過去の掲示板(その6)


「インパール作戦・父が語る戦争体験記」への感想を多くの皆さんに書いていただいています。今までの掲示板への書きこみ内容をまとめてみました。上から順に新しい書きこみとなっています。
なお、改行位置などは一部編集してありますのでご了解下さい

平成11年3月の掲示板開設以来のもの(No1〜63まで)は「過去の掲示板その1」をご覧ください。
No64〜99までは「過去の掲示板その2」をご覧下さい
No100〜172までは「過去の掲示板その3」をご覧ください
No173〜206までは「過去の掲示板その4」をご覧ください
No207〜250までは「過去の掲示板その5」をご覧ください

ホームページ編集責任  窪田 幸唯 mailto:kubota@mxa.cosmo.ne.jp

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289.意見 投稿者:窪田やよい  投稿日: 9月 1日(金)11時46分26秒
 

謙東弥さん、YMさん こんにちは。
人間は誰でも「悪」の部分を持っているものだと思います。
きっと生きていくうえで、必要なのではないか
また、「悪」の部分があるから「善」がよりいかされるのではないかと思います。
過去の歴史を眺めてみても人間は愚かな生き物だといわざるを得ないのですが
悪い部分を抱えながら奮闘している人間が私はすきです。
そうそう捨てたもんじゃあないな、と思っています。
更に一人一人の人間は感じ方も考え方も異なるので、いろいろ衝突も起こってくるのですが
自分とは異なる考え方も受け入れてみる柔軟性が必要なんだと思います。
自分の内なる葛藤と他の人々との摩擦で悩み多き世の中ですが
あれこれ試行錯誤してみるのも面白いかなと思っています。
そんな点でもこの掲示板に皆様がいろいろなご意見を寄せてくださるのは
私自身とても勉強になり、感謝しております。
今後もよろしくお願いいたします。
なんかまとまりのない意見でしたが。


288.おやすみなさい 投稿者:YM  投稿日: 8月31日(木)23時15分47秒

 

>「三国人=悪い外国人」という意味ではありません。
ああそれはわかっております。
主にその三国の人の悪い人を指してるんじゃないですか?
それ以前に言葉が悪ならばそんなこといってもしょうがないですが。

>父は僕のことを軽蔑し、僕も父を軽蔑する、
>そういう親子関係でした。

今はお父さんのことをどう思っています?
相手の存在を認める努力はしましたか??
その言葉を使ったことで徹底的に軽蔑・攻撃することで問題が
解決できるとは思いません。

287.(無題) 投稿者:みやこ人  投稿日: 8月31日(木)20時54分21秒

 

窪田さんアドバイスありがとうございました。
参考にさせてもらいます。

286.お尋ねの件 投稿者:窪田やよい  投稿日: 8月31日(木)20時32分32秒

 

みやこ人さん、はじめまして。
今までも同様な質問が何件か寄せられましたが
防衛研究所図書館というところでお調べになるのが一番確実なようです。
それもこの掲示板に寄せていただいた情報です。
なにかしらの手掛かりが得られることをお祈りいたします。

285.どういたしまして 投稿者:謙東弥  投稿日: 8月31日(木)06時06分51秒

 

「三国人=悪い外国人」という意味ではありません。
それならアメリカ人もイラン人もロシア人も、
日本で悪さをする外国人はみんな三国人と呼ばなければならないですね。
三国人とは、中国・朝鮮・台湾の人々を見下して言う言葉です。
だから悪い外国人は三国人ではありません、不良外国人です。
また、猥雑な飲食街に住む外国籍の住人はすべて悪い人、
であるわけもありません。父の漠然とした偏見でしょう。

父とはそれ以上の話はしませんでした。
父は僕のことを軽蔑し、僕も父を軽蔑する、
そういう親子関係でした。そんな話はこれで終わり。

あなたならどうする、と言われても、困っちゃうな・・・
なんて歌の文句を並べて誤魔化したんだけど・・・
僕の心の中にも差別感や優越感や劣等感、様々なものがあります。
ただ、人と接する時、どんな人にもそれなりの人生を背負って
生きているんだと、相手の存在を認めるよう努めています。
日本人であろうと外国人であろうと。

284.ありがとうございます。 投稿者:YM  投稿日: 8月30日(水)23時57分18秒

 

こんばんわ。説明していただいてありがとうございます。

>三国人の住む治安の悪い、いかがわしい、猥雑な飲食街に住むとはけしからん、
>と言いたかったのでしょうね。

いいお父さんじゃないですか。ごく普通の感覚じゃないですか?
何となくですが、「三国人」=「悪い外国人」という意味じゃないかと思うん
ですが。
「三国人」が差別用語以外何物でもないとしてあなたはお父さんに注意したわ
けですか。お父さんはなんと答えましたか??

>結局、人間なんて邪悪な心を持つ生き物なのですね。
>僕もそんな人間のひとりであることに、憤りをおぼえます。

それでは、あなたはどうするつもりなんですか?
あなた自身にも必ず差別心はあると思います。
どうするんですか?

