまな悲劇があったと思うのです。
 勝者と言え、悲惨な体験を当事者か家族から話されたことはありませんか?海外といっても
いろいろありますから、まったく当たらないかもしれませんが、もしそのような経験が
ありましたら、お話願えないでしょうか?
 ほかの方でも、そのような経験がありましたら、ぜひお聞かせください。
 

97.本 投稿者:松下  投稿日:12月31日(金)00時42分47秒

戦記を読んでいると上下の関係が明らかに身分の関係になっていて階級が上であれば軍は過保護な
までにそれを擁護しますが、下士官・兵士の待遇となると極限の待遇になると幾つかの書籍で得て
います。例を挙げればきりが無いくらいですが「捕虜になることを禁ずる」規律の中でこういう対
照的な事例があります。
海軍爆撃機の搭乗員が飛行機を敵地に不時着させ、懸命に日本軍の基地まで逃げてきた。ところが
「敵地」での不時着が「捕虜」になったと扱われて軍上部からは「自決」を強要して彼らを特攻同
然のオンボロ飛行機で敵の餌食になることを望んだ。
一方でたまたま日本から出てきた上層部の参謀長の乗った飛行機が墜落し、フィリッピン原住民の
捕虜になった。日本政府はそこで捕虜交換か身代金支払いかで彼を取り戻した。

日本海軍戦闘機の元パイロット、坂井三郎氏の「大空のサムライ」に書いてあったことです。ガダ
ルカナル上空で頭を撃たれ、帰路1040キロを視力ゼロで帰還して今も83歳健在で著作を数多く出
しておられます。太平洋戦争の実態がなんであったか、また下の投稿で「日本人の誇り」を説いて
いますが、これも彼の著作でかなり明確になっているかと思います。

96.大変意義のある掲示板ですね 投稿者:S.F.  投稿日:12月30日(木)21時59分05秒

はじめまして。僕は神奈川の大学に通っている学生です。
このページを大変興味深く読ませて頂いてます。

現在、「インパール作戦」(磯辺卓男著)を読んでいる最中です。
磯辺さんは当時第33師団に所属し、インパール作戦に参加されたそうです。
彼は軍部が作成した資料に対する反発、怒りを露にし、読んでいても大変心が痛みます。
「インパール作戦は必要でなかった」と明言しています。
機会があったら読んでみてください。

現在の若者は戦争の話になると嫌悪感を示す、知りたがらない、という意見を拝見させて頂きましたが、自分も同感です。
自分の知識も未熟ではありますが、周りの人たちは知りたがろうとしているのでしょうか?と思うことがあります。
時代が進むにつれてその記憶が消えていかないよう、我々の世代も戦争中の事実を知っていくべきだと思います。

あと、「日本人としての誇りがない」について話していましたよね。
自分は海外生活が長かったので、このことは痛感させられます。
アメリカでは様々な人種が入り交じっているため、自分が「日本人」であることを再認識させられます。
日本に帰ってきて、自分の世代が下手に英語を使い、アメリカの真似をしているのをみて、日本人のプライドは
どこに行ってしまったのか?と思わされました。
これは勝手な意見ですが、日本人の若い世代はもっと司馬遼太郎を読んで日本について知るべきだと思います。
それこそプライドの回復への第一歩でしょう。 (笑)


95.がんばれ日本 投稿者:窪田やよい  投稿日:12月30日(木)00時26分13秒

k・kさん  ヒカルさん  こんばんわ
貴重なコメントありがとうがざいます。
世界を見渡してみても、やはり日本ほど自由で豊かで平和な国はないと思います。
国民も勤勉で優秀。
それなのに元気がないのはおかしい。
みんながもっと自信をもって日本の良いところをなくさないようにしましょう。
来年もまたよろしくお願い致します。

94.僕にも出せなかった結論 投稿者:K.K  投稿日:12月29日(水)23時42分12秒

 ヒカルさんへ
 まだ若いのに重たい事実に目をつぶらず、考えていこうとする姿勢は
大変すばらしいことだと思います。 
 目を閉じず、過去のことだからと忘れず、偏見に惑わされずに頑張ってください。

