管理者より、ひとこと、ふたこと・・ 

2014年11月30日(日)
 よしもとお笑いライブに行ってきました。こうした舞台でのお笑いをライブで見るのは初めてでしたが凄くヨカッタでした。芸人さんのプロ根性というのか、一生懸命さをひしひしと感じられました。一緒に行った長男よりも私のほうが大笑いで、とても楽しめた感じでした。ふるさと劇団の旗揚げという後半の劇は、やや長くて飽きた部分もありましたが引き続き上演されることを期待します。

2014年11月23日(日)
 昨晩は自宅での酒飲み会でした。以前からいただいていた秋田、岩手、山形の銘酒を仲間と飲みたいと思っており、それが昨日やっと実現したのでした。旨いお酒ばかりで体にはあまり良くないのかも知れませんね。妻がこしらえてくれた芋煮も美味かったでした。

2014年11月2日(日)
 
甲府市障害者センターで行われた脊髄小脳変性症・他系統萎縮症山梨友の会の集まりに呼ばれ参加して来ました。難病の会ということで、この場に来られる方は少なく、支援体制も不十分であるため会の存続に厳しさを感じました。
 まずは言語聴覚士についての宣伝、その後リハビリ体操とゲームで楽しみ、質疑応答で出された安全に食事を取る方法を説明して終了しました。

2014年10月27日(月)
 
先週木曜日の散歩時に父の手を離れていなくなった愛犬。以前はすぐにひょこっと戻って来たのに、今回は4日経って何処へ行ったやら。年老いた父母はさすがに元気がなく、私も妻もそれが心苦しく感じていました。今日保健所に問い合わせの電話をしようとHPを開くと「迷子の犬ねこ情報」があり、クイックすると“保護しています”の欄に我が愛犬の写真が載っているではありませんか!両親に伝えるとすぐに引き取りに出掛けました。
 夕方私が帰宅して両親に聞くと引き取る様子を笑顔で語ってくれました。元気が戻って良かったなァと思い、愛犬はと話しかけると、こちらはいつもの元気なく疲れた様子でした。家族の立派な一員だと皆が改めて認識したことでしょう

2014年10月19日(日)
 甲州フルーツマラソン大会に参加しました。昨年はCBブレース装着でマズマズの走りでしたが、今年は練習不足からかなり不安な気持ちでいました。選手が一斉に並ぶスタート地点に行くのが遅くなり、2,500人の参加者の後ろの方となりました。号砲の後スタート地点に行くまでほとんど歩いて50秒、その後もしばらくは前に進めずイライラ感が募りました。隙間を見つけてはダッシュ、を繰り返しているうちにバテてしまいました。そんな感じでしたからタイムは伸びず、それでもあと1キロ地点からは50名ほど追い越してゴール!何とか無事に完走しました。来年はもっと前に並べるように準備を早めにしていきましょう。

2014年10月18日(日)
「言語生活サポートセンター」での4回シリーズが終了しました。貴重な機会を与えて下さり、管理者 園田尚美さんにはホント感謝致します。私自身毎回の講義に大あらわでしたし、まとめの中でたくさんのことを学ぶことができました。でも思ったのは、理論でなく一人一人のケーススタディだなぁということ。在宅で如何に生活を支えていくかですね。他種職連携もですがST同士の繋がりが求められる問題かと考えました。また、次回の開催に期待致します

2014年10月5日(日)
 4日、5日の一泊2日で東山地区失語症友の会の会員10名とST2名、現地でサポートST5名を加えて西伊豆に行ってきました。巨大台風18号が接近と言う不安の中、会員さんは堂が島遊覧船には乗れて満足だったようです。

 また、STは失語症研修会IN南伊豆が開催され、ST不在地域に東京、神奈川、山梨、鹿児島からのSTが7名協力、大変有意義な研修会となったに違いありません。
 夜は西伊豆失語症友の会「いろは組」との交流会が伊豆松崎荘で開かれ、歌や踊り、マジックショーなど大変盛り上がりました。また来年、今度はもっとたくさんなメンバーでどこか行きたいものです。

2014年9月28日(土)
 
