管理者より、ひとこと、ふたこと・・ 

2011年12月31日(土)
 訪問リハビリは29日午前まで行い、その午後からが整理の時間となりました。年賀状の印刷を夜までかけて、昨日投函しました。元旦には届かないかな、と思いつつ、それでも義務的作業が済んで一つ安心。昨日は一日中掃除に追われ、普段もう少ししておけばと、例年通りの反省となります。夜は申告書を作成のための会計準備に取り掛かりました。領収書などを集めたり、貼ったり、今年もまたその時期かと頭が痛くなってきました。来年2月中旬くらいまで、やや気持ちの重くなるのでした。
 今年一年……、振り返って、やはり何といっても3月11日の大震災ですね。あの瞬間と、その後のテレビ報道に、これからどうなってしまうのだろうと、未来が見えないような不安な思いを抱いたものでした。夜に気仙沼が火に覆われたシーンをズット流していて、その晩は興奮して殆ど眠れなかったことを思い出します。5月にやっとの思いで復興支援のボランティアに行けました。あの気仙沼だったことで、現地に到着するまでドキドキものでした。たった3日間の滞在でしたが、STとしての支援が多少なりともできたことで、少し安心しました。被災地はまだまだ大変な状況と思います。直接は行けないかも知れませんが、自分ができる範囲で支援していきたいと思います。
 大掃除をしていて、バッグの中から少し重たいメダルを発見。4月末の富士五湖ウルトラマラソン大会の完走賞でした。5年ぶりに復帰しようと、1月、2月とまあまあ頑張って練習してきました。大震災があり、その後休止したのでしたが、4月に思いを新たに挑戦。72,5kmは少し長いですが、ユックリ走って楽しい一日でした。ただ、その後は十分に練習ができず、そうこうしているうちに膝に痛みが来て、今は全く走れない状況です。来年ウルトラに出られるか……。
 家の建設が7月に始まり、棟梁とあーでも、こうでもないと不満が出てきて、難しいものだと半分嫌になってきた頃もありました。12月中旬を過ぎて、いよいよもう少しかなと言う段階になって、今度は引越しは?塀は?玄関先は?と新たに頭を悩ませるのです。来年住むようになって、まだまだ落ち着かないだろうなと、言う感じです。
 今年も一年間ズッと書いてきたモノを、来年こそは出したいですね。つい3日ほど前に取り敢えず完成しましたので、今は見直しに取り掛かっています。どんなものでしょう?
 さて、新たな年はもうそこまで来ています。来たる年がみんなの笑顔が増えるような一年になることを祈っています。

2011年12月27日(火)
 今日午後はNHKのディレクターさん数名と脚本家の中里ミホさんと、訪問活動に行きました。NHKドラマで来年春にSTが主人公のドラマが放映されると言うことで、その現場を拝見したいと言う話が突然来ました。ディレクターさんの意向で、病院での閉鎖空間での訓練ではなく、在宅などで生きた、明るい雰囲気の下で行っている場をという要望だったようです。私も年末でバタバタする中、何とか利用者さんに協力していただき調整しました。失語症の方と、摂食・嚥下嚥下で構音障害のある方と、2名の場面を見ていただきました。皆さん初めて経験だったということで、言葉を失っ方の、生きたコミュニケーション場面を提供できたかと思います。
 よくドラマ化される作品は、声が出ないということを強調して、実際の失語症者の症状や、何に困っているのかなどが完全にズレています。折角の機会、正しい認識でSTとは、そして失語症の人とはどんな人なのか、描いていただきたいと思いました。来年の放映が今から楽しみになりました。それにしても……、中里さんとお会いできて大変光栄でした。気さくにお話しいただき、私が今書きためてきたモノについてもご助言頂き、夢のようでした。

2011年12月25日(日)
 昨日はクリスマス・イヴで、例年通り家族パーティをしました。昨年までは両親と子供のクリスマスプレゼントを用意することで、かなり頭を悩ませていました。今年はそれを止めようと宣言し、子どもが二人で爺婆に贈ると言うことにしました。子供にしては初めての経験で、ホームセンターなどに出掛けて選んでいました。
 事件はそのプレゼントを買い終わった後に起こりました。長男が何処かで財布を落としたというのです。自転車で出かけ、帰宅したらポケットに財布がなかったのでした。2度通った道を確認し、店の店員に聞いてもないのでした。財布の中身は、お金は7千円くらいで大したことなかったのですが、免許証と学生証も入っていたと言うから大問題です。そこで、私と一緒に警察の分署に行って聞いてみたところ、それらしきものが本署に届いてあるというのです。すぐに本署まで行き、尋ねると息子が失くした財布があったのでした。
 様々文書を書かされましたが、警官も大変親切でした。届けてくれた人は家の割と近い若者でした。帰宅して直ぐに息子とお礼に行きますと、本人は不在でそこのお母さんに感謝の意を伝えてきました。この世も捨てたものではないなあと、届けてくれた若者がいたことにとても嬉しかったでした。息子も定番のプレゼントはなかったけど、それ以上の暖かい気持ちを受け取ったと感じたことでしょう。正にメリー・クリスマス!でしたね。

2011年12月22日(木)
 やっと風邪もおさまった感じで、午前中は地元で訪問をして、午後は塩川病院へ遠征しました。電車で穴山まで行き、そこから約4kmを歩いて塩川病院まで行こうとしたのでした。ちょうど中間地点まで下りたところで、塩川病院のOTさんが迎えに来てくれまして、久々の運動はここで終了となりました。毎年お世話になっております塩川病院での忘年会は、韮崎駅近くの焼鳥屋で開かれ、とても楽しく呑んで食べてと行きました。まだ本調子でなかったので、呑みの方はいまいちでしたが、それでも沢山いただき満足でした。
 帰りは22時49分の塩山行きでのんびり帰ってきました。毎年22日に行われるのが良いですね。明日はユックリ眠れそうです。

2011年12月18日(日)
 東山地区失語症友の会クリスマス会が無事に終了しました。会員17名、ST4名、ボランティア4名、観客2名とそれなりの人が集まり、楽しい会でした。場所の山梨市「街の駅やまなし」には9時半に集合し、坂元、若松と準備に取り掛かります。11時を過ぎるころから劇「マッチうちの少女」の練習に入ります。そして昼食をいただき、1時よりオープンとなりました。
 松田会長の開会のあいさつ〜リラックス体操〜参加者の自己紹介とひと言〜出し物とすすみ、優和福祉専門学校の杉田校長、功刀先生と学生さんによる歌のプレゼント。私たちは「マッチ売りの少女」を舞台を使って初上演――マアマアでした。そして奥さんらによる「武田節」の踊りも場を盛り上げ、とても良かったでした。後半はお茶を飲みながらの雑談でした。キャンドルサービスをして、「ことばを超えて」を歌って、記念撮影、終了となりました。
 毎年、私自身大変力を入れるイベントですが、今年は風邪をひいて大ピンチでした。若いST2名がよく準備してくれたので助かりました。まだ盛り上がったクリスマス会の余韻が残っている感じです。

2011年12月16日(金)
 風邪をひいてしまいまして、ズット不調でいます。10日(土)に寒い中タイヤ交換をしたりしたのがまずかったのか、その晩に38度超えの発熱。11日(日)は自宅で安静にしていて、熱が下がったのですが、喉が痛くて、それがずっと続いていました。12日(月)に吉岡先生のところで総合感冒薬を出してもらい、それを呑んで状態を伺っていました。丁度仕事が忙しい一週間で、訪問の忙しさに、忍野村の教室も加わり、てんてこ舞いの連日に休む気持ちもありませんでした。18日(日)は友の会のクリスマス会なので、その準備をしなければとと思いつつ、手つかずに済ませていました。
 今日はちょっと時間が空き、その時間に耳鼻科を受診。鼻と喉のアレルギー系の薬を処方してもらいました。それでだいぶ喉が良くなりました。今日は今日で忙しい金曜日でしたが、明日は土曜で休みですので、ユックリして、クリスマス会の準備に取り掛かろうと思います。

2011年12月8日(木)
 寒くなりました。富士五湖付近は朝方の最低気温が氷点下の毎日ですので、来週の忍野村での言語リハビリ教室に備えて、そろそろタイヤ交換もしておかなければマズイですね。昨日は1週間ぶりに走りました。右膝の痛みは残っていますが、走っていると特に気になりません。こんな状態で続けていって良いモノか……、気になります。18日の友の会クリスマス会に向けて、準備は着々というか、ボツボツ進めています。ボランティアの学生さんをたくさん求めています。ところが私の方で動きが遅くて、十分な状態にはなっていません。文書を更に明日出しますが、どんなものでしょう、ちょっと手おくれかな?

2011年12月5日(月)
 富山に行ってきました。「高次脳機能障害リハビリセミナー」は昨日、大変意味深い大会で、私にとって新たな学習の場だったと感じています。この大会の開催意義を十分に把握していなかった私でした。高次脳機能障害支援「笑い太鼓」の星川理事や、富山の脳外傷友の会高志の山理事長と、一緒に昼食を取っての打ち合わせ会でに出席した時に、私の講演はいつもの調子ではダメなんだとここで気がついたのでした。脳外傷による高次脳機能障害については、私自身失語や記憶力、注意、集中力などの低下があり、当時かなり苦しんできたものでした。今日はこちらの話をメインに話していこうと、折角家で作ってきた原稿は破棄し、当時を振り返っての語りとしました。後半はそれでも何とかまとめようと、強引に結論に持っていった感があり、講演としては果たして如何だったか……。脳外傷友の会の方たちからは良かったと言われましたが、複雑な気持ちでした。
 終了後、友の会の皆さんと打ち上げ会に参加しました。私の隣には高次脳機能障害の本人、30代の若者が座り、彼と楽しく語りながらビールを何杯も一緒に呑んでいました。外見上は分かりにくい障害だけに、厳しい現実に苦しんでいるんだろうと、親御さんとの語りで知らされました。一生懸命に活動を広げている皆さんの話を聞くことでき、私は自分が凄く良い刺激を与えられたと感じました。このことについては、また時間がある時に考えて書きこんでいきます。

2011年12月2日(金)
 今週はズット調子が悪くて、頭痛がして、というところで月曜から昨日まで休刊日にしました。血圧が高かったのでそれも心配でした。今日は吉岡先生のところを受診し、その旨相談しますと、特に問題ないとのこと。血圧も先生の前では正常値でした。安心したのですが、この原因が風邪ではないかと判断。熱はないのですがこのだるさと、頭痛はそこから来るんだろうと考えたのでした。ならば熱燗でもグッと飲んで寝ることにしましょう、ということとなりました。
 そんなこんなで車で行くのはやめていまして、電車で行こうと切符(指定席)も買ってしまっていました。まあユックリ、のんびり行くことにします。富山で無事に仕事が済もことを願っています。

2011年11月30日(水)
 いよいよ11月も終わり、明日からは師走です。暖かな秋でしたので、なんだかこのまんま冬も過ごせたら……と願ってしまいますね。今日は夕方に40分ほど走りました。月間では137kmと、久しぶりに100kmを超えられたのでした。右膝の痛みは相変わらずで、ここ少し真面目に走っていたので、その痛みはまた増してきた感じです。大事にしなければとは思うものの、体重が相変わらずですので、もう少し頑張らねば!
 今週末は富山に出掛けます。高次脳機能障害リハビリセミナーという大会が開催され、講演者として参加します。脳外傷の後遺症、とりわけ「高次脳機能障害」の存在を多くの方たちに知っていただくことが主目的のようです。失語症友の会とはまた違った、この活動について私はあまり知りませんでした。私をわざわざ呼んで下さった富山の方たちの期待に、多少なりともお役に立てたらと考えています。富山は8年前に一度お邪魔しています。天候がやや心配です。車で行く予定ですが、長野で雪が降りそうな予報?なのでやや微妙です。

2011年11月27日(日)
 東山地区失語症友の会11月例会が午後開かれました。今回は会員さん11名と少なく、ST2名、ボランティア1名というメンバーで、やや淋しかったのでした。でも坂元STが歌と体操をうまくまとめてくれまして、その後私の方で1名ずつ近況報告を聞いていきますと、これがいつもよりもかなり盛り上がったのでした。「韓国へ行って美味しいものをいただいてきました」という方、「300円でマッサージをしてくれるところを見つけて、毎日行っている」という女性、「毎日年賀状書きに追われ、目標は150枚」という頑張る話など、盛りだくさんな話題に、あっという間に1時間経過していました。
 終了後は春のイベントに向けての会場探しに出掛けました。企画的には魅力がありますが、もう少しじっくり考えてからでも良いのかな?と、3月開催に拘らないで行こうと考えました。折角するのでしたら皆さんに喜んでもらえる企画をしたいものです。

2011年11月23日(水)
 勤労感謝の日で休みの日なんですが、私は訪問が入っていまして、きちんと勤労してきました。それでも空いている時間には、3月の研修会についての宿泊場などを見に行ったり、少しは走ったりなど、のんびりできた1日でした。
 暖かい日が続いていましたが、ここ数日は冷たい風が吹くようになりました。南アルプスを見ても例年とは大違いで、雪化粧もまだ頂上付近に薄っすらとあるくらいです。段々寒くなって来るのは仕方ありませんね、もうあと1週間で11月も終わるのですから。焦ってしまいます。

