管理者より、ひとこと、ふたこと・・ 

2013年12月31日(火)
 今年は28日からゆったり休みが取れたため、せせこましくなく大晦日を迎えることができました。昨日は山梨日日新聞に私の記事が大きく掲載され、いつもながら感謝いたします。地元山梨の読者が増えることを願っています。
 無事に一年が終え、ありがたく思っています。新刊「この道のりが楽しみ」の出版はありがたい出来事です。3月に出会ったCBブレースのお陰で、「走り」に対して再燃、久しぶりにロードレースに出場を果たせました。来年はウルトラにも参加するし、10何年ぶりかのフルにも出てみようかと思っています。今年のもう一つの大きな出来事として、遠藤尚志先生が亡くなられたこと。4月1日に亡くなられ、しばらくは頭の中が真っ白のような、不思議な感覚でいました。もうあの先生がいない、という事実を受けう入れるのに随分時間がかかりました。今でもすぐ近くにいてくれるような感覚でいます。
 来年はどんな年になりましょう。元気にいつものような毎日を送っていけたらと思います。

2013年12月27日(金)
 今日で仕事納めとなりました。ここに来てゆったり時間が過ぎている感じで、年が終わっていくという慌しさもありません。あっという間だったという印象はこのところ毎年抱いています。今年は忙しい中、新しい本を出版できたことが何よりもの出来事でしょう。良いものができたと、出版社の編集者には感謝でいっぱいです。この本がたくさんの方々に読んでいただき、在宅へ、地域へと思いが外へ向かって下さればありがたいです。言語リハビリは病院を退院してからがスタートである、と考えてもらいたいですね。
 今年は長年訪問リハビリを続けてきた利用者さんが不調で入院したり、亡くなられたりと、訪問の時間に空きができて、それはそれでユックリできる時間もできました。「少し休め」ということかしらと、変に焦らずのんびりしてきました。そうこうしているうちに、新しい利用者さんも出てくるでしょう。新しい展開が少しずつ始まっています。

2013年12月21日(土)
 協同医書出版社の編集者と大西写真家とに出版の感謝を込めた食事会(忘年会?)を、飯田橋の「和楽」で12時よりやりました。山梨、東京。神奈川のSTもご一緒して下さり、6名での会食でした。3時まで出版に関するお話や、その他の話題でゆっくりとした時間を過ごすことができました。昨年3月にお話があり、そこから始まった今回の出版の話、長かったですね。でも良いものができて、大変ありがたく思っています。
 終了後は新宿へ出て、紀伊国屋書店で私の本がどのように積まれているか見てきました。たくさん売れるといいですね。2次会は新宿3丁目付近のお店で2時間くらいいました。私自身、このところしばらく調子が良くなくて、月曜から4日休肝日にしたくらいでした。3次会に向かう若い衆と別れ、独り帰宅したのでした。

2013年12月18日(水)
 今日は午後から富士山のふもとにある忍野村で行なわれる、言語リハビリ教室に行ってきました。介護保険が始まる前まではどの市町村でも開かれていた機能訓練事業(リハビリ教室)の名残というのか、この村では今でも私を呼んで開催してくれています。人数は少なくとも、ことばがうまく使えないで自宅で生活している方たちには、大切なコミュニケーションの場ですので、ずっと続けてもらえたらありがたいです。
 天気予報で18日は雪マークでしたので、月曜の夕方急いでスタッドレス・タイヤに履き換えたのでした。これを怠っていたら今日は恐らく帰ってこれなかったでしょう。午後から雪は本格的に降り始め、帰り道の御坂峠越えでは視界が悪くなるほどでした。何とか戻ってこれて良かった。いよいよ冬本番っていう感じですね。

2013年12月15日(日)
 東山地区失語症友の会と上野原失語症友の会の合同クリスマス会が、山梨市民会館の多目的室で開かれました。失語症などの当事者が7名、家族が7名、それに優和福祉専門学校の先生と学生が10名、STやSTの学生らのボランティアも加わり31名の集まりになりました。協力者の一生懸命な御助けにより、大変盛り上がり良い会ができました。2年前の「マッチ売りの少女」に次いで今年は第2弾として「浦島太郎と桃太郎と花咲爺さん合体物語」をしました。ほとんどぶっつけ本番だったのですが、会員さんにもかなり受けて良かったでした。学園祭のような雰囲気で、楽しい会でした。

2013年12月1日(日)
 西伊豆へ行ってきました。昨日7時に塩山市民病院をスタート、若いST2名と一緒です。河口湖から見える富士が優美でありがたい思いになります。今回は田子の診療所に用事があったため、その近くで昼食を早めに頂き、その役割を果たします。午後1時半からの映画「言葉のきずな」を松崎町生涯学習センターで鑑賞しました。失語症を理解するのにとてもきめ細かく描かれていました。多くの方々に観ていただきたいと思いました。終了後は私たちの仲間5名は国民宿舎まつざき荘に移動しました。チェックイン前に海岸に行くと丁度夕陽が沈むところでした。5人はその光景をうっとり見ながら、買い出してきた缶ビールで思わず乾杯したのでした。
 みんなの発表会という題でST5名は部屋に入って勉強会を始めたのですが、なんせ時間が足りず、2名の発表で終了となってしまいました。そのあとは「みんなの家」にて大宴会です。ビールやワインを飲んで、地元の美味しい食事をたくさんいただき、「夏色」「乾杯」「ことばをこえて」を演奏付きで大合唱しました。国民宿舎に戻ってからは、その2次会を延々としました。
 今朝はさすがに不調で、帰路の運転は若い人にお任せしました。でも、また今年も素晴らしい会でした。本の販売もできました。今日はまたゆっくり休みます。

2013年11月24日(日)
 よい天気が続いています。昨晩は家族で牛角に出かけたのですが、午後7時ということで店は大盛況。しかも何組も待っているという状況でした。仕方なくそこから目と鼻の先にあるファミレスに落ち着きました。みなそれぞれ不満はあったようでしたが、ハンバーグ系の料理をそれぞれ注文し、まずまずの満足だったかな?私はそれなりに美味しく頂きました。
 このところ結構走れていまして、昨日今日とも自宅から1時間少々走り、月間走行距離が210kmと、最近にしてはよく走れています。9,10月と久々の大会にも出ましたし、来年は長い距離にも挑戦していきたいですね。一応4月の富士五胡ウルトラは申し込んでいます。
 明日は「この道のりが楽しみ」ができるという話です。私のところへは水曜日くらいに届けてもらえるらしいのですが、楽しみですね。よい時期に刊行となり嬉しい限りです。