言語生活リハビリセンターでの訪問ST講習会が開かれました。「仲間作りから広がる生活」というテーマに参加者より多くの意見が出され、大変有意義でした。
@言語治療の目的は何だと思いますか?...
 失語症をお持ちの方が「私は幸せである」と、感じるようになること。失語症のある方とその家族が何に困っているか真剣に考えてくれる言語聴覚士が多くはいないのではないか。病院STは目の前を通り過ぎる、患者に対応、過ぎてしまえば、又その次のその次の患者?に、向き合う・・・流れ作業の様に。
A私自身、失語症を抱え、多くの不満や屈辱を味わってきた。障害を負って生きていかねばならない第2の人生にSTは真剣に向き合って支援しているのだろうか?
B私からの質問:失語症者に幸せをもたらす「人と人の心からのつながり」とは?
 →本日の参加者8名から、それぞれ的確な思いが発せられました。
C言葉がなくても同じ時間と空間を共有できる幸せ→仲間:友の会
D事例紹介
 病院では、もう決して良くならないといわれて退院してきた失語症のある方を在宅での適切な支援で、生きていくための「芽」をはぐくみ、友の会への参加で仲間とつながり、笑顔が戻る。
E事例紹介
Fコミュニケーションは言葉のキャッチボール
 どんな投球でも、しっかり受け止めてくれるキャッチャーの存在が不可欠
G訪問STの介入:孤立感からの脱出・わかってもらえる人の存在
H失語症友の会の目的と活動の意義
I私と友の会のつながり→山梨県に東山地区失語症友の会を誕生させる。現在は、上野原失語症友の会、西伊豆「いろは組」など多くの友の会の活動を支援・指導
J若い失語症の方々とSTの関わり
K私 自身も若い失語症者だったが、当時は若い会はなかった。
L若い失語症の方々との交流会を開催
M宿題:障害を持つことで以前のように働けない、経済的苦境に陥る、周囲に認められない。このような若い人たちを、STとしてどのように支えるころとができるか?


2014年9月21日(日)
 牧丘町の「巨峰の丘マラソン大会」に参加しました。昨年は丁度台風接近とあり、酷い天候ながら走ったのを思い出しました。今年は天気はとても良かったのですが私自身の練習不足、それに左膝の痛みから無理はできない状況でした。9月初めに届いた左膝のCBブレースを装着して、恐る恐るの発進でした。無理はせず、登りは少し歩いてのんびり進んでいくと、どうにかゴールまでたどり着きました。膝の方も大丈夫だったようです。

2014年9月13日(土)
 上野原市文化ホール(もみじホール)にて上野原失語症友の会主催「地域包括ケアシステムとリハビリテーション」について参加者みなさんで考える会が開かれました。講師は上條内科クリニック院長の上條武雄先生で、約30名の参加者がありました。なお、STが6名参加協力してくれました。主催者である失語症友の会会長より挨拶があり、その後、参加者一人ひとり自己紹介をしてもらいました。社会福祉協議会のかた、通所・施設でボランティアをしているかた、認知症サポート講座の担当者、ケアマネジャー、県地方自治研究所理事、デイサービス勤務者、会社事務員、障害当事者と家族、等の面々。
 上條先生はまずこの日の集まりを企画する経緯の説明が有り、地域包括ケアの現状報告をパワーポイントを映しながら上野原地域における在宅専門医として診療展開の様子や厚生省ホームページ掲載の高齢化データに見られる将来に向けての地域ならではの仕組みづくりについて説明されました。今後増加が見込まれる認知症高齢者を支える値域包括ケアについて支援ネットワークを設立、会合をしていくこととなった。治療困難、介護披露、生活困難等、ケアマネジャーが頑張ってもダメな場合、仕組みを作っておけば、簡単に利用できるようになるかもしれないという見通し。嚥下障害や失語症などで、訪問STの活躍も欲しいという要望。全ての要素をデータベース化していき、地域感はタブレットで簡単に検索できるようなシステムを構築していくこと。
 次いでボランティア活動障害者活動など市民活動についても含め紹介してもらい、参加者や上條先生からコメントをいただきました。多くの具体的な意見や質問が交わされ、大変熱気ある会になりました。

2014年9月9日(月)
 
東京神田での「地域包括ケアイノベーション第4回ワークショップ・交流会」に行って来ました。古屋聡先生と地域栄養ケアの江頭さん、あおぞら診療所MD山口さんと私が講師をさせて頂きました。会場は100名程集まり大変盛り上がっていました。懇親会で様々なお偉いさんや地域でもの凄く頑張っている方たちとお知り合いとなり、大変有意義でした。

2014年9月6日(土)
 
一宮桃の里ふれあい文化館にて東山地区失語症友の会9月例会が開催されました。7月は20周年記念式典&講演会、8月は休みだったため久しぶりの例会でした。会員8名、ボランティア1名、ST2名の13名が集まりました。通常通り「歌」、体操、発声練習、近況報告、ゲームを行い大変盛り上がりました。昼食会ではお弁当と、昨夜妻に作ってもらった本場「芋煮」を皆さんで頂きましたが、大変好評でした。

2014年8月24日(日)
 昨日は第2回若い失語症者との交流会イン東京が行われました。参加者の総数は70名くらいでしょうか?大変盛り上がる会で、第3回目、4回目と継続して行われるといいですね。実行委員長のさかもっちゃんがリーダーシップを発揮し、皆をうまくまとめていたのが勝因でしょう。10名の若い失語症当事者のお話はみんな素晴らしかった!でした。終了後の懇親会もとても盛り上がりました。金沢からST3名が駆けつけて下さったり、愛知の若い失語症の事務局さんもわざわざ参加してくれました。また頑張りましょう!


