過去の掲示板(その18)


「インパール作戦・父が語る戦争体験記」への感想を多くの皆さんに書いていただいています。今までの掲示板への書きこみ内容をまとめてみました。上から順に新しい書きこみとなっています。
なお、改行位置などは一部編集してありますのでご了解下さい

平成11年3月の掲示板開設以来のもの(No1〜63まで)は「過去の掲示板その1」をご覧ください。
No64〜99までは「過去の掲示板その2」をご覧下さい
No100〜172までは「過去の掲示板その3」をご覧ください
No173〜206までは「過去の掲示板その4」をご覧ください
No207〜250までは「過去の掲示板その5」をご覧ください
No251〜279までは「過去の掲示板その6」をご覧ください
No280〜321までは「過去の掲示板その7」をご覧ください
No322〜371までは「過去の掲示板その8」をご覧ください
No372〜407までは「過去の掲示板その9」をご覧ください
No407〜456までは「過去の掲示板その10」をご覧ください
No458〜483までは「過去の掲示板その11」をご覧ください
No484〜541までは「過去の掲示板その12」をご覧ください
No542〜576までは「過去の掲示板その13」をご覧ください
No577〜619までは「過去の掲示板その14」をご覧下さい
No620〜673までは「過去の掲示板その15」をご覧下さい
No674〜737までは「過去の掲示板その16」をご覧下さい
No738〜793までは「過去の掲示板その17」をご覧下さい

ホームページ編集責任  窪田 幸唯 kubota@kcnet.ne.jp

 

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818 インパール作戦等を   投稿者: きき  投稿日: 5月29日(日)18時33分11秒

義務教育で、まともに教えてこなかったのが戦後教育の最大の失敗の一つだと思います。も し、実際の日本軍の作戦とその実体をちゃんと教えていたら、小林よしのり的な議論は起こらなかったと思います。明らかに牟田口司令官は右翼的な基準で見て も「不忠の臣」です。
今日本人は、「加害」の問題も大事ですが、「軍隊の国民に対する責任」と「国家の国民に対する責任」にもう一度目を向ける必要があるんではないでしょう か。あえて言えば戦争における「拙劣と無責任」に目を向けることこそ「加害」の問題に目を向ける一番の方法だと思います。


817 雑感  投 稿者: 窪田  投稿日: 5月25日(水)08時56分46秒

先月の中国における反日煽動行動、一昨日の副首相のドタキャンと中国のわが国に対する揺 さぶりがあからさまなものになってきている。中国外交の底辺にあるのは北朝鮮と変わらない激しい自己主張・自己正当化なのではないでしょうか。
近年わが国も少しずつ「普通の国」への道を歩み始めています。
これに対する周辺国の反応のひとつと捉えることもできそうです。
靖国神社首相参拝はわが国の国内問題であり、中国からとやかく言われるのは内政干渉ですね。
毅然と対応するしかないです


816 お騒がせしました   投稿者: かおる  投稿日: 5月10日(火)20時57分28秒

「インドシナパクニ」というのは、いろいろ調べた結果、「インドシナバクニン」の記載誤 りであることが分かりました。インドシナバクニンだと、現在のベトナムのバクニンという場所のようです。お騒がせしました。


815 防衛研究所   投稿者: 窪田  投稿日: 5月 9日(月)22時17分5秒

かおるさん 訪問感謝です。
この掲示板の過去ログにもありますが、
防衛研究所の史料閲覧室
http://www.nids.go.jp/military_history/military_archives/index.html
に問い合わせてみてはいかがでしょう


814 インドシナパクニ   投稿者: かおる  投稿日: 5月 3日(火)10時36分22秒

はじめまして。かおると申します。「インドシナパクニ」という場所を探しています。イン ターネットで検索しても「インドシナパクニ」は見つからず、いろいろ探しているうちに、こちらのホームページに出会いました。こちらのホームページの意図 と違っていたり場違いな質問をしてましたら、どうかご容赦下さい。叔父が戦争で亡くなった「インドシナパクニ」がとこなのかご存知ではありませんか。また 「インドシナパクニ」に派遣された隊のことを、何でもよいので教えていただければ幸いです。


