過去の掲示板(その3)


「インパール作戦・父が語る戦争体験記」への感想を多くの皆さんに書いていただいています。今までの掲示板への書きこみ内容をまとめてみました。上から順に新しい書きこみとなっています。
なお、改行位置などは一部編集してありますのでご了解下さい

平成11年3月の掲示板開設以来のもの(No1〜63まで)は「過去の掲示板その1」をご覧ください。
No64〜99までは「過去の掲示板その2」をご覧下さい

ホームページ編集責任  窪田 幸唯 mailto:kubota@mxa.cosmo.ne.jp

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172.父の書いた本を読んで下さい 投稿者:浜本史明  投稿日:02月25日(金)02時25分13秒

 始めまして。ビルマを検索していてこのサイトを見つけることができました。投稿を読んでいて、
こんなに若い人たちが日本の行った戦争に関して、知ろうとしているのに驚いています。
 さて、私の父は現在87歳ですが、戦闘を含めビルマに約3年間いました。その間の回想録を、
この度、出版することになりました。手が震えるため、5年位かかりワープロで書いた原稿を、
1年位で校正し何とか出版できました。
 
 『さらばビルマ』 浜本猪勇夫 著  発行 日本図書刊行会 発売 近代文芸社
                                  1900円
 
 軍医としてビルマに召集され、そして抑留、日本への帰還までの悲惨な3年間が、笑いと、
涙と、悲しみの詩で綴られています。
 父は、耳も遠くなり、手足も不自由ですが、何とか元気で暮らしております。この本を
できるだけ多くの方に読んでいただき、”2度と戦争は繰り返してはいけない”ということを
考えて欲しいと、常に言っています。ぜひ読んで感想を聞かしてやって下さい。
 もう、戦争経験者のかたも少なくなりました。そしてその方々から直接話を聞かされた、
私達、戦争を知らない子供達も、壮年になってきました。これからの日本、そして、
平和憲法はどうなっていくのでしょうか?

171.基礎教養 投稿者:窪田やよい  投稿日:02月24日(木)23時43分20秒

繰り返しになりますが
無闇に戦いを始めるわけではなく、戦うにはそれなりの大義名分があり、
相手にしてみれば極悪人であっても、一方では英雄であったりして
なかなか一つの答えは出てこないですね。
戦争はなにがなんでも悪である、というのではなく
戦争に至らざるを得なかったプロセスを把握したうえで理解していきたいです。
それどころか
前大戦で日本がどこの国を相手に、どこで戦ったのかさえ知らない人(いわゆる大人でも)が
たくさんいる。これはまずい。
実は私も似たようなものでした。
せめて出来事くらいは日本人の基礎教養として頭に入れたうえで
日々の生活をしていかなくてはいけないと思います。

170.大衆消費が・・・ 投稿者:K.K  投稿日:02月23日(水)16時13分16秒

 なるほど興味深い話しです。
 確かに「持っていない者」が「持っている者」に戦いを
挑んだのが前大戦の構図でしたね。
 小さい規模では村に食べ物が無いから、食べ物のある
隣村を襲撃したのが今も昔も戦争の構図なんでしょうね。
 名誉や尊厳以外の切実な原因なんでしょうね。
 以前大学にいた時に 
「戦争を始めようとするやつは極悪人だから殺してしまえ」
 と言う発言を聞きましたが、アフリカなどで飢えた家族を救うために
 ゲリラになる「お父さん」は極悪人なんでしょうか?

 また、そんな事実を知りながら何にもしない僕は悪人ではないので
しょうか?(あの発言をした彼も僕と同類だと思いますが)

169.黄金のM型アーチ理論 投稿者:窪田やよい  投稿日:02月23日(水)11時20分12秒

松下さん ろうにんさん ありがとうございます。
そもそも国旗国歌がタブーであること自体おかしいですね。
アメリカのような姿が国家としては理想だと思います。
「日の丸君が代」が戦争の影をひきずらずにいられないものでしょうか。
オリンピックの時に日の丸が掲揚され、君が代が演奏されると感動する、あの自然の感情で
いいんじゃないでしょうか。

新聞の記事で、マクドナルドが展開されている国では戦争がない、というのを見ました。
大衆消費が見込まれる程の経済力がついた国の国民は、戦争をしたがらないと。
なるほど、と思いました。

168.ビルマ戦線わが町は・・・。 投稿者:ろうにん  投稿日:02月22日(火)00時46分54秒

御無沙汰しております。
先日、ビルマ戦線の生存者と話をする機会がありました。
わが町から約70名ほどの若者がビルマ戦線に行ったそうです。
結局、生還できたのはたった3名。
そのうちの一人はすでに死亡。また一人は寝たきり老人。
ビルマ戦線の生存者で、健丈な方はたった一人になってしまいました。
その方を団長にして、ビルマ(ミャンマー)友好団を結成してはいかがか?
という提案をしましたが、その方は『もう飛行機には乗れない』と言うことで
話は流れてしまいました。
戦争の傷後は確実に風化していますね。
アラカン山中には、いまだに収容されないまま、
朽ち果てている遺骨が数多く残っていると聞きます。
そう言う意味で窪田さんのHPは貴重です。これからも頑張ってください。

ちなみに私は日の丸君が代は肯定してます。
国旗、国歌を公然と否定している国民がいるという国家は、
私の知る限り日本だけです。(単一民族国家)
人間の寄る辺は個人が最小単位であり、次に家族、一族、
集落、村、町、そして国家がありますね。国家が最大単位でしょう。
同一の文化、言語、宗教を共有する最大単位が国家だと思います。
そのシンボルを否定するのは、どうかな?って思います。
民族の意識変換には30年くらいかかるそうです。
戦後50年以上経過してますから、日本人の意識が完全に変換されてます。
ねじれた意識変換が強制的に行なわれた結果、現在の教育問題や、
家族の介護問題など噴出してきているような気がします。
どうも、うまく言えない。
ごめんなさい。まとまらないまま書き逃げです。m(_._)m

167.「日の丸・君が代」 投稿者:松下  投稿日:02月21日(月)18時26分55秒

私は高校の4年間をかつての敵国アメリカで過ごしました。
毎朝授業始まる前に胸に手を当てて星条旗の掲揚をし、これを学校に行く限りずっと続けていました。
またある球技をやっていたのですが、専攻・後攻を決める儀式の前にバンドがアメリカ国歌を演奏し、
皆で歌う。

日の丸・君が代を考える時に上記のようなアメリカでの習慣をそのまま日本で「日の丸掲揚」と
「国歌を歌う」に置き換えたら
どうなるのだろうと考えた時に複雑な念を覚えずにはいられません。このアメリカでのナショナリズムを
日本のナショナリズムに置き換えたら周囲は「戦前の産物」ということで白目で見るのではないかと。
飛行機で十数時間のところで歴然と行われていることが日本では全く異なる主観で見られるのはなんとも。

ただ国旗については掲揚する権利とかつて沖縄の国体会場であったように燃やす権利と、両方存在して
しかるべきだと思います。問題はナショナリズム・反ナショナリズムの議論に関してあまりにも無関心な
ご時世にあると考えています。「すべき・すべきではない」のような押し付けではなく、どちらかを選ぶ
権利を尊重することが必要ではないかと思います。星条旗にしてもアメリカ原住民の方々(インディアン)
にしてみれば祖先を苦しめた象徴であり、必ずしも好意をもっているとは思えません。しかしこれが
国家反逆罪にはなりません。

「日の丸・君が代」問題は私にしてみれば非常に複雑で一部煩わしくて理解できないところがあります。
沖縄で国旗を燃やした行為が批判の的となった一方で迎賓館の前を通過した「日の丸」をボディに
貼り付けた車が検問に呼止められるのを目の当たりにしたことがあります
(警官たちと運転手がいざこざ起こしていました)。実質何が正しいか、政府に代表される国家機関も
実はわかっていないような気がしてなりません。

166.再度タブー 投稿者:窪田やよい  投稿日:02月21日(月)09時33分42秒

K.Kさん 松下さん ありがとうございます
戦争に関しては、事実がはっきりわからないだけに思想的な分野になってしまいますね。
無関心ではいけないし、かといって一方に凝り固まってしまうのもいけないし、
中立な立場でいろいろな立場の人の意見を受け入れたいと思います。
この掲示板で皆様の冷静なご意見を様々聞いて、新たな発見を多々することができました。
ありがたく思います。
敢えてまたタブーの問題ですが
「日の丸・君が代」はどうお考えですか。
純粋に一市民的な疑問です。
日常では口にしないことなので、敢えてお聞きしたいです。
国旗国歌を快く思わない国民がいるという事実は確かで、それはとても不幸なことだと思います。
私の現在の考えは肯定的です。

165.立場 投稿者:松下  投稿日:02月21日(月)02時26分54秒

戦争の議論になると中々中立な立場でもって物を語るのは難しいです。
中立に立てば無難な意見でもってすり抜けられるかもしれませんが。
あるテレビ番組で特攻隊を生き残られた方と中国人留学生がはちあわせになり、
その元隊員の方が「残念ながら日本は負けた」と言ったことに対して
「何故残念なんですか!」と留学生の方がつっかかっていました。
実体験をされた方にしてみれば「負け」は「滅亡」を意味するほどの重度な
ものであり、「残念」という言葉はごく自然であると思うのですが現在これを
言うこと自体がタブーになっていることを改めて知らされました。
戦国や江戸時代の歴史でも「作られた」史実が伝えられていることが度々あり、皆やむを得ずそれを
受け入れているところありますが、せめてあの戦争だけはタブーに隠されない真実でもって伝えられる
ことを望むばかりです。