2013年11月16日(土)
 妻の誕生日が明日ということで、今日は家で宴会でした。父は遠方に出張なので母だけ呼んで5名でのパーティです。妻は午後まで仕事だったため、私が男の料理で準備します。といっても、パーティ用の寿司を注文したり、ケーキを買いに行くぐらい、そうそうプレゼントの花も用意します。大したものはできないまでも、それなりに何品かは用意します。初挑戦の茶碗蒸しは見事に失敗しましたが、家族のだれもが無言で食べてくれたのでした。でもまあ、こうして家での晩餐はいいですよね。気兼ねなくユックリでします。

2013年11月12日(火)
 昨年より執筆してきました新作「この道のりが楽しみ 《訪問》言語聴覚士の仕事」がいよいよ今月25日にできあがるという連絡を編集者より知らされました。是非読んでいただきたいと思います。
http://www.kyodo-isho.co.jp/cgi-local/search.cgi?id=book&isbn=978-4-7639-3048-4

2013年11月10日(日)
 上野原失語症友の会第一回例会が行なわれました。助っ人としてST6名が駆け付け、当事者は3名と少なかったのですが、家族やボランティアの面々でかなり盛り上がりました。これから毎月開催されると思います。12月は15日(日)に山梨市民文化会館で東山地区失語症友の会と合同でクリスマス会を行ないます。多くの方にご参加願います。

2013年11月3日(日)
 あっという間に11月。ここにきてさすがに寒くなりました。東北楽天イーグルス日本一おめでとうございます!何となく今年のシリーズでは楽天を熱烈に応援しました。あのライオンズが初優勝した1982年のシリーズを思い出すようでした。

2013年10月27日(日)
 昨日は台風の中、三鷹でのイン首都圏に参加しました。人数的にはやや少なめでしたが、熱気はムンムンとかなり盛り上がりましたね。終了後の若い失語症の面々との打ち上げも例年通り盛り上がり良かったでした。これが終わると何となく今年もわずかと、焦ってくるんですね。

2013年10月20日(日)
 甲州市マラソン大会に参加。9月の巨峰の丘同様、雨天での走りとなりました。このコースも10kmですが、かなりのアップダウンなので厳しかったでした。マダマダだなあと終了後は反省しかり。このまま頑張って、来年はウルトラマラソンに復活したいです。がんばらねば・・・。

2013年10月5日(土)
 山梨県上野原市に失語症友の会が発会しました。7月の講演会でその意識を高めながら、地元では社会福祉協議会の皆さんが様々な方にお声をかけてくださったようです。今日は26名が集まり、当事者3名、家族2名、ST4名、その他は地元の住民がほとんどということです。西伊豆の「いろは組」を見習って、地域住民が支えていく友の会になっていくことを期待したいです。協力して下さるSTが、毎月の例会開催で指導力を発揮してくれることでしょう。STがいて作られる会ではなく、会があってSTが寄ってくるという形、いいじゃないですか!

2013年9月29日(日)
 昨日は朝5時半に塩山を出て、金沢には12時半に到着。途中でかなり休憩をとり、のんびりやってきました。運転は若い2人が交代でしてくれたので、私は大助かりでした。「あまちゃん」最終回が見られないと心配していましたが、トイレに寄ったSAのテレビで見ることができて、ラッキーでした。金沢脳神経外科病院はとてもきれいな建物で、一階のロビーは高級ホテルを思わせる作りでした。私の講演は14時から16時でしたが、それなりのいつものお話をさせていただきました。この間、若い2人は永平寺まで観光に行っていまして、6時からの懇親会に合流。海産物など食べるものが新鮮で、旨いものばかりでした。
 昨晩はかなりお酒も頂き、朝はやや調子悪かったのですが、金沢市内を散策し二日酔いも吹っ飛ばしてしまいました。お土産をたくさん買って、帰路につきましたが、諏訪の辺で事故があったらしく帰りが2時間ほど遅れ、演算着は20時となりました。でも、楽しい遠征でした。

2013年9月15日(日)
 おそらくは15年ぶりくらいになる「巨峰の丘マラソン大会」。久しぶりに出場しました。生憎の雨模様で、台風が接近しているようでした。このマラソンはアップダウンがかなりきつく、ひざは大丈夫か心配でしたがCBブレースを装着してのランでしたのでまずは安心。序盤から抑え気味に走り、何とかゴールできました。15年前に出ていたころから比べると15分ほど遅いゴールでしたが、久々だったのでまずは満足でした。走っている最中は雨が降りどおしでしたが、終わると晴れてきて、それはそれで暑くならず、かえって良かったのかも知れませんね。次は10月20日の「甲州市フルーツマラソン」です。

2013年9月1日(日)
 新潟に行ってきました。機能回復訓練と心のケアを売りに新潟市内で5月にオープンした機能訓練特化型言語デイサービス「あおぞら」主催の講演会で話させていただき、楽しい親睦会にも参加してきました。昨日の朝は6時過ぎに車でスタート。実は前の晩、CPがクラッシュ?・・・実はネット上の問題だけでした・・・により、ほとんど寝ていない不調さ。それでも最初の2時間は私が運転し、後は若い同行者2名にお任せしました。
 新潟市内で7月に亡くなられたMさん宅を訪ねたのでした。10数年前に山梨の私が勤めていた病院に入院してきたMさんを9カ月みて、新潟の高橋洋子先生の行っている失語症友の会にお願いしたのでした。その縁で、新潟に私が行くたびごとMさん夫妻とはお会いしてきたものでした。昨年4月に坂戸でのつどいで夫婦と久しぶりにお会いし、それが最後となりました。お線香をあげたいと講演前の時間にMさん宅に寄らせてもらいました。
 新潟駅前で12時、私の他の仲間と合流しおいしいそばを昼食に頂きました。その後、新潟プラザに移り、講演会でいつもの話をさせていただきました。150名は入れる会場で、まさに満員御礼と、主催者である高橋洋子先生の人脈に驚きました。講演終了後は意見交換会もおこない、市民からの貴重なご意見をたくさんいただきました。その後、「あおぞら」を見学に行きました。とても素敵なスペースで、ホントこんなところが各地にあれば失語症者の在宅ケアに役立つなあと思いました。
 夜7時からは駅周辺のお店で懇親会でした。私ら8名に地元の方が9名で、大変盛り上がる宴会でした。新潟の旨い酒をたくさん飲ませていただき、いつもよりたくさん飲ませていただきました。8名はホテルに戻ってからも楽しい時間をたくさん過ごしました。
 今日はさすがに私はくたびれていまして、帰途の車は若い衆にお任せでした。楽しい新潟でした。

2013年8月25日(日)
 昨日から急に気温が下がり、今日はこの甲州市で最高気温が27℃くらいと、たまげてしまいます。夕方にランニングに昨日、今日と行きましたが、いい感じで走ることができました。9月15日は久しぶりのロードレース。牧丘町の巨峰の丘マラソンは10何年ぶりです。アップダウンが厳しいコースなので、まずは完走目標で楽しく走りたいと思います。
 来週の土曜日は新潟での講演会です。高橋洋子先生の失語症デイ「あおぞら」が主催で、失語症の回復についての1時間講演。いつも通りのお話の中へ、失語症のグループ効果について、高橋先生より学んだことを加えていこうと思います。