 今の日本が戦前と似ているとか、今後どうなって行くなどということは僕にも
わかりませんが、今まで戦争の無い世界を作る具体的な方法はどんな高名な学者も
見つけてはいません、しかし必ずあるはずです。
 あきらめず考えていきましょう。

 またもや、偉そうな事を言ってしまいました、申し訳ありませんでした。

93.おろ? 投稿者:ヒカル  投稿日:12月29日(水)03時39分01秒

僕は中学生だから政治について少し分からないところがありますが、
戦争の方なら大分できます。
映像の20世紀観ました。たしかに日本もドイツもアメリカもみんなひどいですね。
神経がまひしちゃうんじゃないのかな?う〜ん。
あの時に戦争にかりだされてたらどうだったのかな
インパール作戦か菊水作戦か一体どこに配属されてどんな所で
何をさせられていたのか。もしかしたら殺されてたかもしれないと思います。
戦争は今後の日本にあるのかな?

92.お久しぶりです 投稿者:K.K  投稿日:12月29日(水)02時44分42秒

 私事でしばらくこれませんでしたが、なんだかこのHPに来ると
ホッとするのはなぜでしょう?
 恐ろしい戦争の話がメインなはずなのですが、知らず知らずに
またやってきてしまいました。
 仕事がら「テレビゲーム」関係のHPを覗く事が多いのですが
若い世代には(僕も若いつもりですが)戦争に関する心無い発言も
多いのです。
 最近母から戦時国債の話を聞きました、今日本は戦時では
ありませんが、ずいぶんな借金国家に見えます。
 2000年が良い年でありますように。

91.よい年になりますように 投稿者:窪田やよい  投稿日:12月28日(火)00時43分37秒

ヒカルさん  ありがとうございます
ホントにひどい作戦ですよね。無謀のひとこと。
しかし本当のところはよくわかりません。
誰が悪かったかとなると さらによくわかりません。
今NHKで 「映像の世紀」という番組をやっていて 年末の慌ただしい時期であるけれども
つい見入ってしまいます。胃がきりきりするような憤りを感じながら。
どうして人間はああも残酷で愚かなんだろう。どうして戦いが止められないのだろう。
朝鮮半島やドイツの分裂のことは私にはどうにも理解できません。
主義主張のちがいや利害対立や積もり積もった憎悪をうまく緩和させる方法はないのでしょうか。
それとも やっぱり人間は争いが好きなのでしょうか。
きたる2000年代はそれぞれがよく自覚し、それぞれに見合った幸せが守れる世紀であるといいですね。

90.インパール作戦はひどかったですね 投稿者:ヒカル  投稿日:12月27日(月)22時23分36秒

インパール作戦は陸軍の作戦の中でも特にひどかった作戦ですから
その作戦に関与した兵隊さんも沢山いると思います。
これらの人たちは上の人たちによって命をおとしたのだとおもいます。
私の知っている範囲ですが陸軍第33軍の司令長官は牟田口中将でこの方は
東京の指令本部(ってゆうのかな)トップの人たちにインパール作戦を
必ず成功させてみせるなどと無理に決まっている作戦を勝手に約束して
3個の師団をビルマの奥深くへとまねいていってしまったのです。
そのあと作戦が失敗に終わったアトはトップの人たちに日本へよびもどされ
どこかの兵学校の校長を何年か務め戦争が終結したあとも平然といきつづけ、
70くらいかなそのくらいでこの世を去ったと聞いています。
別にこの方がすべてわるいといっているわけではありませんが、
この方にこの作戦に直接現地で戦っている兵士の気持ちがわかっていたでしょうか?
作戦中この人は東京でのんびりしていたとききます。
なぜこの作戦をおっぱじめた、当事者が日本でのんびりしていたころに
沢山の兵士が勝てもしないテキト戦わなければいけなかったのでしょうか?
牟田口中将は三度くらしか現地へいっていないと思います。
ああながくしてすみませんでした。
では失礼します。
この中の文でちがっていたらメールでしらせてください。
失礼します。