164.拒否反応的なタブー 投稿者:K.K  投稿日:02月19日(土)05時23分40秒

 お久しぶりです「南京大虐殺」の話しである事を思い出したので
書かせていただきます。
 僕の知っている兵器・軍装品研究をしているHPで以前あった
事なのですが、「南京大虐殺」ついて掲示板で論争になった事が
ありました。
 主催者は発言を避けていた様ですが、論争はいつしか低俗な
水掛け論になり、結果は罵詈雑言の展覧会の様相となっていました。
 最後には合成写真まで自作して主催者への個人攻撃となり、とうとう
掲示板を閉鎖に追い込んでしまいました。
「信憑性の低い資料まで持ち出して、虐殺の事実を隠すとは同じ日本人として
 恥ずかしい! 死んでわびろ!」
「そちらこそ、不勉強極まりない、その証拠写真はみな夏服だ! 事件は冬だろう
証拠にならない! もっと勉強しろ馬鹿!!」
 まあ、こんな事が書いていたと思います。(本当はもっと汚いのもありましたが
ここでは避けさせて下さい)
 「南京大虐殺」の問題はさておいてもこのやり取りに、僕はなんだか悲しくなって
しまいました。
 もちろん、中にはきちんと論議になっている人達もおりますが、このようなセリフも
けっこう見かけます。(掲示板荒しと称される人達もいますから、その類も居ると思いますが)
 漠然と感じたのは「事実を隠そうとしている不届き物をこらしめる」「屁理屈をならべて
の弁解は被害者の人達にあまりに失礼」
 または「感情に流された無知な輩に真実を教えてやる」「意外性のある方の真実の探求」

 また僕の独り善がりかも知れませんが、僕はこんな事を感じました。
 なお、上記のHP以外でもプラモデルやゲーム関連でも同じような話しを目にします。
大概は一人演説で終わっている様ですが。

 

163.肯定的です 投稿者:窪田やよい  投稿日:02月17日(木)09時37分33秒

孫さん ありがとうございます
私達戦後の人間は、体験者の話を聞き、戦争とはどんなものか類推するしかありません。
父の体験談が少しでもお役に立てれば、幸いです。
私の父は、戦場での体験も詳細に話してくれました。(と思います)
きっと戦争に対して肯定的な考えがあるからだと思います。
「南京大虐殺」については、そんなことは絶対に有り得ない、という考えです。
戦争体験者にはこういう考えの人が多いように思いますが、どうでしょう。

なお、戦場でのさらにくわしい記録が関口さんのhpにありますので
そちらも是非ご覧になってください。
http://member.nifty.ne.jp/orion-s/


162.Re.聞くことができない話
 投稿者:謙東弥  投稿日:02月16日(水)11時39分29秒

本日朝のNHKテレビニュースで、ビルマから戦没者の遺骨三柱が返還された
と報道されていました。55年を経ても、未だ遺骨収集は続いているのですね。
僕が歩いてきた灼熱の大地の片隅で、木陰や水辺において、たくさんの日本兵が
埋もれたままになっているのかと思うと、「ビルマの竪琴」の「水島、日本へ
一緒に帰ろう」の一節が脳裡に浮かんできます。

僕も父からは戦争の話をひとつも聞いていません。それを、モールメンのパゴダ
で行き会った、戦争当時を知るビルマの老人に告げると、
「あなたのお父さんは平和を愛する人だったのですね。だから戦争の話をしたくなかった
のでしょう。皆が平和を愛する人だったなら、日本とイギリスがビルマで戦うことも
なかったでしょうにね・・・」
と言われました。

いつまでも忘れることのできない、この胸に突き刺さる言葉です。

http://member.nifty.ne.jp/biruma/


161.聞くことができない話 投稿者:  投稿日:02月16日(水)03時16分52秒

はじめまして。私は24歳の学生で、小さい頃から戦記に興味を持ち、たまたまこのページを
見つけました。たいへん詳細でわかりやすい戦記を読ませて頂き、ありがとうございます。
私の祖父も工兵としてラバウルに出征しておりました。祖父は私が戦争に興味を持つことを
喜び、いろいろと話をしてくれるのですが、なぜか、軍隊生活の話は決まって入隊から
ラバウル到着まで終わってしまい、その後の現地での話はしてくれないのです。
訓練の話や、上官や戦友の話も興味はあるのですが、もっとも聞いてみたいのは戦場での
祖父の体験なのです。ですが、祖父がその話を避けていることから察するに、口外できないような
異常な体験をしてきたのではないか…そう思うと、それ以上は聞けないのです。
戦争・戦場というのが常人の理解を超えた全くの異世界であるということを、祖父は知っているの
でしょう。祖父を見るたびに、平和の尊さを痛感します。

160.御無沙汰でした 投稿者:窪田やよい  投稿日:02月08日(火)11時29分11秒

南十字星さん ありがとうございます
皆様方 本当に博識で、考え方もしっかりしていらっしゃるので
すごいなあと 感心することしきり。とても勉強になります。

それなのに世間では不可解な事件が多く、悲しい気持ちです。
国会の諸先生方といったら、いったい何をやっているんだか・・・。
でも嘆いているだけではどうにもならない。
誰かが世の中を良くしてくれる、なんて思わない方がいいですね。
自分の生活は自分が作っていく心掛けで、
発言すべきことは発言し、行動すべきことは行動し、大切なものを
見失わないようにしていれば、身の回りから幸せが広がっていくんじゃないでしょうか。

159.感慨再た新たなり 投稿者:南十字星  投稿日:02月08日(火)00時53分11秒

 時折拝見して居ります
 御歴々の御高説に接する度に心安らぎ、清々しき思ひが致します
 貴サイトに益々の御發発展あれかし!

158.援助の実状 投稿者:窪田幸唯  投稿日:01月29日(土)22時18分42秒

この所寒い日が続いていますネ
戦後補償の問題は、サンフランシスコ講和条約後独立した国々とは個別に
平和条約を締結し、戦後補償をしています
ODAの問題では、我が国と同様ヨーロッパ諸国でも、現地の実状にあっていない援助であるという
話題を関係者から耳にしたことがあります
現地のニーズとwantsのミスマッチですね
公的機関がやればやるほど、ミスマッチは増えると思います
生臭い話しになれば、投資は効果が求められています
人道上のものを除けば、戦略的な投資があっても許されるのが実状ではないでしょうか
諸外国が、首脳みずからトップセールスをかけるが常識です
某米国もそうですね
立場の弱いものから金や価値を吸い取りのが強者の理屈でしょう
さて、本HPのリンクも張ってありますが、ビルマの戦争体験談としては
http://member.nifty.ne.jp/orion-s/
が我ページより実に生々しいものがあります。まだご覧になっていない方は是非どうぞ
当事のビルマの方々とのやりとりも含め、私たちの卓上の論議とは別の視点です

157.ビルマへの戦後賠償 投稿者:謙東弥  投稿日:01月27日(木)06時33分01秒

ビルマへの戦後賠償に関しては、1955年4月の協定で、
◎2000万$・当時の72億円相当の役務と生産物
◎500万$・当時の18億円相当の経済協力
となりました。
その一端として「トングー・ロード(ビルマ賠償工事の5年間)」岩波新書刊
にもあるように、道路や電力(ローピタ発電所)など様々な戦後賠償が行われました。
また、ビルマに続いてインドネシアのスカルノ政権時代にも賠償が行われましたが、
その一部が不正蓄財に回ったと噂されています。
現在のODAに関しては、戦後賠償とは全く関係のないものと思います。
ビルマでは1988年の軍事政権誕生以来、日本のODAは停止されていましたが、
昨年からまた、部分的に、人道的援助、またミンガラドン国際空港整備、などなど
再開されつつあります。余談ですが空港の管制塔建設に、日本の大成建設があたっていますが、
諸外国へのODAというのは、結局のところ、日本国民の税金を使って、日本企業を潤す、
という構図のように思えてなりません。海外援助という大義名分より、実質的には税金が
日本企業援助に回されている、と言っても過言ではないかもしれません。
また、ビルマ進出企業には3割のリベートを軍事政権に支払う、と噂されています。
これらODAに、そのような賄賂部分も含めて我々の税金が使われるなら、
たまったものではありません。
まぁ、ODAの在り方はまた別問題として・・・

<<アメリカ軍の思いやり予算も、賠償金代わりなんだぞ・・・
という考え方はアメリカにはないと思います。周辺有事のための安保条約であり、
これはアメリカの国益からみて重要と考えるから、日本全土に基地を置き軍事拠点とし、
その必要性から、仕方なく大金を出しているのでしょう。
そもそも原爆投下は戦争終結にとって不可欠、正しい選択であったという考え方ですから、
アメリカが日本に対して「賠償する」という考え方は、ひとかけらも無いと思います。
アメリカの日本に対する考え方の原点は「リメンバー・パールハーバー」です。

http://member.nifty.ne.jp/biruma/




156.マッカーサーの率直な思いetc
 投稿者:果心居士  投稿日:01月25日(火)19時35分00秒

マッカーサー元帥が朝鮮戦争に直面し作戦指導をとったとき、日本の大陸進出は防衛戦争だったと
発言しているそうですが。
北朝鮮軍が南下作戦を開始し、一時は釜山以外の全域がその占領下に入り、次は日本への攻撃か?
という事態に直面したとき、マッカーサー元帥は日本側から見て大陸・半島方面からの軍事力というものが
いかに脅威かを身に沁みて実感したのでしょう。
明治維新後のいまだ欧米列強の帝国主義盛んな時代、日清日露と戦い、韓国を併合して満州に進出し、
シベリア出兵であわよくば東シベリアを影響下に置こうとした日本。
これは自国防衛のためヒステリックに周辺部併合を企図した帝政ロシア・ソ連の姿と共通しています。
それによって力の弱い国家や国民が犠牲になっても良いと言うつもりではありませんが、当時の日本に
危機感がなければ、ロシアが同じことを行い、場合によっては日本本土が蹂躙される可能性があった
ことは否定できないと思います。
そしてそれを先んじて防ぐという行為は犯罪のようにいわれるべきものではないでしょう。
大東亜戦争は少し性格は異なると思いますけど。
話は変わりますが、ODAのような海外援助は、大東亜戦争の賠償金として支払われているように思
います。ODAすべてがそうだとは思いませんが。
第一次大戦後のドイツのように敗戦直後に多額の賠償金を払わせ、その結果ドイツ国民に遺恨を残した
失敗を踏まえ、日本・ドイツが経済的に立ち直ったときにあらためて支払わせる、あるいは分割して
支払わせるという計画を欧米各国が画策したのでは。
アメリカ軍の思いやり予算も、賠償金代わりなんだぞ、というアメリカの思いがあるからこそ削減
できないのでしょう。当然安保関係もありますが。
中国、東南アジア諸国も同じ思いでしょう。
すぐ賠償金を払わなくて済んだという利点の反面、一体いつまで支払い続ければよいのかという、
期限が見えないまま隠された賠償金を支払い続けなければならない私たち日本国民。
この問題も白日の下に出さなければ我々の戦後は未来永劫訪れることはないでしょう。
思いつくままに書き込みました、乱文で申し訳ありません。

