過去の掲示板(その4)
「インパール作戦・父が語る戦争体験記」への感想を多くの皆さんに書いていただいています。今までの掲示板への書きこみ内容をまとめてみました。上から順に新しい書きこみとなっています。
なお、改行位置などは一部編集してありますのでご了解下さい
平成11年3月の掲示板開設以来のもの(No1〜63まで)は「過去の掲示板その1」をご覧ください。
No64〜99までは「過去の掲示板その2」をご覧下さい
No100〜172までは「過去の掲示板その3」をご覧ください
ホームページ編集責任 窪田 幸唯 mailto:kubota@mxa.cosmo.ne.jp
206.御利用感謝いたします
投稿者:窪田やよい 投稿日:05月31日(水)22時57分48秒小池さん 掲示板にご登場いただきありがとうございます。 そしていつも当掲示板をチェックしてくださる皆様、本当にありがとうございます。 皆様方の意見交換、情報交換などに御利用していただければうれしいです。 だいすけさん >多少兵士の教育水準を上げても、現場の論理で吹き飛んでしまう >ようであれば、やはり戦争をコントロールするのは後方であって、 >国民が暴走しがちな軍事力というものをしっかり監視する目を >持たなければ、となるのでしょうか。 兵士も指導者も含めた国民一人一人に教養が必要だと思います。 読み書き知識を得るための教育もひとつの方法ですが、 例えば立ち振舞いとか、人とのコミュニケーションの取り方とか生活全般にわたる文化的なもの 普遍的な倫理観を身につけることが重要だと思います。 最近のいろいろな出来事をみていると「教養」なんて言葉はブッ飛んでしまいますが。
205.ありがとう御座いました。 投稿者:小池昭輔 投稿日:05月31日(水)16時50分00秒
窪田様ほとうにありがとう御座いました、ご指図のとうり掲示板を読ませて頂きあの悲惨なビルマ戦線の 模様を各戦線にわたり知ることが出来ました。 しかしながら50余年の歳月の壁は厚く私の求めいぇいる情報は得ることができませんでした。 この5月28日東京小石川の戦没者墓苑でビルマ英霊顕彰会の平成12年度総会があり、私も遺族の個人会員として 参加(昨年から)していますが生存する方々も寄る年並には勝てず探す相手も判らない状態です。 幸いなことに当時の後方参謀、牛山才太郎、後 勝、の(大佐と少佐)にお目にかかり第五野戦輸送司令部の 敗戦時の消息をひもといて下さるようにお願いしました。 今更なぜとお思いでしょうが、五人兄弟の末っ子が来年還暦を迎えます、兄弟一人一人の親父の思い出をまとめ それぞれの連れ合いや孫たちに親父の在りし日の姿を伝えたいからです。 ありがとうございました。お父様にくれぐれもよろしくおつたえくあさい。 大分市大字古国府117−1−102 小 池 昭 輔。
204.「ビルマ反乱軍からの脱出 投稿者:謙東弥 投稿日:05月29日(月)09時51分18秒
自費出版された小説集「ビルマ反乱軍からの脱出」を読みました。 著者の武田氏は1917年生まれ、善通寺編成の楯第55師団に入隊、 プローム(ピイ)、アキャブなどを転戦され、 メイクテーラ(メイッティーラ)収容所を経て生還。 現在は別府に住んでいらっしゃいます。 本の内容は数編の小説からなり、たいへん読みやすく、ビルマ敗戦時の 様子が描かれています。作者が日本の敗戦を知ったのは、8月15日から 3ヶ月も経てのこと、敗走中のペグー山系の中です。 武田氏からのお手紙には次のようにあります。 「インターネットでこの本を紹介していただけないでしょうか。 多くの戦争を知らない世代に読んでもらい、得るものがあれば 私の喜びであり、ビルマで餓死した仲間たちも歓喜するでしょう。」 874−0947 別府市浜脇町1丁目7−13 武田裕 「ビルマ反乱軍からの脱出」 税込み定価2100円 送料310円 ◎「轢死」1989年月「刊アドバンス大分」5月号掲載 ◎「自虐の滅び」1961年長崎「コスモス文学」72号掲載 ◎「善意の周辺」1997年福井「青魚」51号掲載 ◎「ビルマ反乱軍からの脱出」未発表 ◎「ウージイ」未発表