89.感想よみました 投稿者:窪田やよい  投稿日:12月11日(土)09時59分02秒

福益さん はじめまして
ご訪問&書き込みありがとうございます。
さっそく感想文を読ませていただきました。
他のところもおいおいゆっくりみたいと思います。
私もhpをたちあげてから「戦場にかける橋」をみました。
あれは物語で、しかもあまりどうということのない内容でしたね。
今後もよろしくお願いいたします。

88.よかったですね! 投稿者:窪田やよい  投稿日:12月11日(土)09時52分50秒

ちはさん こんにちは
お探しの件、無事に判明し、よかったですね。
最初にお話を聞いた時には、正直なところ、無理ではないかと思ったのですが
具体的な場所まで特定できたとは、驚きです。
ちはさんの熱意と行動力に敬意を表します。
おじいさまもきっとよろこんでいらっしゃると思います。
戦争というものを、抽象的な思想ではなく
身近な部分で自分の感覚としてとらえ、考えていくことが大切だと思います。
ちはさんのこれからの取り組みが順調に進みますよう、お祈りいたします。
また何かありましたら、ぜひお知らせ下さい。

87.私もチョットだけ載せました。 投稿者:福益米作  投稿日:12月09日(木)19時36分18秒

つい最近私もひょんな事からインパール作戦に興味があり、本を読みました。
感想を私のホームページに載せました。http://www.nsknet.or.jp/~fkms
yahoo で「福益」でも検索出来ます。
まだお宅のは全部読んでいませんが、家内がプリントして読んでいます。
先日テレビでも再放送してましたね。佐藤氏のことも出てました。
とりあえず 報告まで。

またこれを機会に「戦場に掛ける橋」と言うビデオも借りてきてみました。

http://www.nsknet.or.jp/~fkms


86.祖父が亡くなった場所が、分かりました。 投稿者:ちは  投稿日:12月09日(木)18時36分24秒

管理人様、みなさん、こんにちは。
以前、『43師団 誉』について教えてほしいと書き込みさせていただいたのですが
その後、いろいろ調べた結果、無事に祖父が亡くなった場所が、分かりました。
厚生省にも調べてもらったのですが、そちらでは軍歴以外の情報は、ないという事でした。
厚生省の返事のお手紙には、(書き込みのレスで)松下さんが教えて下さった
『防衛研究所図書館』の住所等が記されてあり、そこでなら何か分かるかもしれないという事でした。
厚生省からの返事待ちの間も大阪府下の図書館を 奔放し、ある図書館で
祖父が所属していた43師団が3つの船団に分かれてサイパンに向かったという事が書かれた書物を見付けました。
その本には、その3つの船の名前(勝川丸、高岡丸、はあぶる丸)が記されており、
そのどれに乗っていたかが、分かれば撃沈した場所が、分かることになります。
厚生省から良い返事をもらえなかったので、後は『防衛研究所図書館』で調べるしかありません。
大阪在住のため、気軽にその図書館に行けなかったので、とりあえず電話で聞いてみることにしました。
すると、意外にも撃沈した場所が分かるとの良いお返事を頂く事ができたのです。

祖父が所属していた『43師団(第二次輸送部隊)誉11941部隊 経理勤務部』は
5月29日に『勝川丸』に乗ってサイパンに向かったが
6月4日に潜水艦の雷撃を受けて、北緯19度45分 東経138度15分の場所で
沈没したそうです。サイパン島には、上陸せずに海の上で亡くなっています。


マリアナ海戦で亡くなった大部分が、戦死した日付が、7月18日になっています。
祖父も墓石には、その日付が掘られています。
随分と時間が経ってから、事務処理がされたようでみんな同じ日付にされてしまったようです。
お国のためと命を散らしたのに、亡くなった後の対応は、なんていい加減なものなんでしょう。

いろんな方々のご協力が、あったからこそ、ここまで分かったんだと思います。
お力を貸して下さったみなさま、本当にありがとうございました。
私たちと同じように慰霊したいために調べたという方とも
知り合う事が出来ましたが、どの方も、途中で諦めるしかなかったという事でした。