2014年8月19日(火)
 夕方抜歯しました。山形から家に戻る高速道路の走行中、前歯の差し歯がポロッと取れてしまいました。お盆で歯科は休みだったため仕方なく昨日まで待ちました。昨日受診時に「30分位かなァ」と歯科医師。「えっ!そんなに?」と驚いたのですが、本日の抜歯の奮闘時間は50分。
 先の見えないあの心細さと痛切な痛みの連続は想像を絶するモノ。体力消耗、全ての元気が吸い取られた様です。帰宅後はグッタリで何も食べる気にならず、もう寝ます。


2012年8月12日(火)
 確か子供がまだ小さい時に一度来たのですが、子供は記憶がないとのこと。それならばと「閑かさや岩にしみ入る蝉の声」松尾芭蕉が奥の細道で句を詠んだ山寺に来ました。膝の痛みがある私には厳しい1015段の石段。登りでは汗びっしょり!慎重にゆっくり下ってきました。お茶屋で山形名物 玉こんにゃくを頂きました。4人とも良い運動となりました。

2012年8月11日(月)
 家族4人で米沢に行きました。台風の影響か小雨が降ったり止んだりと涼しい1日でした。上杉謙信を祀り多くの遺品が収められ、何年か前のNHK大河ドラマ「天地人」で知った直江兼続の愛の兜も拝見しました。上杉鷹山の像と私の好きな「為せば成る」の句碑など見どころたっぷり。昼食は量たっぷりの米沢ラーメンをいただきました。

2014年8月9日(土)
 昨晩9時半に塩山を出て、中央高速〜圏央道〜常磐道を経て、次男を途中拾って東北道〜山形道で明け方4時半くらいに山形の家に到着しました。台風で雨が心配でしたがほとんど降られませんでしたし、道も割と空いていたので助かりました。少し仮眠をとって朝食をいただきます。曇り空で蔵王が見れず残念。夕方からは酪農のお手伝いは気持ちをリフレッシュしてくれます。同じ牛仲間だからでしょうか?

2014年8月5日(火)
 妻の憧れ小田和正の横浜アリーナでのコンサートに行ってきました。仕事は午後3時までであがり、長男が載せてくれた車で駅まで。横浜には5時半ごろ到着し、横浜アリーナ―は開演前から熱気ムンムン。まあ、凄いモノでした。ただただその感想のみ。いろいろコンサート行きましたが最高でした。エンターテイナーとはこういうもんだろうなと夫婦感激でした。

2014年8月2日(土)
 午前中は久しぶりに眼科受診、混んでいたため半日かかりました。昨日までややハードなスケジュールだったため、さすがに週末は疲労困憊です。昼食後はゴロンと居間で横になって2時間程休みました。昨日までとは違い、やや涼しい昼だったのでちょうど良かったでした。夕方は久々にグランドまで行き、6qほど走ってきました。左膝の負傷で思うように走れていませんでした。7月は結局30q足らずの走行距離。牧丘病院PTより左膝のCBブレースをお借りしているのですが、なかなか練習する機会がありません。今日はそれを付けてゆっくり走れました。体重も増えていますし、できるだけ涼しい時間を見つけて走りたいものです。

2014年7月31日(木)
 午後から東京へ。8月23日の若い失語症者の交流会の会場である東京都障碍者福祉会館での打ち合わせ会です。会場を見せてもらい、具体的な当日の流れが決められました。当日の人数は未定ながら大勢の方たちに集まっていただけることを願います。終了後は田町駅前の懇親会場にも使用するお店で、若い失語症の代表者らと夕食兼お酒のみをして帰宅しました。このイベントももう3週間少々。そろそろ忙しくなってきますね。

2014年7月26日(土)
 東京荻窪にある「言語生活サポートセンター」での訪問ST養成講座4回シリーズの2回目が終了しました。センターの方がFBに見事にまとめて下さいましたので、ここに紹介させていただきます。

 平沢哲哉言語聴覚士に拠る/訪問言語聴覚士のための講習会第2回・7月26日14時から16時半まで。無事終了いたしました。
第2回目の講習内容
「言葉を紡いで心をつなぐ〜長期継続ケアの持つ意味は〜」

1)失語症の方にとって最も辛いこと?
2)言語治療の目的?
3)病院STと訪問STの相違点
4)在宅STは何を目的にどのように動いていくのか?
5)在宅医療とは?
6)訪問言語聴覚療法」とは?...
7)生活の場に介入する→家族も含めた生活支援の必要性
8)キーパーソンと訪問STの役割
9)訪問STが、果たさなければならないもっとも重要な役割
10)地域連携チームの一員としてのST
   (他職種からの情報獲得・問題点の解明)
   (他職種への失語症者への意思伝達方法を伝える)
11)病院STとの役割の違い
12)事例紹介
13)訪問STの利点とは
14)平澤STの訪問のDVDを拝見・訪問の実習予行演習

