2、サイゴン〜プノンペン〜バンコク〜ラングーン

   当時のベトナム首都サイゴンからは小型船に乗り換え、メコン河を遡行してカンボジア首都プノンペンへと向かった。
   その遡行途中での出来事。
メコン河の岸辺にはバナナ林が広がっていた。たわわに実ったバナナを目の前にして食べたくなるのは道理である。同年兵の願いを受けて、私はフンドシ一つで河に飛び込み岸に泳ぎ着いた。バナナ園に入って行くと一軒の小さな家があり、内には年若き娘が一人でいたので、私は身振り手振りでバナナがほしいと訴えた。なんとか意志が通じて、娘は長いナタを貸してくれ切って持っていけと承諾してくれた。
バナナの幹は根元では直径30cmくらいあり、それをナタで切り倒すにはとても手間がかかったが、10房以上も付いた立派な枝を手に入れることができた。
   意気揚々とバナナを肩に担いで先に行ってしまった舟を追いかけていると、前方から現地駐屯部隊の将校がやって来た。彼は私に問いただしこう言われた。「お前たち通過部隊の者がこういうことをしたのでは、我々の地域への信頼が無くなるではないか。バナナを返してこい。」私は我ながら軽率な行動を恥じ、謝罪してバナナをその場に残して舟に戻って行った。


    プノンペンからは陸路にて進んで行く。
鉄道でタイに入り、さらに泰緬鉄道(泰:タイの意。緬:ビルマの意。タイ〜ビルマ間の鉄道。たいめんてつどう)にてビルマに入って行った。
タイ・ビルマ国境地帯は密林に覆われた険しい山間地帯である。当時マレー半島にて日本軍との戦いに敗れたイギリス軍がビルマへと逃げ込んでいたのだが、この険しい山を見て、日本軍がビルマに攻めてくるには5年はかかるだろうと思っていたようだ。ところが、日本の鉄道二個連隊は驚異的なスピードでこの泰麺鉄道を施工し、英軍がビルマ入りしてから僅か一年ほどで、日本軍もビルマ入りを果たしたのである。
   それは100〜150mもの深い谷間をぬい、丸太を組んで作った木橋線路であった。映画「戦場に架ける橋」のあの「橋」である。我々は完成間もない泰麺鉄道で険しい山中を揺れながらビルマへと進んで行った。無蓋車で、さらに燃料は石炭ではなく太い薪を釜に焚いていたので、大きな火の粉が全身に降りかかり、衣服を焼かないようにと苦労した。
   こうして私たちはビルマの都市ラングーンへ到着した。
昭和19年3月よりインパール作戦は開始され、インド・ビルマ国境にて英軍との激戦が展開されていた。私たちは、その作戦の補充要員として派兵されたのである。


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