813 戦争体験   投稿者: hellcat  投稿日: 4月28日(木)04時47分9秒

介護福祉士です。前大戦から60年、戦争を語る人も少なくなってきました。私は要介護認 定を受けた方の戦争体験を後々の世まで語り継ごうと考えています。
ホームページもまだまだ出来が悪いですが、一度見てください。感想待ってます。

http://m-space.jp/?hukuryu


812 意思の強さよ   投稿者: 加藤  投稿日: 3月23日(水)22時09分37秒

再び生きて還るのが、ほぼ奇跡に近いようなコヒマの戦いと、それに続くフーコン谷での退 却戦。山蛭と毒虫、そして街道には草むす中国軍の屍の上に新たに織り成す日本軍の屍。

牟田口廉也中将のあのばかげた精神論。
地図も無く、兵站も無く、航空支援も無く、只不敗皇軍の名のもと、戦いよりも餓死した兵隊さんのその膨大な数の多さ。

あの戦いも含め、ビルマでの戦死者、約19万人。
本当にお父様が無事御帰還できたのは奇跡に近いと思います。戦いは運と気力だと言われます。気力を無くさなかったお父様。やはり還るべくして帰った方だと 思います。

戦後、帰還してもそのトラウマに冒せれ、靴を見ると必ず買い、最後には靴の中で命をまっとうされた方や、自ら命を絶った方も数多いと聞いています。

やがて、インパールや餓島や、ノモンハン。われわれの記憶から遥か遠くに行くことでしょう。
そして今日23日は、祖国の未来を信じて硫黄島で栗林中将が自決した日です。


811 父  投稿 者: 窪田やよい  投稿日: 3月22日(火)20時58分48秒

加藤さん ご訪問&書き込みありがとうございます。
お褒めの言葉をいただき恐縮です。
父は戦争の話をするのが大好きです。だからこんなサイトができたわけですが。
戦争体験者の中には戦争の話を厭う方々も多くおられるようです。
すると父のこの明るさ(?)はなんなんだろうと考えます。心身共に強い人です。負けん気が強い。自分は正義だと自信が持てたのでしょう。父なりの哲学を 持っているようです。今でも政治問題などに関心が高く鋭い見解を示します。


810 はじめまして   投稿者: 加藤  投稿日: 3月21日(月)14時14分48秒

初めまして、やよい様。
私は加藤と申します。現在、愛知県の瀬戸市に住んでおります。
お父様が体験された、インパールの戦い、大変とても興味深く拝読させていただき、又、その事実を伝えるべき文章の素晴らしさにとても感銘を受けました。

私の父も、あの大戦に末席ながら参加したそうですが、私たちには多くを語らずに他界致しました。

私は、インパールに関する戦史は沢山目に致しましたが、それは対極的見地から著述したものが殆どでした。
私が思うに、この文は支作戦の中における烈師団の足跡を残す貴重な資料としてとても価値があると思います。

勿論、戦争は人類としての行動として、真に愚かな行為です。
しかし、時代の変遷の渦に巻き込まれ、数奇は運命を辿られたお父様、そして、その職責をまっとうされたその生き方に敬意を表します。

戦争では負けたけれど、その後のアジアの繁栄を目にする時、私は先人達の苦労のお陰だと
思います。


809 RE:武道通信さま   投稿者: 窪田やよい  投稿日: 3月19日(土)11時28分31秒

武道通信さん ご訪問&書き込みありがとうございます
「武道通信」サイトは一時期よく拝見しました。特に「対談」がおもしろく勉強させていただきました。今はなくなってしまったのですね。そのサイトさんから 訪問いただきうれしいです。