2011年11月20日(日)
 日本シリーズ、ソフトバンクVS中日は7戦目までもつれ、本日やっと決着がつきました。これで今年のプロ野球は全て終了ということですね。埼玉西武ライオンズは今年残念な結果でしたが、でも最後に意地を少し見せてくれたので、まあ良しとしましょうか。来年こそはV奪回と奮闘してもらいましょう。
 今日はまた夕方にランニングに出ました。家をスタート岩手橋〜琴川橋を経て松里〜家へという13.2kmのコースです。これまたアップダウンのきついコースで、ランニングを始めた頃からよく走るコースです。今年は今回が初めてで、昔を振り返りながらユックリ完走しました。だいぶ良い感じに走れています。けど、体重は相変わらずで、なかなか減りませんね。食べる方も少し考えましょう。

2011年11月17日(木)
 仕事もですが、書き物に毎晩かなり時間を費やしています。いつできるんだろうと、最近はその終わりが見えなくなっています。楽しく書いている部分は良いのですが、上手に表現できないことが多く、才能がないなあと、ひどく憂鬱になる時があります。まあそれでも、何時かは完成するだろうと、書き続けていきたいものですね。
 昨日は夕方に少し時間があったので、市民グランドから一ノ橋までの11,7kmコースを走ってみました。以前は良く走ったコースでしたが、最近は全然、結構アップダウンもあるので、余計に敬遠していました。久しぶりにゆっくり走って、完走すると気分が良いですね。やっとこのレベルまで来たかと、徐々に自信も出てきました。来年4月、5月のウルトラマラソンの申込書が届いています。来年は……どうでしょう?足の具合次第ですね。

2011年11月13日(日)
 昨日今日とランニングが好調です。2日とも10km超で、気持ち良く汗をかいています。まだ右の膝に痛みが残りますので、ゆっくり時間を掛けて走っています。頑張って月間150kmくらい行くと良いですね。
 東山地区失語症友の会の通信を今日は作りました。これも毎月ですので忙しい時にはやや大変なのですが、このところ若い坂元ST,若松STに記事を書いてもらっていますので、だいぶ助かります。3月の研修会についての会場探しに、今日は青少年センターに行ってみますた。金額的にはかなり低く抑えられそうですが、残念ながら希望の日はいっぱいでした。時期を夏くらいにずらすか、別の会場を見つけるか、頭を悩ませるものです。

2011年11月10日(木)
 急に寒くなりました。でも例年に比べるとまだ暖かいということです。嫌ですね寒くなっていくのは。今週は西伊豆での遠征疲れ?なのか、ややくたびれていたのですが、昨日は久々に夕方走りまして、良い調子でした。西伊豆に行くといつも痛みを取ってくれる方(女性)がおりまして、その方に私の痛みのある右膝を診てもらいました。そして軽くマッサージしてもらうと、スッと痛みが消えたような感じ。歩いてみるとそれを更に実感しました。今日走ってみて、変な感じが消え、少し安心しました。このところ筋トレやストレッチングを欠かさずしていた効果もあったのかも知れません。良い季節ですので、無理せず走っていきたいものです。

2011年11月6日(日)
 民政委員対象の「失語症研修会」及びみんなの家での大宴会に参加してきました。自分の車で西伊豆まで行くのは初めてでした。12時には松崎町の会場まで行かなければと思い、逆算して少し早めで6時に出発しました。東山地区失語症友の会の坂元ST,若松STを乗せ、いざ出発!道は比較的空いていまして思っていたよりもかなり早くに修善寺に到着。ここでもう1人STを拾うのでした。10時にと思っていましたが1時間ほど早く着いてしまいました。お土産などを少し買ってなどして時間を潰していました。
 10時に修善寺を出て、松崎町に到着は11時20分くらいでした。私の運転にやや酔ったという坂元が途中から運転することとなり、その区間後ろにズーッとパトカーが付いていたのには驚きました。松崎町の会場作りをサッサとやって、奥田敏夫みんなの家代表とST4名でウナギをごちそうになりに行ったのでした。
 1時半から私の講義が始まり3時20分まで失語症基礎講座を開き貸した。10分休憩で後半は失語症者に協力してもらっての実習でした。5グループに分かれてそれぞれの失語症者と会話をしてもらいます。これは大変好評で、下手な講義を聞いているよりもはるかにためになります。4時半を少し延長してすべて終了となりました。
 5時過ぎに国民宿舎まつざき荘へチェックインして、みんなの家での宴会に行きました。いつもながら大変盛り上がる宴会で、それはただ騒ぐとかではなく、手づくりの田舎料理がまずいいです。1年ぶりにお話をする方もいて、そんな方との話に花が咲いて、いくら時間があってもという感じです。そこは一旦終了し、旅館に戻ってからの宴会が4時まで。さすがに私は眠くなって、途中からはウツラウツラだったようです。
 今日は朝8時に起きて食堂でバイキングをしっかりいただきました。9時過ぎに宿を出て、黄金崎クリスタルパークで昨晩のおばさんからお弁当を受け取ることになっておりました。そのお弁当は豪華海鮮弁当で、以前一度戴いたことがありエビや魚やが詰まった贅沢弁当です。帰りの途中,山中湖畔でそれをいただき夕方4時に塩山着となりました。慌ただしかったのですが、多くの方たちと再会ができ、うれしい2日間でした。

2011年11月3日(木)
 文化の日でお休みにしまして、甲府の小瀬スポーツ公園内にあるサッカー場で、ヴァンフォーレ甲府VS横浜Fマリノスの試合を観戦してきました。公園には11時に到着しましたが、かなり駐車場は一杯で、やや離れた駐車場に何とか停められました。11時45分に会場、キックオフは14時だったので、それまでは昼食としておにぎりやサンドイッチを頬張り、ビールを何倍も頂いて応援用の士気を高めていました。
 まあまあ良い席に座れまして、購入するとなると結構の値段らしいのです。妻がハガキで応募したところ当たったということ。妻はマリノスのファンで特に中村俊輔の大ファンなのでした。ハーフナーの先制で喜んでいた私でしたが、その後2点をボロボロと取られ悔しい逆転負けでした。悔しい思いでサッカー場を後に帰宅に向かったのでした。
 J1残留に黄色信号の甲府にとって、この負けは厳しい結果でしたが仕方ありません。夜はライオンズがソフトバンクに負けてしまい踏んだり蹴ったりの今日でした。

2011年10月31日(月)
 今日で10月も終了となりました。埼玉西武ライオンズはCSで日本ハムを破って、ソフトバンクとのファイナルステージに行くことになりました。相手はかなり強敵ですが、この流れに乗って戦ってもらいたいと思います。がんばれLIONS!
 ランニングは10月、途中からよく走れました。まだまだ少ないですが、やっとそれなりに走り込んで行けそうな感じです。11月、12月と走りやすい良い季節です。減量を兼ねてバリバリ走れたらいいですね。来年のウルトラマラソンの申込書が郵送されてきました。富士五湖は今年と同じ72kmコースかな?野辺山にも来年は行ってみたいような・・・。今後の努力次第です。

2011年10月30日(日)
 東山地区失語症友の会10月例会が一宮町桃の里ふれあい文化館にて開催されました。会員さんが13名、ST3名、ボランティアとして久しぶりに吉澤さんが富士から来られました。2人の若いSTにお任せでしたが、よくやってくれまして流れも良く、無事に終了へ持って行きました。今回は時間が9時半〜11時半と早かったので、会員さんの集まりは如何かと心配でしたが、皆さん遅刻せずきっちり集まって下さいました。ありがたいことでした。私たち運営しているスタッフも完全にボランティアですので、会員さんとの折り合いはイーブンでいきたいところです。特に若いSTさんにしてみると折角の休日、嫌がらず協力してくれることに私からも感謝しております。このような活動は“皆で協力”があっての活動ですからね。

2011年10月27日(木)
 先週、整形外科の医師にきちんと足(膝)を診てもらったのが安心となり、その後は順調に走れています。とはいえ、全盛期に比べれば10分の1程度のなるいモノですが。筋トレ、ストレッチングとこの頃は気になってよくやるようになりました。何とか来年の3月、4月くらいまでには本調子に持っていきたいですね。取り敢えずは今年と同様の「チャレンジ富士五湖」に参加したいですね。その時期に調子次第ですがフルにも参加したいような・・・。いろいろ可能性が膨らんできますね。
 さてさて・・・、明日からはプロ野球、クライマックス・シリーズが始まります。我がライオンズは北海道で日本ハムとの対戦。明日は涌井vsダルビッシュのエース対決です。相手が相手だけに厳しい試合にはなるでしょうが、3戦のうち2つ勝てるように頑張ってもらいたいです。

2011年10月23日(日)
 訪問リハビリの利用者さんKさんが、施設のショートステイを初めて使うということで、私も朝早くにそこに行ってみました。発症からそろそろ10年、これまで介護度4というのに、サービスは私の言語リハビリと訪問マッサージくらいの利用くらいで、通所系サービスは拒否してきました。Broca失語の方で、自分の意思をうまく伝えられないことで、デイなどは行きたくないと言ってきました。今回は奥さんが東京でのクラス会に是非参加したいと言うことから、Kさんも初めて重い腰を上げてくれたのでした。新しい建物で、個室でテレビを見ながら過ごせるということ、私の方で失語症の対応についてきちんと職員に伝えておいたこと、などの準備対応が必要でしたが。私も本日施設見学も同時にできました。取り敢えず今回は1泊だけですので、そんなに負担にならないかと思っています。今週の訪問時に感想をお聞きしようかと思います。
 「甲州市およっちょい祭」に昼前から行き、久々にお祭り気分を味わってきました。お祭り広場を中心に市街地にも華やいだ様子が広がり、我が子がまだ小さい頃に連れてきたことを思い出しました。大震災や台風災害、あまりよろしくない昨今、華やいだ気分をたまには味わうことで福来ることを願いたいものです。

2011年10月22日(土)
 右の膝裏の痛みの原因を確かめておこうと、午前中に整形外科を受診。レントゲンも撮って医師に診てもらいました。画像上は異常はなく、触診でもハッキリしないということ。筋トレなどをしながら、少しずつ続けていったらどうかということでした。そこで夕方には山梨市民体育館周辺を少し走りました。距離的にも速度的にもかなり押さえた感じですが、痛みがなくなるよう祈りながら続けていこうと思いました。

2011年10月18日(火)
 埼玉西武ライオンズ、取り敢えずCS(クライマックスシリーズ)進出おめでとう!ここまで来れた頑張りが嬉しいです。9月以降の調子で是非ともその上も狙ってもらいたいですね。久しぶりに祝杯を挙げてしまいました。優勝でなくリーグ3位なのにね。
 ランニングは昨日、今日と3日間続けています。膝裏の痛みが少しありますので、無理せず続けていきたいです、

2011年10月16日(日)
 久々にスッキリ良い天気でした。この辺でも最高気温が29度と言うことで、暑いわけでした。午前中久しぶりにランニングをしました。やはり膝裏をかばうようにユックリユックリ、約3,5kmを30分くらいかけての練習でした。それでも気温が高かったので結構汗をかいて、久々にいい気分でした。気にしていた膝裏も特に問題はなかったようです。また少しずつ無理ない程度に走っていきましょう。
 私がズーッと書いてきている物語、だいぶ進んで今2回目を呼んで直しているという段階です。うまく書けているところはいいのですが、表現が難しく停滞してしまうところもあります。できた後、どうしようかと考え始めた今日この頃です。今年中にはできるかな?