12月4、5、6日と私は東京に行ったのですがその際、靖国神社に手を合わせに行きました。
この事がなかったら、ただの観光地巡りの感覚だったんだろうな。


管理人様、HPを続けていく事は、大変なご苦労があるかと思いますが
真実を知る事、そしてそれを伝えていく事は、とても意味あることだと思います。
頑張って下さい。

85.お願いします 投稿者:窪田やよい  投稿日:12月06日(月)21時51分54秒

ゆかさん ご訪問ありがとうございます
こんなページをupしながら、実は私はビルマのことも戦争のこともくわしくありません。
ですから、よく知っている皆々様、どうかどしどし書き込んで、有益な情報を教えてください。
お願いします。

84.ナマタメ様の消息の件 投稿者:謙東弥  投稿日:12月04日(土)10時31分14秒

ゆか様

ナマタメ様の件ですが、どの部隊に属しておられたか、また戦死地が判明していれば探しようがありますが・・・。
ラングーン、メイッティーラ、マンダレー近郊のザガイン・ヒル(丘)には日本兵士全体の慰霊碑があるので、
判明しなければ、それらの碑にお参りするしかないでしょう。
また、アラカン山系、シャン高原の奥地、ビルマ北部などは入域禁止ですので、行くことはできません。
許可を得るには日数がかかり、ビルマ軍兵士の護衛がつきます。
判明しても、必ずしも慰霊碑が存在するとは限りません。白骨街道と呼ばれた幹線道路のあちこちに死体があったそうで、55年も
経れば現地ビルマ人や生還者の記憶も曖昧です。またサルウィン河やイラワジ河の激流に流された人々も大勢います。
ナマタメ様の戦友に当時のお話を窺えば、どこを通り、どこで駐屯したかなど、何か判るかもしれませんね。
属していた部隊が判れば、文献などで探してみますが・・・
また、他のサイトにも呼びかけてみますので、もう少し情報をください。

http://member.nifty.ne.jp/biruma/


83.始めまして。 投稿者:ゆか  投稿日:12月03日(金)00時37分49秒

はじめまして。
私は東京在住のOLです。私もビルマ戦線に関するHPを探していてここにたどり着きました。
こんなに詳細に悲惨な戦争のお話を読ませていただいて何とも胸が痛みます。
私の祖父の弟はビルマで病気になって、そのまま戦火の下に置き去りにされました。
じつは、彼の血縁者で一人も慰霊にビルマ訪れたものがいませんので、私がこの年末に行こうと
思っております。祖父は今年88歳。ですので生きてるうちに慰霊碑だけでも写真にとって
きてあげたいんです。遺族には、お骨のかわりにビルマの石が送られてきたそうです。実際に
自分の弟が眠っている場所の写真だけでも見せてあげたいので。祖父の弟はナマタメ ヒロシという名前で
茨城県の日立市出身ということぐらいしか解っていませんが。なんとか時間のある限り
情報を探しています。


82.つけたし 投稿者:通りすがり  投稿日:11月18日(木)17時45分26秒

名古屋の連隊だそうだから、名古屋の自衛隊の資料室に何か残っているかもしれない。

81.Re:協力お願いします(おかしいな) 投稿者:通りすがり  投稿日:11月18日(木)17時43分57秒

>(海軍に所属していたので)
>父親は『43師団 誉11941部隊』に属していたという所までは突き止める事ができました。

歩兵弟百三十五連隊 43師団 誉は陸軍の部隊の事じゃないかな。

当時の将校の生き残り(サイパン戦時には士官学校にいっていたため不参加)の人
http://www.marubun.co.jp/plaza/bnfiles/interview_html/interview_39.html
と
43師団の兵士(この人も43師団とは別の場所で戦死)の遺族の人
http://www.imart.or.jp/~norio/senchi.htm