203.なるほど。
投稿者:だいすけ 投稿日:05月27日(土)01時08分56秒なるほど。「強いアメリカ」を売りにして大統領選に 勝利するパターンも十分考えられますね。戦前の日本の ような国でもない限り、やめるのも起こすのも世論次第 といったところでしょうか? しかし、兵士の倫理観については、私は疑問です。 この百年間で世界の教育水準は大幅にアップしたと思いますが、 どれほどそれが前線の兵士の行動につながっているかは 疑問です。蛮行はなくなりつつあるのでしょうか? よく戦争映画で、同僚や上官が民間人を虐殺しようとして 主人公が止めるシーンがあります。映画だから2者の対立と して描かれていますが、実際は、現場の論理が働きますから、 「何を甘いことを言っている」といった意見が主流になるのか と思われます。 多少兵士の教育水準を上げても、現場の論理で吹き飛んでしまう ようであれば、やはり戦争をコントロールするのは後方であって、 国民が暴走しがちな軍事力というものをしっかり監視する目を 持たなければ、となるのでしょうか。
202.世論
投稿者:まつした 投稿日:05月26日(金)17時12分13秒>むしろ世論の高まりが >「外交の一手段としての」戦争を減らして(もしくはましにして)いる >ようにも思いました。 逆に世論によって戦争が勃発する例もあります。世論によって叩かれた弱い政府がその人気回復をはかるために 隣国へ攻め込む、世論が代表者を立てて武装していく。 正しい世論を起こすには国民がしっかりした国家機関の代表者を選び、手元にある銃や戦車、戦闘機等の武器を 「いかに使わないで済ますか」を考えさせることが上の上だと思います。 先ごろ自衛官が民間人に小銃を撃たせたことが問題になりましたが、これら武器を扱うにあたって の倫理観が屈折していることが大きな災難になる。そのためにも扱う側にかなりの教育水準が求め られるのではないかとおもいます。 恐らく世界中で起こっている地域紛争の多くは武器を持つべきでない独裁政権や、何らかの理由で武装して しまった民間人によって行われているのではないでしょうか。
201.湾岸戦争について
投稿者:だいすけ 投稿日:05月26日(金)12時35分29秒お久しぶりです。ちょっと昔の記事になりますが、まつしたさんに お返事です。確かに湾岸戦争などが、近年ではありますし、外交の 一手段としての役割も終わったように思われませんが、しかし、湾岸 戦争でアメリカ政府が強調したのは、ハイテク兵器を使った「アメリカ 国民が血を流さない」戦争であり(本当のところはおいといて)、また イラク国民も血を流さない、ということが強調されました。 つまり、国際的な批判や、アメリカ国民自身が、「なぜ私達が血を 流さなければいけない」といった反感が、事実は違うにしろ、そういっ た方向にアメリカ軍の作戦構想に足かせをはめているように思います。 もっともアメリカ軍の兵士だって被害が出ているし、戦車砲弾で使われた 劣化ウラン のせいで、死ななかった兵士も、放射線障害で苦しんでいます。 また、ハイテク兵器で施設のみを破壊したといっても多くのイラク国民は まきぞえになりました。 そういったことから、この主張はだいぶん引き算せねばならない部分が ありますが、指揮官の教育水準というよりも、むしろ世論の高まりが 「外交の一手段としての」戦争を減らして(もしくはましにして)いる ようにも思いました。
200.ありがとうございました。
投稿者:藤田 投稿日:05月24日(水)00時19分54秒窪田さんありがとうございます。 早速、防衛庁の図書館に問い合わせてみようと思います。