では、私は寝ます。

283.インパールへの道程 投稿者:謙東弥  投稿日: 8月30日(水)16時54分37秒
里見純一さんの「緬甸原色写真図鑑」というサイトを紹介します。
インパール作戦とは何か、という疑問を懐き、10年ほど前にビルマ現地を
旅した記録です。ビルマ北西部のチン州、カレイミョ、マニプール河、ファラム
などの画像や現地の様子、インパール作戦とは、などを検証しています。
標高2000メートル以上の山々が連なるチン州の景色は、
まるでアルプスの山越えと同じ様な、過酷な道程のようです。
山また山ばかりの画像を拝見していると、
いかにインパール作戦が机上の空論であったのかが解ります。

URLは
http://www2s.biglobe.ne.jp/~hokuso/

282.ご存じありませんか? 投稿者:みやこ人  投稿日: 8月30日(水)14時44分39秒
はじめまして。私は京都に住むものですが
今回、ある人物について調べています。
ビルマ方面軍第33軍第53師団(安兵団
)の隷下にあった歩兵第128連隊で指揮
をとった岡田連隊長のことについて調べて
います。陸士25期で最後、ビルマのナバ
と言うところで戦死されたと言うことしか
分かりません。
名前(下の名前)や年令、その他どんな事
でもかまいません。何かご存じの方がおら
れましたら教えて下さい。

281.三国人発言に関して 投稿者:謙東弥  投稿日: 8月30日(水)06時41分21秒

 

なんだか、学校の先生みたいで、イヤですね、こんなことを説明するのは。
かといってYMさんが眠れなくなってしまうのはかわいそうなので、
地下鉄の電車はどこから入れるのか、なんて古い漫才ギャグを思い出し笑い
していますが・・・あれれ、もう朝でした。遅れてすみません。

三国人とは、中国、朝鮮、台湾など、日本以外の近隣第三国を指す言葉
ですが、それは蔑称として使われるものです。つまり、日本人より下で
劣っているもの、けなす、という意味合いで使われる言葉です。
黒人のことを「くろんぼ」「土人」アメリカ人(欧米人)のことを「けとう」
ロシア人のことを「ろすけ」朝鮮人を「チョン公」などと、思い切って
書き連ねてみましたが、そのように、相手をけなす、侮蔑する意味合いで
日本人は使っています。
しかし使ってはいけない言葉なのです、絶対に。
どのような意味合いでも、侮蔑の意味はなくても、その言葉自体が差別を
表現しているからです。
ましてや、人の上に立つ、国際都市の首長たるもの、そんなに鈍い感性なのでしょうか。
だとしたら首長として失格ものですね。
わざとに、故意にその言葉を使っているように思えてなりません。
記者のせいにする、あの開き直りの記者会見を見れば確信犯ではと疑ってしまいます。
日本の首都東京の面汚しではないかと思いますが、
僕は北海道なので、まあ直接は関係ないか・・・どーでもいいや、あんなの、
と思っています。間違っても北海道知事には立つなよ、北海道民は愚かではないぞ。

僕が若い時に、札幌の、中国人や朝鮮人が、比較的多く住む地域に引っ越した時のこと、
父はこう言いました。「そんな、三国人の住む所に・・・」
三国人の住む治安の悪い、いかがわしい、猥雑な飲食街に住むとはけしからん、
と言いたかったのでしょうね。有名なススキノの外れだったのですが。
死んだ父は普通の、常識ある男だと思っていましたが、
僕とは少々距離があるな、認識として隔たりがあるな、と
気づいたのでした。

差別語でちょっと話題は逸れますが、以前にアルバイトの学生が、
「ウシの人が来てる」と来客を告げました。
ウシの人って・・・牛が人の姿になってるの???
それとも人が牛の皮を着ているの???
聞き直しても「ウシの人が来ている」なのですね。
考えあぐねた結果、来客は耳の聞こえない人だったのです。
差別用語って消えかかっているものの、おかしな伝わり方をしているものだ、
とその時は思いましたが、根本的な「差別」というものは人の心の中からは
消え去らないのだなあと、痛感してしまいました。
「耳の聞こえない人」と言えばいいことなのに・・・
中学生の子供たちがプールで「やーい、身体障害者!!」
と友達をからかっている場面にも遭遇しました。言われた子は五体満足なのですよ。
ただ、その子をばかにする、からかう意味で「身体障害者」という言葉を
使っているのには驚きました。差別用語を使わず、手足体の不自由な人を
身体障害者と表現するようになって何年経たでしょう・・・
でもその身体障害者という新しい表現自体が差別語にとってかわっていることに、
僕は深い憤りを感じました。
結局、人間なんて邪悪な心を持つ生き物なのですね。
僕もそんな人間のひとりであることに、憤りをおぼえます。

南京大虐殺もベトナムのソンミ村大虐殺も、
根は同じ差別です。
またまた話題が飛躍してしまいそうな状況に陥ってしまいました・・・

280.三国人発言」とは 投稿者:YM  投稿日: 8月29日(火)19時27分05秒
 

眠れないとはご迷惑をおかけしています。

ところで、「三国人発言」はなにがどのように問題なんですか?
説明してください。マスコミが悪いことはわかりますが、石原
さんがどのように悪いかよくわかりません。


279.反省する前に・・・・・・ 投稿者:謙東弥  投稿日: 8月29日(火)01時41分02秒

 