2011年10月12日(水)
 寒くなりました。特に朝晩はそろそろ暖房器具が必要かしらと思うほど。右膝裏の靭帯が腫れている?のか、その痛みで1ヶ月くらい走れずにいます。正座ができない痛みで、椅子での仕事がほとんどなので、生活上の支障は特にありません。このくらい長期に走れないというのも困ったもので、体重がまた増えています。
 東山地区失語症友の会の今年度のイベントは若い失語症の方たちとの交流会と考えていますが、その計画がなかなか立てられずにいます。口で言うのは簡単ですが、予算を立てて、場所を予約したり、規模はどれくらいにするかなど、一度皆さんで話し合わないといけません。最近やや多忙で、なかなかそう言うことまで考えていられない状況ではありますが。

2011年10月9日(土)
 「第8回失語症者のつどいイン首都圏」に参加してきました。会場は震災の影響か、やや閑散としていましたが、それぞれのプログラムは例年にも増して良かったでした。こうして毎年継続して行なわれてりることに大変意義を感じています。私も10月は首都圏のつどいにいく、と刻まれているくらいですから。毎年ここでお会いできる人、ここでしかお会いできない人、その出会いを楽しみに参加しているんでしょうね。また来年行きたいと頭に予約しておきます。
 このつどいに参加するもう一つの楽しみは、若い失語症の皆さんとの打ち上げ会(飲み会)です。約30名ほどが三鷹駅周辺の居酒屋に集まって、それはもう楽しい宴会です。とても苦労しながらも一生懸命生きてきている皆さんの姿に、いつも感動させられています。普段の生活の中では色々あるけれども、ここに来ると抜け出せると仰る50代の男性。何とか契約職員で生活を繋げているが、いつ首が切られるか不安な40代の男性。こういう話を伝えられる場がここなんだよな〜と、つくずくこの仲間づくりの大切さも味わう毎年です。

2011年10月1日(土)
 山梨県甲府盆地の甲州市勝沼はぶどうとワインのふるさとと言われているようです。甲州市かつぬまぶどうまつりは、日本一のぶどうとワインの里「勝沼」を舞台に、収穫の喜びと先人への感謝の念を、地域住民と訪れた人がともに分かち合う祭りです。特産であるぶどう・ワインの無料サービスをはじめ、子供みこしやステージでのアトラクション。そして夜空を焦がす鳥居焼き・・・。秋の勝沼が最も賑わいを見せる一日となります。
 子どもがまだ小さい時は毎年この祭りには出掛けていったものでした。「クレヨンしんちゃんショー」などお楽しみもたくさんあるのです。私は500円でワイングラスを買って、ワインの無料試飲に各ワイナリーのテントを廻ります。甲州ブドウも無料で頂けるので、行列に並んでそれも楽しい時でした。ワインを飲みすぎての失敗もありました。今となってはみんないい思い出ですね。
 今日は妻が仕事でしたし、午後からも行かないと言っていたので、仕方なく私の運転で出掛けたのでした。人はたくさんで祭り気分は味わって来れましたが、楽しみのワインは一滴も飲めずチト残念でした。来年は皆さんに声かけして、イベント広場で宴会しようと思いました。そんな秋のひと時でした。
 
2011年9月25日(日)
 3連休の3日目。こんなに休んでしまっていいのかしら?と心配になるような3日間でした。右足の負傷から全く走れない状態です。今日はお墓参りに行ったのですが、車を降りて墓地まで歩くのが少し大変なくらい、まだ痛みが残っています。大事にしなければとは思いますが、走れないストレスに気持ちも沈みがちでいます。
 埼玉西武ライオンズ、9月になってから頑張っています。もっとエンジンがかかるのが早かったら、ソフトバンクと首位を競っていたでしょうが……、残念です。でもこのままのペースで勝ち続いてクライマックス・シリーズに出場できることを祈っています。がんばれライオンズ!!

2011年9月21日(水)
 台風15号が山梨にも大接近、というか殆ど真上を通過していったような天気図での進み具合でした。朝に訪問先の奥さんから中止希望が入り、それならばと今日午後の訪問リハビリは全て明日に変更しました。そこで、午後からは自宅で台風情報をときどき見ていました。浜松で凄い雨風模様が中継され、山梨は直撃進路とドキドキしていました。各地で停電にもなっているということで、せめて御飯だけは炊いておこうとそれはOK。夕方5時過ぎ、今か今かと少し緊張して見ていました。少し雨が激しく、風も多少強く吹きましたが、あれっ?!という間に過ぎていったようでした。その後埼玉や東京、千葉でかなりの被害をもたらしたようで、私の住んでいるこの辺りは何ともラッキーだったと思いました。
 さて、今日は28年目となる交通事故に遭った日ですね。今年はあの日と同じく水曜日、ついつい忘れがちになっていますが、しっかり記念日として思い出していきましょう。今書いている作品については、まだまだ山場を越えない感じです。いつ仕上がるでしょうか?

2011年9月19日(月)
 祝日で3連休目。昨日は家族で甲府まで映画「ハリー・ポッターと死の秘宝 PART2』を観に行きました。一昨日の夜に突然それが決まったわけで、私はどっちでも良かったのですが、家族の意向に合わせました。ストーリー云々はともかく、この映画シリーズを最初に観はじめた頃は、まだ我が子も幼かったなあと、ハリーの成長と重なり合うようでした。うちの子も成長して結婚して、子をまた映画館に連れてくるような日があるのかどうか・・・・。どんなもんでしょう?
 今日は朝早く起きて「NHKラジオ、特集 鎌田實いのちの対話」の公開放送に行ってきました。家から1キロも離れていない甲州市民文化会館が会場だったし、NHK村上信夫アナのファンということもあり、とても楽しみにしていました。3時間くらいの長丁場でしたが、最初から最後まで実に楽しく過ごせました。いつも「ラジオビタミン」で楽しませてくれている村上アナにずっと魅了された感じでした。
 家も少しずつ仕上がってきましたが、次から次へと問題は起こるもので、今回は電信柱の位置を動かす、動かせないという面倒な話です。どうなっていくのでしょう?面倒で嫌になってきています。

2011年9月15日(木)
 まだまだ残暑が厳しいこの頃ですが、そろそろランニングも本格的に持っておこうと、はじめていたのですが、右足裏周辺に痛みを覚え、しばらく中止することにしました。体が重くなったことと、急激にがんばろうと長時間、アップ・ダウンと始めたのがまずかったでした。1週間ほど休んで見たいと思います。
 今書いているモノが、また先に進まなくなっています。今月には1回書き終えようと、そのつもりでいたのでしたが、どうもそうはいかないような感じです。自分の思いを素直に記していくことの難しさを改めて感じています。

2011年9月11日(日)
 東日本大震災から半年。現地から様々な映像が届けられていますが、復興への道筋はまだまだ険しいようですね。特に海岸沿いの瓦礫の処理は、まだあのまんまという感じでした。仮設住宅に住まわれている方たちの悲惨さも、日に日に厳しくなってきているように思います。私に何かできないだろうかと、再び悩み多いこの頃です。
 そんな日でしたね、今日は東山地区失語症友の会の9月例会、「ホテルやまなみ」での食事会でした。11時半が集合時間でしたのに、11前に既に到着される方もおり、いつにない盛り上がりようでした。会員16名、ST3名というメンバーで、懐石の豪華料理をいただきました。食事が終わるころから一人ひとりの近況報告。7月、8月の出来事をそれぞれが楽しく語ってくれました。

2011年9月7日(水)
 先月の31日振りの走りを夕方しました。ホント一週間グズグズと天気が悪く、気持ちもしっとり低調気味でした。足はさすがに重く、周回コース(一周3.4km)をもう一周!とはいきませんでした。ボツボツがんばりましょう。
 家の問題で、玄関のところをどうしたものか悩んでいます。ユニバーサル・デザインというのでしょうか、玄関の上り框の段差をゼロにという思いが私にはあり、そこのところで妻や棟梁と交渉している最中です。こだわりはあまりないのですが、その玄関スペースに関しては、やはり譲れないとがんばって行きます。
 今週末の東山地区失語症友の会の食事会は会員16名、ST3名という陣容で行います。2ヶ月休んだので、みなさんとても楽しみにしているようです。やや豪華な食事に口も滑らかになるでしょうか。良い顔を期待しています。

2011年9月2日(金)
 ずっと天気が悪くて気持ちも鬱としい毎日です。台風12号により和歌山、奈良周辺に甚大な被害を引き起こしているようです。土砂崩れに川の氾濫、行方不明者が数多くあるとのことで、またもや自然災害による脅威が、という感じですね。皆様がご無事であることを祈っております。私のいる地域は特に大丈夫かと思いますが、山梨県内でも南の富士五湖地域は台風による警報がいくつも出ていました。
 金曜日は午後、穴山デイサービス、16時過ぎから塩川病院と廻るのです。終了が18時過ぎになり、そこから中央高速須玉ICより一宮御坂ICに乗って帰宅するのです。ここ3週連続でこの金曜日の帰路は豪雨の中となり、特に今日は悲惨な状況ーーー殆ど前が見えないような感じでした。一宮御坂ICで降りてからがまた大変で、前方が見にくい一般道、街灯もまばらで、決死の帰宅となるのでした。
 日曜日はこの地域の避難訓練ですが、どうでしょう?あまりにも速度の遅い台風に被害は増すばかりですね。早く行ってしまって下さい。

2011年8月31日(水)
 8月24日から思い出したように走りはじめ、1日だけ走れませんでしたが、あとは短時間ずつながらいい汗をかいてきました。月間走行距離は約60kmと、笑ってしまいますね。それでも5月〜8月の中では最も走っている月なんです。
 夕方久しぶりに塩山の市民グランドに行き、走っていますともう66歳くらい?のSさんが現れ一緒に走りました。Sさんはわたしよりずっと年上ですが、いつも私より速いランナーで、かつては山梨県一周駅伝に市の代表として毎年選手で走ってきたアスリートでした。塩山市一周駅伝では同じ南支部なので、毎年タスキを受けたり渡したりするチームメートでした。数年前の体協関連の揉め事で私は塩山走友会を脱退しましたので、走る仲間との交流はほとんどなくなりました。Sさんと走りながら近況報告をそれぞれがして、Sさんが山登りにも一生懸命だということをよく解りました。
 ここのところ一人で走るのが当たり前のようになっていましたが、こうして仲間とお喋りしながらだと、もっと楽に気持ちよく走れるんだと再認しました。9月からは気を引き締めて走って行きましょう!

2011年8月28日(日)
 いよいよ8月ももう少しとなりました。ここに来てまた蒸し暑い毎日です。東山地区失語症友の会のお手伝いを長年して来てくれた中村STが、25日朝に女の子を無事出産というお知らせをいただき、昨日午後に病院へお祝いに行ってきました。ほとんど産みの苦しみはなく、楽なお産だということでした。本人とは4月末の結婚式以来だったのですが、もう既に娘からお母さんの顔に変身していました。しばらくは大変かな?と思いますがよい子に育てていってもらいたいです。

2011年8月25日(木)
 昨日、今日と夕方の空き時間に5km少々走りました。2日とも坂を使ってのアップ・ダウン練習でした。20日振りの走りでしたので、チト厳しかったでした。家の建築についてや、盆休み、猛暑と、走ることへのマイナス刺激がこのところ強くて、ついつい妥協の連続でした。涼しくなったら、また来年のウルトラでも目指して、真面目にやれたらと思います。

2011年8月22日(月)
 夕方、我が家の上棟式が済みました。初めての経験ですので棟梁に訊いたり、他の人に訊いたりして、何とか無事に行え安心しました。このところ雨模様なので、今日はどうかととても心配でしたが、天気は持ってくれました。昨日は朝から職人さんが12人集まり、一気に2階建ての屋根まで建ててしまい、その腕というか技術には驚かされました。徐々に建ちあがっていく我が家を眺めながら、気分はいいのですが、出るものは半端でないので、その辺は嬉しいばかりではありませんね。

2011年8月19日(金)
 今週は月曜、火曜と仕事は休みにしましたので、その後が結構忙しくなってしまいました。17日(水)は午後から忍野村の言語リハビリ教室でした。いつもよりも早く甲府を出て、余裕を持って河口湖へ。まずはここでかなりの混雑で河口湖畔を抜けるまで、いつもの倍はかかりました。これからがもっと大変で、山中湖に向かう国道では「湘南」「横浜」など県外ナンバーが多く、盆休みの延長組のため仕事に影響が及んでしまいました。18日(木)になっても幹線道路の混雑がみられ、運転での移動中はイライラせざるを得ませんでした。
 そして今日は前線の影響で、一日中雨降りでした。夕方、須玉ICから中央本線に乗ると、先週の混み方より激しく、途中の表示板では小仏〜八王子付近まで渋滞とありました。大雨の影響で新横浜〜小田原までが不通という交通情報もラジオから入ってきました。高速を走りながら、途中かなり激しく、前が見えないくらいとなりました。ヒヤヒヤもので一宮/御坂ICで降りまして、一般道で帰宅しましたが、これは余計に慎重な運転となりました。真っ暗になってからの豪雨の帰宅、とっても嫌なものですね。

2011年8月16日(火)
 山形へお盆里帰りしてきました。12日(金)に仕事終了後、帰宅し夜の8時に塩山を出ました。東北道を使うか長野・新潟周りで行くか寸前まで迷っていたのですが、東北道を家族が選択。かなり混むことを覚悟して出発しました。案の定、中央道小仏付近から20kmほどの渋滞で、そこを越えるまで約1時間半。八王子JCTから圏央道にて鶴ヶ島方面まで行き、いつもは関越にて練馬方面、外環経由で東北道に乗るのですが、今回は桶川北本ICまで進みます。そして一旦高速を降り、一般道で白岡菖蒲ICまで行き再び高速イン.。この間はスースーと進み、何ともヒットな選択でした。ところが、その後東北道に入りますともの凄い混み方で、休もうとサービスエリアなどにさえ入れる状態ではありませんでした。福島を越え、山形道に入りますと渋滞はなく、あとはスイスイ山形の家まで行けたのでした。到着が6時頃でしたから、10時間掛ったことになります。私の予想では12時間以上と踏んでいたので、「早かったなー」という感想でした。
 山形では特に何をしたということもなく、のんびりと3日間過ごしたという感じでした。暑い毎日でしたので外に出たいという気持ちにもならず、免許取りたての長男と近くをドライブしたり、買い物に出掛けたりと、それくらいでした。14日の夜は恒例の花火大会でした。これはいつ見ても素晴らしいですね。ただ、バーベキューの焼き役をしていたので、あまりゆっくり鑑賞するという余裕はありませんでした。
 今日は渋滞情報を見ながら、最初から新潟、長野経由で帰ることを考えてスタート。殆ど混むことはなく順調に戻って来れました。朝8時に出て、昼食をとったり、休憩しながらで夕方4時に着きましたから、疲れもさほどではありませんでした。明日から仕事だと思うと重たい気分になりますが、今週はあと3日ですから何とかなりますかな?