199.すみません
投稿者:窪田やよい 投稿日:05月21日(日)23時23分49秒藤田さん hpご訪問&コメントありがとうございます。 私の父は一工兵隊員に過ぎず、しかも年少の初年兵だったために他の部隊の知識はなく 父が知っている戦争の事柄は本文に載せている内容がほぼ全てだろうと思います。 関連する資料等もありませんので、残念ながらお問い合わせの件にはお答えができません。 以前この掲示板で教えていただいたことですが 防衛庁の防衛研究所図書館というところで詳しいことがわかるようですので、 問い合せてみてはいかがでしょうか。
198.ありがたく読ませていただきました。
投稿者:藤田 投稿日:05月20日(土)10時19分52秒はじめまして、私の祖父もビルマ戦線に従軍していました。 小さいころには何度か話を聞きましたが、今では他界してしまい、あの時もう少し話を聞いていればと思うように なりました。祖父は岡山県出身で砲兵部隊に所属していたようです。 そちらに関する資料があればぜひ、連絡いただければ幸いです。 ぜひ、祖父の辿った道を知りたいのですが。よろしくお願いいたします。
197.ありがとうございます
投稿者:窪田やよい 投稿日:05月19日(金)13時28分36秒ミャッさん はじめまして。hpご訪問&コメントありがとうございます。 ミャンマーの方に登場していただけるとは思ってもいなかったので とてもうれしいです。 父は現在76歳、元気に農業を営んでいます。 今は桃の摘果作業におわれています。大きな良い実をならせるために余分な実をとってしまう作業です。 7月8月の収穫期まで忙しい毎日が続きます。 農作業の様子をまとめたページもありますので、そちらも是非ご覧ください。 謙東弥さん いつもありがとうございます。 ミャンマーのことならおまかせ、ですね。 ミャンマーの人々と日本の人々が交流を持ち理解を深め信頼しあうことは とても素晴らしいことだと思います。 ミャッさん 日本にいらっしゃって肌で感じる何かがありましたか。
196.メイッティーラ
投稿者:謙東弥 投稿日:05月18日(木)10時40分00秒ミャッさん、はじめまして。1997年にメイッティーラを訪れ、 日本の戦友会・慰霊団の建てたナガーヨンマハボディ・パゴダと、 湖畔のロンゼリー・パゴダへ参りました。 日本兵の遺品の数々、錆びた鉄兜や水筒、主を亡くし写真帳、小さな戦車、 等々を見ると、なぜか涙があふれてしまいました。 「なぜ日本人が遠い異国の地で死ななければならないのか」 と深く考えさせられもいたしました。 メイッティーラ会戦は多くの戦記に登場する、日本軍壊滅の戦いでした。 日本語がお上手ということは、ゼゴン・チャウンのダマタラ師の 生徒さんでしょうか。ダマタラ師にはたいへんお世話になりました。 1999年3月にもお逢いいたしましたが、生徒さんたちは皆、 勉強熱心でしたね。日本語を学ぶビルマの若い人たちを見ていると、 日本人としてたいへん嬉しく思います。 ダマタラ師からは「ナガニ」のカセットテープを お土産にいただきました。
195.自己紹介
投稿者:Myat 投稿日:05月17日(水)23時41分11秒はじめまして ミャンマーの真中にあるメッティラー出身のミャッと申します。 現在、九州に留学しています。メッティラーという名前を聞くと お父様は多分、懐かしいとおもいます。第二世界戦争中は、メッティラーで たくさんの日本人が戦死されてます。今、お父様はお元気ですか? よろしくお伝えくださいませ。
194.松下さん
投稿者:窪田やよい 投稿日:05月12日(金)13時09分51秒了解致しました。 またの書き込みをお待ちしております。
193.まつした=松下です。
投稿者:まつした 投稿日:05月11日(木)23時02分01秒同一人物です。 失礼致しました。
192.倫理観