反省する前にしなければならないこと、というのが何であるのか、
疑問が残ったままで、何とも眠れない夜を過ごしております。

日本という国は、反省する前に何もしなかったから、
従軍慰安婦の存在を否定し、北朝鮮への謝罪・補償をしない、
という態度でいるのでしょうか・・・
靖国神社には過去から現在まで、大勢の閣僚や国会議員など、
日本の政治を司る人々が参拝しておりますが、
そこで何も見ていないから、何も考えていないから、反省もできず、
様々な失言放言で物議をかもし近隣国に抗議され辞任に追い込まれたり、
「国体」「三国人」発言で開き直ったり、
懲りない面々が、のさばっているのでしょうかねぇ・・・

居直りを教えることしかできない存在なら、必要ありません。

278.それはご自分で 投稿者:YM  投稿日: 8月28日(月)06時49分16秒

 

謙東弥様
お問い合わせの件ですが、私の口から話しても伝えきれないでしょう。
是非、ご自分で靖国神社に行ってみることです。靖国神社の敷地内に
遊就館という博物館があります。そちらにも行ってみることをお勧め
します。
謙東弥様がビルマに行かれて感じたように、実際に靖国神社に行かれ
て感じることのほうが、掲示板で私のようなものが言葉で説明するよ
り明確に感じられるでしょう。

窪田やよい様
そうですね、靖国神社は実在します。
8月15日の靖国神社には孫を連れた爺さん婆さんや戦友会の方々、
そして最近は若い人たちがたくさんお参りに来ています。
ただ、街宣右翼が大騒ぎしているのも事実で、8月15日に行くと
ちょっとイメージが悪くなるかも。(笑)

あー、会社に行かなければ。また、来ます。

277.反省する前に・・・ 投稿者:謙東弥  投稿日: 8月28日(月)02時26分02秒

 

YMさん、はじめまして。そして皆さん、残暑厳しい中、いかがお過ごしでしょうか。
さて、反省する前にしなければにらないこと、とはいったい何でしょうか・・・
靖国神社には行く機会がありませんし、行きたいと思うこともないので、
というのも、僕の身内や親戚には戦死した者がいないので、ですが、
YMさんがそこで何を見て何を感じたのか、詳しく教えていただけませんか。

石井さんの言葉の通り、南方では一人前(対等)の人間として現地の人々と接していたようで、数々のビルマ戦記にもそのような交流の記述が見られますね。
しかしビルマ人の内心は、欧米帝国主義・植民地主義からの解放を喜ぶと同時に、次は大日本帝国によるビルマ支配を懸念していたようです。
下級兵士の間ではビルマ人も日本人も同等であったのでしょうが、そして植民地からの解放と共存共栄を願っていたのでしょうが、軍上層部や日本政府は、日本軍の力でビルマを支配し続けようと企んでいました。
そこでアウンサン将軍が反ファシスト(反日本)を旗印に、ビルマ国軍は途中でイギリス側についてしまった訳で・・・
ビルマでは「日本のおかげでイギリスから独立できた」と考える人もいますが、おおかたのビルマ人は、学校での歴史教育の影響もありますが、反ファシスト闘争でイギリスに協力し、戦後に真の独立を果たした経緯により、日本・日本軍がビルマ独立に果たした役割というものは、たいへん低く評価されています。
残念なことですが。
結局、日本・日本軍がビルマでしたことは、ビルマ人による軍隊を創設し、それを日本軍の隷下に置いたこと、そして55年を経て現在の軍事政権の横暴を許す結果となったことに、おおかたのビルマ人は失望しているように思えてなりません。

276.なるほど 投稿者:窪田やよい  投稿日: 8月27日(日)20時52分51秒

 

YMさん はじめまして。ようこそいらっしゃいました。
そうですよね。日本国民は一度靖国神社へ行ってみるべきですよね。
「靖国神社」はひとつの概念みたいになってしまっていますが、実体を自分の体で感じるべきですね。
世の中、既成概念で物事を判断しがちですが、本質は自分自身で体験し自分の頭で考えて初めてわかるものだと思います。
戦争のことについては実体験のない人が大多数ですので、本質を見極めることはとても難しくなっていますね。
靖国神社が実体のものであることをうっかりしていました。
そのうち是非行ってみたいと思います。

275.是非、靖国神社に行ってみてください。 投稿者:YM  投稿日: 8月27日(日)15時34分33秒

 

ここの家主さま、はじめまして。
ざーっと読ませてもらいました。(また後でゆっくり読みます)
私の祖父は昭和19年6月にビルマで戦死したそうです。
以前は、「あー、そーなんだ」程度にしか認識していませんでしたが
結婚して家族を持ち、親族やご先祖の事とかを考える機会が増えてく
ると、「祖父の戦死」を意識するようになってきました。
(親戚、ご先祖の事を考える機会=親戚付き合いとかお墓参りとか、
法事とか・・。)

今年の8/15は靖国神社に行って来ました。
遊就館で戦争で亡くなったたくさんの人たちの遺書を読みました。
グッとくるものがありました。
祖父の気持ちも同じようなものだったのかな、と、思いました。

突然ですが、謙東弥様。はじめまして。
謙東弥様は遊就館に行ったことはありますか?
是非行ってみてください。
反省する前にしなければならないことがたくさんあることに
気づくことでしょう。

274.re:疑問がとけてきました 投稿者:石井  投稿日: 8月22日(火)15時22分49秒

 

旧陸軍のもっとも問題だった点は、碌に補給をせず、現地調達を基本としたところでした。
こうなると、占領民からの略奪は当たり前になり、特に中国本国においては、日本陸軍は
蛇蝎の様に嫌われた訳です。