等々の素晴らしい内容の講義でした。
 硬い内容でしたが、病院STとどう違うか・・とても勉強になりました。 (きっと失語症デイのSTも訪問STとは少し違うと思います。病院のSTとも違います。)

 現在、日本中の言語聴覚士の80%が病院に勤務しており、あとの20%が、福祉現場に勤務しています。 でも、失語症者の実態は、180日の病院でのリハビリが終わると,行く場所もなく、自宅でひっそりと過ごしている方が多いと聞いています。
其のような現実を打破しなければ、失語症の方々の社会参加はますます遅れて行きます。社会参加の方法は「言葉」だけではありません。勿論言葉の重要性は言葉を失った本人が一番痛感していることです。でも「言葉なんか無くても、生きていく力を自ら育むことができる」(平澤STの言葉)ということを、訪問STが一緒になって、家族をも後押しをして、失語を持ってしまった第2の人生を豊かに過ごしていけるように、訪問STの役割が重くなっていくと思います。 それには病院の言語聴覚士とは全く違った、言語聴覚士の存在が必要なのです。全国50万人余に及ぶ失語症のある方々の第2の人生の支援者として、訪問言語聴覚士の役割は、とても意義あるものとなっています。
次回の訪問言語聴覚士講習会は9月27日(土)14時から17時までです。(延長の可能性は限りなくあります。)
 残すところ、あと2回です。「生きた生活言語訓練のできる言語聴覚士」の方々が失語症者の生活の現場に入っていただけることを心から望んでいます。どうぞ、よろしくお願い致します。

2014年7月20日(日)
 昨晩は6時より中村屋旅館にて高橋洋子先生をお迎えしての懇親会を遅くまで行ない、サプライズゲストとしてお呼びした牧丘病院院長 古屋聡先生の登場で大変盛り上がりました。全国失語症友の会連合会常任理事 園田さんなど遠方より多数ご参加くださり、楽しい前夜祭となりました。
 本日は8時半に会場である街の駅やまなしに集合、前日の打ち合わせ通りに準備に取り掛かってくれました。9時半に開会され、第一部は東山地区失語症友の会の20周年記念式典。活動の紹介をしていきました。第2部は高橋先生の講演でした。予定時間よりかなり早めに終了となったため、会場からの質問や意見で何とか時間を調整しました。第3部は11時より祝宴に移り、その最後には「ことばを超えて」をピアノやトロンボーン、フルート、ギターの伴奏で合唱しました。記念撮影をして無事に終了となりました。その後、先生たちは列車の時間まで時間がありましたので恵林寺見学、若いSTなども同行し皆さんで団子をほお張ったりしました。高橋先生や園田さんらを塩山駅までお送りし、何とか全て済んでホッとしました。気が張っていたせいか、終了して帰宅するとバタンキューとなりました。皆さんのおかげですべてうまくいきました。感謝で一杯!今度は8月23日にイベント準備ですね。また頑張ります。

2014年7月17日(木)
 53回目の誕生日。脳みそや肉体の衰えが次第に進んできている今日この頃ですが、一年間無事に過ごせたことを感謝いたします。くたびれの毎日、及びイベント前ということで誕生会などをしてもらわなくてOKなのですが、楽しいBirthday presentをgetしました。小田和正の横浜アリーナでのコンサート・チケットです。妻が小田さんの大ファンで、一度はコンサートにと思っていたのですが、なかなかチケットは手に入らずでした。本日抽選だったのですが偶然にも当たったのでした。8月5日、喜んで横浜まで行ってきます。

2014年7月13日(日)
 秋葉原にある首都大学サテライトキャンパスでの2度目の会議に参加しました。大変緊張の3時間ですが、多種職連携の話し合いについて私自身大変勉強になります。STの立場から話していくのですが、ホント私で良いのだろうかと思ってしまします。次回は8月31日という予定です。楽しみではありますが、不安の沢山ですね。

2014年7月11日(金)
 忙しく動き回った一日でした。午前中は訪問に回り、午後は穴山デイサービス「なごみの郷」と塩川病院に行きます。その後、本日韮崎東ヶ丘病院では納涼会であり、私は幸運にも招待されていました。誓いの丘イストアールは4年前に若いSTが結婚式を挙げたおしゃれな宴会場。おいしい食事やアルコール類をたくさんいただき、様々な人と楽しく交流できました。そこがお開きになってから甲府方面に移り2次会。帰りはかなり遅くなりましたが、若いOTさんが家まで送ってくれました。ありがたや。明日はゆっくり休めそうです。

2014年6月30日(月)
 今年も半分過ぎてしましました。大雪で苦労し、次男の大学合格・入学で喜び、友の会や研修会開催の準備に追われる毎週末と、まずまず充実していたのかな?でもまだまだ。
 今日は恒例のみそぎ祭りです。近くの菅田神社にお参りに行き、無病息災で今夏を乗り越えると伝えられるお祭りです。例年通り出掛けては家内安全をお祈願してきます。その後、コ・メディカル仲間とビール飲みです。暑い夏を乗り越えるには何よりこれが一番!!