投稿者:窪田やよい 投稿日:05月11日(木)14時45分37秒まつしたさん ありがとうございます。 松下さんとは 別な方?でしょうか? 教育が浸透して文化倫理が成熟することは、社会(国家)が成熟するのに必要不可欠なことだと思います。 経済が発達することも国家の成熟の一過程であり、経済が発達した国ではやはり戦争は過去の出来事では ないかと思います。 今の日本を考えてみても戦争なんてとてもできそうにありません。 今の日本は経済的な成功は修め、次の段階が見えずに混沌としている、といったところでしょうか。 ここで必要なのは文化倫理を見直し強化することだと思います。
191.戦争
投稿者:まつした 投稿日:05月06日(土)22時23分44秒>外交手段なら、今は経済でしょう。 >武力を使うのは、経済が未発達の国の手段ということでしょうか。 今戦争とはいかにというテーマで19世紀のヨーロッパ戦史などを調べてその当時の指揮官だった人 の著作等を読んでいます。 経済未発達国が武力を行使するという原理は成り立たないと思います。石油大国のイラクがアラブ 諸国NO.1の経済大国クェイトに侵攻した例があります。ここで言えることは宗教や倫理観が戦争の 発端になっていることだと思います。 最初に書きました19世紀ヨーロッパで書かれた著作によると、戦争時兵士や市民が蛮行に及ぶのは 文明や倫理観が未発達であることと説いています。また戦争が起こったとしてもしっかりした倫理観持つ 国家同士の場合、戦争の終結が早く、無駄な血を流さないとされています。今世紀の核出現で この定理は若干変わったかもしれませんが。 先進国の軍隊で兵士や指揮官が大学と同等の教育課程を受けることと、戦時における個人の倫理感 は無関係ではないかもしれません。
190.戦争再考
投稿者:窪田やよい 投稿日:05月02日(火)23時16分10秒だいすけさんはじめまして。 ご訪問ありがとうございます。 当掲示板にはたくさんの方々の貴重なご意見がありますので、それを読んでいただくだけでも とてもおもしろいと思います。このところ発言が途絶え寂しく思っておりましたが、 久しぶりの書き込みをいただきうれしいです。 しばらく「戦争」のことを考えないでいましたら、やはり戦争は今の生活とはかけ離れたところにあるなあ、と いう感じです。 外交手段なら、今は経済でしょう。 武力を使うのは、経済が未発達の国の手段ということでしょうか。 今夜テレビでサラエボの辺りのことをやっていましたが、民族的な対立は理屈ではくくれない根深く複雑な問題で、 部外者には立ち入れないように思えます。 では、彼等には平和は永久にやってこないのでしょうか。
189.「大義名分」について思うこと
投稿者:だいすけ 投稿日:05月02日(火)10時39分54秒過去の感想を読んでいて思ったのですが、戦争を始めるというか、遂行する上で 大義名分というのはどういう位置を占めているのだろうと思いました。 私は「戦争は外交の一手段である」という、クラウゼヴィッツの「戦争論」の 言葉を鵜呑にしておりますが、しかし末端の一兵士が、たとえば利権の獲得 などを目的として命を賭けるとしたら、それはあり得ない話でしょう。 だからなんらかの大義名分がいるのかなぁ、などと思いました。 ここ最近、「大義名分」のみでなりたっているような民族紛争が 目立つのも、相対的に、戦争というものが、外交の一手段として あまり使い勝手のよいものでなくなり、そのような戦争が減ったせいかなぁ などと思います。
188.新刊紹介