2011年8月10日(水)
 家の基礎工事が大体終了したようで、段々と作られていく過程が面白いですね。職人さんが毎日暑い盛りにがんばってくれていて、ありがたいものです。22日(月)が上棟式という予定で、それに向けてはまた様々準備が忙しいようです。
 このところ暑さが復活してしまい、走れるような状況ではありません。折角今月は少しはやろうと思っていたのに、ダメですね、これでは。今年は秋に久々のフルマラソンをと考えていましたが、チと、厳しい状況ですね。もう少し涼しくなって、走れる状況になって、また考えることにしましょう。

2011年7月31日(日)
 甲府で開かれた、山梨県パーキンソン病友の会主催の講演会に行ってきました。神経内科医の講義で、対象がパ病の本人と家族がメインでした。私らコメディカルでも難しいお話でしたので、皆さんがどれくらい理解できたものか、しかも2時間という長時間、恐らくはかなり苦痛だったのではと思いました。講義終了後に何人からか質問が飛び交い、その対応はこの講演会の中で唯一良かったかなと思いました。私も自分の講義などを振り返って、反省しなければと考えました。
 夕方に終了し、一旦塩山に戻ってから再び甲府へ。沖縄のリハ学校の先生をしているSTさんと久しぶりにお会いしました。山梨県の病院での実習依頼などにお出でということでした。病院で走り回っていた?彼女は、教員になってあまり動かなくなったと、見るからにふくよかになられていました。私も同様だと、これもまた反省材料となりました。

2011年7月27日(水)
 なんだか秋になってしまったのか?と思われるほど涼しい今日この頃です。夏の電力消費量が懸念材料になっておりましたが、このままだとその点助かりますね。朝夕は涼しいくらいでもあり、しばらく渋っていたランニングがここのころ少しできています。それにしても昨年よりも少ない月間走行距離で、体重は4月のころから比べプラス4kgです。秋に久々フルにでも出てみようかと4月ごろは考えていましたが、この調子では無理みたいです。
 家の建築は基礎屋さんが来ていまして、徐々に進んでいます。日中はだいぶ蒸しますので、大変かと思います。8月下旬くらいに上棟式ができるかなという感じ。無事に仕上がっていくことを長うばかりです。

2011年7月22日(金)
 
遠藤尚志先生の新刊「失語症の理解とケア」が雲母書房より今月25日に出版されます。待ちに待ったという印象ですね。「ことばの海へ」の続編はいつにと、ズッと思っていました。失語症についてのわかりやすい本を紹介してと、失語症の家族や、介護の方たちから常に言われてきました。その時私はいつも「ことばの海へ」を紹介してきました。これからは、新作も紹介できて私もうれしいです。中身を少々拝見しましたが、エンドウ・ワールドてんこ盛り、STって凄い仕事ですね、と評価がぐんと上がりそうな内容でした。今後、私の講演や研修会ではふるって紹介させていただきます。
 私が取り組んでいる本は、いったいいつになったら出来るのでしょう?最近は書いていながら、本当に完成するのだろうかと、心配にもなってきました。もの凄くスケールの大きい内容ですので、こんなの扱ってくれるかな?という心配も出てきました。まあ焦らず、着々と取り組んでいきましょう。


2011年7月17日(日)
 半世紀生きてきた記念の日、そうか・・・もうそんなに経つんだなあと、50年という日を重く感じる一日でした。これまで生きてきた期間を考えると、すぐにもう同じくらい過ぎそうで、俺は何歳まで生きられるのだろうと、生命についてちょっと考える機会ともなりました。40歳の声を聞いた、この10年間はもの凄く早かかったような、超特急のような日々でした。病院を辞めて在宅訪問をあれこれやってきたのが、この10年でした。いい10年でした。そしてこれからの10年にも、また期待したいところですね。
 昨日は優和福祉専門学校でのコミュニケーションケア―――失語症を理解する講習会、が開催され、私は講師として参加させていただきました。4月14日の午前中に新入生を対象とした講演会を開かせていただき、今回はその流れでお呼びいただけました。雰囲気的に大変前向きな専門学校で、ホンモノを出していこうとする努力を、校長さん以下、教員の皆さんから感じ取れました。私も、同じ路線で連携を持って協力し合っていければと思いました。暑い日中でしたが、爽やかな気分で終了できました。

2011年7月14日(木)
 山梨県歯科医師会会館での勉強会。在宅歯科医師の集まりだったようで、私も緊張しながら話をさせていただきました。ただ「失語症」「言語聴覚士」についての知識はあまりないようで、話を持ちかけてくれた先生からすると、期待するようなディスカッションはありませんでした。連携を密に進めていこうとする私にすれば、今日のような機会は、大変ありがたい呼びかけでした。ST自身が大変保守的路線を歩んでいますので、もっと外に向かってアピールしていってもらいたいところです。

2011年7月12日(火)
 朝早くから地鎮祭が行われました。神主さんにおいでいただいての神事に、いよいよ始まる、という思いがグッと上がったようでした。地盤改良の工事が来週くらいから始まり、基礎屋さんが入ってお建前は8月10日前後という計画らしいです。どんなふうに進んでいくものか、不安があって、何となくというか、やや引いた感じでいるのです。進んでいくにつれてテンションも上がって来るんでしょうか?どうなんでしょう・・・。
 ここにきて新規の訪問リハビリ利用者が数名出てきています。ST対象かしら?という方も含まれていて、まずは評価に上がりたいと思います。本日早速担当者会議が開かれた方につきましては、もう明日からサービスがスタートするということで、私も準備に掛っています。ホントおかしなことで、終了になる利用者さんがいると、どういうわけか新しい方が全く違うルートから連絡をよこしてくれます。大変ありがたいですね。
 今週は明後日(14日)に夜、甲府の歯科医師会館における勉強会、16日(土)は介護福祉士さんを対象とした勉強会に、それぞれ講師として出掛けて行きます。資料やパワーポイントは 大体できています。そうそう今週末は誕生日でした―――。

2011年7月10日(日)
 このところ大気の不安定さからか午後になると雲行きが悪くなり、2時とか3時くらいになるとゴロゴロと雷様のお出でとなる。昨日はネットで購入した新しいプリンターが届いたのでと、インストールしているところへゴロゴロお出ましとなりました。ここで雷にまたやられたら洒落にもならないと、コンセントから全てを外して昼寝タイムとしたのでした。今日は今日で、今週木曜日に発表する山梨県歯科医師勉強会での資料を作成している最中にゴロゴロ・・・・。ここでも同様な対応にて昼寝しました。
 これが家にいる時はいいのですが、日中仕事で出ている時はどうしたものか?この時期はその警戒から毎日出掛ける時にコンセントを切っておくものか、困ったことですね。雷対策用のOAタップなどを使用することで、影響を受ける確率を減少させることができるらしいです。ネットなどでもう少し対策方法を探っていこうとは思います。

2011年7月7日(木)
 七夕の今日は例年通り?雨模様。蒸し暑い日が続いています。先週の落雷による被害はインターネット接続のみかと、その復旧が終え安心していました。通常使用しているレーザープリントは、何の影響もなく使えていたので気にしませんでしたが、もう一台のカラープリンターの方が落雷の影響で使えなくなっていました。んーんショック!急いで同じ型のプリンターを探して、すぐにネット上で注文しました。これからは落雷時には出来るだけコンセントを抜くようにしましょう。特にこのところ雷様の到来が続いていますので、使わない電源は基から落とすようにしたいですね。

2011年7月3日(日)
 3日前の6月30日(木)は塩山で落雷があり、JRの大月〜小淵沢間が不通となり、長男を韮崎駅まで夜11時過ぎに迎えに行くなど大変な日でした。その落雷でインターネット接続が不可となり、この復旧がまた一苦労でした。何とか昨日通常通りに通信も可能となりました。このところPC関連では泣かされっぱなしで、こんなのなければ・・・と思う反面、仕事もプライベートも今はこれがなければという部分なんですよね。
 暑い毎日が続いていまして、先週の水曜日((29日)は日本で一番暑いところ(甲州市)と報道され、そんなんで日本一にならんでもいいやと、思いつつ怒る元気も吸い取られるようでした。

2011年6月25日(土)
 昨夜から歯が痛くて、特にベッドに入って眠ろうと静かにしてからズキズキと痛みはじめて、参ってしまいました。薬箱にある痛め止をのんで何とか眠りに入れたのでした。かなり寝不足の朝でしたが、それは毎朝のこと。午前中は甲斐市にある眼科を受診、思わず時間が掛かったので歯科には行けず一旦帰宅。昼食後に再度出かけて14時から笛吹市の歯科へ。痛みの原因と思われる歯を治療して下さりました。
 15時からは大工さんとの打ち合わせで様々頭が痛い話となりました。地質調査後、地質改善が必要というのです。全く魅力のない土地を高い買い物と購入した後の嫌な知らせでした。どうしていくかは今後考えていきますが、余計に疲れが出てきた感じです。
 35℃を超える猛暑がすでに始まっており、元気を吸い取られていくようです。その他もろもろ悩むことがあって、いやな感じです。ビールなどアルコール飲料など酒浸りにならぬよう注意したいところです。8月に気仙沼への再支援のお誘いが来ましたが、今回は自分のことで精一杯な感じで行っていられないかも知れません。

2011年6月22日(水)
 PCの不調はなおも続いていてイライラするばかりです。急に暑くなってきたことと、購入した土地の状況などを考えて、かなりストレスを感じています。このところあまり走れていないことも影響ですね。そんな中、夕方に横浜から友の会のボランティアに来てもらっているYさんが私を訪ねてきてくれました。4月に入職した2人のSTも含めて4人で山梨市の馴染みの店で夕飯をいただきました。
 2月から就職したYさんでしたが、失語症を抱えての再挑戦ということでしたが、思っていたよりもかなり大変らしく、今後続けていくことがかなり大変なようでした。発病から3年、いろいろ頑張ってここまで来ましたが、やはり失語症の後遺症が重たく覆い被さってくるんでしょうね。それを誰にも打ち明けられず、かなり大変だったんでしょう。Yさんは多くを語りませんでしたが、大変だろうなとやや痩せ細った顔と首筋を見て思いました。7月で今の仕事は辞めて、病前勤めていた会社からオファーが来ているということで、そちらに行くような話もしていました。
 気持が落ち着けて過ごせたらいいですね。心から応援いたします。

2011年6月19日(日)

 
東山地区失語症友の会の6月例会でした。今回は体調が悪く出られない会員さん、都合が合わなかったりボランティアさんと、やや人数が少なかったのでした。会場は山梨市駅前の「街の駅やまなし」を初めて使ってみました。広さは一宮の会場より広く、スペース的にもゆっくりしていますので今後も使っていくと思います。会員さんが11名(失語症者7)、ボランティア3名(ST2名)でした。県立大学の精神保健福祉士を目指す女子学生が一人見学に来られ、良い印象を受けたということでした。今後も友人を誘って来てもらうと嬉しいですね。坂元STが歌と体操を指導してくれて、なかなか良いリズムでした。山梨県一クイズを行い、その後お茶のみと近況報告。会場が12時までだったので終盤が忙しく、結局「ことばをこえて」が歌えませんでした。
 今回は7年ぶりくらいに参加してくれた会員さんがあり、メンバーはやや変わっていましたが楽しく過ごされたということで、次回からもまた参加したいということでした。体調を崩して出られなくなる方がいる中、ありがたいことです。

2011年6月12日(日)
 東日本大震災より3か月が経過しました。多くの被災地で厳しい生活を送っているニュースは伝えられていますが、現地ではそれ以上に辛い生活を味わってきているものと思います。何とか一日も早く抜け出せるような援助を行っていけたらと思います。

 今日は東京の中野サンプラザの一室で、全国失語症友の会連合会主催のシンポジウムが開かれ、私も参加してきました。「災害時における失語症者への支援の在り方を探る」というタイトルで行われ、60名定員という話でしたが、その倍くらいの参加者が集まっていました。シンポジストは岩手県のSTさん、東京都ST士会会長、参議院議院さんという3者で、被災地からの報告あり、都士会の取り組み、国の取り組みの現状と課題について等が発表されました。とても短い時間に震災関連の様々な点から意見や質問が飛び交い、活発ではありましたが、的が絞れず最終的なまとめはギュウギュウと小さい箱に無理やり押し込んだという感じでした。
 出席したメンバーには若い失語症友の会の6名もいましたので、終了後中野駅前のお店で一杯頂いてきました。彼らと一緒のときは本当に楽しいのです。普段のストレスを一掃できそうな、そんな良い気分で戻ってきました。

2011年6月8日(水)
 気仙沼での支援活動に参加させていただき、その後塩山に戻ってからが大忙しでした。仕事自体はそれほどでもなかったのですが、まずはPCが不調でして、結局のところリカバリーしなければならなくなりました。先週と今週のはじめまでその作業に追われました。やっと何とかなって安心できました。この間睡眠時間が更に短くなって、グッタリと毎日過ごしていました。ランニングはそんなこんなでほとんどできていません。5月21日(土)に1時間ばかり走ったのが最後で、さすがに走らなくても済んでいる自分に焦ったりすることがなくなっています。ボツボツ調子を戻していきたいところです。