808 『軍刀の操作及試斬』   投稿者: 武 道通信  投稿日: 3月17日(木)19時16分11秒

 サイパン、グアム島などを米軍に制圧される直前の
昭和19年3月、陸軍戸山学校 編よる『軍刀の操作及
試斬』が国防武道協会から刊行されました。
 元の本は大東亜戦争開戦1年前の『軍刀の操作法
及試斬』と17年の『短期速報教育軍刀(一撃必殺)訓
練要領』であった。これは帯刀(サーベル)する士官に
向けに作られた本です。
「剣を学ぶ者、竹刀のみの修練を以て足れりとすると
きは、実戦に用を為さざる小手先の技術に堕し……」
――陸軍将校は、日中戦争で竹刀剣道は真剣操作と
まったく違うものだと知ったのでした。
「序」に「一般よりも之れが単行本として頒布を希望す
る者極めて多き為」とある。2冊を合冊し、修正を加え
たこの書は本土決戦に備え、非戦闘員への<覚悟>
の書として発行したと推測できます。
一億玉砕の“空気”をかいま見る書です。
HP「オンライン読本」で目次が読めます。

http://www.budotusin.com/


807 好意を寄せられたい   投稿者: 窪田やよい  投稿日: 2月19日(土)22時53分50秒

keiさん ご訪問&書き込みありがとうございます。
興味深いお話ですね。お話の様子では、そのミャンマーのご夫妻やお爺さんは日本・日本人に対して好意的であるようで、うれしいですね。keiさんの日本人 観は今のところどんなですか?


806 ありがとうございました   投稿者: kei  投稿日: 2月13日(日)04時20分33秒

keiと申します。
02’03’にかけてミャンマーのチャウンター村へ仕事の為、4ヶ月ほど滞在して下りました。チャウンター村は、インド洋に面しミャンマーの人たちの、観 光地らしいのですが無電化村で国営電力会社が、夕方から3時間ほど村へ送電するだけの村でした。現地スタッフ、現地の村人、仕事場横のゲストハウスのご夫 婦達と仲良くなり特に毎食、昼食を食事していたゲストハウスのご夫婦とは、私と同じ歳という事もあり大変好意にしてもらっていました。ある日、昼食時にゲ ストハウスの主人のラボが、『私のお爺さんは、日本語がしゃべれる』って言うじゃないですか!?私は、『機会があればお爺さんに会わしてほしい』って言っ たら後日お爺さんが私達を訪ねて来てくれました。お爺さんは、『戦時中に、日本軍の金田先生に勉強を教えて貰いました・・・・』と色々なお話を日本語で伺 いました。また、ある日仕事を早くに終えた日にラボ夫婦と村から見える山の上のパコダへ行く事がありました。その時にも住職に『その昔ここは、日本軍が駐 留していた』と話を伺ったりしました。学生時分は教科書に載って無かったのか?勉強不足だったのか?(大概が、後者だが!)最近になり 何かにつけ'日本 人'は?って思うようになり時間があればこの様に検索し過去の'日本'、'日本人'について再認識?勉強してます。今回、窪田さんのh.pを拝見さして戴 き再度、日本の過去?歴史?(私は、現在、過去なのか?歴史なのか? 模索中?うーん 勉強中です)勉強になりました。ありがとうございました。


805 醜い神様   投稿者: kodai  投稿日: 2月 8日(火)15時56分11秒

醜い経済大国では、国民を少ない報酬でたく
さん働かせるノウハウについて日夜研究されているのでしょうか


804 第二ステージ   投稿者: 窪田やよい  投稿日: 1月26日(水)14時19分15秒

ha-さん ご訪問&書き込みありがとうございます。
日本が敗戦国となってから60年経とうとしていますが、いまだに敗戦国としての弱い立場はなくならないですね。日本国内の自意識としても。
よく言われるように日本は戦後経済的な成功をおさめ安定した社会を得られましたが、現在はまた別のステージへと進み、道を模索しているところだと思いま す。
道を切り開いていくには、誇りと勇気を持つことが必要だと思います。偏った固定観念ではなく客観的な目で、世界的な視野で日本を眺めれば、優れた国だと思 いませんか?
ダメだ、という気持ちがダメな状態を招く、それは日本人一人ひとりのあり方にかかっていると思います。皆が同じ考えを持つわけはないけれど、より良き社会 を目指して、この難しいステージをクリアしていきたいものです。