投稿者:謙東弥 投稿日:05月01日(月)08時05分11秒吉田敏浩・著 「北ビルマ、いのちの根をたずねて」 めこん・刊 96年に「森の回廊」で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した著者の ビルマ辺境レポート第三弾です。 タイ国境からビルマ北部カチン州フーコンまで、カチン民族解放軍に従軍 した記録です。といっても戦闘場面はあまり登場しないのですが。 著者の体験により辿り着いたのは、「自然の中での人間の生と死のつながり」 で、周辺の少数民族の死と生にまつわるエピソードを紹介しています。 国家・政治そして国境線によって分割された少数民族の苦悩、 中国の文化大革命やビルマ軍事政府の弾圧などで虐げられながら、 自然と共生する生活や風習を丹念に描いています。 144ページより抜粋 「カチン語で第二次大戦のことを『ジャパン・マジャン』(日本戦争)と呼ぶ。 日本軍が来て巻き起こした戦争だから、そう名づけられた。鉄道や飛行場の 建設に酷使されたり、連合軍のスパイだと疑われて憲兵隊に拷問されたり、 農作物や家畜を奪われたり、といった日本軍による災いを住民がこうむって、 死傷者も出た話は各地で耳にした・・・」 148ページからは、タイ・ビルマ国境に暮らす未帰還兵、 坂井勇さん(独立自動車大隊第二中隊修理班)についてのレポートがあります。 大正5年にブラジルで生まれた坂井さんは、東京オリンピック見物に来日しますが、 開かれず、召集されブラジルへ帰国もできず、朝鮮、マレー、サイゴン、タイ、 そしてビルマと転戦し、戦後はタイへ敗走しカレン民族軍に参加してビルマ軍事政権 と戦う、という地球を半周する数奇な運命を辿りました。 158ページより抜粋 「でも、日本は何も変わっていませんね。タイやビルマに今度は商売でやって 来ますが、利益しか考えようとしません・・・わたしは日本に戻りたいとは 思いません。できればブラジルに帰ってみたい。わたしはずっと、自分は 日本人ではないんだと思い続けていました・・・わたしは、自分の一生が 何だったのかまるでわからなくなる時があります」
187.けろよんさんようこそ
投稿者:窪田幸唯 投稿日:04月11日(火)16時54分21秒けろよんさん レスが遅くなり申し訳ありません ご指摘のとおり、戦争体験者の年齢はどんどん高くなっております 残された時間は多くはないと思います(同感です) 歴史として、本で読むものではない実際の体験記は替えがたい貴重なものです 当ホームページが立ち上がって約1年です どのような反響があるか、おっかなびっくり状態でスタートしたものが このように予想以上に多くの皆さんの書きこみいただき感謝です
186.春爛漫
投稿者:窪田やよい 投稿日:04月11日(火)13時30分34秒テルヨ ボーンさん、はじめまして。hp訪問&コメントありがとうございます。 謙東弥さん、早速のレスありがとうございます。さすがにお詳しいですね。 私の方は父に問い合せてみましたが わからないそうです。せっかくのお尋ねの件でしたが残念です。 テルヨさんのおじいさまはどんな体験をなさったのでしょうか。 また、戦争に対してどのようなお考えを持っていらっしゃるのでしょうか。 おじいさまのお話をネット上に公開されてみてはいかがですか。 是非伺ってみたいと思います。 日本兵として戦われたおじいさまを持ち、アメリカ人の御主人をお持ちであるテルヨさんは きっと多角的な視野をお持ちではないかと思います。 アメリカの地から日本を眺めるとどのように見えるのでしょうか。 今、日本は(山梨は)ありとあらゆる花が咲き乱れ春爛漫の真っ只中です。 新芽もふきはじめそこら中が淡い色合いで染められています。 こんな時、無条件でこの国を愛しく思わずにいられません。
185.菊兵団に関して