2011年5月29日(日)
 気仙沼に行ってきました。コーディネートして下さった牧丘病院の古屋医師のお陰で、大変貴重な経験とわずかながら支援隊としてのお手伝いができたかと思っています。
 25日(水)、大津波に呑み込まれる瞬間や数キロにも及ぶ大火災の映像など、あまりにも衝撃的で悲惨に感じていた被災地はどんなんだろうと、恐る恐る気仙沼駅に降り立ちました。すると意外にもシャンとしていたので、「あれっ?」っという感じでした。JRS(気仙沼巡回療養支援隊)のボランティア手続きを早速します。到着したのが午後2時でしたのでSTとしてのボランティア活動は特にありませんでした。全てがJRSの計画に乗って動きますので仕方ありません。古屋先生の車で病院や施設などを見て回り、行われている生々しい支援活動の一部に触れ感動しました。私立病院に勤務されているSTさんにお会いし、2言、3言言葉を交わしました。
 26日(木)、午前中は近隣の78床の病院で3ケースを診ました。“高次脳機能障害がありやや拒否的”という入院患者さんを診る機会があり、その方がすぐにBroca失語と解りました。それを集まった病棟婦長、担当PT、歯科医師と奥さんにお話し、接し方を伝えるとそれまで固かった患者さんの表情が和らいで「そうだそうだ」と軽く頷いていました。それまではムセながら食べていた食事も、きちんとしたボジショニングと与え方によって、殆ど問題なく摂取可能となりました。これもちょっとしたことなのですが、こういった微妙な対応が実は凄く大事なんだと再確認しました。
 午後は老健を2軒周り、その中の1つにはSTさんが勤務していると云うことを古屋先生が掴んでいましたので、表敬訪問したのでした。震災のため殆どSTの仕事ができていないと云うことでした。この移動中には瓦礫に覆われた津波の残骸をところどころで見れます。だいぶ片付けが進んでいると云うことですが、まだまだハーッと溜め息が出る光景です。住民の方達が一生懸命なのを肌に感じます。支援体制について果たしてこれで実際良いのかと、こちらに来て深く考えるようになりました。夕方はJRSのミーティング、その後は管栄養士による介護職員対象の講演会に出席と、かなりハードな一日でした。

 27日(金)、8畤半JRS朝会に出席し午前中は古屋先生と2人で老健に行って4名ほど診ました。そして午後からは気仙沼にいる3人目ののSTさんにお会いしてきました。これで気仙沼にいらっしゃるST3名にお会いできたことになり、何となくホッとした気分になりました。病院はともかく被災された施設で様々な問題や課題を抱えていることに触れることが出来ました。中でも被災地域のSTや失語症者の状況を把握したいという思いが強い様でした。宮城県は県士会がなく、この様な時に連絡が取れず不都合だと仰っておりました。。
 午後2時過ぎから別の老健にやはり古屋先生と行って、8人ほど診ました。施設で問題化されている色んな事柄を肌で感じながら、こちらがかえって勉強させて頂くような感じで回っていました。5時近くになってKウエーブという大きい体育館に出掛けました。実は今日訪ねたSTさんの情報で、気仙沼の保健師さんが失語症の人をある程度把握しているということを知りました。その情報の中でこの大きい体育館に1名失語症の人が避難していることが分かり、早速そこに行ってみたのでした。ドキドキした気持ちでその体育館で保健師さんを訪ね、こちらがSTだと名乗ると、是非とも会ってくれということになりました。避難所に入って被災された73歳の失語の女性に面会しました。発症7年というこの女性は3月中旬より、十分なコミュニケーションが取れず孤独な生活を送ってきた様でした。私が普段の訪問指導と同じ感じで対応していくと、地獄で仏に遭った思いで、不安な表情から一転して、とても柔らかい良い笑顔を返してくれました。終了後保健師さんにこの方へのコミュニケーション方法を細かく伝授して来ました。夕方6時半から8時まで施設て摂食嚥下の研修会に参加し、9時過ぎから打ち上げ会を岩手県の藤沢で行い、そこのホテルに宿泊となりました。大変盛り上がった1日でした。

 28日(金)、いよいよ気仙沼を去る日となりました。宿泊した藤沢のホテルで朝食を6時半に頂き、古屋先生の車で気仙沼に戻ってJRSの朝会に参加。様々貴重なことを学べた3日間でした。支援としての役割は決して十分とは言えませんでしたが、被災地での現状を肌で感じることが多少なりとも出来ましたので、これを正しく伝えて行くべきだろうと思いました。何に困っているのか、どんな支援が求められるのかなど。
 一ノ関まで古屋先生に送って頂き、私は新幹線で仙台に向かいました。同じ様に被災した仙台には知り合いのSTさんがいましたので、この機会に是非お会いしていきたいと云うことになりました。そしてそれが実現でき、様々な苦労やこれからのことを伺って来れました。
 今日の夕方、塩山に到着。さすがに疲れましたが、気持ちは行く前よりいくらか軽くなったような気分です。支援活動のあり方など、活動中考えていました。これからなんだろうな、というのが実感。これからどのように関わっていけば良いのか、またゆっくり考えて行きたいと思いました。

2011年5月22日(日)
 今日は東山地区失語症友の会の5月例会でした。会員さんが14名、ボランティアが3名、STが4名という布陣で楽しく行いました。新しいSTさん2名に季節の歌ということで「夏は来ぬ」を歌唱指導して頂きました。良かったと思います。私が体操と発声練習等をして、リラックスしてもらいました。次いで、ボランティアとSTが失語症者とコンビになって、自己紹介と趣味などを聞いていったもらいました。上手くコミュニケーション取れているところと、苦戦しているところがありましたが、概ね楽しい時間を作れていたようでした。その後は「日本一クイズ」を行いました。「日本一高い山は?」「日本一小さい県は?」など15問を解いてもらいます。3択になっていますので2人で頭をひねって解いて行きます。12問できたチームが優勝でした。お茶飲み会をして、簡単に近況報告、最後は「ことばを超えて」を合唱し終了となりました。
 若いボランティアさんとSTが加わって、とても華やいだ感じの例会でした。横須賀や青梅から参加して下さった方たちに心から感謝申し上げます。事務局員として毎回参加下さる2名の若いSTさんが加わって、会員さんの参加したい気持ちが倍増したことでしょう。良い雰囲気でl盛り上がった例会を続けていきたいものです。
 気仙沼へのボランティアは25日(水)より入り、28日(土)は仙台に寄って29日(日)に帰宅する予定です。どんな役割ができるのか、心配もたくさんありますが、3月中旬からの悶々として来た気持ちを少しでも和らげるような働きができたらと願っています。


2011年5月19日(木)
 ここ数日暑い日が続き、午後からは強風が吹き、体調の不良も合わせてだるい気分がより増しているような感じです。こんな調子で走りは先週月曜より休んでいます。月曜は土地の売買手続きが無事に済んでまずは安心しました。ここへ建てて行くい家についてはもう少し考えて行かねばなりませんね。どんなふうにしたものか・・・。
 昨日の水曜日は若いSTさん2名と勉強会をスタート。私自身症例検討会的なお勉強からだいぶ離れていますので、逆に学ばせて頂くこととなるのかも知れませんね。ボケ防止にいい機会かもしれません。毎週やると云うことでやや気合が入ります。

2011年5月15日(日)
 やや風邪気味?鼻水がズルズルと頭が重たい感じです。妻が先週1週間そんな感じで、終いには38度台の発熱もあったので、私もその過程を踏まないようにしなければ・・・。やはり早く寝て睡眠をいっぱい取ることですね。家を新築する話で、明日は隣の土地の権利を正式に得る手続きをします。あー・・・いよいよだな〜って言う感じです。大工さんとの家のレイアウトを考えています。大体の間取りは決まって来たのですが、今日は屋根に話しがいって、そこで大揉めでした。太陽光パネルを設置するのに、どんな屋根が適しているのか、外観的にの見栄えは、といったところで。簡単に考えていましたが、こりゃ大変だす。
 23日からの週で気仙沼にボランティアしに行く計画があります。STとしての援助自体はneedsとしてあまりないのかも知れません。でも折角の機会ですので何かできることを見つけて行きたいと思っています。水曜日か木曜日かからの予定です。

2011年5月12日(木)
 今週は火曜日からズット雨模様で気持ちも沈んでしまいます。西伊豆いろは組の毎月のつどいに毎回参加のTさんは伊東の方です。伊豆の東海岸から西海岸まで奥さんの運転で片道2時間くらい掛かるんでしょうか?それも凄いと思いますが・・・・・。昨日“ニューサマー”という柑橘類の果物が箱で送られてきまして、宛名を見るとTさん宅でした。一つ頂いてみますと甘くて南国の香りがプンプンする美味しかったでした。
 早速電話を入れますと失語症のTさんが電話に出まして、本人と約5分くらい話しました。Tさんも4月14日の桃源郷ツアーに名を連ねていたのでしたが、奥さんの都合で欠席となってしまいました。昨年9月に研修会と「みんなの家」での宴会にも参加されましたので、それ以来ということでした。粗ぞう性嗄声でやや努力性な聞きとり難さがあったTさんでしたが、大変クリア―な発声で随分明瞭度がUPしたと思いました。話は8日(日)に行われた西伊豆でのつどいのことで、その日も奥さんが都合悪く行けないと云うことだったので、Tさんが電車とバスを使って西伊豆の会場まで一人で往復してきたと言うではありませんか。上下肢のマヒが強く、杖歩行もユックリ短距離ならなんとかというレベルなのに、凄いなあと感心しました。月に一度のつどいを如何に楽しみにしているかですね。
 私たちも西伊豆のつどいのように、魅力ある例会を提供していかなければと、思ったのでした。

2011年5月8日(日)
 ゴールデンウィークも本日で終了となりました。明日からまともに1週間勤務すると考えると、グッタリしそうです。結婚式からマラソン大会と慌しいスケジュールでの連休スタートでしたが、終わってみるとのんびりできた良い週間でした。
 家を建て直すと云う話が出ていまして、建築業者や不動産関連の方と話し合いがあり、これが結構面倒で憂鬱になります。理想の館を作るとなると、それなりの準備と資金が必要なわけで、それを考えると余計に気分が重たくなります。
 今日は県外の失語症者が訪ねて来ました。時々この様な方々が来られ、ご相談相手になったり、アドバイスしたりしています。家を建て直すのに当たっては、こうした訪問者などを迎え入れることが可能なスペースを設けようと考えてもいます。いつになるやら、そしてそのneedsは如何に・・・。

2011年5月4日(水)
 昨年もそうでしたが、今年も一家でお出掛けという計画はなく、のんびりぐうたらと連休を過ごしているのです。昨晩は妻も山形より帰宅しまして、夕飯は母屋で両親とあるモノを食べたのでした。ただ酒は先日秋田の人に頂いた一升瓶を開けたので、旨いうまいとついついのみ過ぎてしまいました。それで今朝は二日酔いで具合が悪かったのでした。子供の日を前にせめて息子二人にご馳走しようと、二男に聞いたところ江戸前寿司を食いたいと言うので、皆がそれに賛成しました。
 実際のところこの辺の寿司屋に家族で出掛けると云うのは、最近は特に稀で、大方回転ずしで済ましていました。確かに旅行中に海辺の近い土地で寿司屋に入ることはあっても、海なし県のこの辺では機会的には少ないモノでした。そこで何処が良いんだろうとインターネット等で調べ始めると、寿司屋の数の多さにびっくり、そういえば山梨は人口密度的に日本一寿司屋の多い都道府県でした。この不況に中、客の回転の良い店にしようと、隣町の寿司屋に出掛けていきます。やや豪華な握り寿司と茶碗蒸しなど小鉢を数種お願いし、我が家としては豪華な食事を頂きました。
 たまにはこういう処も悪くないなあとおもいつつ、子供に「回転寿司と比べてどうだ?」と訊くと「おんなじ」という答えだった。彼らにすると味はともかく、回って来る好きなネタを好みでゲットできる方が、良いようである。私も回転寿司では大好きな“ガリ”が食べ放題なところに魅力を感じていたのでした。でもそうは言え、高級感のある店で食事したという実感は味わえたかと、取り敢えず子供の日のプレゼントと致しました。
 そうそう、今日は夕食前に軽く30分ほど走りました。ウルトラ後初でしたが、多少大腿部に痛みが残っていました。でも大丈夫、そろそろ再開します。