2014年6月29日(日)
 東山地区失語症友の会の例会が街の駅やまなしで開催されました。当事者7名、家族5名、ボランティア1名、ST3名というメンバーでした。それぞれの近況報告では、何とか今年も半分元気に頑張ってこれたことを話されていました。これからまた昨年のように猛暑となるのか?憂いておりました。
 午後は山梨市民会館の大会議室で「山梨お口とコミュニケーションを考える会」の発表会に参加しました。ここのところかなりご無沙汰でしたので気は引けたのですが、「私のしたいこと」というテーマでの個人発表に推薦されたのでした。発表は全部で7名。様々な職種の人の発表を聞いては、この会が発会(2002年)当時から「多種職連携」を掲げてサークル活動的に行なってきたのを思い出しました。素晴らしい仲間であり、多くのパワーをいただけるのだと久々に感動しました。

2014年6月21日(土)
 東京荻窪に4月新設された「言語生活サポートセンター」での4回研修、1回目が終了しました。訪問STを始めた若い受講生から様々な悩みを真に受け取りました。お集まり頂いた皆さんが、働く場で多かれ少なかれ不安を抱えていること、しかも、それを如何にして解消していけるか悩んでいること等、現場の様子を知ることができて大きな収穫でした。失語症者だけでなく、「あるがまま、家まるごと対象に考えて頂きたい」といった意見にはビクッと来ました。なかなか楽しい3時間でした。来月もまたよろしくお願いします。終了後は美味しい地ビールを頂きました。今回の様な話をさせて頂く場があり、私自身もっと勉強していかねばと、考えさせられました。

2014年6月8日(日)
 日本地域リハビリテーション協会学術大会in熊本に参加してきました。「地域包括ケア時代の訪問リハビリテーション」がテーマであり、大変身に染みた講演ばかりでした。多くの若いSTが日
々努力していることを知ることができ、私はどういう方向に進んでいけばいいのか、考えさせられる2日間でした。病院のST室には決してない生活支援のコミュニケーション・アドバイス。また原点に戻った気持ちで自分自身取り組んでいかいたいと思いました。

2014年5月17日(土)
 中学校時代におふざけのコミックバンドを作り、当時ブレイクしていた“あのねのね”をコピーし、学園祭の舞台で大好評だったのでした。相方のY君とは昨年FBで近況を語り合い、本日塩山で33年ぶりにお会いしました。最後に会ったのは19歳の夏だったかな?その後はお互い違う人生を送っていました。昼に会い、塩山中学校のグランドへ。この校庭でお互いバレーボールの部員として毎日練習に励み、中学2年から郡大会では優勝、県大会3位の実績を築いた仲でもあります。Y君とは中学〜高校までコンビを組み、オールナイトニッポン的なDJ番組もテープに吹き込んだりして楽しんだものでした。
 懐かしい思い出を交わしながら昼間から酒のみとなり、お互いの道のりを少しずつ語り合いました。また、少ししたら会いたいですね。その時は「赤トンボの唄」でもハモッてみましょうか。

2014年4月26日(土)
 午前中に東山地区失語症友の会の定期総会が行なわれました。当事者・家族で11名、STなどボランティアが7名という三か所でした。久しぶりに一泊旅行を年間計画に提案したところ、意外と希望する方がいて、実現できたらいいなあと思いました。夕方には若い衆(STら)と宴を開き、この一年の活動について強く?語り合いました。

2014年4月20日(日)
 チャレンジ富士五湖ウルトラマラソンに参加しました。大雪の影響でロングランの練習ができず、更に肉離れと膝痛など最悪な状態でスタート地点に立ちました。でも立ったからには少しでも楽しんでこようと8時15分にスタート。序盤はキロ6分ペースでまずまずの状態でした。5km、10kmという表示地点までが物凄く遠い印象でした。左足のアキレス腱付近の痛みが20km地点よりきました。河口湖を過ぎ西湖を回っている頃は、頭の中で「制限時間までにゴールするにはどれ位のペースでいけばいいか?」としきりに考えていました。でも30kmを過ぎ、精進湖から本栖湖に向かう最中は両足のふくらはぎに痛みが回り、既に頭は「どこでリタイヤしようか?」と、諦めていました。本栖湖のえードステーションが42.1km地点でしたので、ここで終了。少し休んだ後、バスに乗り込みました。屈辱ではありましたが、体調を考えると仕方ないと納得もできます。バスでスタート地点の北麓公園に降ろされると、もう歩くのもできない状態になっていました。丁度連れがありがたくいたので助かりましたが、独りだったらどうなったでしょう?こんなにひどいのは初めてです。しっかり治して、リベンジしたいものです。大変な一日でした。