ただ坂井三郎の本を読むと、日本海軍は、ソロモン諸島の人々には嫌われていなかった、どころか、白人は威張るばかりで何もしなかった、日本の軍人は、我々を一人前の人間として扱ってくれて、色々勉強も教えてくれた、と感謝される一幕がありました。

中国本土の戦いと、南方戦線での戦いは、占領された人たちの旧日本軍に対する捉え方が相当に違う様ですね。
南方の人たちは日本に欧米帝国主義からの解放、という気持ちを相当に持っていたと考えられます。

273.共存なんてとんでもない 投稿者:謙東弥  投稿日: 8月18日(金)11時58分44秒

 

世界は一家、人類は皆兄弟・・・などと、どこかのCMにありましたが、
自分の家族を守るために、隣りの家を襲い、金品を奪い、土地家屋を乗っ取りますか。
そのうえ、民族の姓名や言葉までも奪い捨て去ることは、
「共存」どころでなく、「民族浄化」に等しい行為ではないでしょうか。
韓国の金大中大統領や台湾の李統輝元首相がなぜ日本語を上手に話すのか、
それは学校で朝鮮語や中国語を禁じられたからではありませんか。
もし戦後にアメリカが、沖縄ばかりでなく、日本全土を占領し、
学校での日本語使用を禁止し、アメリカ流に氏名を変えよ、
公用語は英語、とされていたら・・・
侵略というのは、金品の略奪ばかりでなく、
民族のすべてを否定するということに他ならないのです。
南北朝鮮の人々の前で、あの時代は「共存」していたなどと、
間違っても言うべきではないし、たいへんな問題になることと思います。
「三国人」と同様、「バカでもチョンでも」という日本人の言葉が、
「共存」ではないことを端的に示しています。

272.8/15 投稿者:松下  投稿日: 8月18日(金)02時25分29秒

 

だいたいなぜ8月15日を特定日にしてあのような番組を行うか、良く考えると疑問なのですが、ああいうNHKで行われた討議を年一回だけやってもほとんど進展はないでしょう。
気付いたことは「何故戦争がいけないのか」、「何故侵略戦争で日本が反省しなければならないのか」を明確に説明できる大人がいない。標語のようにひたすら「戦争はいけない」と言いつづけてその内容にはほとんど触れなかったことが「わからない世代」をつくってしまったのではないでしょうか。
石原都知事の靖国神社参拝が「公人としてか私人としてか」を本人に質問した記者も、「何故公人としてではいけないのか」について論拠を知らずに言っているものでしょう。

あの戦争の真実については一般に言われる侵略説とは逆の意味合いを持つ話も多いことを何らかの形で報道すべきでしょう。あのマッカーサーでさえ戦後の極東裁判が「失敗」であり、日本が戦争突入に至った経緯を「自存自衛」だったと言っています。
日韓併合も一般には良からずと言われながらも「共存」したことで助かった面があるという意見もどこかしらで聞きました。
真実も角度あり、裏と表があり、これらをできるだけ多く頭に入れて本当の意味での反省と未来志向への考え方ができるものと存じます。

でも「国のため」に何かする、という言葉をタブー視する悪しき風習はいい加減絶たないと、こればかりは世界で孤立する羽目になるでしょう。という意味でもやはり8月15日に限定してああいう討議を行う無意味さを噛みしめている次第です。

271.侵略戦争 投稿者:窪田やよい  投稿日: 8月17日(木)17時09分15秒

 

そもそも「侵略戦争」でない戦争がかつて存在したでしょうか。
古来より我が身を守り我が利益を守るために人々は戦ってきたのではないかと思います。
だから戦争は良いことだとは言いませんが、自国のために戦うのはごく当り前なことだと思います。
この間のNHKにしろ、マスコミ全般に「お国のため」が悪の根元みたいな捉え方があり、日本人なのに日本の立場から考えるのは悪いことで、中国や韓国などアジア諸国からの立場で考えることがなにか美しく正しいことのような幻想に囚われているように思えます。
大切なのは真実を知ることだと思います。
その当時の日本の状況、世界の中での位置づけ、開戦に至った経緯、誰を敵として戦ったのか、どの国にどんな被害を与えたのか、
日本がどんな被害を受けたのか、等を総合的に事実のみを知らしめてくれるものがあるといいですね。
それらを日本人一人一人が常識として理解していれば、不必要に卑下したり自信喪失になったりしないで済むだろうし他の国の人々とも節度ある態度で接することができるだろうと思います。

270.反省とは・・・ 投稿者:謙東弥  投稿日: 8月17日(木)06時08分19秒

 

その広島市長の「反省」というのは知りませんが、
僕が思うには「過去の過ち」を反省しよう、と言っているのではないかと思います。
それは真珠湾攻撃や原爆投下という個々の問題ではなく、
昭和の日本が突き進んできた軍国主義、
松下さんの銭湯でのエピソードにもあるような国民を高揚させた教育やマスコミ操作、そして中国・朝鮮・東南アジア諸国を軍靴で蹂躙侵略したこと、などなど、開戦から原爆投下そして終戦と、様々な過去の過ちを反省し、二度と同じ轍を踏まないようにしよう、ということではないかと、思います。