2011年5月1日(日)
 大変慌しい週末、ゴールデンウィークが始まっているんですよね。さてさて、私にとって一大事の金曜、土曜でしたがどちらもマズマズ、無事に終了となりましてありがたき幸せでした。
 29日(金・祝)は午前中に訪問リハを行い、午後1時からのウルトラマラソンの受付を済ませておこうと、富士吉田の富士北麓公園へ。それが終わると急いで自宅へ戻り、礼服に着替えて結婚式場の甲斐市へ向かいます。道が割と空いていてスイスイと飛ばしてだいぶ早くに到着。
 STのWさん、とても美しい花嫁さんで式もあたたかい雰囲気に包まれていました。最近はあまり結婚式に招待されることなかったので、以前のイメージでいると驚いちゃいますね。チャペルウェディングと言うんだそうですが、パイプオルガン演奏に賛美歌の美声が心に響くようでした。その後はフラワーシャワーの祝福を浴びてと、大変手の込んだ演出だこと。披露宴ではこれまた大変洗練された料理が次から次へと出され、眼も口も癒され良かったでした。そうそう私のこの日の大役、乾杯前の祝辞ですが、何度も何度も練習してきた甲斐あって無事に終了しました。長いこと友の会活動にご協力して下さったWさんに、私から精一杯の感謝を込めてお祝いさせて頂きました。
 結婚式が終わって帰宅すると午後9時半頃でした。マラソンの準備をしてベッドに入ったのは0時頃。朝は4時半に起床。割とアッサリした食事を取って、山形にこの日帰省する妻を塩山駅に送り北麓公園へ。途中富士山がとても美しく見えて、気分も高ぶるようでした。
 「チャレンジ富士五湖」ウルトラマラソン大会は、私がランニングにはまり込んだ切っ掛けでした。15年ほど前に117kmコースに初挑戦し完走しました。次の年には山梨県選手で1位になり、地元のテレビに出演となりました。その後毎年のように参加していたのですが、在宅STを始めてからは走る時間があまり取れず、ウルトラでの完走はいつだったろう?と途中棄権が続いていました。そして膝の靱帯を切るなど故障続きで、暫くまともに走れていませんでした。大会に復帰したいと言う思いは、10km、20kmというロードレースではなく、やはりウルトラを走りたいという願いでした。出るのなら一番長い距離と思っていましたが、前日に結婚式が予定に入ったため、スタート時間が8時と遅い72kmコースにしたのでした。
 スタート後はユックリ進んでいき、河口湖、西湖とマズマズでした。精進湖に向かう頃から膝に痛みが出はじめ少し危ない感じでした。精進湖から本栖湖に向かう歩道を過ぎて本栖湖は42,1km地点。4時間44分は遅いけど、「あと30km!」気合を入れてゴールに向かいます。途中何度か歩きながら最後の長ーい上りへ。へばってゴールまであと4kmという表示のあと、きつい上りの勾配にひたすら歩いたのでした。もう走れませんでした。最後2km地点から下りとなり、そこは走ってゴール!9時間2分という成績でした。(制限時間は11時間)。
 走り終わった後はかなり足に来ていると言う感じでしたが、一晩眠ってユックリしたらへっちゃらでした。最後の上りを以前は全て走ったので、そこの差かなと思いました。
久々に味わった快感!暫くは余韻に浸りながら次の大会のことを考えていきましょう。2003年以降フルマラソンも出場していませんので、秋にはフルに挑戦しても良いかもね。日々のトレーニングをしっかりやっていけたら挑戦しましょう。

2011年4月28日(木)
 今日は午前中に訪問に行って、午後は全くのフリーでした。そこで銀行に行ったり、スーパーで買い物をしたり、そうそう今乗っている車が丁度1年経ったので、オイル交換をしたり簡単な点検をしてもらいました。帰宅後車の中を掃除して、窓ガラスを拭いたりなど、普段ほとんどしてこなかったことをしたのでした。乗り換えた頃、何となく不安定だったのですが、その後は特に何も泣く安全に乗ってこれました。今後も安全運転で行きたいと願うのでした。
 明日はWさんの結婚式です。乾杯前に挨拶をすることになっていて、そんな大役を任されどんなものかと、かなり不安でいます。明日は朝一番で訪問に行き、その後富士北麓公園までウルトラマラソンの受付に出掛けます。13時からなので、素早く済ませて帰宅へ。急いで礼服に着替えて14:30には結婚式会場までGO!16:10までに受付を済ませてということなので、やや早めに出たいところです。挙式は16:30で、披露宴は17:30から。この頃は緊張で顔が青ざめているかも知れません。そして全て終了が20時ということで、諸々なことで遅れることでしょうから自宅へ戻るのは22時くらいか。
 そして30日は5時には起床して、山形へ帰省する妻を塩山駅に送ってから、私は北麓公園へ。スタートは8時なので余裕を持って準備したいところです。先ほどまでレースに向けてのユニフォームやグッズなどを並べて見ていたのでした。ホント久しぶりの大会参加。駅伝以外で大会に参加したのは2007年4月に10kmロードレースが最後で、その前の年の2006年4月、5月に富士五湖117km、野辺山100kmに出てはいます。とにかく無事に走り終えること。長距離練習は27kmが最高だったのでとても不安ですが、何とかなるでしょう。リタイヤしたって仕方ないし。
 次回、安心な気持ちでこの日記に向かいたいものです。

2011年4月24日(日)
 長野県言語聴覚士会の講演会に行ってきました。午後13時から1時間半という持ち時間でした。いつもながらというか、あまり会心の出来とは言えませんでした。今回も準備には時間を費やしたのですが、本番に弱かったという感じでした。
 大阪教育大学で同じ研究室にいた同期のSTさんとお会いできました。久しぶりにお会いできて嬉しかったでした。3人も出産して育てているお母さんなのに、20数年前の面影が強く残った若々しい彼女でした。ふと、あの頃を思い出したりしたものでした。いいですね、こういう出会いというのも。
 今週末は結婚式とその次の日がウルトラマラソンです。練習はいまいちながら「なんとかなるさ」と、チャレンジしたいと思います。

2011年4月19日(火)
 忙しい火曜日・・・・でした。ここのところ毎週の様ですが、塩山、山梨市の訪問ケースがこの日に集中するのです。訪問で1日8ケースというのはかなり厳しいものです。ただ気を抜くという訳ではありませんが、失語症のケースの合間に摂食嚥下のケースが入ったりしてきますので、それが良いんでしょうね。別の曜日で失語症ばかりを5人診る日の方が疲れがグッと来る感じです。
 今週末は長野県のST会での講演会です。レジュメを本日お送りいたしました。うまくまとめられるかはいつもながら不安ですが、ここ数日でうまくまとめたいものです。

2011年4月15日(金)
 昨日は朝いつもより早く家を出まして、清里高原にある清泉寮新館ホールまで出掛けます。優和福祉専門学校の新人研修会における講話を頼まれていたのでした。天気は良くて久しぶりに訪れた高原の爽やかさに気分もスッキリした感じでした。講話は1時間でしたのでそれなりに準備通り行いました。これから介護福祉士を目指す方たちが対象とあって、あまりどこまで話していこうかと悩みました。そこでSTや失語症という言葉を印象深く入れておこうと、そんな話しっぷりとなりました。終了は12時で、予定通りでした。
 この日のもう一つのイベントは西伊豆「いろは組」の桃源郷ツアーを迎えることでした。清泉寮から長坂インターまで下り、そこから一宮御坂インターまで飛ばして「いろは組」の皆さんが昼食を取っている農園まで辿りつきます。昨年9月ぶりの再会とあって、お一人ずつと言葉を交わして行きました。昼食後は農園の桃の花や菜の花をバックに記念撮影を十分に楽しみました。
 石和のホテルに到着すると、東山地区失語症友の会の方たちが迎えに参っておりました。「いろは組」との交流会を1時間半ほど行いました。東山の奥さん等が練習をして来た「武田節」の踊りに、いろは組のボランティアさん等も加わり、大変な盛り上がりでした。最後に合同で「ことばをこえて」を合唱して終了となりました。そして18時からは私だけ宴会に参加。ここで青梅からKさん、横浜からYさん、そして塩山市民病院のQさんが10日(日)のお祝い会ぶりに駆けつけて下さいました。大いに盛り上がり楽しいひと時を過ごすことが出しました。
 今度は東山から西伊豆に出掛けて行けるよう、考えて行かねばなりませんね。

2011年4月10日(日)
 今日は東山地区失語症友の会の久々の例会でした。1月は新年会で盛り上がったのですが、2月は都合が合わず見送り、3月は大震災の後ということで中止(延期)したのでした。4月の初めということで例年は定期総会をするのですが、3月にできなかった結婚お祝い会をここでしておきたいという思いもあり、一緒に行ったのでした。13時過ぎに総会をササッと済ませたのでした。大体は一昨年、昨年と同じ様でやっていこうと言うことでまとまったのです。ただ、今年こそ3年ぶりに旅行に行きたいね、ということは皆さん思いが強く、こればかりは実現のためアンケートを作ったりしながら、実現させたい思いです。
 友の会には学生時代から協力してくれていたWさんが、この度結婚ということで友の会でも是非お祝い会をしようということになりました。会員さんが全員参加し大変盛り上がりました。クイズ大会、質問コーナー、乾杯〜会食(軽食)・・・歌もうたって、贈り物、お花の贈呈などささやかながら大変心のこもった、あたたかい雰囲気で行えました。お2人が幸せな家庭を築いてくれることを祈ってお開きとなりました。
 終了後はお手伝いに駆けつけて下さった若者3名と、うちの家族で食事会(夕飯)をご一緒しまして、それも大変楽しい時間でした。震災でかなり気持ちも重たくなっていましたが、お祝い会と打ち上げの食事会で気持ち的にかなり軽くなった思いです。14日(木)にはいよいよ西伊豆の「いろは組」が桃源郷ツアーにみえます。大いに楽しめたらと良いですね。元気になってきました。


2011年4月3日(日)
 暖かくなってきていたのに今日は寒い一日でした。隣組の河川清掃が8時からありましたが、ほんの10分ほどで終了しました。ゴミなどはほとんどなく綺麗なものです。以前はもっとやりがいがあったのですが、最近は毎年こんな感じです。いつもは街灯の蛍光灯を梯子に乗って替える作業があったのですが、感電したり落ちたら危ないと言うことから、今年より業者さんにお願いすることになりました。よってすることがなく、10分で解散となったのでした。隣近所での交流は徐々になくなっていく中、この河川清掃もこうなってはないのと同様です。ホント最近は葬式の手伝い―――これもかなり簡素化されてきていますが、それくらいしか近所づきあいはなくなってきています。
 3月13日に予定していたお祝い例会が、震災で延期となり、今月10日(日)にやることに決まりました。友の会の定期総会もする時期ですので、それに合わせてやや質素に行おうと思います。皆さんで集まれる機会は、なるたけ潰したくありませんから良い日になればと考えています。そうそう、桜もそろそろ咲いてきましたし、桃もあと1週間ほどで咲きましょうか?楽しみです。

2011年4月1日(金)
 地震と津波、原発問題とまだまだ厳しい状況が続いています。ただ、何でもかんでも自粛と市民活動を中止している風潮は如何かと思うところです。山梨県では伝統の「信玄公祭り」が中止になったのを筆頭に市町村の春祭りのほとんどが中止、桃源郷マラソン、桃の里マラソンが中止、その他音楽会や発表会が右に倣えと中止、中止――― それを仕事として来た方や、生きがいにして来た方の元気を全て吸い取ってしまい、その2次的、3次的被害の広がりは如何なものかと心配してしまいます。
 今日で3週間経ち、そろそろ部分的には落ち着いてきています。まだまだ大変な状態だとは思いますが、元気な人は復興に向けての援助をして行きながら、通常の姿を元気に見せて行く方が良いんじゃないかと思います。お祭りやマラソン大会だって被災者への寄付金集めの場になるだろうし、そんな意識をきっと皆持っているんだと思います。
 4月1日ですね。在宅言語聴覚士10年目を迎えました。満10年に向けて頑張りたいと思います。

2011年3月21日(月)
 震災から10日経ちました。被災地での物資提供も少しずつ可能になりつつあります。水がないと言うのが辛いでしょうね。今週は天候も悪く、おまけに気温もだいぶ下がると言うことで、寒さ対策が厳しい状況なようです。私たちはこの連休中、計画停電はなく、すこしゆるゆるした感じでした。精神的・肉体的に負担を最大限に負った東北の皆さんのことを考えると、、のんびりしている自分に対し自己嫌悪に陥ってしまいます。
 山形のご両親は震災そのものというより、それによって仕事的な大ダメージを受けており、どんなものかと私たちも気分的にかなり重たくなっています。東京電力管轄の原発問題はかなりまずいなあと毎日の報道で思っています。起こったことそのものというより、それに対する説明不足、逃げに掛かっている見え見えの態度が余計に不信感を駆り立てていると思います。プロ野球セ・リーグの開幕日の問題についても大騒ぎで、どう収拾がつくものか・・・・。

2011年3月18日(金)
 大震災があって1週間が経過しました。今日の午後は穴山デイサービスでした。デイの利用者さんとのグル―プ訓練では、震災の感想を何人かの方に聞きました。80歳、90歳代の方から「生まれて初めての経験」「戦争の様だ」などの意見、そして被災された方たちへの強い思いを感じ取れました。もう一週間かぁ、という思いです。長い重たい一週間でした。でも何にもしていない私なんかより遥かに、東北地方の皆さんは長い厳しい一週間だったでしょう。そして今後についてだって、何も考えられないのではないのでしょうか。
 スーパーでの商品の買占め――― 一体何を考えているんでしょう?!自分のしていることが如何に空しい、非人間的なことだと解らないのでしょうかね?ホームセンターへ軽トラで行き、トイレットペーパーや洗剤などを満タンに積んでいく人、スーパーで米やインスタント食品などを持ち切れないくらい買い占める人、ただただガッカリするのみです。岩手、宮城、福島の皆さんがどんな状態で居るのかということを、全く知らないのでしょうか?いえいえきっと知って居ながら「自分だけ助かればいい」と思っているんでしょうね。海外で辛抱強い日本人!と評されて、とても恥かしく思います。まあ東北人は確かにとても辛抱強く立派だと思いますが。
 先週は休みになった塩川病院に今日は行って、その帰りが大変でした。高速を出た一宮から塩山までの道は計画停電にて真っ暗状態。しかも交差点では信号が点滅していませんので、譲り合いっこでこれが凄い渋滞を生んでいるのです。街灯がついていませんので、対向車のライトがかなり眩しく、自転車の人がよく見えません。やっとの思いで帰宅しました。すると、今度は停電中の自宅へ。蝋燭の灯りで夕飯を頂き、これが結構良かったでした。蝋燭は私らの結婚式のキャンドルサービスで使ったモノ。ズット仕舞っておいたのですが、久々に登場し、大切な役割をこなしてくれました。予定の時間より1時間早く停電は終わり、ホッとしているところです。
 いろいろと貴重な経験をさせてもらっています。でも、早く元に戻ってもらいたいです。