2013年8月18日(日)
 暑い毎日は相変わらずで、この週末もほとんど家でゆっくり過ごしました。訪問時は車で移動のため、それにより熱中症を引き起こしていたようです。かなり元気が吸い取られていき、夕方は頭痛を起こすほどです。気温はさすがに40℃超えとはなりませんが、余計に蒸す感じで具合が悪くなります。高校野球に世界陸上、大河ドラマなどテレビ三昧の土日でした。滅多にこうした過ごし方はないのですが仕方ありません。ランニングもここ10日くらい休んでいます。

2013年8月8日(木)
 私の母校である日川高校が甲子園に出場し、今日1回戦、あの伝統の強豪校箕島と対戦しました。大差で敗れると思っていたのですが、なんと勝ってしまったのでした。甲子園初勝利、終了後の校歌を聞いた時には、思わずホロっとさっせられました。私が高校2年の時に初出場、優勝したPL学園との対戦でしたが、2-5というスコアで爽やかな気分でした。その後2度出場してきましたが勝てませんでした。よくやったと後輩らに感謝したいものです。次は大阪桐蔭だそうで・・・・、思わず笑ってしまいました。
 facebookをはじめました。その存在は以前から知っていましたが、何となく面倒くさそうなのでと敬遠してきました。まだ慣れないため振り回されている感じです。

2013年7月25日(木)
 気温は34,5℃程度ですが湿度が高く、また車を運転していますと直射日光を浴びますので、消耗はかなりのもの。ややバテ気味です。走りもそんな感じでここ数日休んでいます。少し体重が増えたかな?と思われます。
 いよいよ2日後の27日は研修会です。今夜は塩山市民病院でテキストの印刷、製本、そして、当日の打ち合わせをしました。参加者も何とか30名くらいまでになりました。STが7名、失語症当事者が4名、他福祉系の方が多いですが、ケアマネや介護職の方はその中でどれくらいいるのか、いまいち把握できていません。私も「失語症について」の題で30分くらい話すことになっています。まだほとんど準備していないので、明日頑張りましょう。

2013年7月20日(土)
 あの日本一に暑かった頃から比べると、だいぶ涼しく過ごせる夏となりました。18日は伯母の通夜に参列しました。その日は訪問患者さんを調整し、運転免許センターにも行き、免許の書き換えもしてきました。白内障での視力検査がやや心配でしたが無事に通りました。通夜では思っていた通り様々な親戚とお会いし、懐かしいというか、皆さん歳をとって・・・と、その思いばかりでした。
 今日は夕方、山梨市民体育館周辺を12,000mほど走り、ここ2日ぶりにいい汗を流しました。来週は西伊豆の奥田さんをお呼びしての研修会です。まだ参加者の数は少なくて、かなり苦戦しています。まずは楽しく開催し、次につなげるように持っていきたいものです。

2013年7月17日(水)
 私にとっての記念日も、すでにあまり歓迎されない歳になりました。それでも1年間特に大病もなく、無事に過ごせたことで、それは感謝の思いを自覚せねばなりませんね。そんなお祝いの日でしたが、夕方母親から「おめでとう」とともに、「あまり良い話ではない」と伯母が亡くなったという話でした。明日が通夜ということで、うまく調節すれば納棺の16時に間に合いそうです。もう最近はおじおばも、いとこともなかなか会う機会はなく、お葬式のような時だけですね。いやなものです。でもそれは皆、通らねばならない宿命なんでしょうね。

2013年7月7日(月)
 今日は暑かった!という一日で、全国でこの甲州市が一番暑かったらしいですね。38.6℃で全く動けない感じでした。夕方少し時間があったのですが、さすがにrunに出る勇気はありませんでした。一昨日に早々梅雨明けとなり、これからどうなるんだろうと思っていましたが、凄い夏になりそうですね。今週はこんなような毎日という予報です。ちなみに今の時間夜の11時ですが部屋の温度が30.2℃す。先ほどまでクーラーをつけていたというのに・・・・。

2013年7月4日(木)
 27日(土)の上野原市でのイベントは如何なものか、かなり心配ですが、取り敢えずは一生懸命取り組んでいきたいと思います。STが不在地域での失語症者の生活支援、真剣になるほど現実が厳しいなあと痛感しています。行政に期待できず、ほんと地域の障害者意識を変えていくのは住民パワーだよなと賭けています。西伊豆の失語症者を元気にできた奥田真美さんの登場で、良い刺激になればと思いますし、そこからが長い道のりかなと覚悟しています。悲観せず、きっと変わってくることを信じて前に進んで行きたいものです。せっかくの機会ですので多くの参加者を期待しています。

2013年6月30日(日)
 今年も半分が終わります。正にあっという間の日々でした。前半で十分でなかった様々を後半で挽回できたらと思います。前半最大のニュースは何といっても遠藤先生の訃報です。“もういない”という現実は日に日に増してきている感じです。ここに来て上野原での失語症者支援に動き回っていますが、なんとかうまくやり遂げられたらいいですね。多くの方に参加していただきたいものです。
 前半2番目の出来事はCBブレースを購入したこと。ここ数年、膝の故障で大好きなランニングがほとんどできない状態でした。牧丘病院のリハビリでそれを勧めて下さり、それ以来復活に向けて走れています。今月は白内障手術の影響で半月以上走れませんでしたが、それでも今日まで125kmくらい走りました。7月は200kmを目標ですね。9月に巨峰の丘、10月に甲州フルーツマラソンと久しぶりに大会で走ろうと申し込んでいます。楽しく走れたらいいですね。

2013年6月23日(日)
 東山地区失語症友の会の6月例会でした。見学者も加わり会員さんが10名、ST3名、ボランティア1名という参加者でした。いつものメニューをこなし、昼食時の12時に終了。その後、上野原のイベントについて話し合いを持ち午後1時過ぎにお開きとなりました。上野原のイベントについては現地で高橋さん夫妻がかなりがんばってくれています。なんとかうまく行くことを願っています。

2013年6月18日(火)
 白内障の手術後、目にばい菌が入らぬようランニングはストップでしたが、昨日より軽く始めようと再開したのでした。ところが約2週間ウォーキングは軽くしていたのですが、ランに使う筋肉を完全休養した影響で、走れなくなっていました。右膝が装具をつけても痛みが走り、ランができません。スクワットなど少し筋肉に刺激を与えておけばよかったのでしょうか。今月後半はバリバリ走って150kmくらいまで伸ばそうと考えていたので残念な思いです。
 明日は上野原市へ午後から出掛け、地域包括支援センター及び社協の方とイベント開催、上野原市での失語症友の会の立ち上げについて話してこようと思います。ST不在地域での開拓活動は結構い大変なエネルギーが必要です。さて、どうなるでしょうか?