国民全体が戦争・中国東南アジア進出に意気高揚していたのは、ひとえに戦前の学校教育・軍事教練と、言論弾圧・出版検閲をよりどころにしたマスコミの飼い殺しではないかと思います。
今の時代のように、電話・テレビ・メール・ネットがないのですから、国民が真実を知る方法も知らせる方法も、なかったことと思います。
それが一億、お国のために死ぬ、ということに高揚していったのではないでしょうか。

ビルマへ侵攻して行った30万の兵士たちも、ビルマの解放・独立を真摯に願っていたことでしょう。
しかしアウンサン将軍率いるビルマ国軍は、ビルマが独立を宣言したにもかかわらず日本軍が主導する国政に不信不満を懐き、やがて日本軍に反旗を翻す結果となりました。
イギリスから独立を果たしたはずなのに、このままでは日本の植民地となってしまう懸念があったのでしょう。
しかし一般の日本軍兵士は、純真にビルマの独立を願い戦いました。
戦後、九死に一生を得た兵士たちは、真実を知らされました。
インパールで餓死か否か生死を懸けていた時、南方軍司令部は後方で遊興三昧でした。そして敗戦を前に早々とビルマから逃れました。
捨て置かれ、ビルマに抑留された一般兵士は誰を恨んだでしょう・・・

反省とは、そのように、個人個人においても真実を見極め、為政者が正しいのか否か、慎重な判断を促すものではないでしょうか。
でもあの時代に、真実を見極めることはひじょうに困難であったことでしょう。
だからこそ、同じ様な間違いを二度と起こさないためにも、戦争を知り、学び、先人の過ちを自分のこととして省みて、皆で正しい国を作ろうではないか、との呼びかけではないか、と思います。

269.国民 投稿者:松下  投稿日: 8月17日(木)02時27分03秒

 

謙東弥さんへの反論はほとんどありません。あえていいますと、今年の原爆・終戦関係の報道で明確になっていないことがあまりにも多く、かつ「知らない」とされる若年層へガイドラインも不在になっているという感覚を持っております。

広島市長の宣言に「反省し、」という言葉が出てきたのですがこれはどちらなのでしょう。
1.昭和16年12月7日に真珠湾で落とした爆弾・魚雷、同年12月8日フィリピンクラークフィールドへ落とした爆弾と地上銃撃 − つまりアメリカとの開戦という過ちに対する反省。
2.アメリカが原爆を落とした、アメリカが犯した過ちに反省を求めること。

君主制でもない国家が国民世論の後押しなしであの戦争に突入できるはずないというのが私の現時点での持論です。これはある元陸軍戦闘機搭乗員の方から直接お聞きした話をそのまま述べると、
「開戦前(大東亜戦争)丸坊主の航空隊員が町の銭湯に入ると年寄りも若い人も、日本の軍隊はだらしない、だからアメリカに舐められるんだと言う。だからこちらとしてはうかつに風呂など入れなかった。東条英機が一人で戦争を始めたわけではない。国民全員が燃え上がっていた。軍服でキャバレーなど行こうものなら誰もが『このだらしない奴ら』という目で見る」。

これはご本人への取材をそのまま文章化したものです。

でも総じて戦争に関する決定的な情報はなかなか手に入りにくいものです。書店へ足を運んで光人社刊行の戦記を買うことでそれは可能ですが1冊600円前後、それも山ほど出版されていて1人が全部読むには限界あり、多くの人はそれもしない(無理もないことですが)。

NHKの討議を見ると中国戦線で非戦闘員である子供を殺傷した兵士の話をもとに議論が「戦争は悲惨」というところへ発展していったのですが、もっと多角的に物事を報道できぬものかと思いました。

石原都知事は(笑)、私は嫌悪を感じておりません。必ずしも支持していませんが、昨今「怒る気力もなく、笑うこともできず、泣くこともできない」失態が多い中で、世間の一部を怒らせるに至らしめたことはある種の新鮮味を感じます。ようは「都知事辞任」という駆け引きではなく、なぜ戦前のタブーとされることを持ち出すことが「いけないか」を徹底的に議論することが重要で、本当に彼を叩く意志があるのなら派手に議論をすればよろしいかと思います。なのに「知事やめろー」しか言えぬ周囲にかえって虚しさを覚えます。

268.沖縄・広島・長崎の知事が参拝したら 投稿者:謙東弥  投稿日: 8月16日(水)12時37分02秒

 

都知事の参拝を都民の7割が支持したとか・・・
戦争を知る世代がおおむね60歳代以上でしょうから、
その数字はきっと、戦争を知らない世代の声ではないでしょうか。
だからといって、強権行使されるのは、三国人発言で居直ったりと、
いかにも自民タカ派青嵐会血判状時代から脱却していない、
時代錯誤もはなはだしい知事ではないかと思うのですが、
僕は都民ではないので、弟の裕次郎と一緒に小樽に住んでました、
とか言って北海道に乗り込んで来ない限り、
ゴジラの如く東京を滅茶苦茶にしようと、どーでもいいことです。

これが、多数の一般人を犠牲とした沖縄や、
原爆の犠牲になった広島や長崎の知事の場合、
支持する各県民はおそらく半分にも満たないと僕は想像しますが。

 


267.kerorinn 投稿者:けろりん  投稿日: 8月16日(水)11時30分19秒

 