155.国としての目標 投稿者:窪田やよい  投稿日:01月24日(月)21時52分45秒

>日本国民は結束力を失い、世の中の個人主義への移行に戸惑ったといいます。

今の日本がまさにそういう状況ですね。
歴史は繰り返すというけど、今の状況は過去にない(いつの時代もそうだったかも)
過去に学ぶべきところは学び、よく知恵を絞って打開策を模索していかなくては・・・。
国民が一丸となるのが必ずしも良しとは思えないし、
これだけ個人主義が蔓延していまえば、今更「一丸」は難しいでしょう。
でも、それぞれに日本人であるという意識、誇りは欲しい。
国としての具体的な目標は何か見つかるでしょうか。

154.目標転換 投稿者:SF  投稿日:01月24日(月)18時52分18秒

>ただ逆に日露戦争の過信が後の戦争の失敗につながったのでしょう。

そうですね、特に戦略上その過信が顕著に現れ、悲劇につながった
というケースをよく目にします。

さらに言えるのは、日本は日露戦争後の目標転換に失敗したといえます。
夏目漱石の「こころ」をお読みになった事ありますか?
日露戦争によって欧米に肩をならべる、という目標を達成してしまい、結束力を
失った国の雰囲気に失望した事が、青年の自殺の第一の原因だと言います。
好きな女性を奪われたのは、引き金に過ぎなかったらしいです。
国木田独歩も短編で同じ事を描いていたように、日本国民は結束力を失い、世の中の
個人主義への移行に戸惑ったといいます。
そのために太平洋アジア戦争を新たな目標と認識してしまい、失敗してしまったのでは
ないでしょうか。
というのが一つの推論であります。

153.逆に 投稿者:松下  投稿日:01月24日(月)10時00分26秒

ただ逆に日露戦争の過信が後の戦争の失敗につながったのでしょう。

22日にマッカーサー元帥の夫人が亡くなりました。
101歳でした。


152.捨てたもんじゃないのに・・・ 投稿者:窪田やよい  投稿日:01月22日(土)11時13分40秒

SFさん、秋山兄弟いいですねー!!
「坂の上の雲」だけで判断するわけではありませんが
明治の頃までは骨のある日本人ががんばっていたな、という印象です。
求める理想というものがあって、それに向おうとする強い意志と行動力があったんじゃあないでしょうか。
現在の日本を動かす政治家たちにはそういう理念はまったく感じられません。
日本をよくしようという気持ちがあるのか疑問にさえ思います。
私自身の周りを見渡せば、結構、魅力的な人たちがいますし、
世界に誇る日本の技術力を担う市井の人々や、
産業の中で戦略を練り、創意工夫し、目標に邁進する人々がたくさんいるわけです。
けっして捨てたもんじゃありません。
それなのに、政治家のなかにも魅力ある人もいるのでしょうが、
組織の中で潰されてしまうのか、どれもこれも似たり寄ったり、ちゃんと仕事しろ!と言いたくなります。
どうにかならないものでしょうか。

151.坂之上の雲 投稿者:SF  投稿日:01月20日(木)16時45分51秒

日露戦争の外交政策は確かに見事なものだったみたいですね。
司馬遼太郎氏の『坂之上の雲』には本当に感激しました。
自分の国にいまいち誇りを持てない日本人、或いは日本人である事が
嫌だと思っている人は是非司馬遼太郎を読んでほしいと思います。
日本人も捨てたもんじゃない、と思わざるを得ないでしょう。


150.外交 投稿者:松下  投稿日:01月20日(木)01時17分06秒

日本では外交や交渉の際、相手からYES、またはNOともYESとも取れないような答えを期待しなが
ら「NO」の一言で諦めをつけてしまうような印象を受けます。本来の外交は相手の「NO」の答えを
いかに「YES」に持ち込むかのことではないかと思います。日本が「外交音痴」の印象をもってい
る要因の1つに、目的もしくは最終的にのぞむべく結果が見えていない、もしくはさほど重要でな
いと思い込んでいるのではないかと思います。恐らく商業の上では商社マンが「会社の利益」とい
う目的を背負っているからこそ彼らは執拗な交渉を駆使して「NO」を「YES」にしていくと考える
のですが、日本の国家としての「目的」とは何があるのでしょう。これを欠いていると外交のよう
なガイドラインは成り立たないと思います。

日本も日露戦争の時には外交手腕を発揮したようです。ロシア帝国と戦争を開始したのと同時に
「早めに終わらせて講和に持ち込みたい」という目的があったために外交も現在の日本では考えら
れないほど強力だったみたいです。外交で彼らはロシア帝国と敵対するレーニンの共産党を支援し
てけん制させ、情報力でシベリア鉄道で運ばれるロシア軍の物資を調べ上げ、そして最終的にはア
メリカのセオドア・ルーズベルト大統領へ講和を依頼することに成功しました。

149.よくわかりません 投稿者:SF  投稿日:01月20日(木)00時50分42秒

>では歴史の本などから受ける日本の外交音痴的なイメージはなぜ受けるのでしょう?

確かにそれは言えています。
僕もはっきり分からないのですが、やはり日本が鎖国をしていた、という経歴を持つ国家
であることも、一つの遠い理由になってるのではないでしょうか?
もちろん、第2次大戦で日本が孤立した道を進んだ事も影響しているのでしょう。

外交が下手、というよりは閉鎖的である、という方が僕にはピンときます。
単一民族国家である事、島国である事が関係しているのですかね?
あまりにありきたりの答えで済みません。

148.外国に対するイメージ 投稿者:マレーの虎  投稿日:01月20日(木)00時14分36秒

外国に対する反感というものは旅行者や留学生といった
一時的に滞在する人々の態度が原因で醸成されるものではないと思います。
むしろ、移民の流入や国家間のいさかいに悪意ある宣伝が加わって
形成されるものだと思います。
たとえば、第一次世界大戦後のアメリカにおける反日感情も
日系人の流入とアメリカと日本の利害の対立といった条件なしには
発生しなかったでしょう。
やっかいなのは悪意ある宣伝というものが必ずしもだれかが
操作するのではなく、それ自身が感情を増幅し増大させることで
社会としての意志になってしまう点だと思います。

147.いいわけ 投稿者:窪田やよい  投稿日:01月19日(水)09時59分44秒

何事につけ、ひとことで断言するのはとても難しいことです。
それぞれのおっしゃることはそれぞれに「正論」だと思います。
主義主張がないと思われそうですが・・・。
私も言葉が足りないことを反省していますが
「無知」の項で述べたことは、日本人の欠けてる部分についてであり、
現在の全ての日本人が欠けているなんて断言したつもりはありません。
私は常々日本人は本来、優秀、温和であると思っています。
傲慢というよりお人好しすぎると思います。
よく海外旅行に出掛ける知人の言うには
日本人はマナーも良いし、友好的であるし、現地の人々から好意を寄せられるそうです。
これも、全部が全部とうわけではなく、傾向の話です。
しかし今の日本に問題点が多々あるのも事実ですから、
なんとかならないものかと焦燥感にかられますが
せいぜいこの場で意見を述べたり、聞いたりするくらいで
普段の生活はまったく次元の違うところで日々が過ぎています。
このような話題で友人と話をすることもほとんどありません。


146.世界中にある差別
 投稿者:謙東弥  投稿日:01月19日(水)07時50分42秒

<<<海外で生活している多くの日本人は・・・
自分の強い意志に基づいて留学や就職で海外へ出られる方々は、やはり
「何でも見てやろう」精神で活躍されているのだと思います。しかし概ね、
外国人と対等につきあわれ、積極的に行動しようという日本人は、一般的に
(僕が考えるには)いってまだまだ、まだまだ少数でしょう。
ちょっと話題は逸れますが、学校でのイジメ、これは今の日本の社会で蔓延
してますよね。皆が同じことをして、同じ考えをして、誰もが平均的な
学校生活を、無関心、悪く言えば波風立てないような毎日を送っています。
自己主張が強く平均像から逸脱する者、服が汚い、身体が臭い、顔がおかしい、
そんなつまらない理由で平均的学校生活から排除されてしまう者たちは大勢います。
そんな教育の現場からは、画一的な日本人しか育たないような気がします。
極論ですが、上記のような教育の在り方が、そもそも根本的な問題であると思います。
職場でもまた、自分の言いたいことが言えない、という日本社会の構造は、
何とかしてほしいものです。なあなあ、まあまあ、で済むのは便利ですが、
僕のようにはっきりものを言わないと、白黒はっきりさせないと気が済まない者
にとっては生き難い社会です。
<<<日本人特有の欠陥・・・
もちろん世界中で差別はありますね。アメリカの例もそうですし、日本でも古くから
朝鮮・中国人への差別があります。日本人が持つ差別感とアメリカ人の持つ差別感
とは、同じものでしょうか・・・分析すると頭が痛くなりそうです。
またまた話題は逸れますが、数年前にニューオーリンズで射殺された日本人留学生の
事件がありましたが、日本の首相がアメリカ国民に対し『ガツン』と言って
ほしかったですね。
『アメリカは西部開拓時代から何ひとつ変わっていない。未だにビリーザキッドも
ジョンウェインも銃を手に街をうろついている』

http://member.nifty.ne.jp/biruma/


145.なるほど・・・ 投稿者:K.K  投稿日:01月19日(水)01時33分22秒

 SFさん
 なるほど、これはまったく盲点でした。僕自身「日本人は外交的でない」と
考えていました、それも何の疑問も持たずにです。
 たしかにドイツ人にも時間にルーズな人もいれば暗いイタリア人もいるわけで
すからもっともですよね。
 自分を知る事は他人を知る事より難しいんですね。やはり気をつけていても
見えない事は多いですね。
 あっこのまま、うなづいてばかりだと、お話の典型的日本人ですね。
 
 お話はわかりましたが、では歴史の本などから受ける日本の外交音痴的な
イメージはなぜ受けるのでしょう?
 一次大戦の時、日本の全権団には「サイレントパートナー」とあだ名が
ついたそうですが、そのあたりにも何かあるのでしょうか?