2013年6月12日(水)
 出勤しようかと用意しているところへ吉岡先生からの電話。「厚生病院からSさんが亡くなったという報告があった」との連絡だった。Sさんは昨日夕方訪問し、5時半くらいに「また来週ね」と別れた88歳の男性。昨年脳梗塞で倒れ、リハ病院退院後、私が訪問に入り1年くらい経過していた。果樹農家で働く以外は特に趣味もないまじめな方だったと。失語症と構音障害があり、コミュニケーションは十分ではなかったが、私には仕事のことや、昔のことなどをよく話してくれた。昨日は奥さんや嫁さんは畑に出ていたので、Sさんとさしで話に盛り上がった。お酒が好きだったSさんが、病後酒を控えているというので私が「少し飲んだ方がかえっていいですよ」と助言した。その後晩酌を再開したSさんは「通じが良くなった」「良くよく眠れる」と私に感謝してくれた。
 今日昼にSさん宅に電話を入れると嫁さんが出た。「昨日は午前中は畑に行って稼いで、先生との訓練後にご飯食べて8時くらいに布団に入りました。そして朝気がつくと冷たくなっていました」。きっと晩酌もいつものようにいただいたのだろう。生涯現役でそっとこの世を去ったSさんの最後の日に昔話ができた。なんだか信じられないような気持ち。ご冥福をお祈り申し上げます。

2013年6月11日(火)
 先週の4日は白内障手術で、その後の経過はよろしいようで今日も眼科受診で順調と言われました。まだ視力は不安定で、1ヶ月くらいは掛かるだろうとのこと。運転免許証更新連絡書も届き、時間を見計らって出かけねばと思っています。
 執筆活動はそれなりに進んではいますが、なかなかスッキリしない感じです。もっと熱を込めて書きこんでいかねばと思ってはいるのですが・・・。

2013年6月1日(土)
 昨日は眼科受診しまして4日(火)午後の手術についての説明を受けてきました。簡単に考えていましたところ、やや面倒なことがあり、その中で最も気になったのはope後2週間は髪を洗えないということでした。しかも汗をかいて顔を拭くこともダメというのです。日常的にかなり厳しい制約だし、まずはその間ランニングができないということですね。10年前の手術の時はどうだったでしょう?恐らくそんなに厳しくなかったような。ただ、眼の問題ですので取り返しのつかないことになっても困りますので、ある程度は従おうと思います。2週間走れないのはどうしたものでしょう?
 ちなみに昨日までの5月は160km少々と言う月間走行距離でした。いろいろ多忙で先月より走れませんでした。6月は上記の制約のためどれくらい走れましょう。何となくストレスを感じる話ですね。

2013年5月25日(土)
 「遠藤尚志先生を送るつどい」が青山葬儀場で行われました。ただ参列するのではなく、少しでもお手伝いできればと実行委員長の山本弘子STに申し出ると、当日の役割をいただけました。そして私の若い仲間たちも6名も協力してくれまして、何ともありがたかったでした。今日は10時半から準備が始まり、昼食後参列者をお迎えし、午後1時より会が始まりました。
 涙あり、笑いあり、参加された皆さんが偉大な先生の功績を胸に、じっくりと留めることができた素晴らしい会でした。主催者から私にインタビューが回るかもと言われていました。昨晩はもしそうなったら何を話そうと悩んでしまいました。遠藤先生とのエピソード。数え切れないほどありますし簡単には語りつくせません。今日はそのマイクが差し出されたので、無難な感じに短くまとめました。私の話す能力ではあれで精一杯でした。
 会場には懐かしい顔とたくさんお会いすることができました。STなりたての頃のST、大阪でのお仲間、山形での懐かしいST、そのほか新潟の高橋洋子先生、千葉の横張琴子先生などともご一緒できました。これからは、遠藤先生がもういらっしゃらないということを念頭に、先生が進めてきた活動を引き継いでいけるよう努力していかなければいけませんね。

2013年5月18日(日)
 山梨へ戻ってきて、ランニングのコースとして塩山中学校の外周(950m)をよく使いました。家から500mという近さから、帰宅後でも簡単に行けるコースです。家から走ってその外周を10周してくると10,500mと、いい感じです。それがこの頃このコースをほとんど使わず、大概は市民グランドか山梨市民体育館外周を走っています。いったん帰宅してからということで、時間的に遅い、早いと走る時間としてはあまり適していなかったからでしょうか。昨日、今日とそのコースを久々に走りました。適度にアップダウンがあり、私好みの周回コースです。
 この塩山中学校は私も、私の二人の子供も通い卒業した学校です。長男が通う頃から「あいさつ運動」に力を入れ、知らない人にも「こんにちは」と挨拶していくのです。以前走っていた頃はあまり気になりませんでしたが、昨日、今日はそれを強く感じました。すれ違う運動部の学生が進んで「こんにちは」と言ってくるのです。私はハッとして「こんにちは」と返します。丁度校門を走りぬけるときは大勢がいて、一気に「こんにちは」が掛かります。ダラダラ走ってはいられない気分になりペースも上がります。そして10周後家に向かいゴール。何とも言えない爽快感を味わいました。「あいさつ運動」いいですね。またこのコースで走りたいです。

2013年5月5日(日)
 連休中に家族サービスを、と思いつつ子供の方が多忙でなかなか出かけられない最近です。二男が総体の前と言うことでほとんど毎日練習、やっと空いたのがこの子供の日だけでした。では何処に?と急に考えたところで思い浮かばず、長男が「東京は?」というので、どこに行っても混むんだしそれもいいかなと出かけたのでした。
 朝早くに出発、まずは復原工事で新しくなった東京駅の赤レンガ駅舎前を見学、その後、子等は秋葉原、私と妻は上野公園へと分かれます。上野の東京都美術館ではレオナルド・ダ・ヴィンチ展が開かれており、混んではいたのですが、それはもう素晴らしいモノに触れることができました。上野公園は新緑が清々しく、そこを散策するだけでも満足という感じでした。動物園前には子供連れがずらっと並んで、“パンダを見る”最後尾は2時間半待ちでした。親子ともども根性がいるこどもの日だなあと思いました。
 昼に子供と合流し昼食をいただき、その後妻が行きたいからと浅草へ。これがまたすごい混雑で、仲見世通りはお店を眺める余裕すらありませんでした。最後は新宿紀伊国屋書店に寄り、特急で帰ってきました。・・・つかれました!