2011年3月15日(火)
 東北関東大震災が頭から離れない数日で、体も何だか変だったのでした。重たくて、自分自身が被災した様なおかしな感覚―――ズッとテレビ映像を見続けたせいでしょうか・・・。昨日仕事に出掛ける時も、いつもと違うような嫌な心持ちでした。ところが、実際に失語症の方たちと向かい合っていくうちに、次第に気分が緩々となっていくのを感じました。大震災に対する失語症の皆さんの思いは、伝えられない分大きなストレスとなっていたのでしょう。「大変な津波でしたね」「恐ろしい光景でしたね」「多くの方が亡くなられてとても辛いですね」「家族も家も失ってこれからどうしていくんでしょうね」・・・・、これらはウンウンと頷き涙する失語症者の代弁であり、共感できる仲間の言葉でした。
 失語症の人たちとこうして災害について語るうちに、重かった気持ちが少しだけ緩やかになりました。何をしなければならないのか、少しだけわかった気分でした。相手を思いやる心、これを多くの人と共感し、伝えあうこと。在宅の失語症者やその介護者と一緒にそれをしていくことですね。大きなことはできないけれど、そんな活動から援助していきたいと思いました。

2011年3月13日(日)
 東北地方太平洋沖地震の報道にただただ唖然としか言いようがありません。岩手、宮城、福島の海岸沿いの集落が壊滅的な被害を受けています。マグニチュードが8,8から9.0に訂正され、地震の凄さを解説されています。死者が1万人を超える?という話であり、なんとも気持ちが落ち着きません。ズット重たい感じで、疲れているのですが、眠れない感じです。
 山形の家族は昨日夕方に電気が復旧し、少し元気を取り戻した感じでしたが、疲れているようでした。近かったら直にでも行きたかったのに、こういう時遠いと言うのは辛いなあつくづく思いました。失語症友の会の「お祝い会」は、このような状況で誰も心から「おめでたい」と思えないので中止(延期)としました。会員さんみんな当然と同意してくれました。
 明日からは電力不足からの輪番停電が実施されると決まったようです。ガソリンも十分に給油してもらえないらしく、私の訪問活動にもかなり支障を来しそうです。ただ、今は自分のことよりも、被災された皆さんの生活が普通に戻ることを、優先的に考えていきます。早く治まることを祈念いたします。

2011年3月11日(金)
 東北地方の太平洋側に大地震が起こり、もの凄い被害をもたらしています!!
 14時46分、ちょうど穴山デイサービスで個人訓練をしている時でした。グラグラ揺れるモノで暫くはジッとしていましたが、揺れは治まらないので、対面している失語症者をテーブルの下に誘導します。この時「テーブルの下に潜りましょう」という指示が、非日常的だったため通じなかったのか中々動かず、私が焦らせないように誘導させました。デイの利用者さんは職員のうまい誘導に皆さん安全を確保されていました。停電していたのでテレビは見れず、携帯のワンセグでどこで起こったのか、この様な状態なのかを知りました。
 三陸海岸付近という震源地で、これは随分遠いところから強い地震が来たなあと、その時点では災害の凄さなどあまり予感しませんでした。私がいるここでも震度5弱でした。この日はその後塩川病院と、もう一軒訪問があったので、連絡を取りたかったのですが電話が通じない状況でした。仕方なく車で移動し、塩川病院に行きますが、ここも停電していまして、予想通りST評価などをする状況ではありませんでした。早めに帰宅しようと塩川病院は出まして、中央高速が使えるか寄ったのですが、不通の状態でした。車の中ではラジオからの情報がたくさん入り助かりました。信号が点灯されていない交差点もあり、走行はユックリで渋滞は相当なものでした。停電ということでコンビニなどでは閉店しているところが見えました。やっと帰宅し、テレビでその悲惨な状況を見たのでした。
 家内の実家である山形との連絡が取れないと言うことで、それが何よりも心配でした。それでも妹の携帯からみんな元気だとの知らせをもらいました。これからどうなるのだろう?と被災の現場を映像で見ながら胸が痛くなってきます。二男が高校入試で合格したという喜びは、どこか飛んでしまった今日でした。

2011年3月10日(木)
 二男の中学校の卒業式でした。寒い朝でした。中学校の体育館に8時40分までに集合ということで、妻と私は別々の車で出掛けました。午前中の訪問は休みにしましたが、午後からは育精福祉センターに行くため、卒業式終了後に直にいこうとしたのでした。式は9時から始まり、校長挨拶のあと卒業証書を一人一人もらうのです。息子もしっかりいただきました。来賓のあいさつ、在校生、卒業生代表のことば、「蛍の光」、「校歌」合唱と進み11時前に終了しました。私はここで体育館を後にしましたが、あとはPTA総会があり、クラスルームに戻って最後の集りを終えた生徒と一緒に先生方の「見送り」を受け、帰宅したということです。自分のことはもとより、長男の卒業式のことまであまり記憶にないので、新鮮に感じました。
 育精福祉センターでも今年度は修了となりました。また4月からどのような方たちとやっていくのか、楽しみであり心配でもあります。今日はそれで帰宅すると、疲れてしまっていて、走りに出れませんでした。卒業式に参加してズット緊張していたのが影響でしょうか?明日はその二男の高校入試の合格発表の日でした。幸運を祈ります。

2011年3月6日(日)
 峡北地区失語症友の会主催 地域研修会 「介護職に正しい失語症理解を」を昨日開催し、無事に終了しました。会場づくりを12時から始めましたが、多くの方に協力して頂けたので、あっという間に完了しました。午後2時に開会となり、韮崎市長、北杜市長がわざわざご挨拶にお出で頂き、これはやや緊張しました。講義の前半は「失語症とは?」についてクイズ形式で行い、後半はグループになって、コミュニケーション実技を行いました。そして友の会の失語症当事者にグループに入ってもらい、生の失語症者体験をしてもらいました。2時間半を少しオーバーしましたが、まあまあだったかと思います。終了後のアンケートでは概ね良かったと言う感想で、それを拝見し私もやっと安心できました。
 終了後は失語症友の会のスタッフ(&ボランティア)で、夕食をいただき、青梅のKさんと甲府のMさんとで甲府へ移動。ビジネスホテルに泊っていくこトにしてチェックイン、居酒屋で打ち上げとなりました。遅くまで語り合い、密度の高い会話がいつまでも続きそうでした。店のラストオーダーが良い切り上げの合図となりました。
 今朝はユックリ眠り、9時半にチェックアウト、Kさんの車で家まで送ってもらいました。イベントが一つ終わって安心しましたが、来週は日曜日に東山地区失語症友の会のお祝い例会です。準備もまだ十分でないのでこれからあたふたしそうです。

2011年3月1日(火)
 今日は各地で高校の卒業式でしたね。うちの長男も無事に卒業できまして、様々感慨深いところです。私が高校卒業したのは30数年前ですが、その時の思い出ってあまりないです。割と昔のことを覚えている私ですが、この高校卒業時って空白状態です。それだけ良い印象がなかったんでしょうか・・・・、そう思うと悲しい思いにもありますが、実際そうだったのかも知れません。大学の卒業の日もあまり良い思い出がありません。そんな意味でこの3月の卒業ムードって私は苦手ですね。
 長男の卒業証書と付録のように、皆勤賞を貰ってきたのは嬉しかったでした。一日も休まず、遅刻もせず、雨の日も雪の日も自転車で通ったことを思うと、勉強はいい加減でしたが、よく頑張ったと褒めてやりたいですね。
 明後日は二男の高校入試です。一生懸命取り組んできた彼を見て、無事に通ることを願っています。これが終わったら久々にみんなで羽目はずしにいきますか・・・。

2011年2月27日(日)
 暖かいを超える様な日でした。このままだったら良いのですが、また来週はグッと寒くなると言う予報です。今日は東京マラソンでしたね。私は出ませんが、知り合いは何人も出場しています。川内優輝選手が3位で日本人トップ。聞かない選手だなあと思っていたところ、埼玉県職員というではないですか!市民ランナーの星と言うべきか、2時間8分台でのゴールも見事でした。公務員が事業団を押さえての快挙、勇気をもらえる気分です。今後に期待したいですね。
 そんな私も出場レースが決まったこともあり、今後更に熱を入れて走り込んで行きたいものです。昨日は家〜山梨市民体育館〜上町〜勝沼からの新しい道を千野橋〜市民グランド〜松里〜家という27,2kmをゆっくり走りました。4年前に怪我をしてから1番のロングでした。かなりアップ・ダウンの厳しいコースでしたが、途中は良い気分で行けました。そして今日は家〜岩手橋経由の鼓川温泉までの超上りコースを途中まで走っていきました。今日までで月間250kmを超えました。来月はやや忙しいですが、もう少し長いコースを一度走っておきたいです。

2011年2月24日(木)
 ランニングの大会―――駅伝はチョクチョク頼まれて短い距離で走りましたが、個人のレースに関しては何時ぶりだろう?running memoを探ると2007年4月に一宮マラソン10kmが最後みたいだ。長い距離で言うと2006年4月に富士五湖117kmウルトラ(90kmリタイヤ)、5月に野辺山100km(75kmリタイヤ)とある。今月一杯で締切りとなる富士五湖に、今年出るか否か悩んだが、再出発として妥協した距離72kmレースに申し込んだ。あまり長い距離は練習していないが、正にチャレンジのつもりで臨もうと思います。4月30日(土)8時スタート。・・・・・前日が後輩の結婚式(夕方より)の祝辞も述べなければならない・・・大丈夫かな?

2011年2月20日(日)
 18日の夜に会計のまとめに時間を費やし、朝方5時半くらいにE-taxにて税務署に送りました。これで重荷を1つ降ろすことができました。昨年はこの最終場面での仕方が解らず、会場に出掛けての仕上げとなったのでした。今年もそんな様相でしたが、粘って何とか仕上げることができました。そんな興奮の冷めない朝に眠って、19日は土曜日でしたが、午前中に仕事関連のことで動き回り、昼食後はランニングに出ました。ウルトラマラソンに出たい思いは日に日に増してきましたし、それに向けての練習量も上がってきています。20km超を2時間くらい掛けてのゆっくりペースですが、いい感じに走れています。月間300kmをと考えていましたが、それは少し厳しいかな?でも270か280kmくらいはいきそうです。
 走り終わってシャワー浴びてから、夜は無尽でした。以前家の近くに会った「錦昏甘」という飲み屋が、昨年11月に閉店となりました。そのマスターから先週電話が入り、隣の山梨市に新しい店を構えたということでした。そこで、今月の無尽は急遽そこでやることにして、お店を訪ねると、久々に良い飲み会でした。鉾のメンバーさんも満足してくれて、またここを使って行こうと言うことにもなりました。
 そして今日は、午前中は家のことでゴタゴタ動き回り、灯油を買いに行ったり、ゴミ・ステーションに古新聞や段ボール、空き缶、空き瓶などを捨てて来ました。午後は長男を連れてスーツや靴など、大学入学式用、新生活に備えての準備買い物に行き、その帰りは今度結婚するSTさんへの贈り物を見に(買いに)行ってきました。そして夕方、だいぶくたびれてはいたのですが、1時間だけランニングに行ってきました。大変充実した土日でしたね。ウルトラマラソン(富士五湖)は今月末が申込み締切りなので、どうするかそろそろ決めないといけませんね。

2011年2月17日(木)
 「失語症者、言語聴覚士になる」の増刷が決まりました。一昨日の夕方、雲母書房の茂木社長より電話を頂き、様々お話しをしたところ、増刷して下さることとなりました。これまでは雲母書房にお任せで、私は講演などで販売するくらいでした。今後はもう少し積極的に販売していきたいと思っています。どなたか勧めたい方がおりましたら、ご連絡下さい。送料無料のアマゾンなどでも良いですし、わたしに注文の場合は一筆(サイン的に)入れさせてもらいましょうか?希望ある方には。
 小説の方は一応最後まで大体書き終えたので、2日前から最初から読んで直しています。それがかなり大変で、というのも、自分で読んでいてチットも面白味を感じないんですね。どうしたら良いのか、悩んで停滞状態です。
 長男の18歳の誕生日。もうそんなになるんだなあと、しみじみ時の流れを感じてしまいます。

2011年2月15日(火)
 昨日は夕方から雪が舞い、牡丹雪がズンズン落ちて来ていたので大分積りそうでした。今朝早起きをして雪かきをしましたが、その重いこと。かなり水分を含んでおり、気温も高そうだったので、溶けるだろうと思い玄関前と駐車場だけにしておきました。予想通り昼までにはだいぶ溶けました。高速道路ではかなり事故があったという報道を聞いて、自分は徐行して走っていても、雪道に慣れないドライバーがいるので、怖いなあと思いました。
 2月も半分過ぎました。申告の時期となりますが、まだ完全にはまとめていません。これが終わらないと安心できませんから、早目に済ませるようにしましょう。

2011年2月11日(金)
 朝から雪です。今シーズン初の降雪ですが、どれくらい積るでしょう?10cmとか15cmとか、それくらいでしょうか。今日は金曜日で、いつもの週は韮崎市穴山のデイサービスと、北杜市立塩川病院と、遠方かつ標高も高い地域なので、きっと大変だったでしょう。よかった。
 のんびり、かつ充実した一日でした。なおかつ明日、明後日と、まだ2日も休みがあるという嬉しいことですね。本当は午後から摂食・嚥下のケースを、歯科医師と評価に行く予定でしたが、急遽延期となりました。この手のケースが多いですね。このケースはVFを撮った後の評価を基に、如何に食べていくかの問題で、結構重要な役割ですね。でも多いのは病院で早期退院してきた胃ろう患者さん。本人の食べたい意欲から私が呼ばれ、簡単な評価で「問題なく食べれます」と評価を下すケースです。どうしてこうなるのか大変不思議ですが、医師とリハビリスタッフとの連携が悪いため?―――なんなんでしょうかねえ?