投稿者:謙東弥 投稿日:04月10日(月)18時58分42秒第33軍第18師団(菊)に関しての戦記は下記の通りです。 ◎菊兵団「地獄の戦場」物語 新井貞一(工兵第12連隊)著 光人社 ◎死守命令 田中稔(歩兵第114連隊)著 光人社NF文庫 菊兵団はミッチナー(ミイトキーナ)やメイッティーラ(メイクテーラ)などを 転戦したようですが、1998年7〜10月まで4回にわたって連載された ◎古山高麗雄(勇兵団)「私のフーコン旅行記」 月刊「諸君」文芸春秋社発行 によると、 「北部フーコンでは、はじめ、シュロー方面の右翼を久留米の第56連隊が防衛し」 とあります。フーコン谷地はビルマ北西の、特別許可がなければ外国人は入域できない 場所で、マインカンには現在9戸しかない、未だ荒れ地のままのようです。 戦争当時はインドのレドとビルマのミイトキーナ、そして中国の重慶を結ぶレド公路の 通過地点がフーコン谷地でしたが、日本軍は壊滅状態であったようです。 「レド公路は菊兵団の将校には、格別のものであろう」 「1943年の10月、連合軍のフーコン攻撃が始まって以来、菊兵団は4ヶ月あまり、 まず北部フーコンで彼らを迎撃・・・1944年の3月、ついにジャンプーキンタンの 南へ退くのである。・・・1944年の5月・・・セトン西方の山中に、工兵隊が 作った全長15qの伐開路を通って日本軍は退くのだが、その最高地に、 九州の兵士は筑紫峠という名をつけた」 などと古山氏の記述にあります。 以前から月刊「文学界」に古山氏の「フーコン戦記」が連載されているようです。 (私は一度も読んでいませんが・・・)
184.ビルマ工兵の祖父についての情報
投稿者:Teruyo Bourne 投稿日:04月09日(日)14時40分40秒はじめまして。私 は現在アメリカ人 と結婚し、アメリカ に住んでいる28歳の日 本人です。私の祖父も太平洋戦争時にビルマに工兵として召集されました。はじ めは支那にいたのですが、内地へ一旦帰った後、ビルマに派遺されました。そこ で重傷を負ったのですが 収容所での生活の後、無事に復員できました。 私の母方の祖父なので、同居をしていたわけではありませんが、幼いころから祖 父母を訪れるのが楽しみでした。祖父は無口で通って いましたが、ここ数年前か ら、私にたくさんの戦場での話をしてくれるようになりました。彼のことについ てもっと知りたいと思い、ネットでリサーチしているうちに、 貴方のホームペー ジにめぐりあえました。御父様の経験を読んでいるうちに、涙が出てきました。 そしてひょっとして私の祖父のことを何か覚えていらっしゃったらと思い、メー ルを書かせていただいています。祖父の名前は丸山隆範(まるやま たかのり)とい います。福岡県八女郡広川町の出身です。私の知る限りでは『菊』師団にいたそ うです。たしか久留米の師団だと思います。 もし、当時のビルマ戦の兵隊名簿や何か役に立つ資料をご存知であれば、教えて いただきたく、厚かましいお手紙を書いています。 今年の夏、日本へ里帰りするつもりです。その時にまた祖父と話をするのを楽し みにしています。 失礼いたしました。 テルヨ ボーン
183.(無題)
投稿者:けろよん 投稿日:04月04日(火)20時43分23秒あまりにも大きな犠牲の強いられた、あの時代に生きた諸先輩たちの貴重な 体験。 その貴重な生の声は、犠牲となった人達のためにも、可能な限り残す必要があると思います。 もう残された時間は多くはありません。
182.体験者
投稿者:窪田やよい 投稿日:04月03日(月)13時18分16秒実際に体験された方の話は説得力があり、真実がありますね。 そういうお話に直接触れる機会が得られるのはとても幸いなことと思います。 戦争体験者が高齢に達している今、なるべく多くの方の体験が発表されることを願います。
181.「さらばビルマ」読みました