2013年4月30日(火)
 あっという間に4月も終わってしまいました。また今年の3分の1が過ぎてしまったことで、何もしていないうちに・・・、と焦るばかりです。近くにある自動車整備工場へ車検に出し、様々直してもらったり、調整してもらい、新車になったようなフレッシュな気分ないなりました。右膝に装着するCBブレースも型取りして自分のものが仕上がり、走りは順調に距離的に、また速度もアップしています。今月は177kmとよく頑張れました。5月は200km目標にしたいと思います。だいぶ調子よく走れてきましたので、秋口には久しぶりに10kmくらいの大会に参加してみようかと思うようになっています。フルやウルトラは来年の目標ですね。

2013年4月21日(日)
 東山地区失語症友の会の久しぶりの例会、今年度の総会が開かれました。天気が悪くそのため欠席されたメンバーさんもおりました。例会に初参加のボランティアの若者が2名加わり、それがまた新鮮な感じで良かったでした。早めに昼食をいただいたのですが、皆さん食べるのが早く、予定より早く終了となりました。
 年間計画と言っても、このところ高齢者が多く、以前のように一泊旅行に出掛けたり、バーベキューしたりというわけにはいかず、気候の良い時期に何とか集まるという感じなんでしょうね。10年ほど前の活発な時期の様にはいきません。仕方がないことですね。新しい会員さんを求めたいのですが、最近はなかなか集まってきません。ボランティア系の若者は増えてくるのに、変な現象です。

2013年4月14日(日)
 
この週末は家でのんびり・・・・、のつもりだったのですが、大変体力消耗の2日間でした。昨日午前中は山梨市民体育館外周を16周走り、最近では最もタイムも良かったでした。膝はCBブレースを装着しているので、守られた状態。その分スピードは抑えられてしまうのですが、慣れたせいか徐々にキック力が強まったようです。距離もアップしてきていて、今日は今年初めて10km超え(10,900m)でした。この調子で大会に出られるようになったらいいですね。と、気持ち良く走れたので、そこまでは特に問題なかったのですが、その午後からが苦労の始まりでした。
 昨年2月に移り住んだ我が家で、特に気になっていたのは庭の整備でした。大変ひどい庭で、大きい石がゴロゴロと埋まっていて、それを掘り起こした石の山が庭を占拠していたのでした。この日の午後、家の周りに雑草が目立つように生えていたので草むしりをはじめ、1時間ほどでそれを済ますと、妻と長男は庭に詰められた石ころの山を崩しています。大小の石をどのように片づけたらいいか、悩みの種でした。業者に持って行ってもらうか、どこかへ捨てに行くか、思ってはいましたが全然先に進みません。庭から西につながる小道も私有地でした。その小道に石を転がしていったらどうか・・・、と考え、家族4人に隣の両親も加わり、今日夕方までで何とかその作業を済ましてしまったのでした。しかも今日の午前中は4人で植木屋に出掛け、様々な木や花を購入してきたのでした。それらを整備した庭に順次植えていきました。正に昨日の午前中までとは全く違う庭と変身。夕方5時半ごろに作業は終了しましたが、一気に動き回ったせいか腰や肩が痛くてたまりません。少し走ろうか?という思いはさすがに起こりませんでした。でも満足、良い週末でした。


2013年4月2日(火)
 
遠藤先生の訃報を知ったのは昨日の夕方で帰宅してすぐでした。亡くなられたのは午前10時過ぎということで、その前日に見舞った時には既に意識がなかったとのこと。通夜、告別式の日程と場所を聞き、私は参列させていただくことにしました。
 今日は訪問を15時で切り上げ、鉄道で西武新宿線久米川駅下車、小雨が降る中、徒歩20分のセレモニーホールに。先生はキリスト教なので坊さんのお経ではなく神父さんの語らい、焼香ではなく献花、聖書の一節を朗読、讃美歌と1時間近かったでした。死への受け止め方も仏教とは異なりキリスト教では死とは神の御許に召された記念すべきことだそうです。私も最後に献花し、横たわる遠藤先生のお顔にお別れをしてきました。正に静かに眠っているようでした。参列者は親族約30名、一般約60名、私が知っているSTがその5,6名いたくらいでした。遠藤先生の長男さんと少しだけお話ができ、経過をお聞きしました。
 癌と告知され、一昨年11月より厳しい治療が始まりました。私は先生がメールで気弱なことばを書き込んでいたので心配になって昨年2月に先生宅を突然訪ねてきました。その後7回入退院を繰り返し、がん細胞は完全に消えたとのことで、昨年9月に自宅に退院。「よかった」と心から喜んだものでした。体力を取り戻し徐々に職場にも復帰されていくものと思っていたのですが、抗がん剤の副作用?思うように回復せず12月に再入院となりました。この間私とはメール交換を頻繁にしていまして、話題は読書の話、翻訳、病室での奮闘ぶりなど大変くだけたお話までたくさん送ってくれていました。28日ごろだったか、私が帰宅すると遠藤先生からの郵便物が届いていました。中を見ると「困った時の平澤さん」という始まりで「私の車いすツアーを手伝っていただけないでしょうか」という文面。再入院して2ヶ月経つがまだ先の見通しのない状態ながら、外国旅行に行きたいという希望でした。私に車いすを押してもらって中国への56日の旅。そのスケジュールまでしっかり手書きで記され私に送ってきたのです。「凄いなあ先生は」と驚きであり、またうれしい気持ちになって、その日のうちにメールで「是非ご一緒させてください」と送ったのです。すぐに先生から返信が来ると待っていたのですが、なかなか来ないのです。心配になって遠藤先生の知人に電話して尋ねてみると、ちょっと調子が悪くなったようだ、とのこと。またしばらくして尋ねると、余計に状態が悪化しているという話でした。そこで、私も行ってみようと思い立ちました。
 310日遠藤先生が入院している花小金井駅下車の病院に。突然のお見舞いでしたからお会いできるかどうか不安でしたが、病室には奥さんがいて面会可能でした。私が来たことを奥さんが先生の耳元で話すと、わかって下さったようでした。私が先生から送られてきた中国のパンフレットを見せ「先生、ご一緒させて下さい」と言うと、うっすら目を開け、右手のこぶしを力強く振り上げるような仕種で応えてくれました。29日に誤嚥性肺炎を起こしてグッと状態を悪くしたということでした。気管が狭くなっていていつ塞がってもおかしくないという奥さんの話でした。当然声を出すことも困難になっていました。10分ほどいたかどうか、先生はその後、疲れたのか目を閉じてしまいました。
 先生と初めてお会いしたのは、私が失語症になって8ヵ月後の19845月、小平での東京失語症友の会の例会でした。計算するとあの時、先生はまあ40歳そこそこだったんですね。そうとは思えない一種のカリスマ性を抱いたものでした。今から27年前の11月、そのころ遠藤先生が勤めていた板橋ナーシングにいきなり訪ね、STの就職について聞きに行ったことを思い出しました。突然の私の出現に先生は、嫌がる素振りもなく対応して下さいました。あの日があって、今の私があります。逆に言うと、あの日がなかったら、私は今、どうしていたでしょう。大阪教育大学に行き、STとは、と悩んでいたとき、19869月の多摩老人医療センターでの1ヶ月研修は、悩みを吹き飛ばすような経験でした。そして就職活動に悩んでいるときに、「鶴岡へ行ってみませんか?」というお誘いは、これまた、今思うと、もしこの時この言葉がなかったら…、となります。今の家内と知り合うことはなかったでしょうし……。「失語症者のつどい」に参加して、先生のパフォーマンスがまるで当たり前のように感じてきました。つどいに先生の姿がないというを想像して…、いや、想像できない感じです。
 お元気な姿でもう一度お会いしたかった。セレモニーホールを後に久米川駅に向かうのに、雨は激しさを増していました。私の心と同じように空が大泣きしているよう。久米川駅はその昔、遠藤先生が東京都多摩老人医療センターにお勤めで、私が大阪教育大学時に9月の1ヶ月研修をさせてもらった時の懐かしい駅です。昔の面影はほとんどありませんが、その時のこともたくさん思い出しました。感謝・・・・・。私にはその2文字しか思い浮かびません。
 心より、遠藤先生のご冥福をお祈りいたします。