144.少し日本人を馬鹿にしすぎでは? 投稿者:SF  投稿日:01月18日(火)23時14分59秒

>謙東弥さんのおっしゃる通り、日本人は外の人間と付き合うのが下手クソだと思います。

この言葉には少し傷つけられたので、少し反論をさせて頂きます。
自分は5年間アメリカで生活をし、ハーバード大学のサマースクールに参加した経験があります。
日本人は決して外の人間と付き合うのは下手ではありません。
海外で生活している多くの日本人は積極的に外国の人々に混じって、頑張っています。
確かに、めったに外国を訪れない人が外国の文化を見て「可笑しい」と思う事はあります。
でも、これは文化の違いから生じる思いであり、当然の事です。
アメリカ人だって、「日本人は魚を生で食べる」「腐りかけた大豆を食べる」
と言って気持ち悪がります。
しかしそれは当然です。
自分の暮らした事のないような生活習慣を見て、”変だ”と感じない人の方が変です。
もちろん、それを見下す人は認識の仕方に問題がありますが、見下すような人がいるのは、
日本だけではありません。

そして”「自分が世界のルールだ」と思って”いるというのは、少し思い違いです。
日本人は自分の考え方を自分の中にしまい込み、外国人の言う事にうなずいてばかりいる
傾向があります。
日本人はもっと自分の考え方や意見を自信をもって外国の人々に伝えなくてはなりません。
日本の政府を見ていて、そう思った事はありませんか?

>「外国人お断り」を表示し問題になっています
これについては僕も大変遺憾です。
しかし、これについても「日本人の外国人に対する差別」という一方的な見方で解釈するのは
完全たる間違いです。
確かにこの銭湯を経営する人々は偏見に満ち溢れ、あまり弁護の余地がありませんし、
するつもりもありません。
でも、アメリカという平等を最も唱える国においても、このような差別は
もっと過激な形で存在します。
昨年ロスで起きた、ユダヤ人施設への乱射、白人以外の人間を狙った無差別殺人、
そしてKKKの活動。
どの国にも差別は生じるもので、それは文化の異なった民族間(マジョリティーとマイノリティ)
の摩擦によって生じる、避け難いものでもあります。
差別的行為を批判するのは僕も同等の意見を持っていますが、
それを”日本人特有の欠陥”のように語るのはそれこそ”無知”から来るものではないでしょうか?



143.SAMURAIGEISHAHARAKIRIKAMIKAZE 投稿者:マレーの虎  投稿日:01月18日(火)01時39分10秒

>謙東弥さん
パンツの話(ってこれだとなんか変ですね(^_^;)興味深く読ませていただきました。
これって「日本人はチョンマゲを結ってるのか?」的な質問と同じで
された方は限り無く脱力してしまう問いだと思います。
(そういえば、昔、そういう「エキゾチックJAPAN」をおちょくった
 「FUNK FUJIYAMA」という歌がありましたね。)
よその国に対する無理解というものは誰にでもあるので、ある程度の誤解は
仕方ないと思うのですが、どうも欧米諸国に対するときとアジア諸国に対する
ときに「相手を理解しようとする姿勢」に差があるのは残念なことです。
アメリカ人に向かって「アメリカ娘はみんな淫乱なんですか?」(下品な例えですが)
というような質問する人間は一部のアホを除いてはいないでしょう。多分。

142.雑感 投稿者:窪田幸唯  投稿日:01月17日(月)21時41分02秒

皆さん こんにちは
立場が違えば価値観は違います。お互い違う立場で違う考え方であることを
理解しあうことが本来の諸外国との関係でしょう。理解することと同じ考えを
持つことは違います
中国が「歴史観」を押し付けてきていますが違う国同士で同じ歴史観
ということはありえないことです。日本はわが国の立場と価値観をもって
諸外国に対処すべきなのです。
現に中国や北朝鮮のミサイルはわが国を狙っています。協調する姿勢と戦う姿勢が
わが国の基本姿勢として必要なのに、平和条約締結後も「外交カード」をちらつかされ
その度に我が国から金を引き出している国があることを忘れてはならないと思います
戦争は外交の破綻であると私は学生時代に教えられました。
そして事実は何なのかが歴史であり、胡散臭い「事実」を排除し、本当の事実を
資料から見分けることが事実の探求であると教わりました。
プロパガンダを頻繁に使う国があります
冷戦終了後の現実の世界は変わらず弱肉強食であり、無抵抗主義ではわが国の国益
(国民の生命と財産)を守り得ないのです。戦うことは最後の手段ではあるが戦う
ことを忘れてはならないのです
日本人がコミュニケーションが下手だから、国益が損なわれていいということではないのです
過去より未来です

141.たいへんな時代が来る 投稿者:謙東弥  投稿日:01月17日(月)15時38分49秒

「無知」というのもそうなのですが、それを改善しないとたいへんな時代が、
やって来るかもしれません。先日の新聞には「移民60万人」どうのこうの
という記事がありました。将来の日本において少子化の労働力不足として60万人
の外国人が移民として必要とかで、おかしな世の中になりそうです。
言語はもちろんのこと、宗教も大きく違う人々が世界から大勢やって来る時代に
なっても、髪や顔といった人種偏見や思想信条や宗教差別など、「平均的日本人」像
から外れる人たちが幸せを享受できなければ、我が国は真の国際社会の一員とは言え
ません。また、宗教問題に端を発する暴動や内紛が各地で起こるかもしれません。
今、世界で起こっている民族紛争が、近い将来、この日本の国土の上に起こりうる
可能性は十分にあります。その芽を早いうちに摘んでおくのも、今の我々の義務では
と思います。
僕の住む札幌の隣町の小樽ではロシア船員が大勢訪れますが、小樽市内の銭湯や温泉が
2件、「外国人お断り」を表示し問題になっています。実際にロシア船員の入浴マナー
が悪く、市民が迷惑を被り客足が遠退き経営できなくなったのですが、もっと他に方法
がないのか、残念でなりません。国際親善、国際交流などと自治体が音頭を取っても、
日本人の間には外国人に対する根強い偏見があります。
「グローバル」なんて意味不明、という日本人がほとんどでしょう。学校では意味
だけでなく、世界はひとつ、人類みな兄弟、という一昔前の宣伝文句ではないですが、
世界には様々な人が住んでいることを深く認識させてくれるような教育をしてほしい
ものです。それがまた、日本人とは・・・という自己認識につながると思います。

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140.無知なる日本人 投稿者:窪田やよい  投稿日:01月17日(月)12時10分42秒

謙東弥さんのおっしゃる通り、日本人は外の人間と付き合うのが下手クソだと思います。
大陸にある国々は何千年もの間、常に他国他民族と関わりながら、
相手を理解すること、交渉の方法、危機から身を守る方法、敵との戦い方などを
学習しつつ身に付けてきたのだと思われますが、
日本ではそういう訓練が足りず、国家としてのバックボーンが未熟なためだと思います。
それでも戦前は儒教的道徳心があったのでしょうが、
戦後アメリカ的民主主義、資本主義にどっぷりつかり
「自由」というものを勘違いし、大事なものは何か見極めることもできず、人との付き合い方
に気を配ることもしない、恥ずかしい国になってしまいました。

あの大戦は日本にとっていい教訓となるべきなのに、戦後50数年
あまりにほったらかし状態でした。
「民族のおごり」というよりもただただ無知なる所以じゃあないでしょうか。

139.Re.相手の立場にたって 投稿者:謙東弥  投稿日:01月17日(月)05時45分07秒

マレーの虎さん
相手の立場にたって、というのはごもっともです。日本では言語はひとつ日本語だけ
であり、全国民がほぼ同じ様な生活をしており、宗教観も概ねは自覚のない仏教徒
です。だから、他民族を知る、理解する、ということに関しては不得意であると思い
ます。かといって、「グローバル」などといわれる現代に、相互理解は欠かせない
問題です。
ビルマへ旅した若者から「ビルマ人がパンツを履く割合は?」という質問が寄せられ
ました。「外観ではなく、もっとビルマ人の内面を探ってほしい」というのが僕の
返答でした。本当は「初対面の外国人に、おまえはパンツを履くのか?と訊くのは失礼
じゃないか。バカモノ。おまえは日本人の恥だ」と怒ってやりたかったのですが。
話題はだいぶ逸脱しておりますが、もう少し続けます。
ビルマ人は民族衣裳のロンジーを履いていますが、下着をつけていない人は確かにいます。
しかし、それが何なのでしよう。日本人だって着物を着ていた頃には下着はつけていな
かった筈です。褌を締めていたのは武士など僅かな人々だけだったでしょう。
ましてビルマは古来からの独自の文化風習を大切にしている国です。暑い気候、
巻きスカート状のロンジー、そのような生活の中では下着をつけない方が楽です。
今の日本の常識からいえば「パンツを履く」のが当然でしょうが、それは世界の常識
ではありません。「自分が世界のルールだ」と思って旅行する若者が多いのには
呆れてしまいます。日本とは、日本人というのは、そんなに偉い民族なのでしょうか。
そのような民族のおごり、個々の自意識過剰が、戦後55年を経る今も続き、
国際社会での日本人としての立場を危うくし、かつ民族の相互理解を妨げているような
気がいたします。