2014年4月17日(木)
 午前中に1件のみ訪問し10:30頃の電車で東京へ向かいます。荻窪にできた「言語生活・サポートセンター」での打ち合わせが午後1時から行なわれます。園田さんと娘さん、坂井STさんに私というメンバー。失語症に特化したデイサービスということで、ここに勤めるSTさんへの研修目的は実生活に直結する実践が求められると思います。同時に長期継続ケアの意味と地域連携にも十分理解していただきたいものです。6月以降に1ヶ月毎に4回程度の講義をさせていただき、その後は私の訪問場面で学んでいただけたらと考えます。私も開設に関わらせていただき光栄ですし、とても楽しみにしています。
 終了後に荻窪〜吉祥寺まで軽く走ったり、歩いたりと、気温が高かったので汗だくとなりました。20日のウルトラに向けて足は大丈夫かな?不安を抱えながらですが楽しみにしています。

2014年4月15日(火)
 土曜日朝くらいから頭が重く、血圧も高かったので不安を抱いていました。疲れかな?と思い、夜は若干早く寝るようにしましたが快方に向かわず、頭が痛い感じです。以前もこのようなことはあり、その時は昭和脳神経クリニックの辻Drに診てもらってきました。前回はいつだったろう?4,5年前かなと思い電話をしてみると「現在その番号は使われていません」のコール。どうしたものか不安を抱きながら訪問先でその頭痛について話すと、開業医の良い脳外科医を知っているとのことです。そこで早速その日の午後、その笛吹脳神経外科内科病院を受診しました。院長の上野先生は大変柔らかな口調で、MRI画像を前に分かりやすくご説明して下さりました。結局、脳には異常はないということで安心しましたし、良い遠征と巡り合えたことで気持ちもすっきりしました。
 上野先生に辻先生のことをお聞きしたところ、昨年12月に亡くなられたということで、驚きと悲しみに一瞬声が出ませんでした。私のことをとても可愛がって下さった先生で、総合病院時は失語症や高次脳機能障害のフレッシュな患者さんをたくさん見せてくれ勉強になりました。クリニックに移ってからも地域に患者さんを紹介して下さったり、私の活動を応援して下さいました。ご冥福をお祈り申し上げます。


2014年4月12日(土)
 遠藤尚志先生が亡くなられたのは昨年4月1日でした。一周忌を前に納骨を済ませたというお知らせを遠藤先生の奥さんより聞いていました。早いうちにお墓参りをしたいと申し出たところ、どうぞということでしたので本日参った次第です。塩山のいつもの花屋さんにアレンジメントを作ってもらい、今回は送ってもらわず持参したのでした。電車やバスの中ではややがさばる花ではありましたが、無事に遠藤先生宅に到着、夫人とは1時間くらいお話をしました。この1年のことを伺いながら様々と大変な心境で過ごされてきたんだなあと感じたものです。「早かった」「やることがまだまだたくさんあった」と、これは昨年の葬儀後も仰っていましたが、日が経つにつれ思いは更に増して来るんでしょうね。緑の多い閑静な墓地に遠藤先生がいらっしゃる。今日出かけていけてホント私も落ち着いた気持ちになれました。


2014年4月6日(日)
 河川清掃があり、桃の里マラソン大会に出場という予定だった今日、次男の入寮に伴う購入・搬送に追われていました。最初は今日だけでOKかなと思っていましたが、それでは全く間に合わなかったことでしょう。昨日、10時前に大学キャンパス寮に到着するとすぐに荷物を運びいれます。急いでそれを済ますと近くのイオンに行って、電化製品や日常雑貨を購入。他の家族もたくさんいるので店内は大混雑でした。昼食後は自転車を購入、これがかなり時間がかかり2時間待ちという始末です。結局落ち着いたのは夕方5時くらいで、ここにきてあれがない、あれがあると良いということとなり、その分は今日まで掛ったわけでした。私が大学に入り、様々用意した時とは全く異なる必需品かなあと時代の流れを感じました。

2014年3月7日(金)
 次男が国立大学に合格。雪により私大が受けられなくなり、暗い気持ちでいましたが今日の吉報に寒い日ながら春が来た!気持ちでした。もしあの日、私大に受験できて合格していたら、入学金を納めていたでしょうから、雪で受験できなかったことで随分儲かった気持ち?・・・でも結果オーライであり、あの時は何とも悔しい思いでした。家を出ることになりますので、その準備にやや忙しくなりそうです。でもそれも心地よい忙しさですね。