2013年3月30日(土)
 様々忙しい3月でしたがこの土日が過ぎると4月、新年度となります。昨年は新居に移っての慌ただしさから、経過を追うゆとりもなっかったかも知れませんが、今年はいろいろなことに追われているという印象です。それもこれも、後回しにしていく悪い性分から来ているのかなと思われます。来年度はこんなことをしていきたいという企画がすでにいくつかあり、その一つはすでに助成金を申請し、認められたので4月以降始めます。協力者のネットワークをもっと広げていけたらいいですね。
 今朝は眼科を受診。6月に白内障の手術をすることになりました。ここ数年、片目が白内障でぼやけて、夜の運転などに支障をきたしていました。今年7月に免許の更新があり、その前にopeしてしまおうと考えていました。自宅から25kmほど離れた眼科に通っているため、いざopeとなると厄介なもの。でも、無事に済めば何よりです。
 眼科の後、小瀬スポーツ公園に行き、2,6kmコースを3周走ってきました。桜満開の公園内はお花見見物の方たち(団体)が青いシートを所狭しと敷いていて、昼ぐらいから酒盛りが始まるのかなと、少し羨ましく思いながら汗を流してきました。だいぶ走れるようになってきました。3月は今日で110kmくらいになりました。忙しい中、時間を見つけては少しずつ良く走りました。4月は150kmくらい走れるかな?
 プロ野球も昨日openしました。LIONSは昨日は負けたけど今日は何とか勝てました。新しい選手も出てきましたので期待したいところです。

2013年3月27日(水)
 研修会が2つ立て続けにあり、その他年度末の様々な報告書等の提出など、多忙でした。無理がたたったか、月曜日から頭が痛く、昨日は鼻水も出て、だるいし体調不良な状態でした。花粉症?それとも風邪?と原因がはっきりしないのもストレスですね。今日夕方に帰宅してベッドに横になりますと、よく眠れること。そして体温を測ってみますと多少熱がありまして、この2日ばかり寒かったことと、疲れがミックスして風邪をひいてしまったようです。桜は満開の甲府盆地ですが、いろいろあってユックリお花見ともなりそうにありません。今夜はこのままゆっくり眠りましょう。


2013年3月24日(日)
 「若い失語症やまなし」(塩山市民病院言語質事務局)主催の2日間の研修会が終了しました。無事に、しかもかなりの収穫を得ることができたと思います。首都圏から来られた若い失語症者が12名、それぞれが15分の持ち時間で体験発表をしていきます。12の発表はどれもが壮絶な物語で、聞いていて胸がいっぱいになり、なんともことばにならないものばかりでした。若い失語症の歴史を相馬朋美先生より語られ、こうして会をまとめ発展してこられた先生の努力にも脱帽でした。
 準備から当日の運営まで塩山市民病院の坂元ST、山梨厚生病院の若松STには初めての経験が多く、かなりご苦労だったことでしょう。また県外よりボランティアとしてご協力くださったSTさんには2日間フルに動き回ってくださり感謝でいっぱいです。
 新聞社からの取材も受け、紙面に紹介されることでしょう。もっとアピールしていきたいですね。残念なのはもっとたくさんの方、特にSTには聞いてもらいたかったでした。勿体ない思いです。

2013年3月9日(土)

 東山地区失語症友の会主催の地域研修会が本日行われました。参加者は現場で働くケアマネジャーや介護職員、介護福祉士を目指す学生など8名。1部は私が失語症についての知識的な講義を2時間弱行いました。2部は参加者が3グループに分かれて、実際に失語症者と会話をする実践研修でした。それぞれのグループにはSTがアドバイザーとして適宜指導していきます。終了後は参加された皆さんで、お茶をいただきながら意見交換会を行いました。大変盛り上がりよい研修会となりよかったと思います。


2013年3月7日(木)
 CBブレースを装着してのランニングは予想外に良好で、今日まで毎日少しずつ走れています。今日は特に市民グランド~8.5kmコースに挑戦してみました。前半は恐る恐るでしたが、後半は下りでもあり、調子よく走れました。ただ少し無理したかな?と走り終えてから思いました。このまま走っていけるようでしたら秋口に大会に出てみようかと、考えるようになりました。
 9日(土)は研修会ですが、優和福祉専門学校の方から4名の参加者があり、これで何となく良い感じで開けるかなと思いました。今夜はテキスト作りに大忙しでした。もっと早くにこういうことはしておけばいいのに、嫌な性分ですね。明日はもっと細かな点の準備をして、明後日に備えようと思います。

2013年3月3日(日)
 暖かい春が到来・・・、まだ寒い日もあろうかと思いますが、だいぶ春めいてきました。山梨の私の住む地域は正にそんな感じですが、東北や北海道はまだまだ厳しい真っ最中のようです。私自身、少しこの春にあやかってというのか、ホクホクすることがあります。先週牧丘病院に久しぶりに行き、PT室でかねてより関心のあったCBブレースを試し、2週間ほど貸してもらえる事となりました。右膝の痛みで十分に走れないこの頃、このひざ関節装具を付けたらどうかと、以前より勧められていました。そして、昨日、今日と装着して走ってみました。このしばらく、走ってすぐに膝痛が出てきたのですが、それがありません。このところセーブしていたので、いきなり長距離走ってはと、今日は5km少々でやめました。もし、このまま痛みがおさまるようでしたら夢のようです。富士五湖ウルトラは結局申込みしませんでしたが、新たな気持ちでどこかの大会参加も出きるかも知れませんね。