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138.相手の立場にたって 投稿者:マレーの虎  投稿日:01月16日(日)01時04分25秒

>ただ、日本が加害者であったのは確かであったとしても、日本にも意見を述べる権利はあります。
>周辺諸国の受け止め方=日本の受け止め方、という形を取る必要は必ずしもありません。

たしかにその通りだと思います。
周辺国がどう受け止めているかと、日本人としてあの戦争を
どうとらえるべきかは、また違う問題だと思います。
ただ、アジア諸国で大平洋戦争、中国での日中戦争、
韓国、台湾の日本統治時代というものが、どう受け止められているかの認識が
いまの日本人欠けているのではないか、と感じています。
でなければ、「自虐史観」なんて言葉が市民権を得ることもなかったでしょう。
もっともアジア諸国の一部(どことは言いませんが(^^;)が
「過去の歴史」を外交カードとして使っていることも
事実なので話はひとすじなわでは行かないのでしょうけど。

137.事実の認識の重要性について 投稿者:SF  投稿日:01月15日(土)23時35分34秒

>周辺国とうまくやるためには、あの戦争でどんな被害を与えたか、また、被害にあった
  国がどういうふうに受け止めているか正しく認識する必要があるのではないでしょうか。

おっしゃる通りだと思います。
戦争に関して、我々日本人がどう認識するか、そしてアジア周辺諸国がどう受け止めてるか、
を理解する事は、今後の日本のアジアにおける立場を確立するのに重要でしょう。
よって、大阪で開かれた「南京大虐殺は嘘」集会は非常に遺憾に思います。
本人たちが言論の自由を主張して行うのには何も言えませんが、日本国の立場、そして
中国の感情を考えると、非常に有害で迷惑だと思います。

ただ、日本が加害者であったのは確かであったとしても、日本にも意見を述べる権利はあります。
周辺諸国の受け止め方=日本の受け止め方、という形を取る必要は必ずしもありません。




136.大義名分なんてない
 投稿者:謙東弥  投稿日:01月12日(水)16時22分08秒

アメリカがフランスに続いてベトナムを侵略しようとしたのは、ソ連や中国などの
共産勢力の、東南アジアでの拡大を阻止しようという目的でした。でもそれは大国
のエゴではないでしょうか。他民族がどのような政治形態を取り入れようと、他国
が干渉する大義名分など存在しません。長くフランスの植民地であり、次にはアメ
リカがやって来たという状況下、ベトナム民族の自決権こそが、ベトナム戦争にお
ける大義名分であった、と思います。ベトナムではベトナム戦争のことを「ホーチ
ミン戦役」「抗米救国戦争」といいます。
また、日本がアジア諸国に侵略したのは、物資不足という理由のようですね。でも、
石油強奪は大和民族の大義名分ではありません。それは泥棒と同じことです。現代
の平和社会と60年前では比較にはならないと感じますが、泥棒して正義もへった
くれもないと思います。それが大義名分と胸を張って言えることでしょうか。
アジアの植民地を解放独立へ導くという、もっともらしい言い訳もありますが、ビ
ルマ戦線で日本軍と協力したアウンサン将軍率いるビルマ独立義勇軍が、戦争末期
に日本軍へ反旗を翻し日本をファシストとしたのは、そもそもビルマ民族の独立な
ど二の次と、日本の軍部や内閣が考えていたからに他ありません。インドネシアの
独立宣言が1945年8月17日、日本の降伏から2日後という事実も、それは判
ることと思います。
大和民族の存亡危機脱出のため他民族を侵略する戦争に、日本の大義名分など存在
しないと僕は思います。

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135.閑話休題 投稿者:謙東弥  投稿日:01月15日(土)11時12分24秒

ということでひと呼吸おいて、新聞で見た新刊を紹介します。

「太平洋戦争の真因と敗因」500人の体験に学ぶ
                   三好誠著・国書刊行会

広告より 太平洋戦争はなぜ起こり、日本はなぜかくもあっけなく敗れたのか。
     当時の首相・大統領・外交官・軍人・作家・一般庶民等、戦争体験者
     500人の証言を集め、徹底的に検証を加えた一大戦争絵巻。

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134.事実の認識 投稿者:窪田やよい  投稿日:01月15日(土)10時18分35秒

マレーの虎さん はじめまして
戦争のことになると極論、感情論になりがちですが
冷静に事実を正しく認識することがまづ大事ですよね。
その認識のうえで諸外国ともお付き合いしないと
無礼な非常識な恥ずかしい国となってしまいます。
現在がまさにそうなのかもしれない。
堂々と誇りがもてるよう各人が意識していきたいものです。

133.過去は現在の鏡 投稿者:マレーの虎  投稿日:01月15日(土)02時16分51秒

はじめまして。

現在の日本の歴史の認識についてひとこと
発言させてください。

よく、「自分達の祖父・曾祖父の世代の行為をうんぬんするのは
おかしい」という意見を聞きますが、歴史というものを学ぶ場合
そういう私情をはさむべきではないと思います。
とくに「大東亜共栄圏」の建設に関しては当該諸国に大きな傷を残したことは事実
だと思いますし、結果として戦争に負けて日本の国是が変わった以上
周辺国とうまくやるためには、あの戦争でどんな被害を与えたか、
また、被害にあった国がどういうふうに受け止めているか
正しく認識する必要があるのではないでしょうか。

132.感謝いたします 投稿者:窪田やよい  投稿日:01月14日(金)11時44分52秒

日本では戦争についての議論の場はなく
目につくのは「日本はこんな悪いことをしてきたんだぞ」論調のように思われます。
そんなわけで私はつい日本擁護に力が入ってしまいますが
冷静に考えれば、確かに日本にも反省すべき点は多々ありますね。
でも悪い点ばかりを強調するのはやはりいかがなものかと思います。
イギリスの一般国民は阿片戦争の存在さえも知らないようです。
戦争のない世界が望まれますが
我が身が危険にさらされた時、防衛しようとする本能が働きます。
武器をとることもやむを得ないかもしれません。
利害が対立する場合、自分を主張し、相手の主張も尊重し、
うまい具合に折衷案がとれるといいのですが。
うまくまとまりませんが、人類の英知で、醜い本能の剥き出しは避けたいものです。

SFさんの言われる通り、
>歴史を勉強するにおいて最も重要な事は、過去の出来事から学んだ事をその後につなげる事です。
>ただ詳細を覚えたり、過去の過ちで自分や他人を責めたりするのは学問の目的ではないと思います。
事実をしっかり把握し、今の自分の有り方を考えていきたいとおもいます。
真に世界に認められる日本であってほしいと思います。
皆様の貴重なご意見に感謝いたします。

131.初歩的な疑問ですが 投稿者:K.K  投稿日:01月14日(金)00時52分59秒

 太平洋戦争において日本の場合「戦争責任」=「戦争を始めた責任」になっている
様に思います。そして「戦争に負けた責任」でも有るように思うのです。
 たとえば日本が戦争に勝ったとしたら「戦争を始めた責任」はどう扱われていた
のでしょうか?

 アメリカは時々中東にちょっかいを出しに行きます。どんな理由があったとしても
「戦争を始めた責任」は有るはずです、当時の日本の指導者と同罪です。
 しかしアメリカの参謀総長が謝罪しているのは見たこと有りません。
 
 ここで話し合われる単語に「戦争責任」と言う言葉があります、どんな意味なのでしょう?
○○作戦での××将軍の判断は間違っていた・・・ では、間違わないで勝利できれば
軍部には「戦争責任」は無いのでしょうか?

 僕は戦争を引き起こしてしまった全ての要因に責任があり、反省すべきであると
考えます。ですから結果の勝敗は関係無いはずです。
 外交で何とかできなかった政治家も同じくです。
 
 しかしここに僕には手におえない問題が有ります、それはでは自国や民族が
名誉や財産を奪われそうになった場合、武器を持つことはどうであるかです。 
 また外交でどうにかされてしまった小国や民族はどうなのでしょう?戦争に
ならなかったんだからと我慢せねばならないのでしょうか?
 

130.もう少しだけ失礼します 投稿者:SF  投稿日:01月13日(木)22時29分41秒

第2次大戦の日本の取った行為について述べる時に、色々と意見は述べられますが、
最終的に、1)責任は誰にあるのか? 2)何のために学び、語るのか
という2つの大きな疑問にぶつかります。
2)の答えは前回の投稿で僕の意見は述べさせて頂きましたが、
1)は自分でも答えられる自身はありません。

誰に責任があるのか?
天皇にあるのか、軍部だけにあるのか、国民にもあるのか、欧米(特に米)が悪いのか、
それとも共産主義者の陰謀なのか。
大体の人が上のどれかを選びます。
自分の意見ははっきりしなくて申し訳ないのですが、少し述べさせて頂きます。

天皇は対米戦に難色を示していたといいますが、国家の最大の権力者として、軍部の
暴走を緩める力は少しはあったと思います。
よって、責任がないとは言えないでしょう。
軍部には責任はあることは免れないと思います(思ってない人は済みません)。
では国民には責任がないのか?
そうとは言えないでしょう。
満州侵攻、東南アジア侵攻において、国民は日本帝国の大国化を熱狂して歓迎しました。
例え軍部に「洗脳」されていたとしても、支持した事は事実です。
集団の心理とは恐ろしいもので、勢いに乗った時は自然と周りに乗せられてしまうものです。
自分も当時に生きていたら、きっと同じように熱に冒されていたでしょう。
アメリカや共産主義者の陰謀説もありますが、主な原因とまではいかないにしても、
なかったとも言い切れません。

要するに何が言いたいかというと、様々な要素が絡み合って戦争が起こった、ということです。
決して一つの組織、一人の人間を責める事は出来ないということです。
もちろん、責任者はある程度は絞られ、責められるべきです。
でも、それだけで問題を解決しようというのはよくないと思います。
ドイツ軍の責任をヒトラー一人に負わせたように。
しかしこれはあくまで僕の意見です。
皆さんの意見を是非聞いてみたいと思います。
僕の意見に反感を持ったり、おかしいと思う所があったら指摘して下さい。


129.お久しぶりです 投稿者:S.F.  投稿日:01月13日(木)21時53分14秒

久しぶりにこのページを見て、議論の進行具合に驚いています。
未熟ながら、自分なりの意見を述べさせて頂きます。

>開戦当時の状況では、アジア諸国に侵略(というべきか?)するしか道はなかったのだと思います。

これは日本の行動を弁護するのによく用いられる意見ですが、僕は反対です。
アジア諸国への侵攻は、日本が物資を獲得するために行われました。
第一、なぜ物資が不足したかというと、中国への侵攻が長期化したからです。
そしてそれに不快感を示した欧米が経済制裁を課したからです。
他国への侵攻が原因で不足した物資をさらに他の国を侵攻して調達するというのは、
弁護にならないでしょう。
謙東弥さんの言う通り、泥棒に近い行為です。
さらになぜ満州に侵攻したかというと、それは日本の利益追求、大国化への野望から
来たものです。
「満蒙は日本の生命線」などとはまことに勝手な言いがかりだと思います。
地理的に資源に恵まれない国は、外交でそれを補うべきで、当時の日本は
国際法を無視し、それを怠ったといえるでしょう。

>また、国家が行った行動に国民は責任を負うのでしょうか? はたまた借りに負うとして、
  何時まで経てば時効なのか?