はじめまして。先日、子育てのことの講演会で、たまたま戦争体験話を聴き、とても感動(というべきではないでしょうが)して帰ってきました。こういう、体験記は、とても貴重で、ひとつでも多くの体験談を聞きたいと思います。昨日のNHKのTV,まだ、ちゃんと見てないのですが、若い人の意見には少し、え?!っていう感じでした。学校で、ちゃんと本当のことを習ったのかというと、やはり???って感じだと思います。ま、私自身(30代)で、戦争のことを語れるようなものではないのですが、ちゃんと伝えていくということはとても大事なことだと思いました。また、来ます。ありがとうございました。

266.納得できない日本人もいる 投稿者:謙東弥  投稿日: 8月16日(水)09時41分06秒

 

>私は毎年靖国神社を公人・私人として参拝する事を問題視することに半ば呆れ果てた
>ものを感じる次第です。
日本の政教分離策という観点では、神社・寺院・教会・・・などの行事に「肩書き」で出席するのは、明らかに間違いですね。かといって、「肩書き」を外し「個人」として出席するのは良い、などと、日本人は実に猿知恵が上手です。その曖昧さ加減が、いかにも日本的で、国際的に非難される所以です。

>あの戦争で私の祖父世代が相当数亡くなっていて、これらの方々が奉られ
>ている。近隣のアジア諸国がこれを快く思わないのはまだ理解できるとしても、
>自国民が自らの父祖の死を汚らわしいかのごとく扱う実情は到底理解できません。
靖国神社の戦没者合祀に反対しているご遺族は、父祖の死を「汚らわしい」とは、決して思っていません。
国のために亡くなったのに、あの戦争は国民を騙した侵略戦争だったからです。民族独立・大東亜共栄圏という大風呂敷が、実際には日本国日本軍の傀儡政治でしかなかったから、ご遺族は怒っているのです。それは「国に殺された」ことと同じです。日本という(当時の)国を恨み、国によって戦死者を祀られたくない、と考えるからでしょう。
また、A級戦犯と一緒に祀ってくれるな、という心情もあります。
日本の進路を誤らせ、多くの若者を死に追いやった上に成り立っている戦犯(軍上層)と、その犠牲者である英霊たちがなぜ一緒なの???という疑問があります。
加害者と被害者を一緒に祀るなど、その状況は到底理解できないでしょう。
ドイツで、ヒットラーと一般兵士を一緒に祀る、ようなものではありませんか。
そして参拝することは、ヒットラーに合掌しその冥福を祈る、ことではありませんか。
またA級戦犯ばかりでなく、ともに戦った上官とは一緒にされたくない、と思う人もいます。ビルマ戦記を読めば、「位」を振りかざす横暴三昧の将校がひとりふたりは必ず登場します。あんな上官とは一緒にされたくない、という生還者の声はありますが。死人に口なし、戦死された方々には、合祀を拒否することもできません。
また、キリスト教徒など異教の方々は、靖国神社には祀られたくない、ということで訴訟を起こし、日本国憲法で保証された信教の自由を勝ち取ったはずです。
ですから、合祀に反対する人々(ご遺族)は決して「汚らわしい」などとは
思っていません。赤紙という国の力で死に追いやられたのだから、国に祀られるのがイヤ、なのです。宗教が違うから、別にして、と思うのです。
今もし僕が、大嫌いな上司や性格の悪い同僚と一緒に、会社のお墓・社員の慰霊碑(そんなもの現実としてないけど・例えで)に祀られることになるなら、とんでもない、まっぴらごめんだぜ、と思ってしまうのですが、いかがなものでしょう。
死んだら一緒の墓になんぞ入りたくない、という夫婦も今の世の中には多いそうで・・・

265.NHK 投稿者:松下  投稿日: 8月16日(水)03時01分35秒

 

NHKの討論、最後まで見ましたが、総じて若者たちがあの戦争について「勉強していない、何も読んでいない」という印象でした。それはゲストの外交評論家岡本行夫氏が指摘していることで、あの戦争に至った御前会議のいきさつ等を勉強していない若者世代を批判していました。

私は毎年靖国神社を公人・私人として参拝する事を問題視することに半ば呆れ果てたものを感じる次第です。あの戦争で私の祖父世代が相当数亡くなっていて、これらの方々が奉られている。
近隣のアジア諸国がこれを快く思わないのはまだ理解できるとしても、自国民が自らの父祖の死を汚らわしいかのごとく扱う実情は到底理解できません。救いは東京都民の7割が石原知事の参拝を支持したことでしょうか。

264.終戦記念日 投稿者:窪田やよい  投稿日: 8月15日(火)23時06分51秒

 

ご訪問&コメントいただきありがとうございます。

小田啓介さん
ただいまhp全文をダウンロードして読んでいる最中です。
詳細に綴られた力作だと思います。

やまださん、かんちゃさん
当hpが戦争を考えるにあたって少しでもお役に立てればうれしいです。
私の父が誇らしげに語っていられるのは、父自身はいわゆる残酷なことをしていないからではないかと
私は勝手に想像しています。

今夜NHKで若者による戦争についての討論番組がありましたが(最後までは観ていませんが)
うーん、ちょっと違うなという感想です。
この掲示板での皆様方のご意見の方が核心をついているように思いました。
本文同様この掲示板も是非ご覧になってください。
そして、このようにコメントをいただけるととてもうれしいです。よろしくお願い致します。

263.疑問がとけてきました 投稿者:かんちゃ  投稿日: 8月15日(火)14時55分09秒

 