に聞いてみれば何かわかるかも。幸運を祈ります

80.遅くなりました 投稿者:窪田やよい  投稿日:11月17日(水)11時04分45秒

ご無沙汰してしまい書込みが今頃になってしまいました。
ちはさん、何もお役に立てなくてごめんなさい。松下さんの紹介してくださったサイトは
いかがでしたか。
英さん、喜多村さんもご訪問、書込みありがとうございます
これからもよろしくお願い致します。

79.ビルマ戦線記録映画の上映 投稿者:喜多村  投稿日:11月06日(土)01時50分04秒

4年前に初めてミャンマーを訪れて以来すっかり魅了され、かの地へ度々出向いています。
今回、「第2回ミャンマーフェスティバル」というイベントを企画し、そこでビルマ戦線の秘話「南機関」に
ついてのドキュメンタリー映画を上映します。製作者の中村さんは、かなり綿密に現地で取材を行い、
その工作員と結婚したビルマ人妻についての隠された歴史を掘り起こしています。
ぜひ皆さんに見てもらいたいと思います。
詳しくは、「ビルマの手紙」というサイトで紹介されていますので、ご覧ください。
チラシをご希望の方は、次のところへメールをお願いします。
bagan@m1.interq.or.jp

78.雑感 投稿者:  投稿日:11月05日(金)23時06分12秒

私が子供の頃に聞いた大東亜戦争の素朴な体験記を思いだしました。昔はこういった話をしてくれる方がそういえば
まわりにいました。虚飾・脚色の有無は私には分かりません。戦後の価値観の変化の中で当時お考えになっていた事
とあるいは食い違いもあるかもしれません。でも私たちはこのような話の中から感じることを自分なりに感じて後世に
伝えることになるのでしょう。

77.防衛研究所図書館 投稿者:松下  投稿日:11月02日(火)16時59分31秒

よくテレビの教養番組に出てくる防衛庁の戦史研究機関のようです。どう役立つか分かりかねるの
ですが。
http://www.jda.go.jp/j/info/dsl/index.html

昭和19年6月のマリアナ沖海戦であれば主に航空機による決戦で日本側は2日間で439機中370〜380機の航空機を失った。
元航空隊員の手記によると、船舶の損失は空母3隻と油槽船2隻の沈没、損傷が空母4隻・戦艦1隻・
重巡1隻。
ただ戦いの前後にしてどれだけの船舶が撃沈されたか数え切れないと思います。上記は米軍航空機
による撃沈であり、潜水艦等によって撃沈された船舶は他にたくさんあるかと思います。

戦史を海軍航空隊から見つめている者です。

76.協力お願いします。 投稿者:ちは  投稿日:11月02日(火)11時26分42秒

はじめまして。
私は今、戦争に関するHPをいろいろ捜しています。
私の父は、父親を『マリアナ沖海戦』で亡くしております。
ひょんな事から、父親が亡くなったサイパンに供養に行こうという話になりました。
出来れば父親が亡くなった海の上から(海軍に所属していたので)手を合わせたい…と思っています。
しかし、その場所を特定するのは、困難な状況です。
戦争について調べたり、役場や大阪府庁で残っている書類から探ったりしていますが
年月が経っているので、情報も手に入れる事ができておりません。
娘の私もインターネットを使って、情報を集めて手伝っています。
検索の時に本に載っていた『インパール作戦』を入力した結果このHPへ辿りつきました。
ビルマということで、繋がりはないようですが、同じように戦争を体験した方のお話は
興味深かったです。父は、全然父親との思い出がありません。
サイパンに供養に行く事は、唯一の思い出になると思っています。
父親は『43師団 誉11941部隊』に属していたという所までは突き止める事ができました。
この部隊が、どういう経路で戦い、どの舟に乗っていたか…
それが分かれば、船が撃沈された場所が特定できます。
『43師団 誉』について何か御存知な方はおられないでしょうか?
両親と同じように、実際にサイパンに供養に行かれた方や、戦争遺族の会のような団体を
知っておられる方、また戦争や海軍についての知識をお持ちの方お力をかして頂けませんか?
少しの情報でも構わないので、よろしくお願いします。