これは非常に難しい議題であり、とても良い疑問であると思います。
国家行動の責任は、それを運営する国民が負うのは当たり前、と言われたら反論に困りますが、
そう簡単に言えるものではないと思います。
確かに、イギリスも阿片戦争の残忍な行為を反省してるかというと、そうとも思えませんよね。
ただ、自分の国が行った行為をしっかり認識して、それを頭に入れて今後の国家運営につなげる
ことが「責任を負う」ということだと思います。
歴史を勉強するにおいて最も重要な事は、過去の出来事から学んだ事をその後につなげる事です。
ただ詳細を覚えたり、過去の過ちで自分や他人を責めたりするのは学問の目的ではないと思います。
自分だって、戦争に参加していないのに外国人にその事で責められても困ります。

128.なぜ戦うか 投稿者:窪田やよい  投稿日:01月13日(木)10時04分27秒

有史以来なぜ人類は戦いつづけているのでしょう。
お互いの利害が対立する時、争いが起こる。
人類が皆聖人君子ならいざ知らず、自己中心的であるのなら
戦いは免れないでしょう。本能的なのかも知れません。
日本がアジア諸国の独立のために戦争を起こしたなんて
まさか思っていません。それじゃああまりにカッコ良すぎるし、おバカすぎる。
当然日本の利益を守る為でしょう。
地獄のような戦地にいる兵隊さんたちは、
死の恐怖から自分を守るのが第一だったんじゃないでしょうか。
アメリカ大統領は原爆投下は正義であったと、堂々と宣言しています。
あちこちから反感を持たれるアメリカですが
自国の名誉や利益を守る、という点においては素晴らしいですね。

127.覚醒せよ!! 投稿者:謙東弥  投稿日:01月13日(木)06時49分45秒

なんて大仰な題名をつけましたが・・・
ビルマに赴いた日本兵たちは何を考えていたのでしょう。
天皇陛下のために、家族のために、大東亜共栄圏構築のために、独立支援のために、
彼らはビルマの大地を這いずり回ったのでしょうか。でも、地獄のような
ビルマの日常でふと思い直すことはなかったのでしょうか。何のために、と。
何のためでも、誰のためでも、そもそもビルマにいること自体に疑問を懐いた
兵士たちは大勢いることと思います。ビルマ独立を支援するはずが、
口封じのために案内役のビルマ人を殺す、そんな場面は戦記に多く語られています。
そこで何のため、誰のためにビルマ人の尊い命を奪うのか、よくよく考えてみれば、
解るような気がするのですが・・・
ひとりひとりの兵士が、ひとりひとりの日本軍将校が、それに気づいていれば、
ビルマにおいておびただしい屍を踏まなくても済んだのに、と思います。
八紘一宇、一億玉砕という気運の国民意識が大勢の60年前では無理からぬこと・・・
まあ、現代の平和な日本でぬくぬくと生活している身ゆえ、言えることかもしれません。

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126.自己中心的大義名分論 投稿者:K.K  投稿日:01月13日(木)02時11分36秒

 話が飛躍しますが、個人と国家と人類全体では大儀名文の意味が違うので
同じまな板では扱うのに無理があるように僕は思います。
 また、国家が行った行動に国民は責任を負うのでしょうか?
 はたまた借りに負うとして、何時まで経てば事項なのか?
僕は(ひょっとすると皆さんも)自分のごく限られた周辺しか
実感を持って考える事はできません。
 アフリカで子供がこの瞬間も飢え死にしているとわかっていますが
食事の節約なんかしていません。
 距離だけでなく時間も離れれば感情に訴える物が薄くなります。
(体験者は別ですよ、距離も旅行者はべつかな)
 現在誰もジンギスカンの日本攻撃の訴訟や賠償の話をする人も
いなければ朝鮮の任那の事で心を痛める人もいないでしょう。
 平の兵士や市民に日本の侵略の責任があるのでしょうか? 無くは
ないでしょう、しかし彼らがやろうとしたことは他国や他民族を屈服
させて支配しようとしたのではなく、自分の家族や郷土の人々を守ろうと
または生活を良くしようとした行動ではなかったのでしょうか?
 最初の大義名分の話ですが、日本が日中戦争や太平洋戦争を勃発
させた事は、当時の個人や家族にとって悲劇ではあったけれども大義名分
は有ったのではないでしょうか?
 国家にとっても有ったと思います、国家は国内のみに責任を持つ物です。
 では人類全体ではどうでしょう? 戦争事態が国家より小さな単位の利害
ですから当然、大義名分など有りません。
 他の国家や民族は、はた迷惑でこそあれ日本が富むことなど誰も望んで
いませんから。
 
 以上は極論です、人類愛も何もあったものではありません。しかし現在
でも戦争は無くなりません。
 富める者が与えず、貧しい者が欲する限りそこには大義名分が生まれて
戦争になります。(この富みとは物だけではありません)
 あっ植民地戦争は逆の場合があるかな?
 うーんまとまってないですね・・・ 
 
 インデアンを追っ払ってアメリカを作った連中は酷い連中だ
と思いますが、何もない荒野を開拓して世界一の国を作った
アメリカ人は尊敬に値すると思うのです。
 戦争を起こして世界に大迷惑を与えたのも日本人ですが、国や
家族のために命を賭けて戦った兵隊さん達も、やっぱり日本人
な訳です。

125.大義名分なんてない 投稿者:謙東弥  投稿日:01月12日(水)16時22分08秒

アメリカがフランスに続いてベトナムを侵略しようとしたのは、ソ連や中国などの
共産勢力の、東南アジアでの拡大を阻止しようという目的でした。でもそれは大国
のエゴではないでしょうか。他民族がどのような政治形態を取り入れようと、他国
が干渉する大義名分など存在しません。長くフランスの植民地であり、次にはアメ
リカがやって来たという状況下、ベトナム民族の自決権こそが、ベトナム戦争にお
ける大義名分であった、と思います。ベトナムではベトナム戦争のことを「ホーチ
ミン戦役」「抗米救国戦争」といいます。
また、日本がアジア諸国に侵略したのは、物資不足という理由のようですね。でも、
石油強奪は大和民族の大義名分ではありません。それは泥棒と同じことです。現代
の平和社会と60年前では比較にはならないと感じますが、泥棒して正義もへった
くれもないと思います。それが大義名分と胸を張って言えることでしょうか。
アジアの植民地を解放独立へ導くという、もっともらしい言い訳もありますが、ビ
ルマ戦線で日本軍と協力したアウンサン将軍率いるビルマ独立義勇軍が、戦争末期
に日本軍へ反旗を翻し日本をファシストとしたのは、そもそもビルマ民族の独立な
ど二の次と、日本の軍部や内閣が考えていたからに他ありません。インドネシアの
独立宣言が1945年8月17日、日本の降伏から2日後という事実も、それは判
ることと思います。
大和民族の存亡危機脱出のため他民族を侵略する戦争に、日本の大義名分など存在
しないと僕は思います。


124.パールハーバー
 投稿者:松下  投稿日:01月12日(水)14時37分05秒

当時のアメリカ市民がどのような印象を受けていたか、知る機会も少ないのですが私の昔の英語の
先生が開戦当時子供で以下のようなことを言っていました。
「パールハーバーの次はサンフランシスコが攻撃される」という憶測が市民の間で飛び回った。
物資不足に関しては日本と比較してはいけないと思うのですが、砂糖とガソリン不足だったようで
す。

123.大義名分 投稿者:松下  投稿日:01月12日(水)14時23分48秒

アメリカ相手にするに至った大義名分がインドシナ方面の石油確保だったと見ています。
よく言われるのがABCD包囲網(America Britain China Duch)による全面禁輸措置により、他国
を攻めて天然資源を獲得する他なくなったとか。
当初の戦略だと真珠湾のアメリカ艦隊を壊滅させ、フィリッピン在住のマッカーサー陸軍部隊をオ
ーストラリアまで追い出す。その間南の島々を占領してオーストラリアとアメリカとの連絡線を断
ち切ってアメリカとの講和へ持ち込むことだった。これを1年か2年くらいで達成しようと考えたの
が、アメリカの巧みな戦略にひっかかって、その大義名分もいつの間にやら飛んでいってしまった
という見解を私は見ています。

内地戦にならなかったのは、方々の島で全滅の玉砕戦続きでアメリカ側が本土で玉砕戦強いられた
ら犠牲が拡大するものと見たからだと思います。あの小さな島、硫黄島の犠牲者が日本軍2万ほ
ど、アメリカも同じ数かそれ以上と言われているくらいですからこれを本州に場を移したらそれこ
そ惨状は免れなかったと思います。
しかし本土に上陸しなかった代わりなのでしょうか、原爆が投下されたのは。