2013年2月26日(火)
 その後、痛風の方は治まっているような感じです。そろそろ痛風の薬をのんでいって大丈夫かな?しばらく膝を労わり走っていなかったのですが、あまりスッキリと回復しないので、昨日から少しはじめました。昨日は市民グランド(一周450m)を10周、ゆっくり走ったり歩いたり。そして今日は山梨市民体育館外周(1周700m)を1周5分くらいの速さでゆっくり6周ジョックしました。寒い夕方でしたが少し汗もかいて、久々に良い気分でした。さて、4月21日の富士五湖ウルトラマラソンは如何なものか・・・、やや、というかかなり厳しいかな?と思っています。締め切りが今月末(消印有効)で、迷うところです。

2013年2月23日(土)
 長男と昼食を昭和町にできた「王将」で食べてきました。私と餃子の王将との歴史は長く、上京後高田馬場の店に初めていき、その後、引っ越しごとに明大前、中野へも。都内では水道橋、神田、下北沢、荻窪、大久保など様々な店を廻り、大阪に住んだ時にもあちこちの店に行ったものでした。上京した30年以上前は、まだメニューがあまりななく、正に餃子が中心でした。餃子大好きな私にとって、他のメニューはほとんど注文することありません。まずは「ビールと餃子2人前」を注文し、餃子をつまみに瓶ビールを味わうのです。そして、ビールが空いたら「餃子あと1人前とご飯」と、仕上げにかかるのでした。私が大学時代は、この餃子3人前とビールとご飯で960円だったと記憶します。餃子一人前140円の時でしたから。
 前置きが長くなりました。山梨県に初の「王将」ができたのでした。そして本日行ってみましたところ、まずは混むこと。店の外に20名ほどが並び、「ひやー」と驚きました。それでも待つこと15分、席が取れ注文をします。さすがに昼ですし、しかもビールは今飲めない状態ですので「餃子2人前にご飯」としました。長男はラーメンと餃子1人前を頼んでいました。それで・・・、「うまい!」。久々に王将餃子を頂き感動でした。ここがもう少し私が住んでいるところから近かったら毎週来るのに、とつくずく思ったのでした。

2013年2月20日(水)
 今朝、再び左足親指に痛みがきました。すぐに残しておいた痛め止薬を飲んで治めたのでした。暫くは注意が必要ですね。ということで昨日、今日と休刊日にしました。ビールは飲んでいませんが、焼酎や日本酒も飲みすぎてはいけません。先週処方してもらった痛風の薬は腫れや痛みが無くなってからと先生に言われましたので、来週以降でしょうかね。
 重松清の小説をベッドに入ってから、眠くなるまで読んでいます。しばらく自身の執筆に追われ、ゆっくり小説も呼んでいませんでした。気分転換に良いですね。でも面白くて、眠れなくなってしまいそうです。

2013年2月18日(月)
 確定申告が始まり、私も初日の今日済ませてきました。もう今年で10回目となるんですね。はじめの頃はわけがわからなくて苦痛でしたが、最近はe-taxの登場で、だいぶ楽になりました。それでも年に1回だけですので、結構忘れていることもあり、会場で税理士さんにお聞きしながら納めてきました。これで何となく安心です。
 昨日は長男の誕生日でした。今年で20歳とは、親が年を取るわけですね。大学もあと2年となり、そろそろ将来の展望も明らかになってくる?・・・何となくマダマダみたいな様子です。でも、自分の時のこと考えると、税分親に心配かけましたし、そう考えますとこれっからっという感じですね。

2013年2月15日(金)
 痛風になり、痛みは1日目をピークに次第に治まり、今日はもうほとんど感じられないくらいです。その後、ネット上で様々調べてみましたところ、なるべくしてなった、という感じです。ビールはさすがに良くないことと知っていましたが、食生活、及びサウナなども良くない因子のようです。体重を少し落とした方が良いようですし、ここで生活改善していきましょう。月曜日から続いている休刊日が5日目となりました。寒い時期ですのでビールは飲まなくてもいいのですが。これが真夏だったらパニック状態だったかも知れません。プリン体には焼酎が良いようです。鹿児島芋焼酎でいきましょう。

2013年2月12日(火)
 昨晩・・・、というか今朝1時くらいに寝ようと、コンピュータから離れる時に左足指に激痛!――以前からその気があると言われていた“痛風”になってしまったようでした。その後ベッドに横になって30分くらい小説を読んでいたのですが、痛みは更にズキズキとひどくなります。おとなしく眠ろうと布団をかぶるのですが、どうもこうも痛くて落ち着きません。朝方に鎮痛剤を飲んで様子を見ましたが、簡単に痛みは治まりません。それでも今日は忙しいからと出掛ける用意をしますが、足を運ぶごとに左足親指周辺に激痛が走るのです。左足には靴がしっかり履けず、足を引いたような格好で歩きます。車はオートマであり、左足はほとんど使わないので助かりました。逆の足でしたら運転できなかったことでしょう。
 何とか午前中の訪問を済ませ、正午前に吉岡先生のところへ。診察後、痛め止の薬を出して下さり、薬局で受け取るとすぐに飲んでひと安心。午後は痛みが多少弱まり何とか1日の業務を終えて帰宅しました。1月の検診では尿酸値がいつも高く、痛風に気をつけるように言われていたのでした。ビールはダメみたいですね。あと、ネットで食べてはいけない、食べても大丈夫の食品をチェックしました。少し気をつけていきましょう。減量もしなければと思っていましたので、ちょうど良いかも知れませんね。

2013年2月10日(日)
 8日夕飯後より会計作業に取り掛かり、今日の夕方に終了しました。例年ですと1月の間にチンタラやってしまうのですが、今年はこの連休にと決めていました。さすがにややくたびれましたが、確定申告が終わらないと落ち着かないもの。これで来週済ますことができそうです。

2013年2月3日(日)
 昨晩は近隣病院の若い療法士数名との宴を我が家で開き、久しぶりに結構日本酒をいただきました。男3人で2升ほど空けた感じで、今朝はさすがに二日酔いでした。それでも良い酒だったようで、その後は好調で今夜も変わらず晩酌をいただきました。
 昨年に比べると今の時期今年は暖かいなあと感じています。昨年の今頃、ちょうど新居に越す頃で、明日4日が移って1年となりますが、寒くてたまらなかったのを覚えています。あれから1年・・・、まだ庭も塀も手つかずで、どうにかしたいと思いつつ、日々の忙しさに流されているという感じです。
 先ほど豆まきを済ませました。昨年は旧家での最後の晩餐?だったのかしら。豆をまいたという記憶すらありません。明日は立春。春はもう少しなのでしょうか。そうそう明日は二男の誕生日でもあります。