2014年3月3日(月)
 夕方、久しぶりにグランドでランニングをしたところ・・・、肉離れ!を起こしてしまいました。やや調子よく走っていたのに、40分を過ぎてこれまでの遅れを取り戻す気持か、ピッチを上げて走り、左ふくらはぎに痛みが走りました。「やばい!!」と気がついた時は既に遅く、ゆっくり歩く足に強い痛みが返ってくるのでした。来月6日はハーフを、そして20日は72kmをとレースが続きますが、やや厳しい感じになってしましました。

2014年3月2日(日)
 昨日は東京荻窪で開設される「言語生活・サポートセンター」の記念講演会でした。テーマが「在宅生活と言語リハビリ〜地域生活を生き生きと暮らすには」という興味深いものでした。基調講演が長谷川幹先生(三軒茶屋リハビリテーションクリニック院長)で、山本弘子STとTVナレーター沼尾ひろ子さんと私がシンポジウムに加わるというメンバー。高橋洋子先生が新潟市で昨年5月開設した「あおぞら」と同じような機能訓練特化型デイサービスです。病院を早期退院された失語症者や構音障害者を午前午後2交代で10名ずつ受け入れるこのスタイルは、人口の多い地域にはきっと受け入れがいいかと考えます。訪問リハビリが徐々に増えてきている中で、グループ訓練へつなげていくのが今後ますます厳しくなっていくようです。このようなデイが各地にできてくると、対人的なコミュニケーション訓練も可能だけに期待したいところです。
 打ち上げは荻窪の地ビール屋さんでたんと旨いビールをいただいてきました。最終の特急で帰宅しましたが、さすが今日は9時過ぎまで起きられませんでした。

2014年2月26日(水)
 東京にあります首都医校言語聴覚学科での特別講義に招かれ行ってきました。午前中は忙しく3名ほど訪問をして、新宿にJRで向かいました。新宿駅から西口徒歩7,8分と立地条件はとてもいいですね。大変モダンな建物で、教室もとてもきれいでした。地域リハビリについてのお話を1時間半させていただき、学生からの質問に答えていきました。学生の意識も在宅、地域にかなり向いていることが感じられました。その後、先生方と新宿のお店で懇親会に参加、おいしい食事とビールをいただきました。帰りは新宿から特急で帰宅しました。

2014年2月24日(月)
 次男の大学受験が明日ということで、夕方に東京まで一緒に行き、夕飯を食べて私はすぐに戻ってきました。先週、雪で交通遮断となり私大が受験できなくなり可哀想だったので、今回はよい条件で受けてもらいたいもの。どのようなものか・・・、自分の時のことを思い出すが、あの頃とはいろんな点で異なるため簡単比較はできません。でも、後になって思うと、嫌なことはたくさんありましたが、一生の思い出になることばかりで懐かしい宝箱です。いま厳しい最中の彼には「早く終われ!」としか思えないだろうが、苦労した者ほど宝箱は一杯になるに違いない、と思います。

2014年2月17日(火)
 大雪によりJRも高速道路、国道など東京へ通じる手立てがない!
 次男が予定していた私大を受験できなくなりました。昨晩からネット上でせめて中央高速だけでも開通しないかと、しきりに見ていたがダメでした。昨日は訪問もできる状態ではなくすべて中止としました。今日はそれでも午前3軒、午後1軒行ってきました。朝一番の甲府のお宅へはいつもより1時間以上早く家を出ましたが、残雪によろ道路状態が悪く、凄い渋滞を引き起こし、到着は15分遅れ、出発して1時間45分も掛りました。やっと仕事を終了させると帰宅して、夕方まで雪掻きをしました。家内も昨日は休みになりましたが今日は同じように一時間早く出勤し、何とか間に合ったとのこと。暫くは大変なことだと気持ち的にも参ってしまいます。
 それにしてもJRも高速道路とも復旧に時間がかかりすぎ。対応の遅さに腹立たしいです。

2014年1月12日(日)
 母屋では初釜が行なわれました。母のもとへお弟子さんが20名ほど集まったようです。うちの家内も今朝は早起きをして着物の着付けをしていたようです。大変なことだなあと、私はユックリ眠っていました。昼は近くのスーパーで弁当でも買おうと出かけたところ、弁当売り場に「合格カツ弁当」といった、受験生を意識したモノが並んでいました。うちの次男もそういえば来週土日がサンター試験でした。たた彼にこに手の弁当を買っていくのは気持を変に煽るようでよろしくないと判断、普通の弁当を購入しました。
 午後からは家から山梨市民体育館〜勝沼町上町〜牛奥などを経由しての約17kmランに出ました。4日にも三富の一ノ橋までの18kmを走ったりと、少しずつ長い距離に挑戦しています。もう少ししたら30km超のロングを一度走っておきたいと思います。4月20日の72kmウルトラに向け。