122.大義名分って? 投稿者:窪田やよい  投稿日:01月12日(水)10時35分49秒

そもそも良い戦争なんてあるわけないのですが
攻める側にはそれぞれ大義名分があるのでしょう。
私は日本の肩を持って言いますと
開戦当時の状況では、アジア諸国に侵略(というべきか?)するしか道はなかったのだ
と思います。日本の大義名分を守る為には。
>日本がなぜ内地決戦・一億玉砕を諦めたかというとそのような大和民族としての
>大義名分がなかったからではないでしょうか・・・
その当時、日本はかなり「一億玉砕」精神で戦ったのではないでしょうか。
実際に戦線で戦ったのは、一般市民だったのですから。
内地戦にならずに、終戦としたのは幸いだったと思います。
それでも沖縄や広島はじめ多大な被害は受けたのですが、
あそこで戦争が終わっていたから、今日の日本の繁栄が築かれたのだと思います。
ただ、敗戦国となったために日本が全部悪かったみたいに決められてしまったのは
心外ですね。
悪者を決め付けてしまえば、それ以外の人たちは楽にやっていけますからね。

121.アメリカの敗因と日本の敗因 投稿者:謙東弥  投稿日:01月11日(火)17時33分20秒

昔の資料を見ていたらベトナム戦争に関する物が出てきたのでここに書いてみますね。
故松本清張氏著1968年「ハノイで見たこと」は、氏が当時激戦地北ベトナムを訪問
した報告記で、推理作家の意外な著書です。その中では北ベトナム政府首脳や南ベトナ
ム民族解放戦線首脳の言葉が記されています。

◎象と蚊の戦い
 北ベトナムの情報秘匿は厳しくアメリカは手探り状態で爆撃している。北ベトナムや
 解放軍はアメリカの動きを把握しており、それが象が苦しむ原因である。
◎人民の道
 我々が優勢なのはこれが「人民戦争」だから。人民の手でいくつもの道路が作られて
 おり誰にもわからず地図も役に立たない。どこからどこに行く道か、それは人民から
 出て人民へ行く道である。
◎侵略者アメリカ
 北と南に離れてしまった家族は、アメリカの侵略のせいだと子供に教える。離散家族
 が一緒になるには自分たちの力によらなければならない。
◎近代軍事科学と革命軍事科学
 アメリカはこれまで植民地における人民蜂起の経験を持たず、そのために失敗した。
 アメリカの軍事科学は遅れており、そのためにベトナムで誤った評価をした。アメリ
 カの近代軍事科学とは職業軍人や専従兵士のみによる戦争であり、ベトナムの革命軍
 事科学とは人民ごと参加の戦争である。その数は無限のゲリラ戦であり、他国から支
 配されてきた長い歴史の上に養われてきた「独立と自由」の護持である。
◎3100万人の兵
 解放戦線が強いのはベトナム人民が再び奴隷にならないため、アメリカ軍を失敗させ
 る工夫を誰もが考えるから。3100万人の人民は3100万人の兵である。

サイゴン近郊のクチ・トンネルには南ベトナム臨時革命政府と南ベトナム民族解放戦線
の地下トンネルがありますが、ここを訪れれば、なぜアメリカがベトナムに負けたのか
が解ります。ナパーム弾や枯葉剤など近代武器を駆使してなお負けてしまったのは、民
族自決というベトナム民族の大義名分があったからなのですね。
日本もかつて一度も他民族に支配されたことはありませんでした。そしてアジア諸国を
侵略して大東亜戦争に至りました。日本がなぜ内地決戦・一億玉砕を諦めたかというと
そのような大和民族としての大義名分がなかったからではないでしょうか・・・

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120.主張 投稿者:窪田やよい  投稿日:01月09日(日)18時35分56秒

k.kさん 謙東弥さん 早速のコメントありがとうございます。
この欄に何回か書いたと思いますが、
私自身は戦争のことにはくわしくなく、感覚的な考えしか持っていません。
皆様方がよくご存知なのにいつも感服しております。
戦争に関しては、私は父の考え方に大きく影響されています。
本文を読んでいただければわかると思うのですが、
父はこの大戦では、日本はしかるべき道を進んだと確信しています。
敗戦国になったばかりに、すっかり卑屈になり骨抜きになってしまった日本を憂いでいます。
私の主張を言わせてもらえば、日本国民が世界の中で特に野蛮であるとか、残虐であるとか、
そんなことは決してないと思います。これといった根拠もありませんが。
この大戦で日本が悪いことをしたと、日本人である我々があえて強調する必要があるでしょうか。
事実は事実としてきちんと知りたいとは思います。柔らかい頭で。
そういう意味でも、いろいろな方のいろいろなご意見をお聞きしたいと思っています。
戦争は事象だけでなく、背景に文化とか宗教とか外交能力など様々な要因を含んでいるので、
そういった広範囲な話題も期待しております。
これからも皆様よろしくお願いいたします。


119.おじさんの主張 投稿者:謙東弥  投稿日:01月09日(日)12時51分06秒

当サイトの作者の主張がもっともっとあってもよいのではないかと、
常々思っているのですが、いかがなものでしょう・・・
僕のサイトは「俺が作ってるんだぞー」という自己主張の塊のような
ページですが、それは作者として当然の特権であり、
ホームページの随所に個人の特徴が見えてもおかしくはないと日々考えて、
制作・更新しているのですが。
しかし日本全国の誰が目にするか判らない、という杞憂もあり、
慎重に言葉を選んでいるような状況でもあります。
だから僕としては、もっと当サイトの作者の考え方が前面に出ても
よろしいのでは、という気がします。遠慮されているのでしょうか・・・
まあ、それがこのサイトの「特徴」であり「長所」と考えれば
いいのかもしれませんね。K.Kさん曰く「温かみ」たるユエンでしょう。
と、僕もついつい感化されて口調が遠慮してしまうのです。
これからもまたお邪魔させていただきます。遠慮がちに・・・

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118.提案に感謝します 投稿者:K.K  投稿日:01月08日(土)23時14分53秒

 窪田やよい様
 すばらしい提案に感謝します、大変この場所は貴重だと思います。
 今までも太平洋戦争に関連するHPをいくつか見ましたが、大概は極論に走る物
が多く、HPの製作者の考え方を発表する場、になっていることが多いように
思います。
 また、以前にも話しましたがこのHPはほかに無い温かみが有るように感じます。
それは窪田やよいさんや、ここに来る皆さんのせいではないでしょうか。

117.それぞれの角度から 投稿者:窪田やよい  投稿日:01月08日(土)14時05分08秒

ひとつの出来事に対して、それぞれの立場によって捉え方は様々だと思います。
白が黒になってしまうことも有り得ることでしょう。
戦争のこととなると更に複雑に事情が絡み合い、簡単には言いきれません。

>このHPの開設も、兵士として従軍された父上のご家族であるように、中将のご遺族も当然、現
>在に生活しておられるでしょうから、戦争指導者個人の話題というのは、非常にデリケートな部
>分を含んでいるとは思います。
更にこういう個々人の感情といったものには今までなかなか考えが及びませんでしたが
本当にそうですよね。個人的な非難は控えるべきだと思います。
生死の極限状態でいったい人はどんな精神でいられるものか、私達には想像もできません。
幸か不幸か私達は体験していないのだから、得た知識の中から測り知るしかありませんが
それぞれの感じ方をいろいろな角度から語っていただけると
ボンヤリとしたものが少しずつハッキリしてくるのではないでしょうか。
当掲示板がそんな意見交換の場になれば幸いです。

116.言い忘れましたが・・・ 投稿者:謙東弥  投稿日:01月07日(金)11時07分36秒

言い忘れましたが、ビルマでは多くのビルマ人も戦争の犠牲になりました。
米英連合国軍と日本軍との戦闘の巻き添えとなったたくさんのビルマ人がいる、
ということを、ぜひ付け加えたいですね。
日本と同様、今は戦争体験者の数も減っていますが、まだまだビルマでは語られています。
昨年ラングーン(ヤンゴン)で偶然出逢った老人は、日本の軍歌や童謡、そして
李香蘭「支那の夜」を歌ってくれました。
そんなこと、みんとんさんには、チンプンカンプンでしょうね。
その老人がビルマへ侵攻した日本兵の姿に、
どのような感慨を懐いたかは聞けませんでしたが、良い思い出、嫌な思い出、
十人十色であったことでしょう。しかし敬虔な仏教徒であるビルマ人は概ね、寛容な精神の
持ち主で、過去の日本兵の所業を口にする人はあまりいません。
人を赦す、ということはたいへん難しいことですが。
「ビルマ人から見た日本軍のビルマ作線」
それは夏休みの宿題として、心の片隅にでも留めておいてください。
今度は、ファイアー!!!

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115.遠くから応援してますよ
 投稿者:謙東弥  投稿日:01月07日(金)10時30分22秒

みんとんさんへ。
ここに紹介した数々のビルマ戦記には暗い題名が多いですね。
死闘、最悪、痛恨、地獄・・・頭が痛くなるような本ばかりです。
「天皇陛下万歳」と叫んで死んでいった若者など、ほんのわずかであったことが、
これら戦記では語られています。
できれば、戦史の追究ばかりではなく、その奥に秘められた戦争の虚しさ
(と僕は感じましたが)や、はかなさ、などを学んでほしいと思います。
遠く離れた故郷日本のお母さんを脳裡に浮かべながら
息絶えた若者たちの哀れさ、無念を、感じ取っていただきたいと思います。
では。心のお勉強に励んでください。遠くから声援を送ります。
1!2!3!ダァー!!!

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114.がんばりま〜...す。(^^;) 投稿者:みんとん  投稿日:01月07日(金)01時22分09秒

またまたやって来ました、みんとんです。
謙東弥サマ、窪田サマ、K.Kサマ、暖かいお言葉本当にありがとうございます!!