投稿者:謙東弥 投稿日:03月30日(木)09時27分49秒1ヶ月以上前の告知にありました、「さらばビルマ」を買って読んでみました。 たいへん読みやすく、著者や編集者のお心遣いがたいへん感じられる文章でした。 戦記・回想、などはたぶんに恨み言や他を傷つける言葉がまま見られますが、 「さらばビルマ」は、なぜかしら心が和む読後感を懐きました。 著者の浜本猪勇夫様のご長寿を祈ります。 先日、札幌在住の、元第十五軍121兵站病院に所属された衛生兵、 という方と逢いました。Tさんはマレー半島から山越えでビルマ南部へ入り、 マンダレー、メイミョウ、ラーショーなどで勤務され、終戦時はバンコクの 陸軍病院勤務で、昭和21年に帰国されました。Tさんは500枚ほどの 回想記を執筆されており、今年中にはビルマを初めて再訪し、当時の赴任先 を歩き、現場検証をされてから、自費出版されるそうです。 そのTさんからうかがいましたが、日本がこの(ビルマ戦線)ような無謀な戦争 をしたのは、明治憲法が原因だとのことです。天皇は軍隊を統率する、という 憲法が、軍部の独走を招き、15年戦争に発展するのを防ぐことができなかった、 との説です。
180.上の立場
投稿者:窪田やよい 投稿日:03月29日(水)16時12分16秒横山さん ありがとうございます。 佐藤中将の御子息と親しい関係の方が実際にいらっしゃるとは 戦争が過去の物語ではなく、現実に繋がっている問題だと気づかされます。 上に立つ人は批判に晒されやすいものですが、 他の人にはわからない苦悩や決断があったことと思います。
179.師団長 佐藤幸徳中将閣下
投稿者:横山 眞琴 投稿日:03月27日(月)16時59分07秒佐藤幸徳中将閣下の御長男(佐藤五郎様)と同じ職場にいた関係で、中将閣下の素顔を 親しく伺いました。 特にインパール作戦発行時の師団訓示(原本)を見せていただいたときは、読み進むに 従い涙を禁じ得ませんでした。 いわく 師団に編成された将兵の多くは、これまで長年激戦の前線を経てきた将兵である。 兵たちがこれまで味わってきた辛苦に思いがはせる。 間違ってもその将兵を無駄死に追い込むことがあってはならぬ。 十分な休養と十分な訓練を交互に設け −−−云ぬ 今私の手元には、閣下がインパール時代につけていたベタ金(中将の襟章)があります。 佐藤様から頂戴しました。 金糸が黒くなって、あのインパールが染み付いております。 合掌
178.ようこそジャンボウグさん
投稿者:窪田やよい 投稿日:03月27日(月)16時56分47秒ジャンボウグさん、はじめまして。hpご訪問&コメントありがとうございます。 自衛隊関係者は知人にもありませんので、とても新鮮にご意見窺いました。 >そんな時、戦争はいかんなぁ、と思いました。若者みんながこんな気持ちになってくれれば、と思っています。 今の世ですすんで戦争をしましょうなんて人がいるでしょうか。 仮に招集があったとしても、誰も嫌がって応じないと思います。 そこで、いざ有事となれば、自衛隊に頼るしかないのですが、 自衛隊の中で、歴史や戦争のことなどをどのように教えられているのか、 また、国防意識はどのように育てられているのか、興味があります。
177.平成の兵隊
投稿者:ジャンボウグ 投稿日:03月26日(日)22時08分09秒はじめまして、私は元自衛官です。18で入隊して約4年勤めました。職種は普通科(歩兵科のこと)です。 友人達は大学生になり、車のハンドルを握る中、私は64式小銃を持ちました。そんな友人達は私のことを 好奇の目で見てました。今でも職場の仲間内で好奇の目があります。私自身は そんなにめずらしいことではないと思うんですがねぇ〜。前大戦のことでさえ、彼らのなかには 真珠湾と広島、長崎しかありません。戦争に至った経緯など、まったく知りません。依然日本軍は 悪いことをしたということのみ認識しているようです。これでは、将兵が何の為に海に山に散っていったか解りません。 少なくとも自衛隊では学校で習う歴史以上のことは学べました。自衛隊の戦闘科職種にいれば、旧軍将兵の苦労の 半分くらいは解ります。そんな時、戦争はいかんなぁ、と思いました。若者みんながこんな気持ちに なってくれれば、と思っています。 