休日出勤の際たまたま見付けました。さぼってすいません。(笑)
日本の戦争に対する教育は良くないですね。
私も以前は戦争体験者の方が,戦時中の自慢話しをするのが不思議でなりませんでした。
教育によって「戦争はいけない事。戦争を仕掛けた日本は悪い国。」と洗脳されています。
確かに戦争は悲しく愚かな事と思いますが,私たちは真実を知るべきだと思います。
日本軍は残酷というイメージばかりが植え付けられている様な気がします。
私の祖父は満州で戦死しました。でもとても優しい人だったと聞いています。
きっと誇り高く戦ったと私は信じています。
この体験記を拝見してますますそう信じることが出来ました。
また,私が台湾に留学していた時,よくおじいちゃん達にたどたどしい日本語で
話しかけられました。日本軍が居た頃がなつかしいと軍歌を歌ってくれたりしました。
マレーシアで友人になったおうちのおじいちゃんも同じでした。
日本軍がそんなに残酷だったらどうしておじいちゃん達が懐かしがるのか不思議でした。
(おじいちゃん達は日本軍は厳しかったとはいってましたが…)
窪田様の体験記を拝見して絡まった疑問が少しづつ溶けていくような気がします。
貴重なお話し有難うございました。(もっと前に見付ければよかったなあ)

262.はじめまして 投稿者:やまだ  投稿日: 8月15日(火)12時30分17秒

 

yahooで紹介が出ていたことと、祖父が中将(?この表現が正しいかどうかはわかりません。中尉?)
としてビルマに行っていた事を生前に聞いていたので、見てみました。
同じ山梨(甲府)ですし、もしかしたら、一緒に戦っていたのかもしれませんね。
父の話から推測して、日本に帰ってきた時期も多分同じくらいです。
ただ、祖父は戦いのことはあまり話してくれなくて(嫌だったのでしょう)、現地の人との交流や、
疲れた部下達のために作った遊び道具のことを話してくれました。
祖父が現地で作った花札は今でも家にあります。
こちらのページをじっくり読ませていただいて、祖父の足跡をたどってみたいと思います。

261.はじめまして 投稿者:小田啓介  投稿日: 8月13日(日)22時01分28秒

 

はじめまして、窪田さん。
福山の小田です。私の父もビルマ戦線に参加し、その時のことを2年前に「一兵士の戦争体験」という本にしました。この度、より多くの人に見ていただきたいと思い初めてのホームページを作り、載せたところです。本で400ページ以上もあり読むのも大変ですが、見ていただき助言などいただければと思います。
ホームページのURLは http://www.bea.hi-ho.ne.jp/odak/ です。

260.遅くなりました。 投稿者:窪田やよい  投稿日: 8月13日(日)15時31分17秒

 

お礼が遅くなり失礼しました。
栗枝さん、散歩者さん、小林仁さん、小市民さん、はじめまして。
ご訪問&コメントありがとうございます。
皆さん好意的に受け入れてくださって、とてもうれしいです。
私自身は戦争の事に関しては詳しく分からないのですが
今の日本の姿を考えるには、まずあの戦争についてよく冷静に考えることが必要だと思っています。
私の身の回りでは、そこそこ平和的に楽しい日々が過ごせているのですが、
ちょっと遠くを見回してみると、腹の中がグラグラするような事象がいっぱいです。
なんとかならないものか、と悩んでみても、日々毎日の暮らしの中で昨日と同じように今日が過ぎていき
これといった変化はありません。
でも、誰某が悪いから社会が悪い、みたいな考え方はしたくありませんので
せめて身の回りの事に関しては自分の行動でより良くしていきたいと思っています。

259.未来へ 投稿者:小市民  投稿日: 8月12日(土)03時15分47秒

 

HP拝見させていただきました。
戦争へのやみくもな反対論や殊更に強調された悲惨さも無く淡々とした手記にかえって貴殿の人間としての奥深さを感じました。
私も貴殿の様になるべくあの戦争を客観的に冷静に評価するべきだと考えております。
戦争の要因云々を考えるには私は大航海時代にまで遡って考えるべきだと思っております。
欧米の植民地支配の歴史は、奴隷貿易やカリブ、アンデス住民の悲惨な歴史を省みれば、文化破壊、言語剥奪、人権無視等から更に今日へと続く物質文明の環境破壊と南北問題の全ての基になってしまっています。
ところが、その欧米諸国による世界支配に異議を唱えることができた唯一の国であるはずの日本が、何時の頃からか自分達の本来の使命を忘れ、時代遅れで、20世紀初頭にはその経済的非効率さから既に英米は薄々手を引きたがっていた植民地支配、帝国主義競争という時代遅れのレースに一番最後に猿真似のように参加し、敗者として貧乏くじを引いた要領の悪さが、今日の国民の精神性の退廃を招いている事は大変残念です。
さらに、明治維新以降の作られたこれまた欧米の猿真似の「天皇一神教」が招いた敗戦の悲劇が、似非進歩主義者達の戦前までの全ての文化の否定の口実にされる事に非常に歯がゆい思いをしております。
先の戦争が多くの日本人が意識していないにもかかわらず、アジアでの欧米の植民地支配に終止符を打つ大変大きなきっかけになったことは、貴殿の手記中にあるミャンマー人の発言にもあるように、紛れもない歴史的事実だと思います。
明治維新以降、日本人は「脱亜入欧」にばかり目が行きすぎていたために、自分たちの使命に気付かずに敗戦し、そしてまた、「経済大国」のみを追い求め、今日の経済破綻に行きついてしまいました。
そして、このままだと、この先にはもっと大きな破綻が待ち構えているのを感じているのは私だけなのでしょうか?
しかし、私は今の日本人が、本当に自分たちの使命に気がついたならば、日本のみならず、世界を覆う悲惨な現実を大きく変えられると考えています。
若輩者であり、且つ非力な小生ではありますが、日々その事のみを考えつつ暮らしております。今の思いを貴殿の年齢に到達した頃には、少しでも実現できる事が、貴殿の世代の経験を活かす事につながると思っております。