謙東弥サマ、たくさんの本紹介して下さってて、ありがとうございました!!
が〜!!
もっと、早くコレを読んでいれば〜と今後悔中。
今日、図書館行ってきたんですよ...なんの知識もないまま。(笑)
で『遥かなインパール』(伊藤桂一さん著)という物をかりて参りました。
うにゃ、むずかしいっす。(^^;)

それがこの課題、自分達で決めたものなんですよぉ。
夏休み、自分の祖父祖母に戦争の体験談を聞いてくるという宿題がありまして...。
それで、友達の祖父の体験談『インパール作戦』というものに興味を持った私達は、
冬休みの宿題のテーマをこれに決めた!...と言うわけなんです。
まだ、名前とインパールはインドの国だって事しか分かっていない私達にとって、
かなり、無謀なテーマなんですけれど...がんばります!!(^0^)Y

ではでは...また来ます♪






113.僕も早速 投稿者:K.K  投稿日:01月06日(木)18時58分11秒

 黒松史さん みんとんさん はじめまして。

 黒松史さん
 同感です、日本はすばらしい国です。国の文化に優劣をつけるつもりはありませんが
日本に生まれて良かったと思うことが、特に最近増えました。
 フランス近代史をご専攻との事ですが、少々離れますが東南アジアのあのあたりには
仏インなどの植民地があったと記憶しております、専門家の話をいずれお聞きしたいす。

 みんとんさん 
 課題頑張ってください、そして後で感想などお聞かせください。
ぜひお聞きしたいです。

 謙東弥さん
 僕も買って読みます。

112.衝動的に述べました 投稿者:果心居士  投稿日:01月06日(木)18時47分22秒

久しぶりに掲示板を拝見させていただき、牟田口中将のことが載せられていたので、書き込みさせ
ていだききます。
このHPの開設も、兵士として従軍された父上のご家族であるように、中将のご遺族も当然、現在
に生活しておられるでしょうから、戦争指導者個人の話題というのは、非常にデリケートな部分を
含んでいるとは思います。
また、中将の作戦計画を最終的に許可したのは中将の上司になるわけですから、当然の中将一人の
責任とは言えません。
しかし、私も若いと言うよりは年少の頃、牟田口中将のビルマでの行動をある書物で簡単に読み、
率直に何という司令官だろうと感じたものです。
しかし、年齢を経て思うのは、中将が佐官時代の日中戦争のことでしたか非常に果敢な将校であっ
たその人物が、ビルマの現地へ来ても最前線の苛烈な戦闘の最中、後方で芸者遊びをしたとか、
誇りあるべき帝国陸軍の将が何故そういう行動を平然とできたのだろうか。
それは個人から起因するものなのか、または組織からか、あるいは時代からなのか、それが不思議
でなりません。
数多く出版されている関連書物を調べれば理解できるのでしょうが、そういう機会がなかなか持て
ないまま現在に至っている次第です。


111.歴史の上では 投稿者:松下  投稿日:01月06日(木)18時17分57秒

>でも果たして、アメリカは「世界のリーダー」「世界の警察」なのでしょうか?
第一次、第二次大戦でもアメリカは参加することを望まなかったのですが、負けるとイギリスやフ
ランスへの債権が回収できなくなるのが本当のきっかけだったみたいです。昨今米軍が介入してい
る軍事行動の大半は「石油」や「運河」等の利権絡みが根底にあるかに見えます。

最近読んだ本によると、兵器の大半を自国で開発している国は世界でも少なく、それはアメリカ
フランス、ロシア、そして日本。日ごろ気付きませんが日本が意外にも世界有数の兵器大国である
ことです。アジア近隣諸国にはこれが「軍事大国」に目映りする一方で日本国民は「自衛隊は軍隊
ではない」の認識があるようです。

110.みんとんさん、ようこそ 投稿者:窪田幸唯  投稿日:01月05日(水)11時44分35秒

ようこそ当ホームページへ
冬休みの課題とは大変ですね
ホームページを見てわからない点などがありましたら、メールで
問い合わせていただいても結構です
がんばってくださいネ

109.たいへんな宿題ですね 投稿者:謙東弥  投稿日:01月05日(水)06時17分03秒

みんとんさんへ。あけまして、はじめまして。
そんな宿題を出すなんて、素晴らしい社会科の先生ですね。尊敬します。
中学生にはとても難解な問題ですよね。でも平和な現代だからこそ、人と人が殺し合うことの
意味を勉強して理解し、自分なりのしっかりした考え方を持つ、という点では、またとない
チャンスです。
インパール作戦には直接関係ありませんが、図書館ででも探されて、
光人社NF(ノンフィクション)文庫から出ている「ビルマの耳飾り」武者一雄・著
を読めば、人はなぜ戦争をするのかが、ぼんやりとでも理解できることでしょう。
また、同じ光人社文庫からは、たくさんのインパール戦に関しての体験談が紹介されています。
  斉藤政治  「烈」兵団インパール戦記・陸軍特別挺身隊の死闘
  田中稔   死守命令・ビルマ戦線「菊兵団」死闘の記録
  野口省己  回想ビルマ作戦・第33軍参謀痛恨の手記
  石井貞彦  闘魂ビルマ戦記・サムライ重機分隊長の死闘
  黒岩正幸  インパール兵隊戦記・歩けない兵は死すべし
  宮辺英夫  加藤隼戦闘隊の最後・若き撃墜王たちの墓碑銘
  井坂源嗣  弓兵団インパール戦記
  比留間弘  「菊兵団」地獄の戦場物語 
  緩詰修二  最悪の戦場・独立小隊奮戦す
(どれも690円〜820円で、現在も入手可能) 
このおじさんも、たくさん買い込んで、勉強しているところです。

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108.ありがとうございました。 投稿者:みんとん  投稿日:01月04日(火)23時10分03秒

明けましておめでとうございます♪

ここのHP初めて拝見させて頂きました。
私は中2の女子です。
今回の冬休みの宿題で『ビルマのインパール作戦について』調べるという課題が出たので、
今がんばっております。

でも...ムズカシイ!!
絶対、また来ます!!
では!!(^0^)Y

107.ビルマに消えた慰安婦たち 投稿者:謙東弥  投稿日:01月03日(月)17時20分26秒

明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願い申し上げます。

ビデオで「ビルマに消えた慰安婦たち」を見ました。
福岡在住のルポライター森川さんがビルマで1年2ヶ月をかけ聞き取り調査したものです。
ピイ(旧称プローム)在住の残留兵吉岡氏へのインタビューでは、
「私が募集して慰安所をつくった」と証言されています。
ところが、日本政府は未だに従軍慰安婦の存在を認めていないようです。
原書房刊『ビルマ・遠い戦場・下巻』や明石書店刊『ビルマ慰安所経営者の証言』
など、これまでにもビルマでの慰安所の存在の証言は多々ありますが、
日本政府の2度の調査報告には、慰安婦としてビルマ女性の存在はなかった、
とされています。

ビデオのお問い合わせ 森川万智子さん  machiko.morikawa@mb.neweb.ne.jp
                               Fax  092-525-1800

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106.あけましておめでとうございます 投稿者:窪田幸唯  投稿日:01月03日(月)17時08分34秒

皆さんこんにちは
窪田@技術担当です
様々な方々が訪れていただき感謝です
「体験記」は一応完結編となっていますが、引き続き等身大のスタンスをキープできればと
願っています
ステレオタイプの物事の見方を越え、様々なやり取りが今後も繰り広げられることを期待しています



105.謹賀新年
 投稿者:窪田やよい  投稿日:01月03日(月)10時18分04秒

皆様  あけましておめでとうございます
年末より  活発に意見交換がなされておりとてもうれしく思います。
皆様の貴重なご意見  ありがたく拝見しております。

私は若い頃ヨーロッパを1カ月ほど旅行してきました。ただの観光旅行ですが。
最初に行ったのが イギリスだったのですが、そのデーーンとした佇まいにすっかり
圧倒されてしまいました。
その歴史の深さや整った文化のかたちやらに圧倒されました。
単純に人々も建物も美しく、それだけでもこちらは劣等感を持ってしまいました。
彼等が他の民族(東洋人など)に対して優越感を持ったとしても、それは理屈ではなく
無理もないなと思いました。

でも私は日本が劣っているとは思いません。
日本の文化精神はヨーロッパ文化と比べても誇れるものです。
現在アメリカ文化に席巻されてしまってますが、各自の文化はもっと大事に守っていくべきだと
思います。
その上で他との融和も可能だと思うのですが。

104.拝読致しました 投稿者:黒松史  投稿日:01月02日(日)07時09分23秒

私は青学大で歴史学(っと言ってもフランス近代史ですが)を専攻している学生です。
授業のレポートの参考にと検索をしていて偶然に見つけました。
歴史全般に関心はあるので、インパール作戦関連のものも多少は読んでいましたが、
個人の戦記というものは始めて読みました。

非常に興味深く読ませていただきました。
私も戦時中の話は色々聞きますが、
祖父からは詳しい話も聞かないまま(先年亡くなりました)
であったので、そういう点でも非常に新鮮に感じられました。

先の戦争の話は、だんだん聞ける機会も無くなっていく筈ですから、
貴重な体験談ですね。
我々は色々な話を、色々な人から、もっと聞けると良いのですが・・・。
ともかくも、お父様には長生きをして頂きたいですね!

ちなみに私の両祖父は、一人は当時すでに退役しており、
もう一人はチモール島の守備隊でした。

掲示板では色々議論がなされているようですが、
私はひとまずは自分の国への誇りを持つべきだとは思います。
その意味ではアメリカは当たり前の国なのではないでしょうか。
(私は、国際社会でのアメリカの指導力は急激に落ちつつあると思います)
しかし、我々はナショナリズムの殻を破ろうと、ひたすら努力すると言う方向には進むでしょう。
まずは自分の国から愛するべきという事を前提としてですが。

いやいや、長くなってしまいますね(苦笑)
とにかく、これからも色々な意味で良いHPを作ってください。
応援しております。

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