2011年2月7日(月)
 暖かい日が続いてホント過ごしやすくなりました。日も長くなり夕方のランニングも、し易くなりました。ただ今週末には寒気が降りて来ると言うことで、冬に逆戻り?天候も下り気味ということで、今シーズン初の降雪もあるのかな、という感じです。
 現在一生懸命に執筆している物語は、いよいよ終盤に掛かっています。大阪教育大学に行って、遠藤先生のところで実習をして、その後大阪で悶着を起こした場面です。私が当時記した日記が現場を再現していますが、「ああ、こんなことがあったんだ!」と、感動の連続。随分長い物語となってしまい、2月中に一旦書き終え、その後何度も読み返して直していきます。出版できるようなモノに仕上がるか・・・、期待だけが膨らんでいます。

2011年2月4日(金)
 立春―――まさにそんな感じの暖かい一日でした。ただズット雨(雪)が降っていないので、乾燥しているのが気になるところ。インフルエンザの流行もピーク近くに迫っていると言うではないですか。受験生の息子(二男)には注意しているのですが・・・・、そうそう彼も今日誕生日で15歳でした。早いものですね。親が歳取るわけです。
 西伊豆から毎月送られてくる「いろは新聞」ですが、毎月代わる代わる援助下さるSTさんの参加しての意見が出ていました。その中で気になったのは、「よりSTとしての専門性を発揮したい」「現在のつどいは、“お楽しみ会”的要素が強いので、もう少し“集団言語訓練”色を出した方が良いのでは」「一人一人をもっと丁寧に見ていく必要がある」という意見でした。病院で行う集団訓練とは、そもそも違う活動だと思えないのでしょうか?地域でSTはどんな専門性を出すべきだと思っているのでしょうか?“お楽しみ会”―――良いじゃないかと思いますし、コミュニケーション能力の改善に適していると思います。
 県STさんとの調整を担っている奥田さんが気の毒になってしまいます。でもお互いが良い方向で、西伊豆のつどいを盛り上げて下さることを願っています。

2011年2月1日(火)
 今日の訪問時にショックなことが分かり気持ちがダウンしました。「失語症者、言語聴覚士になる」を購入しようと書店に取り寄せた訪問先の奥さんが言うに、出版社に在庫はなく、今後の増刷も予定ないというではないでしょうか。驚いてこの場で雲母書房に電話を入れますと、全くその通りのことを言われました。もう新たに刷らないと言うことです。2003年12月に初版が出され、3刷発行まで行ったのですがここで終了。講演会等に購入してもらうと毎回30冊くらい購入頂いていたのに・・・・とても残念です。
 実際3刷発行までしてくれたのはありがたいのですが、内容が古いとか今の医療福祉活動に合わないと言う問題もないので、もう少し増刷して頂けたら、と願っていたのでした。手元に50冊くらいはありますので、それを講演時には少しずつ持参して、なくなったらさようならと言うことですね。
 思えば、NHK出演や雑誌、新聞取材、各地からのラブコールも全てこの拙著が出版されたからであり、感謝の思いで一杯です。雲母書房にもお礼を言わなくちゃいけませんね。んーん、でも残念な気持ちです。

2011年1月30日(日)
 ザックjJapanアジアカップ優勝おめでとう!いやいや凄い試合でした。そしてとても素晴らしかったでした。ホント皆がMVPです。予選の1試合目がまさかの劣勢(結果は引き分け)でしたので、まさかここまでやるとは思いませんでした。でも1試合1試合代わる代わるのヒーローが出て来て、素晴らしいなと思いました。今朝の3時過ぎまで観て、さすがに今日は寝坊でしたが、スカッと良い朝を迎えることができました。
 昨日はユックリペースで約20km走り、今日もユックリ11kmと良い感じで走りました。これで1月は210kmの走行距離となりました。目標の250kmには及びませんでしたが、徐々に走れる体になってきています。久しぶりにウルトラマラソンに出ようかな?という気持ちが出て来ました。2月での調子を見ながら決めたいと思います。2月に1回でも40か50kmくらいのロングを走っておきたいものです。

2011年1月27日(木)
 先日の友の会例会(新年会)の時にも話題となったおめでたいお話し―――いつもお世話になっているSTさんがこの春結婚+出産、をお祝いしたいと言う話。今週私が訪問先で失語症の方や奥さん等に聞いて回ると、皆さんが大変祝う会を熱望しておりまして、ニコニコ顔で賛成してくれます。ただ、それぞれがどういう祝い方が良いのかは割と冷静で、派手なタイプと地味なタイプと、その他諸々の案が出され、まとめ役の私は困っておりました。本日友の会会長さんのところへ行って話したところ、より良い案を出してくれました。私もそれが実は良かったのかな?という感じで何とかまとまとめられそうになりました。
 それにしても失語症の人たちに祝う会開催を是非にと、普段静かな失語症の皆さんから希望出される彼女はST冥利に尽きますね。長年にわたって会員さんの心をきちっと掴んで来ましたからね。素晴らしいことです。うまくお祝いの会を開けたら良いですね。3月20日当たりの予定です。

2011年1月23日(日)
 東山地区失語症友の会の新年会が行われました。新しい会員さんが久々に加わり、会員さんが14名、ボランティア3名、ST2名で全員で19名でした。新年会と言う意識が私になく、多分用意していたであろう会長さんの挨拶まで飛ばしてしまいました。渡辺STによる軽体操に発声練習、その後は一人ひとりの近況報告。全員のお話しが終わるまで1時間半はかかったでしょう。その後は食事を皆さんでいただきました。メインは若鮨の上握りですが、奥さん方が持ち寄って下さった野菜の煮物や漬物、りんごや菓子類などテーブルの上はいつにない豪華版となりました。最後に「言葉をこえて」を歌い終了。次回は2月20日(日)を予定しています。
 今夜は父親の誕生会もありました。1週間おくれとなりました。今回はJALカードのマイルを集めてのポイントから、北海道の海産パック―――毛ガニ、タラバガニ、エビ、鮭、ホタテ、などの鍋料理を取り寄せてのやや豪華な食事となりました。ただ、カニはどうも食べるのに一生懸命で無口になりがちですね。食事がおおかた終了してからは、いつもよりも昔のこと等の話に花が咲いたのでした。

2011年1月20日(木)
 暦の上で「大寒」というらしく、一年で一番寒いという云われの日、文字通り寒かったでした。今日は午後から空いた時間がありましたので、市民グランドに出掛けたのです。風がビュービューよ激しく、砂煙をあげている状態でしたので、隣のふれあい公園の1,3kmコースをグルグル走ったのでした。結構アップダウンの激しいこのコースは練習にはなりますが、肉離れの右足ふくらはぎと、左ひざの古傷をかばってのランニング。でも8周して良い感じでした。今週は月〜今日まで毎日走れていて、月間200kmはがんばればいくかな?と言う感じです。
 韮崎で3月初旬に行うイベントの準備にやや忙しくなりました。主催は峡北地区失語症友の会ですが、わたしもメインで協力しますので、しっかりやっていかねばなりません。今回は「介護職に正しい失語症理解を」と題しての研修会です。時々私が講義してきた峡北版と言うことです。うまく行けば良いですね。でも、今からの準備が大変です。

2011年1月16日(日)
 さむ―い1日でした。風が強くて外に出ていく根性は削がれた感じでした。天気は良いのですが気温が上がず、冷蔵庫の中にいる様な感じ・・・・ズット暖房の入った部屋で過ごしました。
 そろそろ真面目にしないと、と出納帳や決算書つくりに取り掛かりました。毎年やってきていますが、この時期にしかやらないので、いつまで経っても学習できず、今年も暫くは頭を悩ませることでしょう。早く済ませたいのですが・・・・・。
 昨日は吉岡医院に毎年例年の検診に行きまして、胃カメラ、エコーなどチェックしてもらいました。血液、尿検査の結果は来週になりますが、その他は特に異状なしで良かったでした。ここのところ、やや体重が増えて、まずいなあと思っています。また少しずつ走りを増やして落としていきたいと思います。

2011年1月13日(木)
 好天が続いていますがやや乾燥気味です。朝晩の冷え込みは結構厳しいです。この時期は空気が済んでいるので富士山が見事に見えるのが良いですね。今日は午後から育成福祉センターに行きましたが、その辺からの富士がまた素晴らしく、しばし見惚れてしまいます。
 右足のふくらはぎはその後、ユックリ走るのには支障がなく、火曜日から3日間ボツボツ走っています。怪我のないように続けていけたら、春には久々にどこか走りに行きますか。さすがにウルトラという訳には行かないでしょうから、10kmとか20kmくらいでどうでしょう。秋に向けて順調に走っていけることを願っています。

2011年1月10日(月)
 3連休の最終日・・・、私は午前中だけ出勤しました。寒い日が続いています。ただ天気は透き通った青空で、走るのには良いのかなと思うのです。一昨日10kmくらい走って、昨日も午前中に着替えて走りに出たところ、なんと!昨年11月に肉離れを起こした右ふくらはぎに痛みが。無理は避け、大事を取って休養日としました。今日もそんな感じで、折角でしたが休養日としました。ウルトラに出たいがため、無理をしたら何にもなりませんので、ここは静かにしていましょう。
 書きものは少しずつ進んでいますが、なかなか思うように行かず、いつになればと言う感じです。書きながら、昔のことを思い出しては、大変だったよな〜と、私の周りの人に感謝しております。重松清「卒業」を読み終えました。今日からは「熱球」を読みます。

2011年1月7日(金)
 今日で新年1週間経ちました。今年からはじめる新しい訪問リハビリ利用者を診ました。リハビリ病院からの紹介状も送られてきていました。それを見ると(特に標準失語症検査の結果)随分症状が重たい方かな?と考えていました。それが今日初対面して違いました。大変コミュニケーション能力の高い方で、紹介状に記載された症状を表す表現が、残念ながら適格ではありませんでした。私の方で詳細はチェックしていかねばと思いました。
 午前中に訪問3名、午後から穴山デイサービスに行き、続けて北杜市立塩川病院に行き、多忙な1日ですが、逆に言うと最も充実した日かな、と思います。金曜を終え、何となく毎週ホッとするのです。明日、明後日は連休ですので、それも当然ですか。

2011年1月4日(火)
 今日から仕事始めです。訪問リハビリは昨年28日(火)が最後でしたので、その1週間が今日でした。暮れの忙しさと、新年の気分を、急いで味わってきたという感じで、暮れ正月休みに引っ掛からず、申し訳ない気分が出てしまう思いでした。
 暮れから正月は、父と東京から帰省した兄とよく飲んだこと。それでも以前の様な、バカ呑みはしなくなった?と思います。1日はお墓参りも兼ねて4つのお寺を初詣。七福神巡りをしている方たちにも会いました。2日は午後から外出し、昼食を食べようとある店に行ったところ、凄い混み方で待つこと1時間、それでも美味しくいただいてきました。ユニクロに寄ったところ、こちらも凄い混み方で、ちょっと見てすぐに退散。近くにあったブックオフに移動し、家族それぞれが好き勝手に見て回って、私は重松清の文庫本を2冊購入。今日は新年と言うことで、本は半額と言うことで、少し儲けた気分になりました。
 
2011年1月1日(土)
 あけましておめでとうございます。今年も無事に新しい年を迎えられ良かったでした。
 今年はどんな年になるんでしょう?仕事の方では4月になるとフリーで始めて10年目に突入します。新しい展開が、近隣病院のSTと築き上げられたら良いと考えています。
 そして、ズット書きためてきたモノを出版できたらと、それが最大の願いです。
 走る方は昨年はやや復活しかけたのですが、大会参加は1月の大月駅伝だけでした。今年はどこかの大会に参加したいです。4月、5月のウルトラマラソンに出るには、月間最低でも250kmは走っておかないと無理でしょう。でもそれに向かって練習していきたいですね。
 子どもも大学、高校とそれぞれ進学します。少しずつ大人になっていく彼らが、よき青春時代を送ってもらえたら嬉しいですね。
 皆が健康で、無事に1年過ごせることを願っています。

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