258.失礼します。 投稿者:小林仁  投稿日: 8月11日(金)22時23分41秒

 

  魅力的なWebですね。昨年、インドに留学していたとき、イン
パールの名を知りました。インパールにはマニプール人の友人がい
ます。今月20日に会いに行く予定なのですが、プリントアウトし
て持っていきたくなる内容だと思いました。ご健勝をお祈りいたし
ます。

http://www.telnet.or.jp/~hitoshi/


257.インパール・烈部隊 投稿者:散歩者  投稿日: 8月10日(木)16時49分21秒

 

私の父は、烈部隊、山砲にいました。(現在81才です)
一人の中将の妄想に近い野望が、何万人もの兵士を無為に
死なせてしまったこと、決して忘れてはならないと思います。
烈・祭・弓の三師団の師団長が作戦中に全員更迭・・・。
そして全兵団の8割近くが死亡もしくは重傷。
「戦争」それ自体の悲劇ととらえることも大事だと思いますけれど、
人間の作る組織の、ある種の救いがたい愚かさの証明として、
長く記憶されるべきだと思っています。

http://www2.saganet.ne.jp/a-sim/

 


256.感想 投稿者:栗枝  投稿日: 8月10日(木)03時17分50秒

 

克明な記録ですね。
終戦の日が近いです。
ところで、平和なのに私は現代を生きにくいと感じます。
ぜいたくですかね。
靖国神社に行って来ます。
↓は、BBSです。記念に何か書きこんでくれたら幸いです・・。

http://www63.tcup.com/6312/neutoral.html


255.新刊紹介 投稿者:謙東弥  投稿日: 8月 8日(火)01時38分49秒

 

「祖国を戦場にされて ビルマのささやき」 根本百合子・著
石風社・刊  ISBN4−88344−060−5  税抜定価2000円

日本軍と連合国軍がビルマの大地で戦闘を繰り広げていた当時、
ビルマ人は何を見て何を考えていたのか。
そんな疑問をもとに、著者は1992年から1998年まで現地において
ビルマ人多数から戦争当時の様子を聞き取り調査し、本書にまとめ上げました。
日本軍の第八飛行隊(9913部隊)の炊事係として働いたウー・カードゥ氏、
現在カロー・ホテル総支配人のウー・ラミン氏、
戦前にビルマ人と結婚し現在もなおラングーンで暮らすエミ(鈴木孝子)さん、
戦時中に南機関のスパイだったといわれる日蓮宗の永井行慈師、
などの足跡を辿っています。

なお、著者は外交官の夫とともに戦後ラングーンで一時期を暮らしており、
またビルマの戦時研究家として知られる根本敬氏のご母堂にあたります。

254.ありがとうございます 投稿者:窪田やよい  投稿日: 8月 5日(土)23時04分20秒

 

ふれさん、はじめまして。
ようこそいらっしゃいました。hpご訪問&コメントありがとうございます。
夏は日本が戦争を話題にする季節のように思います。
戦争について考えることなんてめったにない現在、
せめてこの時期だけでも、戦争について関心を持ってほしいと思います。
そして、ふれさんのように感じていただけるとうれしいです。
これからもよろしくお願いします。

253.貴重な記録ですね 投稿者:ふれ  投稿日: 8月 3日(木)23時15分29秒

 

はじめて、ヤフーの検索していてこのHPを見つけました。

お父様のインパール作戦での記録を読ませていただきました
平和ぼけの私達には今こそ、この平和を続けるために
先人の歴史を学んでいかなくてはならないと
深く感じました。

これからもよろしくお願いします。

http://www.mni.ne.jp/~t48714/index.htm

 


252.宿題について 投稿者:窪田やよい  投稿日: 8月 2日(水)09時12分56秒

 

まなさん、はじめまして。
宿題、たいへんですね。
「体験談」としては、このhp本編を読んでいただければよいかと思います。
その他にはリンクしてある関口さんのhpにも生々しい体験談が描かれています。
いずれもビルマ方面のみの戦争談ですが、参考にはなると思います。
その他は具体的に質問していただければ、お答えすることもできるかもしれません。
その節は皆様方も御協力よろしくお願い致します。

251.教えてください 投稿者:まな  投稿日: 8月 1日(火)22時11分05秒

 

私は。中学1年生です。いま学校の宿題で『戦争』についてやっています。
そして、体験談と今の時代について話を聞かなければならないのですが、私には聞ける人がいません。私は今宿題やって、いろんな事をしらべ、戦争ってとてもつらく、その時代の方々は、大変なめにあったんだな、と感じました。この掲示板を見て、ご協力いただける方はめーるをください。よろしくお願いいたします。

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