2013年1月31日(木)
 1月が今日で終了、あっという間の1ヵ月でした。この速度で12カ月過ぎていくんでしょうかね?日中は暖かな最近ですが朝夕は寒いです。そうそう「医療タイムス」1月28日号に私の記事が掲載されています。それも驚くかな表紙も私のセラピー場面でした。もし読む機会がありましたら、一読お願いします。プロの記者さんが書いてくれていますので、私が書いたものと視点がやや異なり、そこが新鮮な感じです。在宅で行なっている活動について、鋭く描いてくれています。
 月火と走り、痛みがあるので休んでいます。今月は結局70km弱という走行距離でした。あまり無理はせず暫くは負傷部位を休ませ、筋トレなどに励むが良いのかも知れません。このままでは大会参加はいつまでもできず、望んでいる4月のウルトラマラソンなぞ、到底控えたほうが良さそうです。


2013年1月27日(日)
 昨日は隣組の葬式に朝から七日の席まで参加しました。高齢者の多い組ですので、いつ葬儀が開かれるか心配なものです。そんな他人ごとのように、そろそろ考えられなくもなってきまして、私の両親だって、いつ順番が回ってくるのか気がかりなものです。まだ2人とも元気なので暫くは大丈夫でしょうが。
 今日は1日ずっと家にいました。外で少し走ってこようかと思いましたが、いまいち体調が悪く、パソコンに向かって遅れている本の原稿書きをしていました。割と集中できて良かったでした。会計の仕事は全く手つかずでいます。そろそろ始めないとそちらも追われる感じになりかねません。

2013年1月22日(火)
 今日も先週のように大雪になるという予報でしたが、幸運にも雨、それも残雪をとかす様なありがたい雨でした。早く起きなければと緊張していたため、珍しく早起きをしたのでした。そんな午後、Mさんという失語症者のケアマネから電話が入りました。「Mさんが今日K病院に入院しました」という驚くお知らせ、「再発?」という嫌な思いが浮かんだのですが、そうではないということでした。何でも足の力が弱くなり、立てなくなってしまったと。夜にトイレに起きたところズルズルとしゃがみこんでしまい、救急車で搬送されたという話でした。この冬は体調不良の方が多く、やはり寒かったということが影響あるんでしょうかね?早く暖かくなることを願っています。

2013年1月19日(土)
 毎年1月に受けている健康診断、今年も本日吉岡医院で受診しました。胃カメラ、腹部エコー、レントゲン、採血、大腸検査と例年通りの検査を行ない、血液検査以外は本日結果を聞いてきました。全てクリア―ということで安心でした。血液検査では恐らくは例年高い中性脂肪が今年も引っかかりそうな雰囲気です。暫くは十分に運動できていませんし仕方がありませんね。
 今日は夕方に上京しまして、立川で新年会に参加してきました。若者(?でも私よりはかなり若い)たちと7名で居酒屋にて11時過ぎまで楽しみました。終電に乗るか、それともカラオケで歌って(泊って)もう少し楽しもうかと、8割がた傾いていたのですが、終電の特急に乗って帰宅しました。明日のことを考えて・・・、年を取ったものですね。

2013年1月15日(火)
 昨日1日降り続いた雪は思いもよらぬ大雪となり、今朝はそれで交通が大混乱でした。朝9時からの石和のKさん宅にはいつもよりかなり早く家を出て向かいました。道は雪が残り、慎重な運転が必要でした。殆どの車が30から40キロくらいの減速運転でした。Kさん宅には十分間に合う計算で、あと200mくらいとなり、そこからが大変でした。ズラッと渋滞が続き、全く動かないのです。後で聞いた話では2km先で事故があり、その影響で全くストップとなったようでした。結局Kさん宅には30分遅れで到着、事前に電話連絡しておいたのですが、ひやひやした朝でした。山梨県内では昨日首都圏からの行楽帰りの車が立ち往生し、あちこちで事故や渋滞を引き起こしたようでした。普段なら30分で通っている甲府の会社に、3時間以上掛かったという知りあいもいました。嫌ですね雪が降ると。

2013年1月13日(日)
 うちの長男が今年成人式に出席となりまして、そうか、もうそんなになるのかと、時の流れの速さを痛切に感じています。今日は午後から式典に出席ということで、大学の入学式にしか着ていないスーツに、昨日一緒に買いに行ったコートを羽織り出掛けて行きました。私自身は大学の試験期間であったため、帰省する暇がなく、成人式の経験はありません。妻も同じことを言っていました。市の会場での成人式を終え、夕方からの同窓会に出掛けて行きました。中学時代の友人らと久しぶりに会い、彼自身様々な感想を持ったようでした。まだ幼いと思いつつ、彼は彼なりに成長しているんだと、頼もしく感じました。明日は家族でお祝い会をします。その場で上映する彼の懐かしい写真を連ねたMovie Storyを作成します。うまくできたらいいなあ。

2013年1月10日(木)
 3月に行う予定のイベントについて、坂元STと打ち合わせをしています。このギリギリになってから大忙しで動き回る、いつもながらの私のパターンです。それでも何とか企画はまとまり、今週末には関係者等へお知らせ発送となりそうです。
 3月9日(土)はお馴染み「失語症講座」で、失語症を看護・介護職の方たちに理解いただこうという講座。これには当事者にも協力いただき、実際のコミュニケーションを図っていただこうと思います。
 3月23日(土)、24日(日)は「若い失語症者との交流会」として東京の若い失語症者にご協力いただき、彼ら彼女らの失語症体験を語っていただく企画。様々な悩みを持った若い失語症者の心に触れてもらえたらという1泊しての合宿形式なのです。恐らくは全国初のきかくですので関心を示す人も多いのではと思います。

2013年1月7日(月)
 今日は午後から「週刊医療タイムス誌」からの取材を受けました。医療経営専門誌である医療タイムスで巻頭特集『地域包括ケアのコメディカル』の取材をしているらしく、地域で多種連携していく時、それぞれの専門職の役割などをまとめたいとのことでした。その第一弾の特集として私を取り上げて下さるというお話でした。本日その福祉ジャーナリストの記者さんと訪問後にお話ししまして、私自身仕事をまとめるのに役立ちました。協同医書の執筆に行き詰っていたものですから、良いヒントをいただく機会となりました。採用されてたら1月28日に掲載されるとのことです。いかがなものか・・・。

2013年1月4日(金)
 だらだらと過ごした暮れ正月、今日は初出勤ということで午前中在宅訪問、午後穴山デイ、塩川病院と通常の日々がいきなりやってきました。先週は12月28日で、2012年最後のお勤めでした。1週間も経ったんだという実感がいまいち掴めない感じでした。

2013年1月1日(日)
 あけましておめでとうございます。皆様のご健康とご多幸をお祈りいたします。
 平穏な例年通りの正月でした。こたつで横になって駅伝、サッカーをTVで観戦。少し散歩したところ右膝が痛くて、初ランはお預けでした。
 どうか1年、よろしくお願いします。

          2011年     2012年    2013年   top