75.読んでください 投稿者:窪田やよい  投稿日:10月30日(土)23時19分51秒

かおりんさん hpご訪問ありがとうございます。
ご兄弟3人が同じ戦地に赴かれたとは驚きです。
「おじいさま」ということは家庭があっての出兵だったのですね。
ご本人の無念さ、ご家族の悲しみは幾許のものか、お察し申し上げます。
ぜひこの体験記を読んでいただきたいと思います。
なにかの参考となれば幸いです。
そして、感想なりご意見なりまた書き込んでいただけたらうれしいです。
お待ちしております。

74.はじめまして 投稿者:かおりん  投稿日:10月28日(木)22時28分47秒

はじめまして、こんにちは。
私の祖父は兄弟3人で戦地ビルマに行き、祖父だけ戦死したそうです。
最近戦争に関する本を読み、祖父が戦死したビルマでの戦争とは
どんなものだったのだろう?と思い「ビルマ」で検索したらこのサイト
を見つけました。
今まで「ビルマの竪琴」すらこわくて(日本人兵士が戦死するシーンを
見たくなかったのです)見られなかったので、最後まで読めるか分かり
ませんがこれから戦争体験記読ませていただきます。
それでは、また伺わせていただきます。

73.現代社会への異議申立て 投稿者:窪田やよい  投稿日:10月27日(水)10時25分12秒

南十字星さん  hpご訪問&コメントありがとうございます。
父は今の社会風潮に異議を申し立てたい気持ちがとても強いのですが
それにはまず、自分の戦争体験を明らかにし、それを前提として意見を述べよう
というわけで、このhpをたちあげました。
かなり押さえた記述にしたつもりですが、戦争肯定(というより必要であった)の気持ちは
感じとれますね。
現代社会への異議申立ては、家族の反対もありまして、自粛しております。
今後ともよろしくお願いいたします。

72.感慨新たなり 投稿者:南十字星  投稿日:10月27日(水)02時31分08秒

 感銘致しました
 此処二十年ほどでせうか、我國が不義の戦をしたと言ふ若者が増えて來ました 
  占領・洗脳教育の浸透と情けなく思ひます
 小生もビルマを含む亜細亜へ、屡々行きますので、現地の人々が大東亜戦争を肯定し、
  大日本帝國に感謝してゐるてふ事情は熟知して居ります
 今後とも歴史の眞實をお傳へ下さいますやう
 祈御健康
 念御健筆

71.変わったものと変わらぬもの 投稿者:窪田やよい  投稿日:10月23日(土)21時22分44秒

父の若い頃と現在を比べてみると
もちろん、父の若い頃を実際に知っているわけではありませんが
肉体的精神的な強さ、意志の強さ、決断力など
基本的な部分は変わっていないと思います。
戦争で変わったものは何でしょう。
少なくなりつつある戦前戦中派の人々は基本的な部分では変わっていないのかも。
社会の仕組みや風潮が変わったということでしょうか。
社会の様々な局面で行き詰まった観のある現在
立ち止まってよーくよーく考えて整理整頓するべきだと思います。
たくさんありすぎて呆然としてしまいますが。

70.(無題) 投稿者:松下  投稿日:10月22日(金)23時43分58秒

私は戦争体験のお話がとてつもない価値を持っていると思っています。一歩間違えただけでその記
録そのものが残らないわけですよね。

>戦争の前と後では日本人の有り様がぷっつりと途切れてしまったみたいな感じです。

戦争前後の自らの姿勢を一貫して維持しているかのように見えるある2枚の写真が私の心を打ちま
した。

元零戦搭乗員の方で一枚はしかめっ面した飛行帽かぶった白黒写真、もう1枚はご当人の50年後
保育園の園長で多くの園児に囲まれて笑っている姿。

69.とてもうれしいです 投稿者:窪田やよい  投稿日:10月20日(水)22時12分28秒

鈴木さん hpへのご訪問&コメントありがとうございます。
父は戦争に参加した何万という日本兵の中の一人に過ぎず
しかも最年少の立場でしたので、作戦面のことや正確な事実関係など
はっきりとわかるわけではありませんが、従軍者として実際に体験した
事柄を徒然にまとめてみました。
公開以来たくさんの方々に見て頂き、またコメントを頂きとてもうれしく思います。
この体験記が戦争について考えるきっかけになったなら、更にうれしいです。
今後ともよろしくお願い致します。