2014年1月9日(木)
 午後は育精福祉センターでの仕事でしたが、昼休みでみだい公園内を30分ほどjocしました。一段と寒い日で、特に風の強かったため厳しさを感じました。こうして少しでも時間があれば走ろうとするのは、この寒い季節だからであり、毎日続けている意地のようなものがあるからでしょう。しばらくするとこの気持ちが緩み、いい加減になっていくんでしょうか。
 友の会通信新年号を出さねばと思いつつ、ダラダラしていたのですが、やっとその気になりました。写真や原稿は届いているので、それをうまい具合に編集します。東山地区と上野原と両方の通信を出しますのでやや時間がかかります。明日には仕上げねばと思っています。上野原は19日(日)が例会ですので急がねば。

2014年1月6日(月)
 9連休後の本日は今年初出勤、やや休みボケはあったものの訪問先の方たちとの対応の中で、感覚が戻った感じです。入院していた何人かがここで復帰するということで、スケジュールも締まったものとなりそうです。天気は良いのですが寒い朝でした。まだまだ当分は冬将軍の居座りとなりましょう。それでも毎日走れているので気分は晴れた状態です。体重は多少増えたようですが、体全体はしまった感じになってきました。

2014年1月3日(金)
 昨日は何と10年ぶりのスキーでした。毎年行こう行こうと家族で言っていたのでしたが、子どもの都合(受験など)や私の体調問題(膝痛など)で実現しませんでした。今年も次男は大学受験に向け厳しい時期なのでしたが、9連休の退屈さを何とか解消したいと、私と長男で出かけたのでした。決めたのは昨晩で、それからが大変。スキー(板やブーツなど)は引っ越した時に物置の奥にしまったため探す気力もありません。それは借りることとして、問題はウエアー。何とか戸棚から見つけて、手袋、ゴーグル、帽子なども揃えていざ出発。
 朝は7時過ぎに、以前行ったことのある長野・野辺山付近のシャトレーゼスキー場に向かいました。途中道は雪が降った後の凍結状態で、ややヒヤヒヤものでした。スキー場でスキー一式セットを2人分借り、その後リフトの一日券を並んで購入。かなり待たされました。以前ここに来たのはいつだったのか長男と話したところ、彼が小学校5年の頃だったという。ということは・・・、と計算すると10年前ということが分かり驚きました。そこでスキーを履いた感触も全く初めてのようで、リフトの乗り降りもビクビク状態でした。初心者コースをハの字で慎重に降りていき、ボーゲンは何とかできたので安心。でも、思っていたよりスキー場は混んでいて、リフト待ちなどをしていると、もう帰りたい気分になっていました。それでも午前中7回ほど滑走し、以前のように軽快さはなくとも何とかパラレルターンも可能となってきました。
 11時半くらいに昼食とし、食堂で並ぶこと30分程度か。普段はあまり人が来ないだろうから、こうした正月休みでの混雑に少人数職員では対応が間に合わないようだった。1時間くらいでスキーに戻ったのですが、休んだためか感覚がまた鈍り、しかも今度は膝がガクガクと不安な状態になりました。雪質も悪く、ガリガリのアイスバーンでしたのでエッジを利かせてのターンで膝を遣いすぎたのでしょう。「もうよそう」と、午後は1度滑っただけで止めにしました。リフト待ちが20〜30分程度とだいぶ混んできたので、それを待つのも嫌になっていたのでした。
 でも、その時間にやめて帰ってきたのは混雑を避けて良かったのでした。スキー場近辺は凍結道でしたし高速道路も帰省ラッシュで交雑気味でした。10年もやっていないとダメだなあと思いつつ、今シーズンにもう一回行きたいと思う気持ちも残ったのでした。

2014年1月1日(水)
 新年おめでとうございます。今年はどんな年になりますか…。昨年12月に出版された「この道のりが楽しみ」による評価が聞こえてくることを期待します。また、やはり12月に訪問リハビリに関する問い合わせや打診がいくつか新規にあり、どうした活動となっていくのか、胸がワクワクしてきます。在宅STを始め、今年の4月に満11年。マンネリ化しないように新しい展開に向けて頑張っていきたいのもです。若いSTに引き継いでいってもらえるように、たくさんな接点で交り合う機会を持ちたいと思います。
 ランニングに関しては、4月20日にウルトラ富士五湖(72km)完走に向け、日々のトレーニングとそれ以前に20km程度のロードレース大会に出ていきたいものです。CBブレースで膝痛が解消し、この頃はそれをつけなくて走っています。昨年は年間1500km超でしたが、今年は目標として3000km走りたいと思いますし、フルマラソンにもエントリーしたいと思います。
 プライベートな点では、長男が就職活動に忙しい1年となりましょうし、次男は今年大学受験ですので、センター試験以降、暫くは家庭内もキリキリ状態でしょう。2人ともこの人生の分岐点を上手く切り抜いていけたらいいですね。
 今年一年、何よりも健康で無事にニコニコと過ごしていけることを願っています。

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