なお、父は本は刊行してはおりません。(身内用に冊子は作りましたが)
父の体験したこと、知っていることは全てサイト内にありますので、ご参考にしてください。


803 (無題)   投稿者: ha-  投稿日: 1月25日(火)14時23分24秒


リンクの本は身内の方ではなかったですね;;
ちょっと勘違いしてましたm(__)m
でも、取り寄せて読んでみたいと思います。


802 はじめまして^^   投稿者: ha-  投稿日: 1月25日(火)14時13分24秒

はーと申します。
私は最近、第二次大戦(旧日本軍)の真実に興味を持ち、色々とHPめぐりとかをしていて、ここにはじめてきました。
学校で習う事や、TVなどのメディアで知る旧日本軍は嫌いで、靖国神社なんてA級戦犯がいるところやん、としか思っていない、現在の日本人の大半であろう と思われる知識しかもっていませんでした。(ハルノートやレインボウ作戦、コンロン計画書などなど、なんて知ってる人少ないですよね?)
でも、語られていない事実がたくさんあることが分かり、それを知るにつれて、こんな素敵な日本人の血を私は引いているんだなと先人たちを誇りに思えるよう になりました。
勝てば官軍負ければ賊軍・・・・この言葉が色々分かるにつれてよく、身にしみました。勝てば、行った残虐非道な事は闇に葬られ、負ければ行った善行は闇に ほおむられる・・・結果、勝てば、善い行いしか残らなく、負ければ非道な行いしか残らない。
戦争なんて、参加した国は、全て善い事も悪い事もしてたはずなのに、大衆心理を操るすべに長けた戦勝国の上層部は上手くしたなと思います。

おじい様の著書はまだ見ていないのですが、早速取り寄せて読んでみたいと思います。
あ、知っている人は多いかと思いますが、私が戦争に興味を持つきっかけとなったサイトのアドレスも併記しておきますね。

旧日本軍の語られなかった部分の一面から見た戦争をフラッシュとしておいてあります。
http://www31.tok2.com/home2/teiteitah/index.html


801 雑感  投稿 者: 窪 田  投稿日:12月 4日(土)11時56分4秒

先般の日中首脳会談での中国首脳のわが国に対する高圧的な態度は実にヒンシュク物ではな いでしょうか。ODA打ち切りはまかりならぬ、総理の靖国参拝は言語道断・・・まったくひどいものです。この秋に中国に行ったときNHKBSニュースを見 てましたら驚きでした。天安門事件の画像が出た瞬間画像が切れました。国内向けの建前と国外向けの主張のダブルスタンダードでやる手法は、わが国も見習う べきでしょう(笑)


800 無能の一掃   投稿者: 寺 嶋眞一  投稿日:11月 9日(火)06時12分45秒

悲惨な戦争を繰り返さないためには、私たちが知的低水準から脱出する必要があります。
その方法は、英米人の考え方を取り入れるのがよいと思います。
You can read more at http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/

http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/


799 投稿者:マツ子様へ  第55連隊 についての慰霊碑について。  投稿者: ニュー ス西海新聞社 論説委員の・/A>  投稿日:10月31日(日)00時53分46秒

歴史的価値のある教養の高いホームページ開設者による投稿欄だと感じております。
投稿日8月12日の投稿者:マツ子様の質問ですが、菊55連隊の慰霊碑は長崎県諫早市の正福寺に
昭和53年に建立されております。毎年11月に慰霊祭を行っているかと存じます。佐世保市内にもあるのですが関係資料につきましては、今後発表の機会があ ればと小生は考えております。詳しい連絡先は、小社へメールいただければ、返信いたします。