ところで、インパール作戦の首謀者、牟田口廉也は戦後自衛隊の幹部学校かどっかでたびたび講演 していたそうです。よくも自身の功名心、名誉欲、陸軍大将の階級の為に無謀な作戦を立て、あれだけの将兵を 屍にしておいてよくもぬけぬけとお天道様の下を歩けるもんだと思いました。 しかも、戦後牟田口の書いたパンフレットには「私は間違っていなかった!」とあり、「各師団が命令どおり 実行しなかったからだ!」とのたまっていたそうです。作戦当時、撤退する際は兵隊に襲われないように兵隊の 服を着て脱出したそうです。詳しくはインパール作戦に関する書籍を見て下さい。きっと怒りに震えることでしょう。 今の自衛隊でも、牟田口軍司令官までは行きませんが、自身の為に部隊を動かす幹部もいます。 一般社会でも、こんな上司はいます。こんなタイプの下についた時、インパール作戦を思い出さずにはいられません。
176.うれしいです 投稿者:窪田やよい 投稿日:02月27日(日)22時10分50秒
井上さん hpご訪問&コメントありがとうございます。 こんな風に感じてくださる方がいらっしゃると、とても勇気づけられます。 hpを立ちあげて本当によかったなあ、と思います。 >平和な日本で、幸福な日々を送れるのも、つらい時代に苦労して日本を建て直した、人々の > おかげだと私は思うのです。 その想いを多くの方に訴えたいと思っています。 今後もよろしくお願いします。
175.言葉がでません・・・
投稿者:井上 大嗣 投稿日:02月27日(日)02時07分53秒たまたま、このページにたどりついて、拝見させていただきました。 私は現在、大学に通う21歳の学生ですが、戦時中は、私と同じ位の年齢、もしくは、もっと 若い人たちが、戦争に行ってたんですね。私は戦争を実際体験していないので、それが一体 どんなものなのか想像がつきません。でも、こういう体験談を読むことによって、 理解を深めることはできます。僕と同年代の人たちで、「ほんの数十年前に、戦争があって、 その時代に生きた人達がどんな苦労をしてきたか」ということをじっくり考えたことが ある人が果たして何人いるか・・・ 学校に行っても、授業にも行かないで、食堂でたむろしている人をよく見かけます。 戦争に行った人、戦争で亡くなった人がそれを見たら、一体どう思うんでしょう? 私は決してまじめではないし、時には授業をサボることもありますが、今現在、 平和な日本で、幸福な日々を送れるのも、つらい時代に苦労して日本を建て直した、人々の おかげだと私は思うのです。こういうことをしっかり教えない現在の学校教育にも 問題がある、とも思います。 非常に考えさせられることが多かったです。有意義な時間を与えてくださったことを 感謝します。ありがとうございました。
174.早速探してみます
投稿者:K.K 投稿日:02月25日(金)19時09分54秒浜本さん 早速探してみます、無ければ注文して拝読させて頂きます。
173.損害賠償
投稿者:窪田やよい 投稿日:02月25日(金)13時25分25秒浜本さん hpご訪問&コメントありがとうがざいます。 私の父は現在76歳で、出兵当時は20歳そこそこの初年兵でした。 父の体験談は、娘の私が聞いてもなにか躍動的で、あまり悲壮感は感じませんでした。 もっと年長の方が体験されたことや感じられたこととは視点が違ったのかもしれません。 お父様の「さらばビルマ」出版成就おめでとうございます。出版にあたってはとてもご苦労があったことと思います。 機会がありましたら是非読んでみたいと思います。 新聞記事に 前大戦の元連合国兵士や民間人の捕虜が「強制労働で肉体的・精神的な被害を受けた」として 日本企業に損害賠償を求める動きがカリフォルニア州で活発化している、というのがありました。 どうして今ごろそんな問題が出てくるのかわかりません。