68.大変勉強になりました 投稿者:鈴木  投稿日:10月18日(月)22時34分50秒

このホームページを、大変興味深く拝見させてもらいました。
私の祖父は、旧関東軍の将校でした。私が生まれる前に、
病死しました。父に断片的には、祖父がどのような軍隊生活
をしてきたかを教えてもらいましたが、それだけでは足りない
と思い、現在、日中戦争、太平洋戦争等を勉強中です。
といっても、もう学生でもなく、仕事に追われる毎日で、
なかなかはかどりません。こちらのHPの体験談は、とても
心に染みました。私は、戦争を肯定はしませんが、日本人
の誇りを胸に戦い、異国の地で亡くなった多くの兵士の
ことを思うと、むやみに反対、とは言えません。学校教育
に関して言えば、なぜ、あの大国アメリカに宣戦布告しな
ければならなかったのか、なぜ途中で敗戦濃厚となった折りに、
停戦を申し入れなかったのか、ただ悲惨な傷跡だけを見せつける
のではなく、こういう根本的な事柄をもっと取り上げるべきだと
思います。話が、バラバラになってしまいましたが、これからも
勉強させてもらいます。

67.たいへん失礼しました 投稿者:謙東弥  投稿日:10月18日(月)14時33分15秒

勝手なことばかり書き込んで申し訳ありません。
ビルマに関して、深く広く皆様に知っていただきたいという一念です。
以後、気をつけます。

66.思うこと・・色々 投稿者:窪田 幸唯  投稿日:10月14日(木)21時21分52秒

このページが試行錯誤を繰り返しながらも半年を経過しています
作者として一番の励みはこうやって掲示板に色んな考えを書いてくれることです
思想信条、立場と経験で自ずから書く内容も様々です
このページの感想を書いていただけることは実に結構ですが、自己表現とか宣伝の場に使う事はご配慮下さいませ・・・・
拒否する考えはありませんが、当ページの匂いはできればキープしたいと思います
私自身は父の経験を一人でも多くの皆様に知っていただきたいと願っています
少なくも、ご自分のページを持っている以上、ご自分のページでの見解の展開を、期待したいと思います
御理解のほどをよろしくお願い致します>謙東弥 さま

65.ビルマ戦線記録映画のご案内 投稿者:謙東弥  投稿日:10月11日(月)18時45分34秒

10月17日〜24日 新宿パークタワー1階ギャラリー
「パゴダの国ミャンマー子供絵画展」開催

11月21日 日曜 東京杉並区立公会堂 
「第2回ミャンマーフェスティバル」開催
 ◎ミンガラードー舞踊団公演
 ◎「今も夢に見ます−残された者たち」を上映 
  南機関の日本人と結婚したビルマ女性の足跡をたどるドキュメント
 ◎写真展と民芸品の展示
 ◎民族衣装の着付けと写真撮影

詳細は「ビルマへの手紙」ホームページ  下記アドレスへ

http://member.nifty.ne.jp/biruma/


64.興味関心を持つべきですよね 投稿者:窪田やよい  投稿日:10月07日(木)13時52分43秒

松下さん  hpご訪問&コメントありがとうございます。
>戦記を読むことが「戦争好き」であるとの外見的な認識が一般に浸透しています
そうとは思いません。
興味関心があるということで、知識を得ることは大切なことですよね。
日本人は戦争関係の事柄からなるべく避けようという姿勢ですが、
世界大戦が日本が世界と関わった初めての出来事だったのだから、その辺の事情をはっきりさせないと
世界の中での日本の位置づけも、個々人のアイデンティティも確立できないように思います。
戦争の前と後では日本人の有り様がぷっつりと途切れてしまったみたいな感じです。
善し悪しの問題でなく、事実を知る機会がもっとあってほしいものです。

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