798 一助となれば  投稿者: 窪田やよい  投稿日: 9月30日(木)13時15分22秒

岡 重雄さん ご訪問&書き込みありがとうございます。
私の父は今年81歳になりました。お陰様で元気でおります。岡さんのお父様はずっとご年配でいらっしゃるので、父とはまた異なるお立場で異なる経験をなさ れたことと思います。父の一体験談ではありますが、当時を知る一助となれば幸いです。
昨年、私の息子(父にとっては孫)が通う中学校から、戦争体験の話を子ども達にするよう要請があり、30人ほどを対象に話をしてきました。子ども達は皆、 真剣に興味深く聞いてくれたようです。今年も同様の要請があり、父は張り切っております。


797 私の父も   投稿者: 岡  重雄  投稿日: 9月28日(火)15時50分4秒

 お父様の体験記読ませていただきました。私の父もビルマから、私が小学校に入学した頃 復員しました。米寿を前に四年ほど前に他界しました。父から戦争体験を聞いておかなかったことを後悔しています。ビルマに行っていたことと、帰ってからマ ラリヤに苦しんでいたことくらいしか、父の戦争のことは分かりません。
 ここに読ませていただいたと同じ体験をしたのかと思うと、良く生きて帰ってこられたものだと思います。同時に、父を失わなかった幸運に感謝しなければと 改めて思います。
 工兵だったと聞いていますが、南の方に配属された部隊だったのかも知れません。父自身があまり戦争のことは語りませんでした。まだまだと思っていました が、急に、逝ってしまったので、聞き損なってしまいました。
 ビルマに少し関心を持っていたところ、たまたま、この頁に出会って、読ませていただき、父がしたかも知れない体験を知ることが出来ました。有り難うござ いました。


796 イラワジ河の氾濫   投稿者: 32tm  投稿日: 8月22日(日)22時06分59秒

インパールから撤退するときに牙を剥き多くの将兵を呑み込んだイラワジ河は雨季になると 今も河近辺の住民に襲いかかってきています。 ミヤンマーの専門旅行社、キヤラウエイ(株)の社員神谷女史から現地の痛々しい被害状況が札幌の友の所に送 られてきましたので転記掲載しました。以下原文の侭。

少々詳細に。氾濫は大反乱だったようでキャラウ
エイの神谷さんからの通信です。
カチン州の大雨でイラワジ河が氾濫し、マンダレ
ー、サガインヒル、インワ周辺も大洪水で村が水
没し、チーク材の橋ウーペイン橋が一部流される
大被害だったそうです。
小父さんは通過地点だったと地図を出して詳しく
説明してくれ、一層心が痛みました。
恵みを与える河との共存が如何に大変かを思い知
らされます。


795 本日の読売の社説   投稿者: 窪田幸唯  投稿日: 8月15日(日)21時29分51秒

本日の読売新聞の社説「『BC級戦犯』をも忘れまい」興味深いです
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20040814ig90.htm


794. 窪田様 ありがとうございます。   投稿者: マツ子  投稿日: 8月14日(土)00時07分56秒

 お返事ありがとうございます。さっそく調べてみることにします。
 おばあちゃんは、靖国神社や護国神社がテレビに映るたび、必ず手を合わせていました。足が悪くて、参っていけないから、ここで拝むんだよ。といっていま した。
 私の父は、左よりの人で、靖国反対、旧日本軍の蛮行許すな、の人です。娘婿に連れて行ってほしいと言えなかったんだと思います。私が車の免許を取るのを 楽しみにしてました。どこにでも連れて行ってあげると約束していました。とても残念です。
 お骨のないお墓に手を合わせる。まだ納得できないです。畑の隅にあるお墓の横にぽつんと座って、いつも同じ歌をうたっていたばあちゃんを思い出すと、か なしくなるのです。どうか天国で、二人が再会できますように。


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